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幕間

記者会見を開いてきました。

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四月四日の朝、東京駅正面に私は立った。

目の前には、四重の街路樹と八車線の道路が皇居まで伸びている。鏡張りのような高層ビルに挟まれ、谷底のようだ。背後には、赤煉瓦の駅舎があった。この国の皇帝が住む城と、明治の駅舎と、近未来的なビルと――異世界に来たような感覚が軽くした。

十二年ぶりの東京だ。

晴天の下に私は独り立っている。記者会見のことを考え、足元が軽く震えた。

今、LGBT法案が審議されかねない状況にある。一部の議員はG7の前に成立させる目論見だ。絶対に阻止しなければならない。上京したのは、当事者として反対意見を述べるためだ。

会見そのものは翌日の十時半だ。私は京都に住んでいる。当日に上京すれば遅刻しかねない。加えて、行きたい所もある。なので、その前日に上京して一泊することとした。

しかも、その数日前にはASDとADHDの診断を正式に受けたばかりだ。東京の交通網にも慣れてない。今までの人生で何度も犯したミスを思い出し、失敗への不安は強まった。

鞄を引きずりつつ、皇居へ向かう。

皇居を参観する暇はない。皇居外苑へ入り、石垣や堀を眺め、二重橋を眺めた。桜田門から外へ出る。遠くには、国会議事堂が亡霊のように建っていた。

地下へ降りる。

十二年前に経験したとはいえ、東京の地下網は複雑だ。スマートフォンや路線図を何度も確認し、靖国神社までの切符を買う。電車に乗ったとき、既に私は疲れていた。

夜のような地下を電車は進む。見知らぬ土地だ。乗客の誰とも私は縁がない。酷く人に飢えた。ツイッターのフォロワーを誰か呼び出し、案内してもらおうかと何度も思った。

やがて九段下駅へ到着する。

地上へ出て、靖国神社へ向かった。ずっと行きたいと思っていたのだ――この国を守った人々の前へ。今、この国の女性と子供を危険な法案から守らなければならない。

鳥居をくぐる。

だが――と思った。

靖国の英霊と私は決して同じではない。彼らは、命をかけた戦いに赴いた。そして散った。彼らが守ったものはこの国そのものだった。私は命をかけるわけではない。死ぬ危険もない。彼らと己を重ね合わせるのは傲慢に過ぎる。

神殿の前に着いた。

神殿の中には空洞が拡がっている。二百四十六万六千柱の神の前に、何を述べるべきか迷った。明日の会見への助力を給うのか。そもそも、ここは何かを願う場ではないのか。ひとまず二礼二拍一拝し、ようやく会うことができたと心の中で述べた。

続いて、遊就館へ向かう――彼らが戦った跡が遺された建物へと。

遊就館では、零式戦闘機の現物と二つの重砲がまず目に入った。重砲には生々しい傷がついている。爆弾や砲弾の破片か、銃弾によるものか、この巨大な鉄の塊はあちこちが抉れていた。

それから数時間かけて館内を巡った。特攻隊員の肉声、回天・震洋・桜花などの特攻兵器、そして、バラバラとなった鉄兜や水筒など兵士たちの遺品が次々と目に入る。

独りで死んだ者も多いのだろうか――ほぼ垂直に高速で敵艦に突撃する航空機の中で、深い海の底の人間魚雷の中で、あるいは蒸し暑い南方の壕の中で。

遊就館を出たあとは、もう一度、神殿に立ち寄る。そして二礼二拍一拝した。頭の中はすっきりしている。私は何も祈らない。ただ敬意のみがある。

靖国神社の食堂で遅めの昼食を摂り終え、ホテルへ向かう。

そして十五時、予定通りにチェックインした。

男性専用のカプセルホテルである。

休憩室にパソコンを持ち込み、会見で述べる原稿の改定を行なう。途中、森奈津子氏とLINEで会話し、多少のアドバイスをもらった。そして、滝本太郎弁護士へメールで原稿を送る。

滝本太郎氏は今回の会見の司会である。また、オウム真理教との死闘を経験した人物だ。オウム真理教は、サリン・VXガス(サリンの千倍の毒性を持つ)・ボツリヌス菌などで何度も滝本氏の抹殺を試みた。運が悪ければ、坂本堤弁護士と同じ運命にあったかもしれない。

やがて、滝本弁護士から、五分で言い終えるならこれで大丈夫だと返信をもらう。

最寄りのコンビニへ行き、原稿を印刷した。

ホテルに戻り、何度も原稿を朗読した。時には、息継ぎの部分に赤ペンを入れる。

今朝は早くに起きた。翌日も早くに――四時に起きる予定だ。

自動販売機で缶ビールを二つ買い、両方とも呑み干し、二十時ごろに寝室へ向かった。

ウナギの寝床のようなベッドの一つに入る。

しかし眠れない。棺桶のようなベッドが息苦しい。疲れていて、眠たくて、泥酔しているはずなのに目が冴える。数週間前に会った祖母の姿が頭に浮かぶ。病院のベッドの上で、チューブを鼻に入れられ、必死で呼吸していたのだ。医師は、意識はないと言っていた。だが、私のほうを向く瞳からは、涙が流れていたのである。(祖母が亡くなったのは、会見の二十日後だ。)

死ぬときは独りなのだろうか。何度もそう考える。

スマートフォンへ目を遣れば零時になっていた。夕食を摂っていないため空腹だ。眠れないのはそのせいだと思い、休憩室に降りる。卵かけご飯と茶漬けを三杯ほど食べ、さらに缶ビールを一本呑み、再びベッドの中へ入った。

