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同性愛者は「弱者」なのか?
7.「ゲイだから苛められたんじゃない。女の子っぽかったから苛められた。」――あるゲイの証言。
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最初のやり取りはツイッターのDMで行なった。「ゲイが受ける苛めについて、お話を聴かせて下さいませんか」とメッセージを彼に送ったのだ。すると、「なるほど、了解しました」という返信が来た。
「思い出したくない厭なことは忘れちゃう傾向にあるので、小中学校の頃に関しては詳しく思い出せないかもしれません。ゲイへの苛めに関しては、今後できる限り減らしていきたいとは思います。そのために少しでもお役に立つようでしたら、お話しさせて頂きたいと思います。」
――ご快諾ありがとうございます。
話しづらいことが多いのではないかと思ったので、承諾してもらえたのは本当に有難かった。
――私がよく分からないのは、カミングアウトしなければゲイだと普通は分からないのに、なぜ苛められるのだろうか? というところなのです。
「経験に基づく憶測ですが、『ゲイだから苛められる』ってケースはほとんどないんじゃないでしょうか。仰る通り、傍から見てゲイかどうかなど分かりませんから。なので、ほとんどのケースは(俺もそうでしたが)言動が女性的だったことが原因じゃないでしょうか。つまり『オカマだから苛められた』のほうが実情に近い気がします。LGBT活動家界隈は、そのへんの分析をできていないか、意図的にごっちゃにしているのではないか――と。」
この言葉は少し気にかかった。
――まさかと思うのですが、オカマと女装とゲイって違うものなんですか? オカマは女っぽいゲイで、女装は女の格好をした男性で、ゲイは同性愛男性といった具合に。
先のエピソードで述べた通り、ゲイの中には、イントネイションや言葉遣いが女性的な人もいる。そんな彼らの自称が「オカマ」だったのだ。一方、そうではないゲイは「オカマ」を自称していない。
しかし、彼はこう返信する。
「多くの方が明確に遣い分けておられるかは、ちょっと分かりませんね。ゲイ・オカマ・女装好きは、重なっている人もいれば、そうでもない人もいるのではないでしょうか。そういう意味では、明確な遣い分けは難しいのかもしれません。」
そこから先の会話はZOOMで行なった。
画面に写った彼は、五十代ほどで丸い顔立ちをしていた。やはり、外見からはゲイだと分からない。しゃべり方も一般的な男性と変わりない。強いて言えば、全体的に柔和な印象を受ける。
ゲイだからっていう理由で苛められたわけではないんですよ――と、何度か彼はそう言った。
「小学校や中学校の頃、仕草や外見が女の子っぽかったから苛められていたんです。女の子っぽい言動をしたくてしていたわけではないんですが、出てしまうんです。男っぽい言動をしようと努力したときもあったんですが――恐らく先天的なものなんですね。男っぽい言動や女っぽい言動を選んでいると思っている人には、それを分かってほしいです。」
「当時は、変な奴は揶揄ってもいい、おかしな奴は苛めてもいいという風潮が今より強かった。ネタにしていじってもいいという風潮が先生にもあって、それが辛かった。」
ただし、これは「ゲイに対する差別」ではないという。
「ゲイだからって、仕草や言動が女っぽい人ばかりではないですよ。どのような人も苛めの対象になり得ます――太っている子も、勉強のできない子も、不衛生な子も。それと同じなんです。人は、自分とは違ったものを警戒します。それは当たり前のこと。」
ゲイに対する差別ではない――考えてみればそうだ。
彼を苛めていた人は、彼がゲイだと知らなかったのだ。ましてや、「ゲイは女っぽい人」というわけでも、「女っぽいからゲイ」というわけでもない。むしろ、「オカマと言われて苛められた」という個人の経験を「ゲイに対する『差別』」として強調すれば、「ゲイは女っぽい」「女っぽい人はゲイ」という偏見を強めさせてしまうのではないか。
「苛めは駄目、どんな人でも。」
だからこそ、そう彼は強調する。
「ゲイに対する差別っていうのは、ゲイだからという理由で評価されないとか就職できないとか、そういうことなんですね。俺が経験したことは、ゲイに対する差別ではなくて、苛めの一形態なんです。太っている子や勉強のできない子――誰にでもあります。その苛めを『LGBTに対する差別』として、性的少数者だけを特別視することは駄目なんです。」
