【異端ノ魔導師と血ノ奴隷】

嵩都 靖一朗

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第五章◆石ノ杜

石ノ杜~ⅩⅣ

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「 ツェ、ル ?」

呼ばれているのに気付かなかったのだろうか。
様子を気に掛け、階段の途中から降りて来たのはチェシャ。

つえこしへとし戻すにいで、フェレンスはたずねた。

「他に何か、気になる事でも?」

けれど相手は、どこかうわの空。

「ああ、いや ... な。
 色々と一掃いっそうしてくれるのは良いんだけど。
 着いて早々そうそう火事になったりしねーよなと思って」

壁際かべぎわを歩いて回る執事は、火元の発するけむりや音の有無うむを気にしているよう。

所々ところどころゆかれてみたり。
背伸せのびし天井裏を意識したうえ聞き耳を立ててみたり。

ああ、そう ... なんて、わざわざ言葉にはしないけれど。
チェシャもフェレンスも黙って見ていた。

しかし何やら、きりが無いようにも思えるので。

「心配だから、他の部屋も見て来る」

そう言い階段の小柱こばしらつかんだ彼を呼び止め、要望ようぼうていす。

「待ちなさい。見回りなら私が済ませよう。
 お前は、チェシャに褒美ほうびを用意してやってほしい」

すると思い出した。

幼子おさなごと執事の視線はテーブルの上へと向く。
そこにあるのはフェレンスが置いた紙袋。

天辺てっぺんからつややかな姿をのぞかせている黄緑色の果実が、チェシャには輝いて見えた。

市場の果物屋は葡萄ぶどうと言っていたけれど。
それにしては随分ずいぶんつぶが大きい。
そばまで来て見る二人は、あらためて目を丸める。

承諾しょうだくしてぐ流しに立つ執事役の背後には、椅子いすに掛けた黒のダブルジャケット。
白いシャツの袖口そでぐちをたくし上げた彼は、果実を五粒ほど、もぎ取って洗う。

横には、ぴったりとくっ付いて背伸びする幼子おさなご

足場を用意してやらなければ、蛇口じゃぐちにも手が届かなそうだ ... なんて考えているうち。
果実を持った手をり、サッ サッ と水を切って。
後ろの食器だなから小さな硝子皿ガラスざらを取り出し盛り付けは終了だ。

テーブルに置けば、水のしたたる果実があわい西日を受けて キラリ キラリ にじを返す。
カーツェルは両のこしに手を当て思った。

よし。一段落ひとだんらく

なのにチェシャは、その場に居ない。

あれ?

拍子抜ひょうしぬけ。

さて置き、肩を落とした時だった。
流しの方でみだれる水音。

〈 ジャジャ ... ジャジャジャ ... 〉

見れば、壁向きの洗い場キッチン居残いのこり、夕差ゆうざしを浴びるチェシャの後ろ姿。

あの食いしんぼうめ、何をしている。

歩みったカーツェルは、黙ってのぞき込んだ。
流れる水にやっとこさ届く ... 幼子おさなごの手元を。

そして思い返す。

司書ししょとのり取りにまったくの無関心だったチェシャが、
その場をあとにするまで黙々もくもくと何をしていたか。

主人と執事が気に掛けずにいられるはずも無し。
時々、目をくばってはいたので。
彼の手の中にある物に対する興味も自然といたのだ。

よくよく確認してみたところ。
何かしらのタグプレートであるよう。

だが、それを喜んで手にする者などいない。

それが普通と思っていた。
カーツェルはしばし、言葉を失う。

そう。ニコニコ と満面の笑顔でこちらを振り向き、
まるで宝物を見せるかのようにする幼子おさなごは ... 特別なのだ。

何せ、それは ... 帝国の管理省庁が発行した 奴隷どれいの登録証票しょうひょうであるからして。

一方いっぽう

木のはりぞいに外壁をつたつる植物が、二階の窓際を横へ向かい花を咲かせる。
その手前をフェレンスは歩いた。

くすぶっている箇所かしょはないだろうかと。
こまめに立ち止まっては、隅々すみずみまで意識をかたむけながら。

正直、機器の不具合によって認知にんちされる事例だってあるのだから、
あらかじめ想定したうえ仕掛ける場所に応じ対策されていて当然と思う。
そうでもなければ情報機関の仕事としてずかしい。

とは言え ... ...