しかし、眠れないことに変わりはない。加えて、気分が悪くなってきた。先ほどと同じイメージが何度も浮かぶ。壕の中で息絶える兵士の姿も浮かんだ。一、二時間ほどして、我慢ができなくなる。トイレに駆け込み、胃の中の物を全て出した。

水をがぶ飲みして、再びベッドに入る。少しばかり落ち着いた。浅い眠りと覚醒とを繰り返し、時間が経つ。やがてスマートフォンが起床時間を告げた。

寝ることは諦める。寝室から出て、風呂に入った。

入浴後、更衣室で背広に着替える。

休憩室へ戻ると、寝起きの男たちが屯していた。

眠たくなることを恐れ、朝食は摂らない。代わりに珈琲を淹れた。

休憩室の片隅で化粧を始める。男性専用のホテルだ。不思議そうな視線をちらちらと向ける人もいる。しかし、基本的に私は無視されていた。

――これでいいのだ。

男性スペースで化粧したり女装したりする男がいて何が悪いのか。

ホテルをチェックアウトし、駅へ向かった。

地下鉄に乗り、霞ヶ関に着く。改札を出ると、栄養補助食品の自動販売機が目に入った。オロナミンCとソイジョイを買い、胃に納め、精神安定剤を呑む。

発達障碍の検査では、初めての場面で緊張し易いと出ていた。また、ADHDへの投薬治療は副作用の可能性がある。ゆえに、投薬治療は会見後に始めることとしたのだ。代わりに精神安定剤を処方された。効き目はおよそ八時間だという。

地上へ出ると、夜から朝へ一瞬で変わったような感じがした。

待ち合わせ場所のビルに入る。

一階の広間には誰もいない。私ひとりだ。

ベンチに坐り、原稿を朗読しながら少し待った。

やがて、もじゃもじゃ頭の性別不詳な人物が入ってくる。私を見つけ、近づいた。

「お疲れー。」

性別不合当事者の会の代表――森永弥沙(通称・みさ猫)氏だ。

「あ――みさ猫さん、初めまして。」

ZOOMでは何度も顔を合わせていた。しかし、実際に会うのは初めてである。

それから、液晶画面の中でしか今までは知らなかった人々がフロアへ入ってきた。

滝本太郎弁護士、「女性スペースを守る会」のメンバー、東京大学の三浦俊彦教授、豊島区議会議員候補の橋本久美氏、「平等社会実現の会」のメンバー。顔を合わせるたびに、初めましてと言葉を交わし、時には握手を交わす。

だが――森永氏を除いて、あまり会話をしたことがない。そんな森永氏とは少し距離がある。昨年、いざこざを経験したからだ。結果、性別不合当事者の会を私は辞めてしまう。

待ち合わせ時間が近づいた頃、ボブカットの貴婦人が現れる。

私が所属する「白百合の会」の代表――森奈津子氏だ。レズビアン寄りの両性愛者であり、三十年以上も活動し続ける小説家である。かつては同性愛者解放運動にも参加していた。今は、「しばき隊」と絡んだLGBT運動と性自認主義とを批判している。

私を見つけると森氏は真っすぐ近づいて来た。

「初めましてー。」

「あ、初めまして。」

森氏と握手を交わす。

時間は少しある。

私は、未開封のボールペンと文庫本をポケットから取り出した。本は、森氏の著書の『姫百合たちの放課後』だ。表紙と挿絵が可愛かったので、どうしても紙の本で欲しかったのだ。

「あの――森先生、失礼ですが、サインを戴けますか?」

「わあっ、嬉しい!」

ボールペンと文庫本を森氏は受け取る。後でねと言い、それらを鞄に仕舞った。

やがて会見の時間が近づく。じゃあ、そろそろ、と滝本氏は言った。

建物を出る。

道路を進み、厚生労働省に入り、九階へ上がった。

エレヴェーターを出たすぐそこが記者会見の場だ。

前方には、マイクの並べられた長テーブルがある。

発言する順番にそれぞれが坐った――司会の滝本太郎氏、「女性スペースを守る会」代表・森谷みのり氏、「白百合の会」森奈津子氏、「性別不合当事者の会」森永弥沙氏、同会・美山みどり氏、「白百合の会」の私、「平等社会実現の会」織田おりた道子氏。

精神安定剤の影響か落ち着いていた。自分の役割は、この原稿を淡々と読み上げることなのだ。

発言者の前に貼るための紙を渡され、名前を書くように言われる。その最中、隣の織田道子氏が「みんな女優さんみたいな名前だわ」と言った。「私もそんな名前にすればよかった。」

記者が次々と入ってくる。およそ二十人ほどか。

記者たちには、四団体が伝えたいことの要綱エッセンスが渡されていた。会見で話す内容と重なってしまうので、ここでは割愛する。

会見の時間となり、司会の滝本氏が口を開く。

「今日、四つの会の記者会見ということになります。今日お伝えしたことの要綱エッセンスは、記事なども書きやすいように裏表になっております。そして基本となるのは共同要請書。三月十六日付で政府と野党各党に送りました。この共同要請書の一・二・三――これをご説明したいということではあります。しかし、これで説明していたら時間かかるし面白くないだろう。これは皆さんが読まれていることを前提としてお話ししたいと思います。ではまず最初に森谷さんから――お立場も含めてお話しくださいませ。」

