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第3話 最悪のカミングアウト(4)

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「先生は座っててください。冷やすもの持ってきます」
「頬冷やすくらい自分でやるって。それより、美緒のこと寝かしつけてもらえると助かる」
「……わかりました」

 言えば、橘は素直に従ってくれた。
 一人残された諒太は洗面所に行って鏡を見る。頬は赤くなっていたが、出血は口の端だけで済んで思ったよりは酷くない。これならちゃんと処置しておけば、打撲痕も数日で消えてくれそうだ。

 早速、簡易的な氷嚢を作って患部を冷やすことにする。殴られた直後よりも、しばらく経った今の方が痛くてかなわなかったが、感覚が薄れてきて少しだけ気が楽になった。

 しかし、心は決して晴れることはない。ソファーに身を沈めると、諒太は深く息を吐いた。

「先生、美緒ちゃん寝ました」

 しばらくして、リビングに橘が戻ってくる。諒太は切り替えるように笑顔を浮かべてみせた。

「よかった。任せっきりで悪いな」
「いえ、先生こそ大丈夫ですか?」
「橘も美緒も心配性だなあ。見た目よか大したことないってば」

 あえて軽い口調で言うも、橘は目を伏せて表情を暗くさせる。

「すみません、俺のせいです」
「え?」
「先生が傷つけられてるの見たら冷静じゃいられなくなって――ついカッとなって、余計なこと言ったから」

 申し訳なさそうにうつむく橘を見て、諒太は胸が締めつけられる思いがした。
 橘の発言は、大道寺に火をつけるには十分すぎたとはいえ、彼自身は悪くないし、むしろ感謝しているというのに。

「いいって、さっきは怒ってくれてありがとう。正直嬉しかったよ。なんつーか、正義のヒーローみたいでカッコよかったぞ?」
「それを言うなら、先生の方でしょう。どうして俺をかばうようなこと……」
「そんなの当然だろ。教え子傷つけるワケにはいかないし、その逆もまた然りってなもんなの。停学になったらどうすんだよ」
「………………」

 橘はまだ何か言いたげにしていたけれど、気づかぬふりをして壁掛け時計を見上げる。時刻は二十時をとうに過ぎていた。

「……もう遅いな。そろそろ家帰んないと、親御さんも心配するだろ」

 立ち上がりつつ暗に帰れと告げると、橘は眉根を寄せる。

「先生の家、泊まっちゃ駄目ですか?」
「だ、駄目に決まってるだろ!?」

 予想外の提案に諒太は動揺した。
 なんせ相手は未成年の高校生で、しかも自分の生徒なのだ。たとえ男同士であっても――いや、諒太の場合は男同士だからこそ――、超えてはいけないラインのような気がする。

 ところが橘は諦めなかった。距離を詰めてきて、真っ直ぐに見つめてくる。

「でも、あんなことがあったあとだし……先生のこと、一人にさせたくないというか。一緒にいなくて平気ですか?」

 その瞳はどこか不安気に揺れていて、いかにこちらのことを考えてくれているのかがわかる。
 橘は何も訊いてこなかったが、きっと何もかもバレてしまったはずだ。そのうえでなお気遣ってくれるだなんて――諒太は胸がじんわりとあたたかくなるのを感じた。

「その気持ちだけで嬉しいよ。橘は優しいな」

 思わず甘えたくなるほど魅力的な申し出だったけれど、ぐっと堪え、代わりに頭を優しく撫でてやる。
 それから何か言われる前にバッグを渡し、背中を押して玄関の方へと追いやってしまった。

 そこまでするとようやく橘も観念したようで、渋々といった様子ではあったものの、靴を履いてドアノブに手をかける。

 あとは笑って見送るだけ。けれど、ここにきて諒太は無性に寂しくなって、後ろ髪を引かれるような心地になる。
 橘が行ってしまう。このまま帰ってほしくない。一緒にいてほしい――本音であり、一個人としての感情。一度は押さえつけたそれが、橘の後ろ姿を見た途端、どうにもならないほどに膨れ上がった。

「先生?」

 だからだろう。気がついたときには、彼が着ている服の裾を掴んでいた。

 情けない顔を見られたくなくて、自分よりもずっと大きな背に頭をくっつける。今さら誤魔化すこともできず、背中越しに小さな声で伝えた。

「ごめん……やっぱり帰らないでほしい」

 その言葉に、橘はそっと頷いてくれたのだった。
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