執事役をつとめる心配性の気掛かりを減らしてやるためだ ... 仕方ない。

彼は思った。

対面に並ぶ三部屋も念入りに見て戻るとしよう。

奥間おくまの扉を開くと、正面には間仕切り。横にはティーセットや書籍の置かれた角棚かどだな
へだたる中央には低卓ローテーブルはさむ一人掛けソファーが一組ひとくみ
角部屋なので窓は二つ。入り口向きの机。
棚は数段下の天面が窓の下を通り、つい角棚かどだなまで続いていた。
窓から遠い壁際には天蓋てんがい付きベッド。
クローゼットは勿論もちろん、どれを取っても高価な黒檀こくたん家具である。

硝子傘グラスシェード釣り照明ペンダントライトはワインレッドの階調グラデーションまとう宝石のよう。

火の気配は何処どこにも無かった。

破壊されても他所たしょの破損にいたらず、機器の存在が全く目に見えないところは流石さすがと言える。

だが、一階の二間ふたまはどうだろう。
自分だけならともかく、小さな子もいるので。
安全にかんする手間をはぶく事だけは出来ない。
 
カーツェルなら、そう言うだろうか。

フェレンスは足早に階段をりていった。
すると、ほんの一瞬 ... 目元をかすめる反射光はんしゃこう

息をみ振り向く。
彼は思い出した。

一時いっとき前にも同じ事があったと。

だが紳士の話に耳をかたむけ集中していたので。
考えないようにするしかなかったのだ。

それが今になって胸をさぶる。

碧眼へきがんつらぬくようにした光が、かつての記憶を呼びました。
思い出の中にたたずみことの胸元には、同様どうよう情報鑑札データタグが輝いている。

魔青鋼オリハルコンはなつ輝きは独特で模倣もほうがたい。
構造色こうぞうしょくゆうしたちょうはねのように。

それは、光がどう干渉するかにより見られる色の変幻へんげんであるが。
昼間の自然光では碧青へきせいける硝子ガラスようでいて、
波長の長い赤色光せきしょくこうをより多く受けた場合には、同色の金属光沢をあらわすのだ。

よりまぶしく、より美しい。

あお ... あお ... あお ... ...