最初の発言者――六十代ほどの眼鏡をかけた女性が原稿に手を寄せた。

「わたくし、『女性スペースを守る会』の共同代表の森谷みのりと申します。」

柔らかく、若々しい声が響く。

「『女性スペースを守る会』は、二〇二一年九月にできました。市井の女性らを中心としますが、賛同者は1750名、うち性的少数者は559名、スタッフは十数人になります。」

森谷氏は、長く会社員として勤めてきて、最近、退職したばかりだ。知人の女装家にも、テレビに出て来る女装タレントにも違和感はないという。

だが、国内外での出来事を知るようになり、不安を覚える。そして、女子トイレが減少していることや、「トランス女性」に女子トイレの利用を認めさせようとする動きがあることを知った。

しかし、そのことに反論すると激しく攻撃される。

「ジェンダーについて学ぶ大学生が主宰するライングループがあり、私は入っていました。私は、トランス女性が女子トイレを使い易い法律に変えてしまうと、海外でも、日本でも、女児・女性が被害に遭った事件があるから、不安に思うと書き込みました。他の参加者も次々に不安を書き込みました。すると『トランス女性は女性です。当事者が傷つく差別発言は止めて下さい』と差別者扱いをされました。私は驚きました。さらに私の書き込みが無自覚な差別攻撃マイクロアグレッションと書かれ、ライングループから外されました。」

「トランス女性」とは、「私は『トランス女性』だ」と言えば「トランス女性」になるという程度のものだ。また、性的指向が男性のみとは限らない。それなのに、信頼のおける「トランス女性」ばかりを活動家は想定し、女子トイレ使用を認めよと主張する。

そんな「トランス女性」への配慮として、共用トイレも増え始めた。

「今、現実に渋谷などの新しいトイレでは、男性の小用トイレは有るのに、女性専用トイレがありません。祖母、母世代の女性達がやっと勝ち取ってきた女性専用トイレが失くされました。女性専用のものとして、被害から身を守る防犯機能が忘れられて良いのでしょうか。」

共用トイレでは、おちおち生理用品も捨てられない。生理用品の自動販売機も下手に置けない。

「日本全国に、公衆用の女子トイレは何十万、何百万あるのでしょう。防犯ブザーや警察の巡回を徹底できる訳がありません。身を守れない女児や障碍のある女性がまともに対応できる筈もありません。すべての防犯の大前提は、女子トイレには男性は入らない筈というルール・建前ではないのでしょうか。」

性自認主義を推進する女性には、知識人・エリート階層が多い。だが、設備も整い、治安もいい上流企業や大学のトイレと、庶民が使う公衆トイレでは違う。警察の巡回もない。

「そんなトイレでこそ事件が多いのです。事件が起こることを防止する・女性や女児を事前に守るという防犯の観点を忘れられては困ります。」

性別は身体に基づく区分だ。「トランス女性」を女子トイレから排除するなと言っている男性こそ、男性の多様性を認めず、女装男性を男子トイレから排除していると森谷氏は指摘する。

「全ての女性は、立ち上がって欲しいと思います。先行した国々でどうなったか、女性がどう扱われているかを知って下さい。心配する男性たちも立ち上がって欲しいと思います。日本はまだ間に合います。」

女性特権なんてありません――と森谷氏は言う。

「トイレの中では、体格・筋肉ともに『トランス女性』より弱く女性がマイノリティです。信頼できる『トランス女性』だけをイメージするような『お人好しな純粋ちゃん』でいてはならないと思います。宜しくお願いします。」

森谷氏は静かに原稿を置いた。滝本氏が口を開く。

「続いて森さん、お願いします。」

森氏が原稿に手を掛ける。

「こんにちは。LGBT当事者グループ・白百合の会代表の森奈津子です。職業は作家です。私は一九九〇年代より、自身がバイセクシュアルであることをオープンにしたうえで、女性同士の愛をテーマとしたSF・ホラー・恋愛小説・官能小説などを執筆してきました。」

レズビアンはLGBTの中で最も弱い立場にあります――と森氏は言う。

「レズビアンは弱い立場ながらも、これまでささやかなコミュニティを作り、守ってきました。しかし、そこに、体は男性だが性自認は女性であり、自分は女性が恋愛対象なので『トランス女性レズビアンである』と主張する方々が入ってきては、横暴な態度をとるようになりました。」

彼らは通常、レズビアンの恋愛対象ではない。当然、その点を配慮する「トランス女性レズビアン」が、レズビアンと友好関係を築いているケースも多くある。

「しかし、各自治体のLGBT条例や、LGBT関連法案に定められている『性自認による差別をなくす』という文言を盾に、レズビアンの店やサークルで、自分が受け入れられないのは差別だと主張して横暴な振る舞いをするトランス女性が増えてきたのです。中には、レズビアンに無理やり迫ったり、セクハラをする者もおり、レズビアンの間では以前から問題視されています。」

性自認に基づく差別を禁止する法律ができても、「トランス女性」が即「女性」扱いされるわけではないと思っている人も多いだろう。しかし、話は単純ではない。

「すでに欧米では、性自認が女性ならば法的にも女性になれます。体が男性でありながら、パスポートには『女性』と記載されている外国人も、日本に入国しています。」

LGBT法が出来たあと、彼らの扱いはどうなるのか。

「二〇一九年には、日本の老舗レズビアンバー『ゴールドフィンガー』の身体女性限定の日に、入店を断られたアメリカ人の身体男性のトランス女性活動家が『自分は日本のレズビアンバーで差別された』と英文でネット発信し、ゴールドフィンガーは世界中から批判され、謝罪するまで追い込まれるという事件がありました。」

