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1-1 見知らぬ声と見知らぬ世界
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『チョウダイ。アナタチョウダイ』
俺がそれを聞き始めたのは、サービス残業という名の奴隷奉仕が常態化してきた頃だった。
会社の業績が傾き始め上から下までピリピリしている時に、ふと耳を澄ますと聞こえ始めたのだ。
丁度喫茶店の喫煙室で、ストレス緩和の一本を堪能していた時の為、非常に鬱陶しかったのを覚えている。
きっと疲労で神経がやられたのだろうと思ったのだが、あいにく此方はごくごく普通のサラリーマン。
多くの仕事を抱えている身では、病院に行く時間など皆無である。
無い袖は振れぬ。乾いた雑巾は絞れぬ。そんな訳で、幻聴に対する俺の対処法は市販の精神安定剤でやり過ごすというものだった。
朝に一瓶。昼にも一瓶。そして止めに寝る前の一瓶。
しかしながら、市販の薬はやはりどうしても効果が薄いらしい。一週間ほど試し続けていたが、どうにも声は止まなかった。
時間がなくチリチリと耳元でうるさく、仕方がないので日に日に量を増やしていき、今はボトルに移し替えて適当な量を飲む日々だ。
いや、違う。ボトルに入れる理由は効果がないからではなかった。
何せ、俺は数ヵ月前から何でもペットボトルに入れるようになっていた。要は異常行動の一種だ。
飲み物をペットボトルに移し替え、穀物を入れると長持ちすると聞けば米も詰め、洗剤、柔軟剤、入浴剤。今や部屋中がペットボトルだ。ある意味芸術的だった。
勿論異様な執着であると自覚している。ふと我に返った時、何とも酷い有り様だ、と思うくらいだ。
そして、そろそろ病院の処方が必要だとも理解している。
だが、それに対する俺の処方箋も、市販の精神安定剤だった。理由は勿論、時間がない。金はあるが時間がない。
故に、これも会社が持ち直すまでと、修羅場が終わればさっさと通院を始めようと、無視を決め込んでいた。
というかそうならないと、余暇が生まれないのだ。げに恐ろしきは二十四時間しかない世界と、それに収まるように活動できない我が社である。二つ同時に亡びればいいのに。
しかしながら最も恐ろしいのは、いつまでも持ち上がらない業績と、いつまでも止まない声だろう。
こうなってくると、市販の精神安定剤という選択が裏目に出たのだと、嫌でも思い知らされている現在である。
上司に怒られている時もチリチリ、部下を叱りつけている時もチリチリ。
飯を食っている時も、寝る時もチリチリ。精神安定剤を入れる時だってチリチ
今やこの声こそが、俺のストレスとなりつつある。後一週間もすればきっと俺は耳を引き千切るだろう。
『アナタヲチョウダイ』
そして、ついでに目もくり抜く必要が出て来たらしい。
朝、例の声を聞いてベッドから目を覚ましたその真正面に、一つの眼が張り付いていた。
何の悪戯か天井に描かれたそれは器用にもパチパチと瞬きをしている。
『アナタヲチョウダイ』
誰かが書いたか、科学に逆らう化け物か。それとも俺の幻覚か。
どちらにせよ、非常に腹立たしい。が、構っている暇はない。早く出社しなければ、昨日大量に送り込まれた仕事が片付かない。
その上、今日は社運を賭けた重要な契約が待っている。我が部門のエースが首をかけて努力したあれが取れないと、わが社はいよいよ、である。
どうせ天井に張り付いているならついては来れまい。
クレクレと催促する声を無視し、ペットボトルから精神安定剤を飲んで、書類を確認する。その今回のプレゼンに関する内容だ。補佐としての仕事は少ないが、それでもプレッシャーは重い。
俺は営業を担当している。俺が取る契約とそれに付随して生まれる契約書一枚が、会社を延命させる金を生むのだ。
が、それを我が社はそれを簡単に取れるものと思っているらしい。ゼロがなるべく多い契約書を束で要求してきやがる。
