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本編
12 お兄様と魔女 前編
しおりを挟む「黒髪で生まれたからといって、呪い子だなんて……。前時代的にも程があります。この子だって、私たちの可愛い孫娘の一人ですもの。さあ、旦那様にも顔を見せてあげてちょうだい」
夫人に促されたメイドが、おくるみに包まれた赤子の顔をベッドへ近づける。年老いた男が、ベッドに横たわりながらも瞳だけを動かし、赤子の顔を凝視した。
赤子は現グレンドール侯爵の庶子である。産んだ愛人は産後の肥立ちが悪く身罷った。引き取り手に困った侯爵は、地方領地で隠居する両親――先代侯爵夫妻の元へ赤子を寄越したのだ。
侯爵の正妻が激しく怒り、赤子の髪が黒いことを呪い子だと喚き立て、メイドに濡れ布を掛けて殺させようとしたから。
赤子は己の命運も知らず、眠そうな瞼をぼんやりとあけると、青い瞳を輝かせ高い笑い声をあげた。
――ああ……ああ! やっと取り戻した! 僕の、僕だけのベルティーユ!
男の皺の寄った顔が歓喜に歪む。年老いたグレンドールはかつての妹と同じ、黒髪に青い瞳の赤ん坊に触れようと、震える手をゆっくりと伸ばした。
先代のグレンドール侯爵は若くして原因不明の病に侵され、突如発症した失語症に悩まされた。病は人々を惹き付けてやまない彼の声を遮るようになった。突然、二言目が出なくなったり、口を動かしても何も発せなくなってしまうのだ。それでも発病してすぐは頻度も少なく、紳士クラブにも顔を出せたし、調子の良い時には議会に出席することも出来るほどだった。
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発病から四十年余り。今では単語を繋げて発するのも稀である。妻の介助をうけながら、震える足取りで庭を歩くのが精いっぱい。グレンドールは早くに息子に家督を譲り、殆どの時を屋敷の寝室で過ごすことになった。
当時彼の婚約者だった王女ルーラは、それでも愛する男を見捨てず、周囲の反対を押し切って降嫁を果たした。新婚のうちから度々病で表に立てなくなってしまう夫に代わり、グレンドールの領地と侯爵家をよく切り盛りした。健やかなる時も、病める時もグレンドール侯爵の傍には、いつも侯爵夫人ルーラの姿があった。
今では純愛と貞節、献身の美談として二人の名が語られ、結婚式の際には司祭が必ず彼ら夫妻の話を説くほど。
それらは全部、忌々しい魔術師と、王とルーラの謀だというのに!!
ベルティーユを取り戻したと思ったあの日。
グレンドールは全てを失った。
紫色の瞳に、薪の灰のような白い長髪。王城で無礼を働いたというのに、気味が悪いほど落ち着いた様子で笑う魔術師の前に引きだされ、妖しげな誓約書にサインを迫られた。
もちろん最初は拒んだけれど、国王に罪を問い質され、償いか死を選べと迫られ、王女ルーラに泣いて縋られて、グレンドールは渋々サインをした。
そうして、彼は邪悪な魔術師に呪いをかけられてしまったのだ。
決して海を越えてはならない。――海上に出た途端、彼を乗せた船は例外なく全て沈む。
妹を探してはならない。――どんな小さな伝手でも彼女を探すために動かせば、グレンドールの手足は徐々に石のように硬くなり、動かなくなってゆく。
王女ルーラと添い遂げ、生殺与奪の権利を全て彼女に預けなければならない。――但しルーラ自身も生涯をかけて、グレンドールの妻として、夫を管理し続けなければならない。
グレンドールを御するため、ルーラには魔術師から鈴が与えられた。
その鈴を小さくルーラが振ると、グレンドールはたちどころに言葉を失う。身体はルーラの言い成りに動いた。グレンドールの意思など無視をして、ルーラの望むまま彼女をエスコートし、求められるままに子種を注いだ。
恐ろしい呪いとルーラという監視に苛まれながら、徐々にグレンドールは弱っていった。
もう今では一日の大半をベッドの上で過ごす毎日だ。
身体の自由が利かないのは呪いのせいなのか、ルーラの鈴のせいなのか、それとも単純な加齢による衰えからなのかさえ、分からない。
「あ……。ベ……ティ……」
ベッドの中でわずかに身じろぎ、必死に幼子に手を伸ばす。