しかも、ゴールドフィンガーの女性限定イベントは月に一度だ。エリン゠マクレディは、女性限定イベントを狙ってわざと来店した可能性さえある。

「言うまでもないことですが、レズビアンの中には、男性恐怖症の人もいます。過去に男性から性暴力を受けた方もいます。そのような女性も集まるバーが、身体男性を入店拒否することすら、差別とされてしまったのです。」

なお、「トランス男性」の入店を断るゲイの店は日本中に存在する。だが問題視されていない。

それこそがLGBTの中でも男性が強者である証です――と森氏は言う。

「LGBTとは決して一枚岩ではなく、弱者であるレズビアンはしばしばトランスジェンダー活動家やゲイ活動家に迫害されています。それは決して、これまでメディアに登場してきたLGBT活動家が語らなかったことです。この認識は、多くの方々に共有されるべき事実であると、LGBT当事者の一人として申しあげます。以上です。ご清聴ありがとうございました。」

滝本氏が口を開く。

「続いて森永さん、お願いします。」

気怠そうに見える動作で森永氏がマイクを寄せる。

森永氏は戸籍上男性の性別違和者だ。声はかなり若い。最初に「スペース」で話したとき、二十代かと思っていた――実際は五十代である。

「えー、性別不合当事者の会の事務局長、森永弥沙と申します。我々はトランスセクシャル・性同一性障害・GID・性別不合などとも言われる、一般的には性同一性障害その当事者の団体であります。これは、当人には理由は全く分からないが、自身の性別・肉体に違和感を持ち、性別以前に肉体に嫌悪を催すような現象です。もう全く自分自身では制御できません。」

一方、複合した精神疾患・発達障碍・知的障碍を患っている者が当事者には多い。それらに適切な医療を施せば、性別不合の治療も可能なのではないかと森永氏は推察しているという。

「対して、トランスジェンダーと呼ばれる人たちがいます。これは今、問題になっております『性自認』というものを盾にして能動的に『なれる』ものです。『なる』ことができるということは、ある程度の困難が伴う場合はありますが『やめる』ということもできます。」

この二つが今トランス女性・トランス男性と呼ばれてる当事者です――と森永氏は言った。

「性自認による差別が許されない世の中になった暁には――これはツイッターの中で発言があったのですが――『私は銭湯に行くときだけトランスジェンダーになるわ』という男は、不埒者がいました、既に。多数確認しています。」

「性自認」は、自分の考えでどうにでもなる。それに基づく差別を禁止する法が出来たとき、先述のような男は多く現れるだろう。差別者として糾弾されることを恐れ、施設の責任者も大事にしなくなると予想される。「戦中に反戦思想を持った者が、非国民と呼ばれて迫害されていたのと変わりません」と森永氏は付け加える。

「私のような考えを持った性同一性障碍者・女性を、『トランスヘイター』と揶揄して脅す活動家たちは多数います。活動家たちが、我々を『トランスヘイター』と呼ぶ理由の一つに、『トランス女性に女子トイレを使わせない』というものがあります。毎度この言説に接した時には軽い眩暈めまいを覚えると共に『何も困らん』と思うのですが、彼らにとってはそこが重要なようです。」

実際はそんなことはどうでもいいことなんです――と怒気を含めて森永氏は言った。

「就職ができない、賃貸住宅への入居できない、これが一番問題なんです。この問題を引き起こしているのは女性でしょうか。大体は男性です、ほぼ間違いなく男性です。」早口になりだす。「本当の『トランスヘイター』は男性なんです。私自身、付き合っていた男から、」原稿を叩きだした。「金銭搾取! 侮辱! 性暴力を受けてきました! このトランス差別は女性差別・女性蔑視と何ら変わらない男の問題です!! これを心に刻んで頂きたい!!」

私は少し不安になった。

森永氏は――双極性障碍なのだ。

今の状態は、躁症状を発しているように見える。

「何が男らしさだ! 男性社会の恐ろしさだ! 男の性欲や欲求不満や同調圧力を男性ジェンダーからズレた者にぶつけて憂さ晴らししているだけではないのですか! この問題を解決したいのなら男が変わらないと全く変わりません! この点を重々考えていただきたいです!」

私からは以上です――と森永氏は言った。

私の心配に反し、落ち着きを取り戻したようだ。

美山さんお願いしますと滝本氏は言った。

「はい。」

雪のように白い髪を短く切った彼女――美山みどり氏は語り始めた。

「わたくし性別不合当事者の会・美山と申します。わたくしは、二〇〇三年にいわゆる性同一性障碍特例法ができたときに、実際の私の性別を男性から女性に替えました。その当時のことも色々と直接見てきております。」

ほとんど原稿を見ることなく、記者を見ながら深山氏は語る。

「特例法というものは、私たちGID・性同一性障碍当事者が勝ち取った『性別変更の権利』です。性別を変更することは特殊な性的嗜好でなんでもなくって変態でもなくって、私たちはき市民として過ごす権利というものを持ってる、と――それを国が認めたということ。」