奴等は、俺達が筆舌し尽くしがたい努力を繰り返し、買い手と自分の意見をすり合わせ、契約内容を決めて、やっとこの一枚が出来上がるという事を理解すべきだ。
そもそも契約は、会社を存えさせるほど強固なものだと理解しながら、そこの過程は易いとどうして思えるのだろうか。上は能天気で困る。
書類をまとめ直し、スーツに着替えて玄関に向かう。
『チョウダイ』
扉にも目が張り付いていた。俺の幻覚はどいつもこいつもストーカ―気質らしい。
「ふざけるなよ。こっちも生活が懸かっているっていうのに」
邪魔をしてくれるな。有象無象。契約の取り方が部下より雑だぞ。
朝っぱらからイライラが蓄積されていく。カバンからボトルを出して精神安定剤をがぶ飲みし、目玉を無視して外に出る。
そうして、その時点に至ってやっと俺は気付いた。
わが社はいよいよだが、俺もいよいよ末期らしい。
道を行けば、電信柱に目が見える。踏みつけた地面にも目が見える。
流れる雲にも見える。犬の背にも見える。駅の階段にも見える。
電車を待つ子供の、老人の、男の、女の、全ての全身に『目』が見える。
そうして、目が一斉にささやいた。
『アナタチョウダイ』
何だこれは。もしかして俺を狂わせようとしているのか。それとも恐怖のどん底に叩き落そうとでも考えているのか。
どっちにしても的外れで滑稽なことだ。馬鹿にするなと言っていやりたいくらいだ。
大人になって亡霊が怖い訳がない。非現実に直面して狂う訳がない。
俺が怖いのは会社の倒産であり、社長の首切りであり、部下の失敗だけだ。
それだけがこの社会で生きる俺を殺す唯一の方法だ。直接的な死など社会からの解放でしかない。
幽霊が何をするというのだ。呪う? 祟る? それは貯金が減っていく恐怖や迫る飢えよりも怖いことなのか。
苛立つ。非常に苛立つ。散々腸が煮えくり返っていたが、遂に限界が来た。
「もううんざりだ。良く聞け幻覚! 人にねだる時は金銭の支払いとか物々交換というのが基本なんだよ! チリチリチリチリねだる前に俺に書面に何か提示して見せろ! 金! 力! 不老不死! 知識! 名誉! 良い顔! 何でもいいから契約書を持ってこい!」
社会的な目など無視して叫んでいた。そして、またボトルに口を付ける。
もう限界だ。イライラして仕方がない。思い切り睨んでやる。今度何か言えばその目をくり抜いてやる。
そして、直ぐに自分の不用意な言動に後悔した。
俺は、幻覚の眼に見られていた。
全ての眼が一気に見開いて、そして嬉しそうに細まった。
『モラッタ』
瞬間、俺は見知らぬ何処かに立っていた。
「は?」
……ここは、どこだ。
どう見ても駅には見えない。煉瓦で出来た家なんて、ここには一軒もないはずだ。いや間違いなくなかった。
それだというのに眼前に、そして後ろにも、横に広がる道にもずらりとの並んでいる。ヨーロッパの田舎みたいに道沿いに広がって、そしてその道を西洋人が行き交っていた。
どれも熱狂した口調で口々に話している。
「一体何が……? 何だ?」
追打ちをかけて、不思議なことが起きた。風景が変わったと思ったら声すら聞き覚えが無い。
「この声……?」
驚愕のまま喉を触ってみると喉仏がなかった。そして首も手もすべすべしている。
いやそんな事は有り得ない。俺の手はずっと節くれだっていた筈だ。
確かめるべく眼前に持ってきた手は、子供の様に白く滑らかだった。
「何だこれは?」
久々に頭が真っ白になっていた。きっとこの手より真っ白だった。途方に暮れるというのが、こんな気分だったか、と再確認させられていた。
一体何が起きている。通いなれた駅は、俺の体はどうなった。
分からない。何もかもが分からない。俺は、いつもの様に人の流れに乗って歩いていた。
このまま幻覚が覚めて、会社に戻るのではと思いつつ。
手に持ったボトルがチャプチャプと鳴るのを聞きつつ。
そうして流れに乗った末に目にしたのは……軍旗だった。
「……どうなっているんだ?」
広場に掲げられた軍旗は俺が全く見たことがないものだった。
そしてそこに立っている女性軍人も全く知らない人だった。
