初恋は叶わないと聞きました【試読用序章のみ公開中】

NOX

文字の大きさ
6 / 7
序章

序章3ー2:エミール

しおりを挟む
 
「熱心に見つめていらっしゃいますね」

 透き通るような声が、頭上から降ってきた。エミールは声の主を見上げる。
 白い肌に、青サファイアのような深い蒼の瞳の男。長い金の髪をゆるく三つ編みにし、右肩へと流している。
 純白のローブには金糸で神紋が刺繍され、裾や袖口には星や太陽を象った文様が織り込まれていた。光を受けるたびに糸が淡く輝き、まるで神の加護を示すかのようだ。
 ここへ来た時、父と挨拶を交わしていた神官たちと同じ装い―――高位の神官に違いない。

「あの聖紋を見てた」

 エミールは再び聖紋へ目を向けながら言った。

「あれ、脈打ってない?」
「あなた様にはそう見えるのですか?」
「うん。まんなかの円が光って見える。わたしの目がおかしいのか?」

 畏れを知らぬ少年は、ためらいもなく聖紋を指さした。
 きらきらと輝く桃色の宝石眼には無邪気さが宿り、ふわふわの栗毛はその愛らしさを引き立てている。
 洗礼のために仕立てられた上質な服は装飾こそ少ないが、品の良さが際立っていた。
 ひと目で育ちの良さがわかるエミールに、高位神官は身をかがめて答える。

「あなたの目はおかしくありません。ですが、そう見えることは内緒にしておきましょう」
「どうして?」

 エミールの桃色の瞳が、まっすぐに神官を見つめる。
 神官は慈愛に満ちた笑みを浮かべ、手を差し伸べた。
 エミールはその美しい手をしばし見つめたのち、自分の小さな手を重ねる。
 神官はその手をそっと包み込み、敬愛を示す挨拶―――自らの額を少年の手の甲へと近づけた。

「わたくしは教会の主席神官、セルヴィアンと申します。エミール・オルレアン侯爵令息、迷子になられたのですか?」

 エミールは、むっとして手を引っ込めた。

「迷子じゃない」

 どうやら子ども扱いされたことが気に入らなかったらしい。
 セルヴィアンは柔らかな笑みを浮かべたまま、もう一度手を差し伸べた。

「お父上とお母上がご心配されます。わたくしと戻りましょう」
「内緒にする理由を教えてくれたら、戻ってもいいよ」

 幼いながら堂々と交渉を持ち掛けてくるエミールに、セルヴィアンは小さく笑った。
 五歳にして大人相手に物怖じしないこの姿勢―――将来は大物になるだろう。

「なんで笑うの」
 どうやら文句も一人前だ。
「失礼しました。エミール様が可愛らしくて」
「そういうの、お世辞っていうんだぞ」
「ふふっ、世辞ではなく本心ですよ」
「もう、どっちでもいいよ。質問に答えて」

 セルヴィアンは「わかりました」と答え、差し出していた手を引っ込めると、姿勢を戻して聖紋を見上げた。

「エミール様は、聖剣の神話をご存じですか?」
「聖剣? 勇者の物語のやつ?」
「まぁ、それも間違いではございませんが、正しくもありません」
「間違いじゃないのに、正しくないの?」
 エミールは首を傾げる。
「はい。世間一般に読まれている勇者の物語は、聖剣神話を土台にして作られた寓話です」
「おとぎ話ってこと?」
「そうですね。では、エミール様の読まれた物語の聖剣は、どこにありましたか?」
「お城。勇者を選ぶ儀式があって、聖剣を抜いた人が勇者になるんだ」
「その物語の聖剣は、わかりやすい剣の形をしていましたか?」
「剣の形をしていない聖剣があったらおかしいよね?」
「本当に?」

 含みのある問いかけに、エミールは目を丸くした。

「剣の形をしていない聖剣があるの?」
「はい。聖剣は寓話ではなく神話であり、実在するものですから」
「って言うことは見られるんだね! どうやったら見られるのっ?」
 ―――アンソニーたちに教えてあげなくちゃ!

 子どもらしい好奇心を露わにするエミールに、セルヴィアンは再び手を差し伸べた。
 警戒心が解けたのか、エミールは迷わずその手を取る。

「聖剣は主を呼びます。エミール様は、その声を聞いたのでは?」

 う~ん……と考え込んでから、エミールは再び聖紋を見上げた。

「はっきり声が聞こえたわけじゃなくて、呼ばれたような気がしただけ。ここへ来る前に右と左の目の色が違う白い猫を見つけて、あとを追いかけて―――そういえば、あの猫どこにいったんだろ?」

 セルヴィアンは「あぁ」と納得したようにうなずいた。
 この国の神話には、神が時おり動物の姿で現れるという物語がある。
 その中でも、オッドアイの白い猫は、太陽神カリネアーゼの守護を任された十二神の一柱、エシルアーレが変化する仮の姿とされ、その神こそが人に聖剣を授けたと伝えられている。