それが実は性同一性障碍特例法の意義だったわけです――と美山氏は言った。

「昨今のジャーナリズム、いわゆるLGBT活動家という人たちは、この特例法の手術要件というものが、断種であるとか差別であるとか、そういう論調で論じております。それは違うのです。私どもGID当事者にとっては、自分の生まれ持った性別――性器が『恥』なんです。恥ずかしいことなんです。ですから、私たちはその自分の体のなんとかしたい、そう思って手術を受けるんです。つまり、本当に手術というものは私たちが求め、獲得した権利なんです。」

美山氏は、造膣なしの手術をタイで行なった。つまり、性交のための器官を作らなかったのだ。身体的な負担も金銭的な負担も大きくなかったという。

「ですので、一部の活動家の皆さん方が、ものすごくお金がかかる手術だ、あるいは身体的に凄く大変な手術だと言ってるのは、必ずしも正しくないのです。実際、手術を受けた当事者は特例法に対して不満を持っているのでしょうか? そういう調査があるのでしょうか?」

実はそういう調査はまったくありません――と美山氏は指摘する。

「そんな状況ですから、当事者が特例法に対してどう思っているのか、それをまず調べていただきたい。それを通じて現行の特例法の持っている様々な問題点、ないわけではないんです。どういう問題点が分かっているのかも改めて浮き彫りにされてくるものと思っております。」

発言者は一人につき五分の時間が与えられている。原稿を見ずにしゃべっていたゆえか、時間が少し過ぎたようだ。滝本氏が声を掛ける。

「美山さん、そろそろ――」

あ、はい――と美山氏はうなづく。

「専門医の診断が甘すぎるという場合、みんな思っています。私らが求めるものというのは、手術要件の維持と、安心・安全・安価な医療――これが私たちの求めるものです。」

のです――と美山氏は言った。

「私個人のことで言いますと、医療機関や金融機関や、行政、不動産などで一切差別を感じたことはありません。これは私どものようないわゆる『埋没生活』移行後の性別として普通に生活している当事者の間ではごく普通の感覚なんです。ですので私どもはえて言います。。本当の当事者の声を聞いてください。よろしくお願いいたします。」

美山氏が発言を終えた。

私の番だ。

滝本氏が口を開く。

「千石さんお願いします。」

手元のマイクを私は寄せた。

今まで、女性の声を出そうと何度も練習した。だが、無理だった。辛うじて、マイクで声を響かせれば中性的な声も出せるようになった。しかし、会見が始まったときから気になっていたのだが、マイクが入っていないか出力が弱いらしい。

さもあらばあれ――地声でしゃべるしかない。

「白百合の会の千石杏香と申します。わたくしからは、性別違和と発達障碍の関連性について語らせていただきます。」

そして、このノンフィクションの冒頭に書いたことをおおよそ述べた。

両性ないし中性自認であること、性別の自己認識が曖昧な小さな子供のような状態が続いていること、両性愛者であること。男性と同じ身体を持つことや、同じスペースを共有することへの強い嫌悪感。統合失調症と性被害を経験してその傾向が強まったこと――などを。

「一時的に、女性ホルモンを通信販売で購入して服用したことがあります。その行為自体が、自分の性別への緩やかな自殺でした。しかし、副作用が怖くて最終的にやめてしまいました。」

女性ホルモンのことについては今まで書かなかった。ホルモン剤を使った事実を「恥」とする感覚があったのだ。しかし、滝本氏から「ホルモン使用やトイレ使用の件について述べてほしい」と言われたので、初めての告白となった。

「女性スペースは一度も使ったことがありません。男性とされる者が女性スペースを使用すること自体が、女性への加害だからです。今も、男子トイレは息を止めて使っております。」

「トランス女性」の中には、「覗くわけではない」と言って女子トイレを使う者もいる。なので、「それ自体が加害なのだ」ということは強調しておいた。

「また、ここ数年の間、多くのトランスジェンダーと関わりを持ちました。そして、自閉症スペクトラム障碍や注意欠陥゠多動性障碍が、トランスジェンダーに多すぎる事実に気づかざるを得ませんでした。例えば、十数名ほどの『トランス女性』たちと集まって話したとき、彼女らの九割が自閉症スペクトラム障碍だったこともあります。自閉症スペクトラム障碍が性別違和に多いことは、精神疾患の国際的な診断基準マニュアルであるDMS-5にも明記されております。」

そして、イギリスのタビストック医院での事例を説明する。この病院では、性別違和を持つ1069人の子供の内、372人に自閉症の傾向があると査定された。約 35%の確率だ。

「それどころか、この病院では、人形遊びやピンクを好まない女の子が、性別違和と診断されて治療を施され、身体を壊すという問題が頻発しております。2009年には、性別違和でこの病院を訪れる子供は50人でした。それが、2020年には2500人が受診し、4500人が待機するにまで至ります。ここまで増えた理由には、トランスジェンダーがメディアに頻繁に取り上げられるようになり、教育現場にもLGBT活動家が浸透するようになった背景があります。」

これらの事例は、二つの危険が LGBT法にあることを示している。

「一つは、性自認の問題です。身体が男性なのに、自分は女性だと主張する人が、自閉症スペクトラム障碍だったとしましょう。女性である・女子トイレを使いたいという主張は、自閉症スペクトラム障碍の『こだわり意識』と区別がつかないと思います。」

もう一つの懸念は、LGBTに関する相談員が教育機関に設置されるという条文だ。

「アメリカやイギリスなどでは、自分をトランスジェンダーだと思い込み、不必要な医療によって身体を壊す子供の存在が社会問題化しています。我が国でも、仮面ライダーが好きな女の子や、スカートが嫌いな女の子が、自分の性別が分からなくなったと主張する事例が相次いでいます。特に女の子の場合、変わり者である悩みが性別の悩みに直結し易いようです。」