そんな彼にとって(もちろん私にとっても、あるいは多くの人にとっても)「LGBTへの差別」を大げさに騒ぎ立てる活動家の言動は違和感でしかない。
「苛めみたいなことをするのは駄目だし、なくしてほしいとは思うけど、そのための行動が行き過ぎてしまっても駄目。ゲイであろうと、ハゲの人であろうと、戯画化はどんな人にでもあるんです。『バイバイ、ヴァンプ!』っていう映画が活動家から攻撃されていたことがあったでしょう? あれなんか他愛もないことですよ。保毛尾田保毛男の騒動にしろアホらしいと思いました。」
『バイバイ、ヴァンプ』は二〇二〇年に公開されたコメディ゠ホラー映画だ。作中には「ヴァンパイアに噛まれたら同性愛者になる」という設定がある。それに対し、LGBT活動家たちは激しく抗議し、公開停止を求める運動を起こした。
「LGBT活動家たちは、何が差別かという自分たちだけのルールを作って、マナー講師みたいなことをしているように思います。しかも、性的少数者でも活動家でもない人が賛同している。けれど、それは『LGBT』と呼ばれる人の立場をむしろ悪くさせてしまう。差別をなくすのであれば、優遇するのではなく平等であるべき。」
「アメリカで起きたBLM(黒人の命を軽んずるな)運動も同じように感じました。当事者でもない人が運動のネタにしてしまっている。ウィル゠スミスの平手打ちの騒動にしろ、白人が黒人を平手打ちしていたらもっと問題になっていたと言われています。でも、『「差別されてきた可哀そうな人」への埋め合わせとして腫れ物あつかいする』というのは違う。」
「性的少数者に対する差別を禁止する法律がある国は、そういう法律を作らなければならない理由があったわけです。『日本は遅れている』とは言うけれど、同性愛者だからという理由で、集団でリンチされるようなこともありません。ゲイだからって就職できないわけでも学校に入れないわけでもない。むしろ、昔から寛容だったわけです。」
そして、彼は最後にこう言った。
「同性愛者がいるという単純な事実だけを学校で教えてゆけばいいんです。分かってもらいたいとは思うけれども、触れることもまかりならんということはいけない。他愛もないことまで『差別だ』と大げさに言って優遇政策を得ようとするのは違う。それは全く公正じゃないし、結局のところゲイを貶めてる。社会に知られてくれればいいなとは思うけれど、それでは腫物みたいになってしまう。そういった社会にならないために、当事者として今後とも発言してゆくつもりです。」
「思い出したくない厭なことは忘れちゃう傾向にあるので、小中学校の頃に関しては詳しく思い出せないかもしれません。ゲイへの苛めに関しては、今後できる限り減らしていきたいとは思います。そのために少しでもお役に立つようでしたら、お話しさせて頂きたいと思います。」
――ご快諾ありがとうございます。
話しづらいことが多いのではないかと思ったので、承諾してもらえたのは本当に有難かった。
――私がよく分からないのは、カミングアウトしなければゲイだと普通は分からないのに、なぜ苛められるのだろうか? というところなのです。
「経験に基づく憶測ですが、『ゲイだから苛められる』ってケースはほとんどないんじゃないでしょうか。仰る通り、傍から見てゲイかどうかなど分かりませんから。なので、ほとんどのケースは(俺もそうでしたが)言動が女性的だったことが原因じゃないでしょうか。つまり『オカマだから苛められた』のほうが実情に近い気がします。LGBT活動家界隈は、そのへんの分析をできていないか、意図的にごっちゃにしているのではないか――と。」
この言葉は少し気にかかった。
――まさかと思うのですが、オカマと女装とゲイって違うものなんですか? オカマは女っぽいゲイで、女装は女の格好をした男性で、ゲイは同性愛男性といった具合に。
先のエピソードで述べた通り、ゲイの中には、イントネイションや言葉遣いが女性的な人もいる。そんな彼らの自称が「オカマ」だったのだ。一方、そうではないゲイは「オカマ」を自称していない。
しかし、彼はこう返信する。
「多くの方が明確に遣い分けておられるかは、ちょっと分かりませんね。ゲイ・オカマ・女装好きは、重なっている人もいれば、そうでもない人もいるのではないでしょうか。そういう意味では、明確な遣い分けは難しいのかもしれません。」
そこから先の会話はZOOMで行なった。
画面に写った彼は、五十代ほどで丸い顔立ちをしていた。やはり、外見からはゲイだと分からない。しゃべり方も一般的な男性と変わりない。強いて言えば、全体的に柔和な印象を受ける。