「エミール様、呼ばれたかもしれないことや、もし声が聞こえたとしても、誰にも言ってはいけませんよ」
「どうして? 聖剣を見られるかもしれないのに」
「聖剣は魔を祓い、闇や敵を退けるもの。いまの平和な時代に必要でしょうか」

 セルヴィアンの問いに、エミールは「そうかもだけど」と不服そうに呟いた。疑問と興味はどうしても消えないらしい。

「ねぇ、どうして黙ってなくちゃいけないの?」

 追究するエミールに、セルヴィアンは小さく笑って答えた。

「聖剣の主となれば、エミール様は教会に所属することになるかもしれませんよ? 窮屈な毎日を送りたいですか? お食事にも口を出されるかもしれません。侯爵家のお料理が食べられなくなったり、おやつだって毎日は食べられないかもしれません」
「それはいやだ!」
「でしょう? どうしても見たいのであれば、もっと成長してからのほうが良いでしょう」
「大きくなったらいいの?」
「エミール様が呪いに掛かっても良いというのなら」

 予想外の言葉に、エミールの視線がセルヴィアンに縫い付けられた。

「のろい? それは、こわいもの?」
「そうですね。恐ろしく、狂おしく、そして世界中の何より愛おしいものです」
「いとおしい……。どんな呪いなの?」

 首を傾げるエミールに、セルヴィアンは目を細めて微笑み、物語を語るように口を開いた。

「聖剣は、主神カリネアーゼを守護する十二神の一神、エシルアーレが人々に授けたとされる剣です。エシルアーレは、同じ十二神の加護の神ルクレティアを愛していました。しかし、その愛は届かなかった」
「振られたんだね」
「俗的に言えば、そうですね。エシルアーレはそれを憂い、永遠の眠りについたそうです」
「たかが振られたくらいで?」
「エミール様」

 セルヴィアンが咎めるような目を向ける。

「ごめん、言いすぎだった。気をつけます、です」

 セルヴィアンは一つうなずき、「そうなさってください」と穏やかに返した。

「とにかく、そのような経緯があり、聖剣は主となった人間に“たった一人だけに愛を許す呪い”を掛けると言い伝えられています」
「一人だけを好きになる、ということだよね?」
「正確には、“たった一人しか愛せない呪い”です。愛した相手が世界そのものになる呪い、とも言われています。それは、他の感情を失くしてしまうことと同じなのですよ」
「う~ん……、よくわからないな」
「エミール様にはまだ早いですからね。その苦しみや、想いが叶わなかった時の痛みを知るのは、もっと、ずっと後のことでしょう。ですが、初恋は叶わないと申しますから、今日のことはお忘れになったほうがよろしいかと」
「大人になったらいいの?」
「どうでしょう……。公にはされていませんが、前の聖剣の主となった方は大人の方でした。ちょうどエミール様の御祖父様くらいの年頃の方です」
「その人は主となったあと、聖剣を返したの?」
「いいえ」
 セルヴィアンは哀しげに目を伏せた。
「不幸なことが襲いかかり、お亡くなりに……」
 エミールは「そう」と呟くにとどめた。
 幼くとも、突然の死が不幸であることくらいは理解できる。

「セルヴィアン様、少しよろしいでしょうか」

 若い神官が声を掛けてきた。
 セルヴィアンはエミールに「こちらでお待ちください」と言い残し、神官のほうへ歩いていく。

 一人になったエミールは、もう一度聖紋を見上げた。
 きらきらと輝き、まるで鼓動しているように見える。
 何かに呼ばれている気がするが、声としてはっきり認識できるわけではない。

 高い天窓から差し込む夕陽が、白亜の柱と彩色ガラスを赤金に染め上げる。
 その光を背に受けながら、エミールの影は長く伸び、聖堂の床を覆っていた。

 ―――……………………。

 何かが、エミールを呼んでいる。
 誘われるまま、彼はもう一歩、祭壇へと近づいた。

 すると、荘厳な装飾のひとつに過ぎなかった聖紋が、光を受けて脈動し始める。
 まるでエミールを迎え入れることを歓喜しているかのように。

 同時に、エミールの脳内に“言葉ではない何か”が流れ込んできた。
 それは、抗いようのない神の意志のような力だった。

 セルヴィアンが、何かを叫んでいる。
 不思議なことに、聖堂内に風が吹き荒れ、祭壇に祀られていた神具が揺れた。
 聖水の入った杯が大きく震え、床に落ちて砕け散る。
 その頃には、異変を聞きつけたオスロたちが聖堂へ駆け付けていた。
 しかし、見えない力に阻まれ、誰もエミールに近づけない。

 騒然とする周囲とは対照的に、エミールの世界は静謐に包まれていた。
 意識のない状態にあるかのように、エミールは操られるままに割れた杯を拾い上げ、その破片で左の掌を切りつけた。
 そして、痛みに表情を歪めることなく、ぎゅっと手を握りしめて深紅の血を絞り出す。