そのような子供が生まれているのだとしても、医療には簡単にアクセスできないと考える人もいるだろう。なので、私はこう付け加えておいた。

「女性ホルモンや男性ホルモンは、ネット通販で簡単に手に入ります。医師の診断がなくとも、中高生のお小遣いで買えます。これらの問題を放置してきたLGBT活動家が、適切な指導を子供たちに行なうとは考え難いです。相談員として教育機関に置いてはならないと考えます。」

わたくしからは以上ですと言い、原稿を置いた。

済んだ。一つ目の役割は達成し終えたのだ。

滝本氏が口を開く。

「最後に、織田さん、お願い申し上げます。」

六十代ほどで、眼鏡をかけたショートパーマの女性――織田氏がマイクを寄せる。

「平等社会実現の会の織田道子です。宜しくお願いします。」

平等社会実現の会は、都内にある性暴力被害者支援団体の学習部会だ。団体は、一万五千件以上もの性暴力の相談を受けてきた。中には、性的少数者の相談者もいる。

「性暴力被害への恐怖や不安、緊張感は女性なら誰もが持っています。女性のほとんどが一生のうちに何らかの性被害にあっていて、加害者は圧倒的に男性です。強姦をはじめ、痴漢・盗撮・セクハラ・露出魔・リベンジポルノ・体液をかけられる――これは性犯罪ではなく器物損壊になっています――など様々な被害にあっています。」

言うまでもなく、性暴力被害者は多大なトラウマを負っている。男性を見たとき、男性の気配を感じたとき、恐怖で体調に変化を起こす人も多い。

「私の経験では、渋谷の男女参画センターで十名くらいのゲイの男性がロビーにいただけで、過呼吸になり動けなくなった被害女性に付きそったことがあります。NHKの番組で、テレビの国会中継に多くの男性議員が映っているのを見ただけで寝込んでしまった被害女性など。これらは決して例外的な事例ではありません。被害体験を話す場で、トランス女性がいるので話しづらいとその場を出て行った女性もいました。」

織田氏の団体でも、声の低いスタッフが電話相談に応じたとき、男性だと思われ、電話を切られてしまったこともあるという。そのスタッフは、それから一年半、相談に出ないようにしていた。

「子供や少女を守る取り組みも実施され始めています。昨年4月から公衆浴場の混浴年齢が10歳から7歳にひき下げられました。また女子学生の声が届けられ今年1月から都営地下鉄大江戸線に女性専用車両が実現しました。」

女性の六十パーセントが痴漢の被害に遭っている。中には、電車に乗れなくなり、退学する学生さえいるのだ。

「このように女性スペースの必要性が理解される反面、トランスジェンダーに関して言及しただけで、被害者や女性団体が言論弾圧を受けています。最近『トイレにトランス女性が入ってくると不安だ』と発言しただけで、謝罪を要求されたというニュースを耳にしています。」

二年前のこと――織田氏の団体が区の助成事業に選ばれた。そして、「平等を性暴力から考える」講座を開催した時のことだ。

会場から、「知人の女性が女子トイレで女装男性から性暴力に遭った、トランス女性に女子トイレに入ってほしくない」という発言があった。

このことに絡め、経済産業省の越境性差が起こした裁判について団体の広報誌に書いたという。すると、区の男女平等参画センターのセンター長から、「区の男女平等・多様性の推進に反する」と言われてしまう。そして、一時間以上に亘って、パワハラ尋問と指導があった。

「その後、助成事業から外され続けています。また広島大学の準教授からこの記事に対してトランスジェンダーに謝罪しなければ仲間と抗議活動を起こすと書面が届いています。」

「トランス女性」が女性スペースに入ってくる不安を述べた――それだけのことが、差別的だとされ、行政からも睨まれたのだ。LGBT法が通った後はどうなるのだろう。

「以上、『女性の恐怖や不安には根拠がある』という現状を性暴力被害者支援団体としてご報告いたします。ありがとうございました。」

以上で四団体の発言が終わり、質疑応答の時間となった。

最初に手を挙げたのが産経新聞の記者だ。

「産経新聞の福原と申します。――もう一度LGBTもしくはQで、それぞれ例外の方もいらっしゃると思いますが、ご紹介いただきたいのと、トランスヘイトや欧米のような差別があったのか、周囲から聞くのか、トランスジェンダーLGBTを理由にした対象にした暴力暴行といった加害事件あるのか、改めてトランスジェンダーの方に伺えるのかと。」

最初に答えたのが森永氏だ。

「全くありません。私は普通に働いてますし、手術をしていませんし戸籍も男のままですけど女性として普通に働いています。女性としてでいいよ、と。女子トイレは使いませんけれども。」

次に美山氏が答える。

「このLGBT法案に関しては全く不必要であると考えています。それは私も同様に仕事をずっとしておりまして、その間に仕事上の差別など全く記憶にございません。以上です。」

そして私が答えた。

「そのような立法事実・差別などは私も一切ありませんでした。ただ、やはり私にとってはトランスジェンダーと言われる方々に発達障碍――特に自閉症スペクトラム障碍が多いことが非常に気にかかっておりまして、その点での生きづらさを差別であると勘違いしてしまったパターンもひょっとしたらあるのではないかと思います。以上です。」