ところが、どうした事だろう。
フェレンスは見回りの途中であった事も忘れ、光のす方へと向かった。

足音を聞きつけ見やると。
幼子おさなごの手元を見る彼の目は、いつになく冷ややか。

「ああ、早かったな」

「 ... ... 」

声をけても反応無し。

少し様子がおかしい気はした。
けれども、こればっかりはさっしがつかない。

まさかの元・帝国魔導師が、火の始末程度で血相けっそうを変えるはずはないし。
それともチェシャが何かしただろうか ... と思いながらも、様子を見るにとどまる。

カーツェルはさらに一つたずねた。

「何かあやしいモノでも見つけたか?」

そんな主人の次の行動を誰が予測できただろう。

赤毛のおチビがしたう男は、燦々さんさんきらめく瞳に目もくれず。
小さな手におさまった鑑札プレートタグばかりを見つめている。

それはまさに ... チェシャの宝物だったのだ。

けれども彼は周りの空気を一切いっさい、読まず。
幼子おさなごが見せてきたペンダントを手に取り、一呼吸おいて。
大きくりかぶったかと思えば。

〈 ブン ッ !!〉

風切音かざきりおんが立つほど力一杯ちからいっぱい ...  ―――― げた ―――― 。

 ... ... もとい。

投げてしまったのだから、それはそれはおどろいたと言うか。

驚きぎて。

いた窓の外へ山なりに飛んでいくさまを真顔で見送る二人は、
庭の一部になっているかのような溜池ためいけに、それが落ちて沈んでも声すら上げなかった。

「 ... ... 」
「 ... ... 」

「 ... ... 」

鳥のさえずり、池の水音みずおと
聞こえるのはそれだけ。

ただ単に思考が追いついていないだけではある。
二人は、こう思っていたに違いない。

いったい何が起きたのかなと。

対し、フェレンスは理由も言わずに立ち去ろうとした。

その時。

カーツェルの脳裏のうりぎったのは、フェレンスの居ないわずかかなあいだに聞いたチェシャの片言かたこと

『 コ、レ! チェシャ、ノ! チェシャ、ハ、シャマ、ノ ... ナ、ノ!』

本当にうれしそうに、赤毛のおチビはそう言った。

これがあればフェレンスのそばにいられる。自分はフェレンスのものなんだ。
上手く言葉に出来なくても、気持ちは伝わっている。
カーツェルであればこそ、共感もした。

『ああ― 。じゃあ、俺たち仲間だな』

などと握手あくしゅを求めたりなどして。
言葉をわしたばかりだったのだ。

それなのにどうして、こんな事になるのだろう ... ...

「なぁ。待てよ」

カーツェルは静かな声でフェレンスを呼び止める。

おうじる相手は立ち止まったきり。
振り向く素振そぶりもなく。

上手うまく話せる気がしないのだ。
しかし彼は問いける。

「今さ、お前 ... ... 投げたよな」
「他に何をしたように見えた?」

あんじょう、確認するだけの会話になりそうだった。

「いや。でも ... ... どうすんだよ、アレ」

言葉を失いかけるたび、裏腹なあきれ笑いがみ上げる。

「どうもしない。あのままいけの底で眠ってもらう」
「それってさ ... ... つまり」

捨てたってコト ... ... ?

だが持ち主に聞かれたくはない。
言いとどまった。

けれども相手は、こう返す。

「必要のない物をいつまでも身に着けていたって、仕方しかたがないだろう?」

口切りの一言が耳に触れるなり、首筋がみゃくを走る血を打ち上げた。

話がくだりきらぬうちから立ち返るカーツェルは、
椅子イスどころかテーブルの角まで押し退間近まじかせまる。

「必要ないだと? ... ... お前!!」

フェレンスの胸座むなぐらつかみ上げる手が震えた。
そして声も。いつだってそう。

場合によっては逆上しているところだが、相手が相手。
時として人間く言動が、ただ ... ... 物悲しくて。

彼は声を引きしぼる。

「あれほど言ってた気遣きづかいはどうした!?
 確かに奴隷証票どれいしょうひょうなんてろくなもんじゃない、けどな!
 肝心かんじんの持ち主が、それをどう思ってるか ... ... お前、一言でも聞いたのかよ!?」

一般的価値観、常識と言われるような固定観念かんねんとらわれぬ存在。
自由思想を実体化したかのような男に何があったのだ。

気でもれたか。

立場や意見のことなる者に対し、相互理解を求め取り入るでもなく感慨かんがいひたる。
いつもの思慮しりょ深さは何処どこへ行った。

思っても言葉にならない。
それでいて、ゆくりなく。

意表いひょうかれた彼は息をむ。

視線をぶつけたあおひとみ一回ひとまわり大きく開いたうえに、動揺の色を浮かべたものだから。
おどろいたらしい。見たことのない光景だったのだ。

だが例によって、どこかなつかしくて ... ... 心痛しんつうえない。

「つーか。どうしてお前が、そんな顔 ... ... 
 あのさ、ビックリしてんのはこっちなんだけど ... ... 」

脱力する手元。
えられる指先。

彼の手を取り、腕を下ろしてやりながらフェレンスは言った。

「カーツェル。あれは奴隷どれいの登録証票だ」
「んな事ぁ分かってるよ」

「血ノ魔力を利用され、従属じゅうぞくする羽目はめになった
 低俗ていぞく見做みなされたも同然どうぜん
 かつ人権保証も一切いっさい、受けられない身の上であることをしめす物。
 対して、嫌悪感をいだかない者がいると言うのか?」

自身の動作を見流す目向き。
ゆっくりと戻って来る視線を見つめ返し、カーツェルは答える。

「何にえても、お前のそばにいる事が重要だったりするのかもな。
 奴隷だろうが何だろうが、お前の役に立てるってコトがうれしかったりさ ... ... 」

「 ... ... 」
「いや、黙るなよ」

口を閉ざしたままのフェレンスと向き合ったままだと、何だかバツが悪い。

何が言いたいの ... ... ?

