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序章
序章2―2:ナディールとハイダル
しおりを挟むナディールはしばし逡巡し、持ちうる情報を精査して最適解を探ろうと、きゅっと目を瞑った。
マリアンヌは大した脅威ではない。
父の決定ひとつで遠ざけられる存在だ。
問題は、サティのほうだろう。
彼女に脅威と見なされれば、自分だけでなく、母や妹、そしてハイダルまでも命の危険にさらしてしまう。
すぅ、と漆黒の瞳を開いたとき、ナディールの眼差しには確かな決意が宿っていた。
「兄上と、もっと仲良くなります」
「わ……わたしと?」
突然話を振られたマリクが戸惑う。
「はい。兄上は父上によく似て、とても賢いとお聞きしました。そして父上は多くの人と共に国を治めています。だから、わたしと兄上がもっと仲良くなれば、一緒に国を支えていけると思うのです」
その言葉は、第一王子マリクこそ次期王に相応しく、自分はそれを支える存在である―――そう宣言したも同然だった。
サティは分かりやすく満面の笑みを浮かべる。
マリクは母の満足げな顔を盗み見て、わずかに眉を寄せた。子どもながらに、母の所業を憂いているのかもしれない。
「マリクと仲良くするだけか?」
国王がさらに問いかける。
ナディールは挑発的な笑みを浮かべて答えた。
「はい。そのためにも、カミルサール王国初の調香術師となってみせます。そして、マリク兄上の治世を盤石とするため、聖剣シュトライ・ヴィルサスの帰還を実現してみせます」
ざわっ、と宴会場がどよめいた。
ナディールの発言は、その場にいた者たちへ二つの驚きを与えたのだ。
一つ目は、調香術師を目指すと宣言したこと。
二千年の歴史を持つカミルサール王国において、調香師と香術師を両立した者は存在しない。
香術は魔力を持つ王侯貴族の血にしか発現せず、調香師は市井の者が担うのが常だからだ。
王宮にも調香殿はあるが、あくまで王族の趣味の範囲に留まり、その域を出る者はいない。
二つ目は、聖剣への言及だ。
カミルサール王国は七年前―――帝国歴一九七〇年三月に建国二千年を迎えた。
建国史によれば、その年に聖剣シュトライ・ヴィルサスが王宮裏手の丘にある神殿へ帰還するはずだった。
しかし帰還直前に聖剣は消失し、そして昨年―――帝国歴一九七六年十一月、“再び”スヴァロストル帝国に現れたのだ。
国王は鋭い眼差しでナディールを見据えた。
「昨年、スヴァロストル帝国に新たな聖剣の主が誕生したと報告を受けている。友好国ゆえ、乱暴な手段は取りたくない」
「はい、父上」
ナディールは臆することなくうなずいた。
「帝国は強大です。争うより、時間を掛けて友好的に返還を交渉したほうがよいかと思います」
「なぜだ?」
「理由は二つ。一つは、聖剣がなくとも我が王国の平和が盤石であるためです。もう一つは、兄上の即位と合わせれば、新しい時代の幕開けとして印象付けられ、もっとも効果的と考えます」
ナディールの言葉を受け、国王はしばし目を閉じた。
聖剣の消失から七年。その影響か、僅かではあるが年々オアシスの水量が減少傾向にあるとの報告が上がっている。
官吏らの計算では十数年は問題ないが、二十年は難しいという。
―――これも、弱かった私の罪。咎は、すべて私が呑み込めばよい。
国王は静かに目を開け、ナディールの回答に満足げにうなずいた。
「ナディールの意志を尊重しよう。皆、よく聞け」
音楽がやみ、誰もが口を噤む。会場には、威厳ある国王の声がよく響いた。
「今後のハイダルの処遇については、ナディールに任せる。ハイダルに用がある者は、すべてナディールに許可を得るように。―――それから、サティ」
名を呼ばれ、サティが嬉々として「はい」と微笑んだが、国王は彼女を奈落へと突き落とした。
「其方はハーレムから追放する」
「え……?」サティの頬が、引きつる。
「今までの所業、我が知らぬとでも思ったか。先達て、ようやくすべての証拠が揃った。お前の仕出かしたことが表に出れば、我が国と帝国は戦争になりかねん。無論、此度アミーラが寝込むことになった証拠も、たった今入手した」
国王はすっと右手を上げた。
すると、王宮を守護する警備隊が現れ、あっという間にサティを拘束する。
「国王陛下っ、これはどういうことですのっ? 貴方は私と私の家の力がなければ、その座に座れないのよっ!」
サティは抵抗したものの、両側を押さえられ、声を張り上げるしかなかった。
「黙れ。この七年、ずっと機会をうかがっていた。私はもう、昔の弱いままの私ではない。私の子を蔑ろにする者は、誰であろうと許さん。其方はマリクの母、表立って処するわけにはいかないが……長期療養してもらう。―――連れて行け」
国王の命令を受けた警備隊は、金切り声を上げ続けるサティを引きずるようにして連れ去った。
国王が言う「長期療養」とは、辺境の寂れた宮殿への幽閉を意味しているのだろう。
「この機会に皆、今一度胸に刻んでほしい。私は、私の子を蔑ろにする者を許さない。よいな」
その言葉は会場の全員に向けられていたが、標的がマリアンヌであることは明白だった。
「マリク」