ゲイだからっていう理由で苛められたわけではないんですよ――と、何度か彼はそう言った。
「小学校や中学校の頃、仕草や外見が女の子っぽかったから苛められていたんです。女の子っぽい言動をしたくてしていたわけではないんですが、出てしまうんです。男っぽい言動をしようと努力したときもあったんですが――恐らく先天的なものなんですね。男っぽい言動や女っぽい言動を選んでいると思っている人には、それを分かってほしいです。」
「当時は、変な奴は揶揄ってもいい、おかしな奴は苛めてもいいという風潮が今より強かった。ネタにしていじってもいいという風潮が先生にもあって、それが辛かった。」
ただし、これは「ゲイに対する差別」ではないという。
「ゲイだからって、仕草や言動が女っぽい人ばかりではないですよ。どのような人も苛めの対象になり得ます――太っている子も、勉強のできない子も、不衛生な子も。それと同じなんです。人は、自分とは違ったものを警戒します。それは当たり前のこと。」
ゲイに対する差別ではない――考えてみればそうだ。
彼を苛めていた人は、彼がゲイだと知らなかったのだ。ましてや、「ゲイは女っぽい人」というわけでも、「女っぽいからゲイ」というわけでもない。むしろ、「オカマと言われて苛められた」という個人の経験を「ゲイに対する『差別』」として強調すれば、「ゲイは女っぽい」「女っぽい人はゲイ」という偏見を強めさせてしまうのではないか。
「苛めは駄目、どんな人でも。」
だからこそ、そう彼は強調する。
「ゲイに対する差別っていうのは、ゲイだからという理由で評価されないとか就職できないとか、そういうことなんですね。俺が経験したことは、ゲイに対する差別ではなくて、苛めの一形態なんです。太っている子や勉強のできない子――誰にでもあります。その苛めを『LGBTに対する差別』として、性的少数者だけを特別視することは駄目なんです。」
そんな彼にとって(もちろん私にとっても、あるいは多くの人にとっても)「LGBTへの差別」を大げさに騒ぎ立てる活動家の言動は違和感でしかない。
「苛めみたいなことをするのは駄目だし、なくしてほしいとは思うけど、そのための行動が行き過ぎてしまっても駄目。ゲイであろうと、ハゲの人であろうと、戯画化はどんな人にでもあるんです。『バイバイ、ヴァンプ!』っていう映画が活動家から攻撃されていたことがあったでしょう? あれなんか他愛もないことですよ。保毛尾田保毛男の騒動にしろアホらしいと思いました。」
『バイバイ、ヴァンプ』は二〇二〇年に公開されたコメディ゠ホラー映画だ。作中には「ヴァンパイアに噛まれたら同性愛者になる」という設定がある。それに対し、LGBT活動家たちは激しく抗議し、公開停止を求める運動を起こした。
「LGBT活動家たちは、何が差別かという自分たちだけのルールを作って、マナー講師みたいなことをしているように思います。しかも、性的少数者でも活動家でもない人が賛同している。けれど、それは『LGBT』と呼ばれる人の立場をむしろ悪くさせてしまう。差別をなくすのであれば、優遇するのではなく平等であるべき。」
「アメリカで起きたBLM(黒人の命を軽んずるな)運動も同じように感じました。当事者でもない人が運動のネタにしてしまっている。ウィル゠スミスの平手打ちの騒動にしろ、白人が黒人を平手打ちしていたらもっと問題になっていたと言われています。でも、『「差別されてきた可哀そうな人」への埋め合わせとして腫れ物あつかいする』というのは違う。」
「性的少数者に対する差別を禁止する法律がある国は、そういう法律を作らなければならない理由があったわけです。『日本は遅れている』とは言うけれど、同性愛者だからという理由で、集団でリンチされるようなこともありません。ゲイだからって就職できないわけでも学校に入れないわけでもない。むしろ、昔から寛容だったわけです。」
そして、彼は最後にこう言った。
「同性愛者がいるという単純な事実だけを学校で教えてゆけばいいんです。分かってもらいたいとは思うけれども、触れることもまかりならんということはいけない。他愛もないことまで『差別だ』と大げさに言って優遇政策を得ようとするのは違う。それは全く公正じゃないし、結局のところゲイを貶めてる。社会に知られてくれればいいなとは思うけれど、それでは腫物みたいになってしまう。そういった社会にならないために、当事者として今後とも発言してゆくつもりです。」
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