思っても言えずにいると、ようやく言葉が返ってきた。

「お前じゃあるまいし ... ... 」

しかし聞き捨てならん。

「何だよその言いぐさは!?」

咄嗟とっさ喧嘩腰けんかごし
それなのに相手ときたら、はにかんで笑っていたりする。

小首をかしうつむき加減に。
いささ上目遣うわめづかいで。

ほんと何 ... ... !?

衝撃しょうげきが走った。
相手の他愛無たわいない動作で一々いちいち息が止まってしまうのだ。

自覚した瞬間。言うべき相手は自分自身とすら思う。
どうしてか気恥きはずかしい。

「つーか ... ... そんなんで喜んだりしねーし。俺は ... ... 別に ... ... 」

その上、引用いんようする言葉を間違まちがえた。
意味は同じだけど。

頭では分かっている。
早々に話題を戻すべきではないだろうかと。

言葉にして言えなかった先頃さきごろの事。
念押ねんおしすべき点は山ほどあったはず。

なのにすべて吹き飛んでしまったのだから。
ともあれ、目をらすしかなくて。

対し、フェレンスが追い打ちをかけることはなかった。
彼が思いめてしまわぬよう、一歩引いた目線でたたずむ。

すると、引き付ける幼子おさなごの声が耳に入った。

「 ... ... ヒッ 。フッ ... ... 」

二人の会話をうわの空に聞きながら、状況じょうきょう把握はあくするにいたったのだろう。
振り向く両者は共に口をざす。

「 ... ... ウッ 。ウッ ... ... 」

き目にったというのに長らくこらえていたよう。
だが、とうとう限界をむかえたらしい。

「 ヒグッ ... ... ビエェエエェエェェエエェェェ ... ... !!」

ねらわれ、人をけ続けることにぎているばかりか。
徒歩による長旅すら物ともせず。
食うに困ったって文句もんく一つ言わなかった子が、声を上げて泣いている。

幼子おさなごが失ったのは、宝物にまつわる夢物語だ。

あの日。

フェレンスのもとへとみちびくかのように林の中をった ... ... 蒼碧そうへきちょう
光のらすはねの輝きが、そのまま宿やどり。
まだ浅いきずなおぎなってくれたのかもしれない、だなんて。