国王がマリクの肩を抱く。
「よくぞ決断してくれた。今後、其方のきょうだいが身の危険にさらされることはないだろう」
「はい、ありがとうございます、父上」
二人のやり取りに、ナディールは目を見開いた。
サティの操り人形と思っていた兄は、とんだ策士だったようだ。しかも、身内すら切り捨てる誇り高き為政者の片鱗を見せている。国王である父が寵愛するのもうなずけた。
「マリアンヌ」
国王に名を呼ばれたマリアンヌは、しおらしく「はい」と頭を垂れた。
「ハイダルはナディールに預ける。とはいえ母と息子だ。会うことを禁じはしない。ただし、ナディールに許可を取るように」
「はい、陛下」
その瞬間、ハイダルの運命はナディールの手に委ねられた。
王が宣言した以上、ナディールの意志を無視することは誰にもできない。
もし成長したハイダルを閨に呼びたい者が現れたとしても、その者はナディールと交渉せねばならない。
無論、ナディールが許すはずもない。
騒ぎによって中断した宴は、王とマリクを中心に再開された。
しかしナディールは、これ以上喧騒の中にハイダルを置くのを良しとせず、「お先に失礼します」と断りを入れて席を立った。もちろん、ハイダルの手をしっかりと握りしめて。
自分に与えられた翠玉風の宮殿―――リヤーフ=ディーヤへ向かう途中の回廊で、ナディールは足を止め、ハイダルと向き合った。
仄かな灯りがともる柱の間からは、美しい星空が覗いている。
ナディールは跪き、ハイダルの両手を取った。
「ハイダル、今日からわたしが其方の面倒をみる。わたしと共に、わたしの宮であるリヤーフ=ディーヤで暮らそう」
ハイダルは何の反応も見せなかった。
深緑の瞳は、いまだ何も映していない。
どうしたら、この美しい翡翠のような瞳に映ることを許されるのだろうか。
ナディールはその瞳をしっかりと見つめたくなり、ハイダルの前髪をそっとよけた。
「ハイダル、聞こえるか? わたしはお前の兄、ナディールだ。わたしを兄と呼んでごらん」
その言葉に、ハイダルが僅かに「あに、うえ……?」と呟いたように感じた。
もう少しで自分を捉えてくれるのではないか。
そう思ったナディールは、さらに声を掛ける。
「ハイダル、わたしがお前に“愛おしい”を教えよう」
その瞬間、ぴくり、とハイダルの表情が揺れた。ナディールの言葉に反応したのだ。
「聞こえるか、ハイダル。わたしの愛おしい弟」
再び、ハイダルの表情が揺れる。
どの言葉に反応しているのかを理解したナディールは、ゆったりと恍惚の笑みを浮かべた。
「ハイダル、お前は先月、六歳の誕生日を迎えていたな。真名は授かったか?」
その問いかけにしばらく悩んだハイダルは、小さく、小さく、頷いた。
カミルサール王国の王侯貴族は、生後半年を過ぎると王城の裏手の丘にある神殿で真名を授かる儀式を行う。
その後、六歳の誕生日に啓示が現れ、本人にのみ真名が示されると言われている。
ナディールも昨年の六歳の誕生日、唐突に啓示を受けた。
彼の真名は「HERISEL」。“星詠みの継承者”という意味だ。
その名に相応しく、彼の右肩には“星の刻印”と呼ばれる星型のアザがある。王国が信仰する神の一人、レシャリの寵愛を受ける子に現れるとされるもので、このアザの存在を知る者は、ナディールの母くらいだろう。
ナディールが深緑の瞳に魅入られていると、不意にハイダルが口を開いた。
「ARE―――」
ナディールは慌ててハイダルの口元を覆う。
そのため、ハイダルの真名「ARECTURE」が音としてナディールの鼓膜を震わせることはなかった。
「こら。真名は愛する者だけに伝えるものなのだぞ? いま、わたしに言おうとしたな?」
口元を押さえられたまま、ハイダルは愛らしく首を傾げた。
どうやら、真名の扱いについて何も教えられていないようだ。
王国では、ある有名なプロポーズの文言とともに、ただ一人の伴侶と決めた者にだけ真名を伝える風習がある。
この国では真名は“愛に縛られる”とされており、相手の真名が分からなくなった時、愛が消失したとみなされる。
そのため、むやみに真名を教えてはならないのだ。
ナディールは小さくため息をつき、ハイダルの口元から手を退けた。
―――まったく、あの妃の元でどんな教育をされていたのだ。一からすべて、何もかも、教え直してやらねば。
そう心に決め、ナディールは再びハイダルの両手を取った。
「ハイダル。今日からお前はわたしのもの。そして、わたしはお前のものだ。分かるな、愛おしいわたしのハイダル」
虚ろだった翡翠の瞳が、ゆらりと揺れる。
そして初めて、視線が交わった。
ナディールは、この瞬間を生涯忘れることはないだろう。
この日、ハイダルに告げた「愛おしい」は、彼の興味を引くための方便にすぎなかった。
しかし、視線が交わった瞬間に訪れた恍惚は、ナディールを永遠に縛り付けることになる。
彼とハイダルにとっての初恋は、こうして始まった。
それがどれほど罪深く、強欲で、忌まわしいものであるかを知ったのは、引き返せないほど強く惹かれ合った後のことだった。
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