産経新聞の福原氏が再び質問する。

「当事者の方々が立法の必要性がないと考えておられるにも関わらず、なぜ国会の方で理解増進法が議論されているのか正直よくわからないなと思うんですけれど、その辺りは当事者の方のネットワークがあると思いますけれど、どのように推察されておられますでしょうか?」

織田氏がマイクを寄せた。

「当事者の立場ではないかもしれませんが――。要するに、女性の今までの問題が表面化してきた中での揺り戻し――女性から男性の場所に入り込むのは難しい、だけど女性の場所なら女性を追い出せばいい、女性は弁えろ。本当にトランスジェンダーの方が日常生活をしている問題よりも、誰か敵を作って、その敵にはちょうど女性がいる――女性は文句言わないし、弱いから。ですからそういう思考ものを利用されている――ということも知っておいていただきたいと思いますね。」

滝本氏が、一言話させてくださいと口を挟んだ。

「私は一昨年の二〇二一年五月、理解増進法を当然成立するものと思ってました。」

理念法なのだから、与党案でもいいではないか――なぜここまで野党案に拘るのか。

そう思っていたという。

「しかし、八月、ツイッターなどで調べていきますと、女性トイレを女性と自認する男性が使うための法律、その運動の一環としてなされてる。ですから、性自認というものを法案これに当てていく危険性を申しました。」

ところが、メーリングリストやツイッターでそれを書くと激しく攻撃される。当然、滝本氏は驚いた。

「それまで、人の権利・少数者の権利のために頑張ってきた同じ弁護士らから攻撃を一方で受ける。よく聞いてみると『トランス女性は女性だ、まだ分からないのか』と言うんです。何を言っている、と。トランス女性は女性だ――そりゃ運動として言うのはいいけど、法律解釈・制度化していいはずがない。弁護士としてごく当たり前の姿勢ができていない。」

女装した男性を女性スペースに入れると、犯罪者が紛れ込む――当然の想定だ。

この問題に滝本氏が取り組む理由の一つは、孫娘がいるためである。

加えて、トイレでの性犯罪の事件を担当した経験があるためだ。民事・刑事・国選弁護士でも当たった。「残虐ですよ」と滝本氏は言う。被害者は障碍者や子供なのだ。

「酷いもんです。それは報道されてません。本当に報道されていない、それらのことを弁護士らも知ってるのになぜかハマって。女性特権があると誤解しているので。」

法案に反対する側にも意見はあるのだ。中には性的少数者もいる。滝本氏はそう訴える。

「私どもはトランス差別しているわけじゃない。トランスジェンダーの人と一緒に活動してる。トランス差別ではなく、トランスジェンダリズム・性自認至上主義というものがおかしいよ、と言ってるだけなんです。」

そうして会見が終わった。

会見後、何人かからの記者から名刺をもらう。私は名刺を持っていないので、一方的に受け取るばかりだ。途中、背後から軽く肩を叩かれる。振り返ると、橋本久美氏が立っていた。

「お疲れ。」

その後、厚生労働省から出る。

近隣の食堂で昼食を摂った。

食事後は一時的に解散する。

滝本氏と喫煙所へ行き、煙草を吸った。

ふと気になって私は問う。

「サリンで攻撃されたんですって?」

「ああ」と滝本氏は言った。「車のフロントガラスの間からサリンを流し込まれてね。けれど、エアコンを循環設定にしてたから排気されたんだ。」

滝本氏より先に煙草を吸い終えた。

待ち合わせ場所へ再び向かう。

しかし、ビルの一階の広間に入っても誰もいない。集合時間は十三時十五分だ。まだ一時間近くある。その間、ビルの中や外をウロチョロしたり、途中で合流した「女性スペースを守る会」の会員の一人と話したり、スマートフォンでチェスをしたりした。

やがて、一同が帰ってくる。

中には森氏もいた。

森氏は、本とペンを取り出し、サインさせて頂きますねと言った。

「千石杏香さまへ、って書きましょうか?」

嬉しさで飛び上がりそうになった。ぜひともお願いしますという言葉と、もったいないですという言葉を同時に言おうとして、がくがくと口元が震える。

「ああああああ、い、いえ、い、い、いえ、ああ、あのあの、そんな、その、あ、あの、あありがとうございます、いえ、あの、そんな。」

「そんなキョドらなくても――」

記者会見でもアガらなかったのに、このときは一日で最もアガった。

かくして、世界で唯一のサイン本を私は貰うこととなったのである。

サインをもらったあと、ふと気になって私は森永氏に訊ねた。

「みさ猫さん、会見のとき躁症状出てませんでした?」

ぼんやりした口調で森永氏は答える。

「あー、出てたねえ。」

「分かるんだ」と森氏は言った。「演出かと思ってた。」

まあ――と私は応える。普段のその人からして異常なくらいが目安なのだ。

その後、タクシーに乗って参議院議員会館へ向かった。

他ならない――内閣総理大臣補佐官(女性活躍・LGBT理解増進担当)である森まさ子氏に会うためだ。噂によれば、岸田総理の側近でLGBT法を推進している人物だという。本当は岸田総理に会わせてほしいと交渉していたのだが、これは叶わなかった。

