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34.動くことのない感情
しおりを挟む十分な休憩を取ると、私達は神殿近くの宿に移動して泊まることになった。
ディートリヒ卿曰く、
「神殿は朝が人が少なく、警備が手薄です。なので、早めに寝て早く起きて、行動を開始しましょう」とのことだった。
部屋は別々だと聞いて、何も考えずに眠りについた。そもそも一部屋しか取っておらず、一晩中部屋の近くで警護をしていたと知ったのは翌朝のことだった。
「これが護衛騎士の役目ですから」
そう言われてしまうと、怒るにも怒れない。言いたいことをぐっと呑み込んだものの、ディートリヒ卿はそれでも、私のもどかしい気持ちがわかると告げた。
「申し訳ありません、それでもこの役目は譲れません」
心底申し訳ないという表情を見れば、もう何も言葉は浮かばなかった。それよりも感謝を伝えれば、ディートリヒ卿はいつものように優しく微笑んでくれた。
何はともあれ、準備へと取りかかる。私は、ディートリヒ卿が用意してくれた、神殿の神官が着ている服をまとった。そしてかつらを被って髪色をごまかす。
(……あれ? 何か入ってる)
洋服についていたポッケに手を入れると、何か紙のようなさらさらとしたものに触れる。取り出してみると、二回ほど折り込まれた紙があった。
(なんだろう、これ)
気になってもとの大きさに開いてみると、そこには見覚えのある筆跡で一文だけ書かれていた。
(もしかして……私の字?)
“世界はしつこいくらい、事細かに言わないと理解してくれない”
(……なにこれ。誰かの言葉かな)
普通に生活していたら絶対に聞かない、使わない言葉に困惑を隠せない。一度読んだだけでは理解できず、何度も読み返したが、それでもわからなかった。
(いや。よく見たら似てるだけで私が書いたものじゃないわ)
そこら辺は、毎日のように自分の筆跡を見ているからわかる。
(この服の持ち主も神官だよね。ってことは、その人が大切にしてる言葉かな)
そう結論付けると、ポケットに戻した。部屋を出ると、扉のすぐ横でディートリヒ卿が待機をしていた。
(用意が終わりました!)
「準備万端ですね」
ディートリヒ卿は元々神殿にいてもおかしくない騎士の格好なので、特段変わることはなかった。
といっても、彼は今王都の教会で聖女の護衛騎士をしている話は、神殿内ではなかなか有名な話。ディートリヒ卿曰く、神官ならごまかせるが、自分と親しい騎士には会うのは不味いとのことだった。
なので私達は、神殿内では極力人を避けて移動をすることにした。
「では行きましょうか」
(行きましょう!)
熱意のこもった強い頷きを見せると、ディートリヒ卿もそれに応えるように頷いてくれた。
馬とは一度お別れとなり、ここから先は歩いて行く。神殿は目と鼻の先にあるものの、神官や騎士の姿は見当たらない。
(ちょうど交代の時間みたい)
神殿に近付くと、以前訪れた時の記憶が思い出された。
(……私の記憶とあんまり変わらないかも)
懐かしむ感情は全く浮かばず、実際神殿を目の前にしても何の感情も浮かばなかった。あれほど待ち望んでいたはずなのに。
(きっと……まだ何の情報も手にしていないからだよね)
この神殿を出る時には、収穫があって喜べますようにと、ふわりと思い描いた。
「ルミ……名前を呼ぶのは控えた方がよさそうですね。さっそく中に入りましょう、神官殿」
(そっか。私、今は神官だ)
といっても喋れない神官なんて存在しないけど。
結局のところ、バレなければよいのだ。私の場合、ディートリヒ卿よりも避ける人間は限定的と言える。
なにせかつらを被っている。その状態でも、私のことを聖女だと断言できるのは、嫌というほど顔を見合わせているルキウスしかいない。
(避けるは大神官と騎士!)
強く意気込むと、ディートリヒ卿について、素早く神殿の中に入る。入り口の先にも人影は見えず、誰かに見つかることはなかった。
まだ明け方だからなのか、中はひんやりとしていて、薄暗かった。
(……この道、知ってる。ここをまっすぐ行けば、世界で一番大きいレビノレアの神像がある)
目線の先にあるのは、過去に一度だけ、力を消してくれと願いに行った場所。何も起こることはなかった、私にとっては無価値な部屋。
(……二度と行かないって思ってたけど、時間があったら文句の一つでも投げにいってやろうかしら)
当時の記憶を思い出すと、消してもらえなかった悲しみと怒りも同時に浮かび上がってきてしまった。
(……いや。今日はそんなことしてる暇はない)
どうやら私は立ち止まっていたらしく、ディートリヒ卿はそっと近付いて耳元で静かに告げた。
「このまま図書室に向かいましょうか」
(そうそう。今日行かないといけないのは図書室。……レビノレア、またね)
ディートリヒ卿に気付かれないように、見えない神像の方向を一度だけ睨み付けた。その後はすぐさま後をついて行った。
「図書室にさえたどり着ければ、中はある意味安全です」
(そうなんですか?)
その理由がわからず、キョトンとした顔でディートリヒ卿を見る。
「神殿の図書室、というよりは書庫室の方が近い気がしますね。人があまり寄り付かないので」
(……読む人が少ないってこと? でも確かに、教会でバートンや神官が本を読んでることって滅多にないかも)
それは神殿も同じことのようで、神殿ではあくまでも貴重な本を神殿から出さないように管理するだけなのだとか。
「もちろん、その分警備は厳重と言われています。持ち出しは厳禁なので、図書室から本を持ち出すことは如何なる位の人物でも許可されません」
(……うん?)
それを聞いてふと思ったことを、急いでメモ帳に記す。
『禁じられているのは持ち出しだけですか?』
「そうです。なので中で読むことに関する規律は、実質ないんですよね。神殿に忍び込んで、本来読むことが許されない人間が読む、ということは前例にないものですから」
(前例にないことをやろうとしてるって、わけですね)
現実を目の当たりにすると、少しずつ緊張が浮かんでくるのだった。
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