「イグルズの同胞よ! 遂にティバーレが攻め込んできた! 我等の糧を奪いに! 子らを撃ちに! 親を斬りに! これは断固として許されざる行為であるのは言うまでもない!」
そんな演説をしながら辺りの住民を鼓舞する軍人。それに熱狂する人々。
その光景は前時代的だった。国民の気を高ぶらせて何か目論むなんて古臭すぎるやり方だった。
民主主義国家に生まれた俺としては、もっと思慮深く会議を進めるべきだと言わざるを得ない状況である。
それが国民と国家が交わした契約である筈だ。
その全てを総じて、論評するなら全く意味不明だった。
「ははっ。滑稽だな」
意味不明すぎて、気が狂いそうだった。今ここでパニックに陥ったら一生正気を保てない自信があった。
落ち着かなければならないとボトルの中身を飲み干す。
……くそ不味い。飲み慣れて居た筈だが、牧歌的な田舎の風景とマッチしなかったのか、酷く不味い。
その不味さのお陰か、はたまた薬効成分が直ちに脳を侵したか、すっと気分が落ち着いた。
衝撃というのはやり過ごしてしまえばそれまでという事か。
一先ず、ここは幻覚の世界だとでも思っておこう。俺は遂にあの一つ目の幻覚に脳内を支配されたのだ、としておくのだ。
そうした方が精神衛生的にずっといい。無駄に考える労力も掛からない。
だとすると、現実では俺は精神病院に入っているかもしれない。
いやはや、会社は辞めることになるだろう。再就職先を見つけるためにも、早く幻覚から覚めなければ。
「一先ず、どうすべきか」
「そこで、ここの若い男を徴収することとなった! 輜重という任務は軍の血管と等しい! 戦地という戦地に戦地に物資を送り続ける厳しい任務でもある! だが我々が憎きララクトを打倒すためにも、尽力する様に!」
ああ。早速やることは決まった。例え幻覚だとしても戦争なんて御免だ。
命を磨り潰して会社に尽くして来たとは言え、それはあくまで俺が生きるためだ。
本当に命を懸けるなんざ本末転倒としか言いようがない。
「さっさと隠れるか」
「既に軍を出入り口に配置した。万が一にも兵役を逃れようと思う奴は居ないだろうとは思うが、もしそんな国民が居たとしたら……覚悟するように」
「……」
早速やることが変更した。一先ずあの『一つ目』を呪ってやろう。幻覚だろうと何だろうと関係ない。藁人形と鼎とろうそく、釘、石。これらをもってあの目を潰すとしよう。
「全く信じられん。ここには強制的に雇用契約させられる事を規制する法律はないのか?」
イライラしながら軍人を睨むが、彼女は決して俺を見ることは無かった。
そして熱狂し志願する村人に流されるまま、俺は軍役につくこととなった。
俺がそれを聞き始めたのは、サービス残業という名の奴隷奉仕が常態化してきた頃だった。
会社の業績が傾き始め上から下までピリピリしている時に、ふと耳を澄ますと聞こえ始めたのだ。
丁度喫茶店の喫煙室で、ストレス緩和の一本を堪能していた時の為、非常に鬱陶しかったのを覚えている。
きっと疲労で神経がやられたのだろうと思ったのだが、あいにく此方はごくごく普通のサラリーマン。
多くの仕事を抱えている身では、病院に行く時間など皆無である。
無い袖は振れぬ。乾いた雑巾は絞れぬ。そんな訳で、幻聴に対する俺の対処法は市販の精神安定剤でやり過ごすというものだった。
朝に一瓶。昼にも一瓶。そして止めに寝る前の一瓶。
しかしながら、市販の薬はやはりどうしても効果が薄いらしい。一週間ほど試し続けていたが、どうにも声は止まなかった。
時間がなくチリチリと耳元でうるさく、仕方がないので日に日に量を増やしていき、今はボトルに移し替えて適当な量を飲む日々だ。
いや、違う。ボトルに入れる理由は効果がないからではなかった。
何せ、俺は数ヵ月前から何でもペットボトルに入れるようになっていた。要は異常行動の一種だ。
飲み物をペットボトルに移し替え、穀物を入れると長持ちすると聞けば米も詰め、洗剤、柔軟剤、入浴剤。今や部屋中がペットボトルだ。ある意味芸術的だった。