想像して、浮かれていただけ。

大丈夫。そのままで良いと。
ゆるされた気になって。

チェシャには、無理に付いて来てしまった引け目がある。
無いはずはない。
それを少なからずやわらげていたのが、あの証票だったのだ。

幼子おさなごを悲しませているのは消失感にまさる何かだと、カーツェルには分かる。
主人のほうは ... ... どうだろう。

泣く子に心をくばるフェレンスのひとみうれいて見えた。

知るほどに興味が増し、かれ。
心をかよわせたい、そんな気持ちにさせられる。
なのに伝わらない。

フェレンスには分からない。

何よりも悲しい事実だ。
幼くして知った子にかける言葉すら見つからないというのに。

一体どうしたら ... ... 。

「どうしたらいい ... ... 」

その時、カーツェルは耳をうたがった。
一瞬、胸の内を読まれたのかと思ったが。
どうやらそうではなさそう。

切実せつじつな表情でたずねるフェレンスと向き合ったところ、不思議と胸がすいていく。

通わなかった心の行き場所。
その扉が少しだけ開かれたかのよう。

ハッ ... ... と、細く息を吸うカーツェルは、
緊張によくことなる、奇妙きみょうな感覚をおぼえた。

ゾワリ ... ... 身体からだ隅々すみずみに渡るすじつめる。


時を同じくして、クロイツもまた同じように息をんだ。
そして今一度いまいちど、考察する。


帝国〈過激派信教徒パルチザン〉の連中が、
奴等ヤツら高位貴族、及び上院議員マグナート〉と
一時的に通じた異端ノ魔導師へ、猶予ゆうよあたえる理由について。

奴等ヤツらがそれを知っていて利用したのは明白。
血ノ奴隷を保護させるために違いないのだ。

しかし裏切りにおよんだアレセルのおこないは、
そういった目的が名目に過ぎない事を示唆しさしている。

下僕しもべおろか血ノ奴隷の命までもたてにし、
連中の手出しをまぬがれる必要があった。
奴等ヤツらにとって都合の悪い事と言えば何か ... ... そう考えると。

みことが望むまま主従しゅじゅうの契約をつ事も視野に入れ、
おとずれたと思わしきバノマン枢機卿すうききょうとの一場面が彷彿ほうふつとした。

すると気が付く。

主従が引き離されてはこまる。
もしそれが第一の動機であるなら ... ... 全て辻褄つじつまが合うのではなかろうかと。

「お気付きですか?」

さっし言葉をえたのは対面するアイゼリア王太子、ウルクアだった。

「魔導兵の日常的応対能力の検証を申し出た人物は、紛れもない監視対象であり。
 私達は、貴方々あなたがたの敵視する勢力と何かしら接点があるものと見て調査中です」

「帝国の内通者か ... ... りにも寄って奴等ヤツらの ... ... 」
「ですがまだ、確証はありません」

「 ... ... 」
「違いないと、お考えですか?」

我々われわれらえるよう私の弟、アレセルに命じたのは奴等ヤツらだ。
 したがうふりと見抜みぬいて機転をかせたのは他でもない、異端ノ魔導師」

「なるほど、そういう事でしたか。さすがです ... ... 
 これにかぎる話としても、あなたなら協力して下さると。そう判断なさったわけですね」

会話中にもかかわらず項垂うなだれる。
クロイツの顔つきとくれば険悪けんあくそのもの。
横目に見るノシュウェルは、ゆっくりと前へ視線を戻す。

奴等ヤツらてのひらで踊らさせるのだけは御免ごめんだ」

聴いたことのない低声ていせいで発せられる元上官のつぶやきに青褪あおざめながら。
同感と言えば同感。なのに鳥肌が立つ。

怖い怖い怖い怖い。怖いって。怖いよ。

他、同志二名の心の声まで聞こえてくるようだった。
色んな意味で居たたまれない気持ちにもなる。
クロイツの心情に配慮はいりょしノシュウェルが折り返した。

「つまり、あなたの弟君おとうとぎみは、こう言いたいわけですな」

あの男が異端ノ魔導師を手懐てなずけるまでに、しびれを切らした奴等ヤツらの手引きがあるやもしれぬ。

「〈警戒せよ〉と ... ... 」

以降、この密会においてクロイツの代理をたしたのは彼。
魔導兵の身辺における監視強化に協力するかわりとして。
同盟関係にあるあいだかぎり、た情報の全てを共有する事を約束された形。

そこまで分かっていても策略さくりゃくを見通すまでいたららぬと言うのか ... ...

クロイツはうつむいたきりだった。
時折その様子をうかがうノシュウェルもまた、ふとして思いをせる。

さて、当事者達は今頃どうしているだろうかと。


一方こちらは、まさかの事態じたいだ。

「 ヒッ ングシュ ... ウェェェェェ ... ウッ ウッ ... ... ビェェェェ !!」

チェシャは泣きまない。


息を吸い上げるたび上下する肩。
ふっくらとしたほほつたい落ちる涙。

夕刻の陽は池の向こうに立つ木々のあいだからし。
らし出された幼子おさなごの背を振り向いて答えを待つフェレンスの横顔は、いつになく表情ゆたかに見えた。

えて言えば、落ち着きがない。

あちらこちらと視線がおよいで、眉尻まゆじりも上がったり下がったり。
初めて見たような、そうでないような。
カーツェルは思った。

そうか、こいつがいつも落ち着きはらっていられるのは、
どうすれば良いか判断するにる知識があるからであって。
未経験だったり見聞きする機会が無かった事柄ことがらに対しては ... ... ああ、そうなんだ。
いくら考えても分からないのだから、そりゃああせるよな ... ... そんな事もあるんだ。

気が付けば、ゾクリ ... ... こしの上、やや後ろ側をき上げられたかのように背筋が震える。

おぼえのある感覚だ。
しかし何度目か分からない。

心ともなく歩みっていた彼は、フェレンスの耳元まで顔をせ。
一言、こうたずねる。

「 ... ... 知りたい ... ... ?」

ささやきを耳にし、振り向きかけた相手はとどまって。
一度だけうなづいた。

その瞬間、視界がわずかにれ。
言い知れぬ何かが意識下をみだす。

まただ ... ...