 ぽたり、と赤い血が滴り落ちた。

 エミールは自ら傷つけた掌を祭壇の聖紋へ向け、頭の中に流れ込んでくる祝詞を唱え始めた。
 それは、学んだことも聞いたこともない、神への祈りの言葉。
 エミールの声でありながら、彼のものではない抑揚で謳われた言祝ぎだった。

 Lunaris gladius surgit,Stellaris filum nectitur.
 月は剣となり、星を紡ぐ
 
 Caelum et Terra coniunguntur,Lux adducitur.
 天と地を繋ぎ、光は導かれる
 
 Per Stellam Ducentem Fatum invenit,et Coronam Lunae ferens mihi Fidem dedit.
 導きの星により彼は運命に出会い、月の冠を抱く彼は私を信じた
 
 Nomen Verum sub Umbris latet,donec Dies Fati redeat.
 約束が果たされるその日まで 真名は影に沈み込む
 
 Cum Luna et Astra iterum conveniant,Fontem Perennis in pignus do.
 再び月と星が出会う時 約束の証として永遠の泉を捧げよう
 
 Per Pactum Arcanum aeternum,te Ducem Aeternum constituo.
 いまこのときより 盟約により汝を永劫の真なる案内者とする

 祭壇の聖紋が、眩い光を放ち始めた。
 低くうなるような振動が聖堂全体に広がり、彩色ガラスが震え、光の粒が空気に舞い散る。
 その光はやがて一本の軌跡を描き、形を成していく。

 それは、まさに―――剣、だった。

 幾重もの光の帯をまとい、天より降り注ぐようにして、ゆっくりとエミールの目の前へと降りてくる。

 白銀の刃は炎のように揺らめき、鍔には古代の紋章が脈動していた。
 まるで心臓の鼓動のように、聖剣は生きているかのごとく震えている。

 エミールは息を呑み、伸ばした掌に滴る血が光に吸い込まれていくのを感じた。
 血と光が交わるたび、剣はさらに輝きを増し、聖堂を満たす荘厳な光が人々を圧倒する。
 やがて聖剣はまとっていた光を吸収するかのように眩く輝き、粒子となって彼の右手に絡みついた。
 光が収まる頃には、右手の甲に薔薇を思わせる紋が浮かび、その中心には小さな剣の影を刻んだ聖痕が刻まれていた。
 同時に、血を捧げるために傷つけた左手が癒えていく。
 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *本編完結しました

脱落モブ男が人気アイドルに愛されるわけがない

綿毛ぽぽ
BL
 アイドルを夢見るも、デビューできずオーディション番組に出演しても脱落ばかりの地味男、亀谷日翔はついに夢を諦めた。そしてひょんなことから事務所にあるカフェで働き始めると、かつて出演していた番組のデビューメンバーと再会する。テレビでも引っ張りだこで相変わらずビジュアルが強い二人は何故か俺に対して距離が近い。 ━━━━━━━━━━━ 現役人気アイドル×脱落モブ男 表紙はくま様からお借りしました https://www.pixiv.net/artworks/84182395

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

兄弟カフェ 〜僕達の関係は誰にも邪魔できない〜

紅夜チャンプル
BL
ある街にイケメン兄弟が経営するお洒落なカフェ「セプタンブル」がある。真面目で優しい兄の碧人(あおと)、明るく爽やかな弟の健人(けんと)。2人は今日も多くの女性客に素敵なひとときを提供する。 ただし‥‥家に帰った2人の本当の姿はお互いを愛し、甘い時間を過ごす兄弟であった。お店では「兄貴」「健人」と呼び合うのに対し、家では「あお兄」「ケン」と呼んでぎゅっと抱き合って眠りにつく。 そんな2人の前に現れたのは、大学生の幸成(ゆきなり)。純粋そうな彼との出会いにより兄弟の関係は‥‥?

人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました

よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、 前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。 獣人が支配する貴族社会。 魔力こそが価値とされ、 「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、 レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。 そんな彼を拾ったのは、 辺境を治める獣人公爵アルト。 寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。 溺愛され、守られ、育てられる日々。 だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。 学院での出会い。 貴族社会に潜む差別と陰謀。 そして「番」という、深く重い絆。 レオンは学び、考え、 自分にしかできない魔法理論を武器に、 少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。 獣人と人族。 価値観も、立場も、すべてが違う二人が、 それでも選び合い、家族になるまでの物語。 溺愛×成長×異世界BL。 読後に残るのは、 「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。

聖獣召喚に巻き込まれた俺、モフモフの通訳をしてたら冷徹騎士団長に外堀を埋められました

たら昆布
BL
完璧っぽいエリート騎士×無自覚な愛され系

美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜

飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。 でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。 しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。 秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。 美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。 秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。

処理中です...