勿論異様な執着であると自覚している。ふと我に返った時、何とも酷い有り様だ、と思うくらいだ。
そして、そろそろ病院の処方が必要だとも理解している。
だが、それに対する俺の処方箋も、市販の精神安定剤だった。理由は勿論、時間がない。金はあるが時間がない。
故に、これも会社が持ち直すまでと、修羅場が終わればさっさと通院を始めようと、無視を決め込んでいた。
というかそうならないと、余暇が生まれないのだ。げに恐ろしきは二十四時間しかない世界と、それに収まるように活動できない我が社である。二つ同時に亡びればいいのに。
しかしながら最も恐ろしいのは、いつまでも持ち上がらない業績と、いつまでも止まない声だろう。
こうなってくると、市販の精神安定剤という選択が裏目に出たのだと、嫌でも思い知らされている現在である。
上司に怒られている時もチリチリ、部下を叱りつけている時もチリチリ。
飯を食っている時も、寝る時もチリチリ。精神安定剤を入れる時だってチリチ
今やこの声こそが、俺のストレスとなりつつある。後一週間もすればきっと俺は耳を引き千切るだろう。
『アナタヲチョウダイ』
そして、ついでに目もくり抜く必要が出て来たらしい。
朝、例の声を聞いてベッドから目を覚ましたその真正面に、一つの眼が張り付いていた。
何の悪戯か天井に描かれたそれは器用にもパチパチと瞬きをしている。
『アナタヲチョウダイ』
誰かが書いたか、科学に逆らう化け物か。それとも俺の幻覚か。
どちらにせよ、非常に腹立たしい。が、構っている暇はない。早く出社しなければ、昨日大量に送り込まれた仕事が片付かない。
その上、今日は社運を賭けた重要な契約が待っている。我が部門のエースが首をかけて努力したあれが取れないと、わが社はいよいよ、である。
どうせ天井に張り付いているならついては来れまい。
クレクレと催促する声を無視し、ペットボトルから精神安定剤を飲んで、書類を確認する。その今回のプレゼンに関する内容だ。補佐としての仕事は少ないが、それでもプレッシャーは重い。
俺は営業を担当している。俺が取る契約とそれに付随して生まれる契約書一枚が、会社を延命させる金を生むのだ。
が、それを我が社はそれを簡単に取れるものと思っているらしい。ゼロがなるべく多い契約書を束で要求してきやがる。
奴等は、俺達が筆舌し尽くしがたい努力を繰り返し、買い手と自分の意見をすり合わせ、契約内容を決めて、やっとこの一枚が出来上がるという事を理解すべきだ。
そもそも契約は、会社を存えさせるほど強固なものだと理解しながら、そこの過程は易いとどうして思えるのだろうか。上は能天気で困る。
書類をまとめ直し、スーツに着替えて玄関に向かう。
『チョウダイ』
扉にも目が張り付いていた。俺の幻覚はどいつもこいつもストーカ―気質らしい。
「ふざけるなよ。こっちも生活が懸かっているっていうのに」
邪魔をしてくれるな。有象無象。契約の取り方が部下より雑だぞ。
朝っぱらからイライラが蓄積されていく。カバンからボトルを出して精神安定剤をがぶ飲みし、目玉を無視して外に出る。
そうして、その時点に至ってやっと俺は気付いた。
わが社はいよいよだが、俺もいよいよ末期らしい。
道を行けば、電信柱に目が見える。踏みつけた地面にも目が見える。
流れる雲にも見える。犬の背にも見える。駅の階段にも見える。
電車を待つ子供の、老人の、男の、女の、全ての全身に『目』が見える。
そうして、目が一斉にささやいた。
『アナタチョウダイ』
何だこれは。もしかして俺を狂わせようとしているのか。それとも恐怖のどん底に叩き落そうとでも考えているのか。
どっちにしても的外れで滑稽なことだ。馬鹿にするなと言っていやりたいくらいだ。
大人になって亡霊が怖い訳がない。非現実に直面して狂う訳がない。
俺が怖いのは会社の倒産であり、社長の首切りであり、部下の失敗だけだ。
それだけがこの社会で生きる俺を殺す唯一の方法だ。直接的な死など社会からの解放でしかない。
幽霊が何をするというのだ。呪う? 祟る? それは貯金が減っていく恐怖や迫る飢えよりも怖いことなのか。