何を見た。

おそらくは記憶 ... ...

聞いた気もする。

人の声だったような ... ...

現状とたような場面だった。
しかし誰のソレかもあやふやなのに。
深く考えたところで、どうしようもない。

素行そこう支障ししょうきたしかねない現象は、日に々頻度ひんどしている。
けれど深く息を吸い、カーツェルは気持ちを切りえた。

今はそれどころではないのだ。

そうこうしているうち一歩前にみ出しかけるフェレンス足先。
ところがどうして、ゆっくりと元の位置へ戻っていくのだから見ていて歯痒はがゆい。

対話をこころみるかどうか迷っているのだろう。
今は話したくないなどと拒絶きょぜつされる可能性があるからだ。

ともあれ、もう一度。

幼子おさなごの気持ちを精一杯、想像してみる。

いさぎよびたところで、
分かってもらえなかった悲しみ、暗い気持ちがぐに晴れるわけもなし。
しばらくは引きるに違いない。

けれども何かしなくては。
放置された感情があきらめに変わってしまう前に。

れど、分かってやれるようになるかどうかも分からない。
つとめはする ... ... けれど。

そもそもが〈許される〉〈許されない〉の問題ではなさそう。

時間が欲しい。もう少し考えたいと感じた。
ならばせめて今のうち、いけほうり投げてしまった物を回収しておこうかと思い立つ。

フェレンスがき出し窓の外へと手を向け、印文いんもんしるしかけた時。
取り上げるようにしてうでつかさえぎったのはカーツェルの手。

見ると彼は、首を横にる。
そして言った。

「こうしてるあいだに見つけ出しておくのは良いと思う。
 けど ... ... どうせしばらく考えたいんだろう?
 なら、もう少しゆっくり探してみても良いんじゃねーの?」

せいしたうでふたたび下ろし、手元へ向かってすべりゆくてのひら
触れ合う指先を目で追っていると、さらなる深みにはまっていく思いがした。

そうする事に何の意味があるのだろうか ... ...

考え込むばかりではらちかないというのに。

やれやれ ... ...