森谷・森・森永・森――今日の登場人物は森ばかりだ。

議員会館の前に着いたとき、「平等社会実現の会」の一人が、「あなた、あれよかったね」と声を掛けてきた。「自閉症アーチズムとの関係性――納得だわ。」

この言葉で少し救われる。

議員会館の一室へ案内された。長いテーブルが奥へ延びている。奥には椅子が一つ。左右に椅子が並ぶ。我々は左右に着席した。面会では、要綱エッセンスの内容について説明することとなっている。白百合の会である私と森氏は隣同士だ。森氏は、「前半は私から言うから、後半は千石さんから」と言った。「はい」と私は同意する。

やがて、森まさこ氏が現れた。

そして、奥に坐る。

挨拶を終えたあと、森まさ子氏はこう言った。

「私は首相補佐官でありまして、法律を作るのは議員でございますから、この法律は私の一存でどうこうできるものではないのですけれどね。」

そして、滝本氏が司会となる形で四団体が意見を述べる――最初は森谷氏が、次に森氏が、そして私が。このときに述べたことは会見の内容と重なる。その最中、森まさ子氏は熱心にメモを取っていた。

途中、私はこう言った。

「トランスジェンダーというのは、私はトランスジェンダーですと言えば、トランスジェンダーになるという程度のものなんですね。」

森まさ子氏はちらりと視線を上げる。その目には、怪訝そうな色が浮かんだような気がした。

それから、タビストック医院での出来事などについて語ったのだが、時間が迫っていたので滝本氏から止められる。要約することが苦手で、物事を詳細に語ってしまう――私の悪い癖だ。

次に、森永氏と織田氏が意見を述べた。

面会の最後――森まさ子氏がこう言ったことが記憶に残っている。

「こんなに多くの当事者の方とお話ししたのは初めてでした。」

参議院議員会館を出たところで共同通信からの取材を受ける。

日はまだ高い。しかし、どこかへ呑みに行こうということになった。一方、森奈津子氏は仕事があるため、一足先に帰宅することとなる。

女性スペースを守る会の会員が、開店している近所の居酒屋をネットで探した。

一同はタクシーに乗り、居酒屋へ向かう。

居酒屋に着いた。私の隣に美山氏が、前には三浦俊彦教授が坐った。三浦教授の隣は森谷氏だ。

滝本氏の音頭で乾杯し、ビールを呑みだす。

三浦教授は、性自認主義に異を唱たことが原因でバッシングを受けた人物だ。結果、何人もの学生が離れてゆく。それ以外にも、何度か大学から呼び出されたことがあるという。

「苛められたことはね、僕たちの勲章なんだ。それは、僕たちが変わり者であることの証しだからね。」

この言葉で、さらに気が楽になる。

途中、ガターンと音を立てて森永氏が崩れた。やはり、寝ていなかったのだという。

森谷氏が口を挟む。

「私、昨日は全く寝られなかったんですよ。――怖くて、緊張して。」

私も同じです――と私は応える。

やがて、スマートフォンを見ていた滝本氏が声を上げる。

「おっ、産経が報じた!」

確認してみると、確かに記事が出ている。画像には私も写っていた。

『LGBT法案、当事者からも慎重論「本当の声、聞いて」』産経新聞
https://www.sankei.com/article/20230405-HRI7ZLTELZLBHGAZ4VF2S2JQLU/

私、黒いなあ――と思った。何しろ、髪が長く、マスクも真っ黒だ。ゆえに、その二十五日後に行なわれた二度目の記者会見では、髪も短くし、マスクも桜色にした。

私はツイッターでつぶやく。

「一番右に私が写ってる。私、黒っ!」

帰りの新幹線では、美山氏は途中まで私と同じだという。ふと、私は不安になる。帰りの新幹線について何も調べていなかったのだ。もし乗り遅れたらどうなるのだろう。

「新幹線って、まだあるんですかね?」

美山氏は、「十時ごろまで、いつでもあるものよ」と言った。

酔いが回って来た頃、呑み代を滝本氏が集めた。参加者が数千円ずつ出し、不足分を滝本氏が支払う。

居酒屋を出た。

外は、すっかり暗くなっている。

そして一同は解散した。それぞれ向かう場所は違う。「さ、行きましょ」と言って、美山氏は地下鉄へ私を導く。

私は、帰る方向が同じだとしか言っていない。だが、当然のように美山氏は私を案内してゆく。初日に私が戸惑った地下網も、美山氏のお陰ですいすいと進んでいった。

「東京に住んでるとね、お金持ちじゃない人は地下に詳しくなるのよ。」

前日は息苦しかった地下鉄も、今は息苦しくない。

東京駅に着いた。美山氏の言う通り、新幹線はいくつもある。

切符を買い、一緒に新幹線へ乗った。

暗い夜を裂くように、流線型の車体は走る。

途中、スマートフォンの電池が切れかけた。なので、美山氏の充電器につないでもらう。

疲れが祟り、うとうとと私は眠りについた。

目を覚ましたとき、まだ京都にはついていなかった。しかし、隣には美山氏がいる。

スマートフォンを見ると、たくさんの返信がツイートについていた。

「わーーーやっぱり!お疲れ様でした、そしてありがとうございます!!」
「お疲れ様です、記事読ませてもらいました心強いです。ありがとうございます。」
「記事読んで感謝しかありません。ありがとうございます。」
「心強いです。ありがとうございます。」

驚いた。

お礼を言われたり、感謝されたりするようなことをした覚えは全くなかったのだ。しかし、私のこの会見が、政局に影響を与えたり、多くの人を勇気づけたりしたのなら、幸いなことだ。

今までの私の戦いは、孤独なものが多かったように思う。

だが、この戦いでは決して孤独ではないのだ――深くそう思った。
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