――神様は僕を見捨てなかった。そうだ、僕は神に祝福された子なのだから……! ベルティーユ、あの時と同じだね。お前は生まれてすぐに、お祖父様に捨てられそうになっていたんだよ。大丈夫、僕は捨てない。今度こそ、手元で一生愛を囁こう。僕たちの邪魔なんて誰にも出来やしない。妹を可愛がる兄が認められなくても、孫を可愛がる祖父なら、誰も僕を疑いやしない。お前は昔も今も、僕だけの密やかな恋人だ……。
先代侯爵の常にない激しい反応に、メイドが思わず一歩引く。
言葉にならない想いを溢れさせ、涙を零すグレンドール。
そんな夫を、年相応に落ち着きを身に付けた様子で、けれど瞳の奥に少女のように純粋な色を保ちながらルーラが見つめていた。
グレンドールにとっての幸福な日々は、長くは続かなかった。
ある日領主館のホールが騒がしくなり、その後女の金切り声、追いかけるように男の怒声がグレンドールの寝室にまで漏れ聞こえてくる。一日の殆どを眠って過ごすようになっていたグレンドールは、目を覚ますとはっと息を飲み、自らのベッドの隣に設えてある赤子の揺りかごを横目で確かめた。
愛するベルティーユ――赤子は大人しく眠っている。騒ぎに気付いた乳母が部屋を出て行き、歩き去る足音の方が煩いくらいだ。
「ベル……ティー……ユ」
眠る赤子の名を呼ぶ。
現侯爵が付けた名は別にあるが、グレンドールはいつも赤子にベルティーユと呼びかけた。誰が何と言おうと、この子はベルティーユなのだから。
ベルティーユを引き取ったあとのグレンドールは、みるみる気力を回復し、僅かな単語程度なら周囲に伝える活力を取り戻していた。何も言わず、鈴も振らないルーラの姿は不気味だったけれど、彼の希望は叶えられ、日中の間、赤子の居場所はグレンドールのベッドの横であった。
「眉の形と目尻がほんの少し似ているなあ。ふふっ、ベルが大叔母にあたるのだから、当たり前か。人の血の系譜とは不思議なものだ」
唐突に声が聞こえた。
数十年ぶりでも、聞き間違えたりはしない。
愛する妹を穢し、王と王女をけしかけて、彼の人生を破滅させた張本人。
「し……えん……ラウル!」
必死の形相で言葉を紡ぐグレンドールに向かって、揺りかごの赤子の頬をつつきながら、紫煙のラウルが首を傾げて微笑んだ。
「やあグレンドール。久しぶりだな。君とルーラの誓約書を祝福して以来だから……四十年ぶりか?」
眠ったままの赤子を慣れた手つきで腕に抱きあげ、魔術師はゆっくりとグレンドールに近づいてくる。
霞む目に映る姿は、四十年前と何一つ変わらない。
陶器のようにすべらかで、少年のようなあどけなさを僅かに残した顔の線。紫の光を湛えた不気味な瞳。薪の灰をあつめた様な白灰の髪は、首の後ろでひとつに束ねられている。
「ばけ…もの」
何ということだろう。この男は化け物だ。四十年経って、グレンドールの肉体と美貌が衰え、皺くちゃになり、今にも命の灯を吹き消されようとしているのに。いくら相手が魔術師でも、こんなペテンは聞いたことが無い。
「違う。……いや、違わないか? 魔女はどうやら今の時代、化け物の類に数えられるらしいからなぁ」
ラウルがくつくつと愉快そうに笑う。
誓約書になど従わなければよかった。ほんの少し破ったら手足が動かなくなって、恐ろしくてそれ以上逆らわずに、ルーラに従い続けた己が恨めしい。
愛しいベルティーユは、きっとこの男に生き血まで啜られ、惨たらしく打ち捨てられたに違いない。だから生まれ変わって、グレンドールの元へ戻ってきたのだ。
そんな妹がまた、化け物の手の中に居る。
「返せ……ぼ…くの……だぞ!」
「返せ? この子はそもそも君の所有物ではないよ。君の妹がそうであったように、一人の人間だ」
紫の瞳が笑みを引っ込め、真っすぐにグレンドールを見下ろした。
いつの間にか、扉の外から漏れ聞こえていた喧騒は収まっている。
そして唐突に、寝室のドアが勢いよく開け放たれた。
開いた扉から現れたのは、今風のすっきりしたドレスに身を包んだ女性。
黒檀のように深く艶やかで、見る者に手に取ることを誘惑してくる魔性の黒髪。涙に濡れると最高に欲情をそそる、空のような青い瞳。強く抓ると赤くなった痕が映えた、白くてきめ細かな肌。黒髪をきっちり編み込み一つにまとめ、すっきりとした項を隠すこともなく見せつける彼女の名は――。
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