池を見やりながら思い切る。
カーツェルは、こう話した。

「何と言っても、やっちまったもんは仕方ねーしな」

人間味が出てきたとは言え、まだまだ。
首をかしげる主人の姿が心許こころもとなくて。
彼はあらため腕捲うでまくりする。

「俺も手伝うよ」

そう彼は、いけに入り自力で探し出すつもり。
先に行って手本を見せてやろうとしたのだ。

ところが。

ベストのすそままれた気配がして立ち止まる。
振り返った彼の目にうつったのは、すっきりと明るい表情でこたえるフェレンス。

「分かった。カーツェル ... ... 
 だがお前には、あの子のそばてやって欲しい。さがすのは、私が」

瞳に宿やど碧青へきせいの輝きは、嬉々ききとしおどるかのよう。
カーツェルは目をうばわれた。

ロングジャケットのめを外していく指先。
主人のいだそれをあずかるあいだも。
下僕しもべの心、此処ここにあらず。

そこに何があるか分からないので、両袖りょうそで以外はそのままにして水に入っていく。
フェレンスの後ろ姿をう視線は、着込まれた一つ々を通し見た。

上からじゅんに。
スカーフを返すハイカラーシャツ、オープンバストコルセット背面の網目あみめと、
フィットスラックス、そしてニーブーツガーター。

言われた通り幼子おさなごそばまで後戻りするのも、ややうわの空。

振り向きもせず器用きようると。
息をのどに引っ掛けながら休み々泣き続ける子が、彼のそでを ギュッ ... とつかむ。


さがし物を見つけるまで、二、三十分。

風邪を引かせてしまうのではと心配したものの。
カーツェルは黙って見守り続けた。


定期に落ち葉をさらうなどし、よく手入れされたいけだったが。
底に砂利石がめられていたうえ、
平たいタグプレートが大きめの石の下にもぐり込んでしまっていたらしく。

日没寸前すんぜんまでかかり、ようやく見つけたよう。

こちらを向いてペンダントをかかげるフェレンスを見て胸をで下ろすと同時。
泣き疲れた子がひざの上にして寝てしまっていた事に、初めて気が付いた。

そこに手を伸ばしたことで、肩口かたぐちまでつかかったシャツは胸元まで水を吸い。
ほとりへ引き返す身体からだ略々ほぼほぼずぶれなのに。

彼の主人は、優しく微笑ほほえむ。

タオルを差し出したところ、広げる動作ですら水が飛んだ。
更に一通ひととお身体からだの水気をぬぐい終えると、
湯を火ノ香ほのかたよりに浴室を探すフェレンス。

泣く子の様子を見ながらでも、風呂の準備くらいは出来たので。

良かった ... ...

それにしても、不思議でならない。
寝息を立てる幼子おさなごの髪に手をえながら、カーツェルは思った。
先頃の事についてだ。

どうしてフェレンスは何も聞かず、うれしそうにしていたのだろう。

どうして ... ...

どうして俺は、その理由を聞けずにいるのだろう。

自身のり方を、他者にたずねるなど。
してやゆだねるなんて。
今迄いままでで言えば、考えられない事なのだ。

そればかりか、思慮、質疑、理解の過程も扠置さておいて行動するなんて。
奇妙きみょうですらある。

待っているあいだずっと考えていたのだ。
しかし答えは出ていない。

ただ、ずっと ... ... そう、ずっと昔から ... ...
っすらと夢にえがいていた出来事が、実際に起きた。
それだけは確かであって。思い返すたび、何故なぜなのか胸がめ付けられる。

「何だよ、まったく ... ... 」

カーツェルの頭の中は、なつかしさであふれた。

かねてより。

長期遠征えんせいから帰還きかんするフェレンスをかまえては、
諸事情しょじじょう云々うんぬん、言いあらそいながらも。
これだけは決して口にせず、心にしまってきた展望てんぼうともに。


 ――― 俺の言うことを少しでも聞けるようになれば上出来だ。
    いずれは、何があっても手放したくない存在であると認識させてみせる。


そして繰り返した。

上出来じょうできじゃねーか ... ... 」


その時、彼がいだいたじょうを何と呼べばいいだろう。


彼の異端ノ魔導師に対する執着心しゅうちゃくしんは、独占欲どくせんよくとも取れる。
口にして言う事への抵抗は、そのためなのかもしれない。

それでいて、あの男には自覚が無いのだと、クロイツが憂慮ゆうりょするほど。

彼の深層心理にけられたじょうは強固であり。
にもかかわらず、表面意識に作用し続ける情念じょうねん甚大じんだいさたるや、計り知れない。

カーツェルにとっても同様である。

胸のどこからか、きしむ音が聞こえてくるようだった。
声を上げたら、何もかも全てくずれ落ちてしまいそうな ... ... この感覚はまるで。

幾多の空闊くうかつかかえる石ノもり

反響振はんきょうしんによる崩壊ほうかいを恐れ、息をひそめるように。

彼は口を閉ざした。
 
 
 
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戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

スライムパンツとスライムスーツで、イチャイチャしよう!

ミクリ21
BL
とある変態の話。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

乙女ゲームのサポートメガネキャラに転生しました

西楓
BL
乙女ゲームのサポートキャラとして転生した俺は、ヒロインと攻略対象を無事くっつけることが出来るだろうか。どうやらヒロインの様子が違うような。距離の近いヒロインに徐々に不信感を抱く攻略対象。何故か攻略対象が接近してきて… ほのほのです。 ※有難いことに別サイトでその後の話をご希望されました(嬉しい😆)ので追加いたしました。

異世界転移して美形になったら危険な男とハジメテしちゃいました

ノルジャン
BL
俺はおっさん神に異世界に転移させてもらった。異世界で「イケメンでモテて勝ち組の人生」が送りたい!という願いを叶えてもらったはずなのだけれど……。これってちゃんと叶えて貰えてるのか?美形になったけど男にしかモテないし、勝ち組人生って結局どんなん?めちゃくちゃ危険な香りのする男にバーでナンパされて、ついていっちゃってころっと惚れちゃう俺の話。危険な男×美形(元平凡)※ムーンライトノベルズにも掲載

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