苛立つ。非常に苛立つ。散々腸が煮えくり返っていたが、遂に限界が来た。
「もううんざりだ。良く聞け幻覚! 人にねだる時は金銭の支払いとか物々交換というのが基本なんだよ! チリチリチリチリねだる前に俺に書面に何か提示して見せろ! 金! 力! 不老不死! 知識! 名誉! 良い顔! 何でもいいから契約書を持ってこい!」
社会的な目など無視して叫んでいた。そして、またボトルに口を付ける。
もう限界だ。イライラして仕方がない。思い切り睨んでやる。今度何か言えばその目をくり抜いてやる。
そして、直ぐに自分の不用意な言動に後悔した。
俺は、幻覚の眼に見られていた。
全ての眼が一気に見開いて、そして嬉しそうに細まった。
『モラッタ』
瞬間、俺は見知らぬ何処かに立っていた。
「は?」
……ここは、どこだ。
どう見ても駅には見えない。煉瓦で出来た家なんて、ここには一軒もないはずだ。いや間違いなくなかった。
それだというのに眼前に、そして後ろにも、横に広がる道にもずらりとの並んでいる。ヨーロッパの田舎みたいに道沿いに広がって、そしてその道を西洋人が行き交っていた。
どれも熱狂した口調で口々に話している。
「一体何が……? 何だ?」
追打ちをかけて、不思議なことが起きた。風景が変わったと思ったら声すら聞き覚えが無い。
「この声……?」
驚愕のまま喉を触ってみると喉仏がなかった。そして首も手もすべすべしている。
いやそんな事は有り得ない。俺の手はずっと節くれだっていた筈だ。
確かめるべく眼前に持ってきた手は、子供の様に白く滑らかだった。
「何だこれは?」
久々に頭が真っ白になっていた。きっとこの手より真っ白だった。途方に暮れるというのが、こんな気分だったか、と再確認させられていた。
一体何が起きている。通いなれた駅は、俺の体はどうなった。
分からない。何もかもが分からない。俺は、いつもの様に人の流れに乗って歩いていた。
このまま幻覚が覚めて、会社に戻るのではと思いつつ。
手に持ったボトルがチャプチャプと鳴るのを聞きつつ。
そうして流れに乗った末に目にしたのは……軍旗だった。
「……どうなっているんだ?」
広場に掲げられた軍旗は俺が全く見たことがないものだった。
そしてそこに立っている女性軍人も全く知らない人だった。
「イグルズの同胞よ! 遂にティバーレが攻め込んできた! 我等の糧を奪いに! 子らを撃ちに! 親を斬りに! これは断固として許されざる行為であるのは言うまでもない!」
そんな演説をしながら辺りの住民を鼓舞する軍人。それに熱狂する人々。
その光景は前時代的だった。国民の気を高ぶらせて何か目論むなんて古臭すぎるやり方だった。
民主主義国家に生まれた俺としては、もっと思慮深く会議を進めるべきだと言わざるを得ない状況である。
それが国民と国家が交わした契約である筈だ。
その全てを総じて、論評するなら全く意味不明だった。
「ははっ。滑稽だな」
意味不明すぎて、気が狂いそうだった。今ここでパニックに陥ったら一生正気を保てない自信があった。
落ち着かなければならないとボトルの中身を飲み干す。
……くそ不味い。飲み慣れて居た筈だが、牧歌的な田舎の風景とマッチしなかったのか、酷く不味い。
その不味さのお陰か、はたまた薬効成分が直ちに脳を侵したか、すっと気分が落ち着いた。
衝撃というのはやり過ごしてしまえばそれまでという事か。
一先ず、ここは幻覚の世界だとでも思っておこう。俺は遂にあの一つ目の幻覚に脳内を支配されたのだ、としておくのだ。
そうした方が精神衛生的にずっといい。無駄に考える労力も掛からない。
だとすると、現実では俺は精神病院に入っているかもしれない。
いやはや、会社は辞めることになるだろう。再就職先を見つけるためにも、早く幻覚から覚めなければ。
「一先ず、どうすべきか」
「そこで、ここの若い男を徴収することとなった! 輜重という任務は軍の血管と等しい! 戦地という戦地に戦地に物資を送り続ける厳しい任務でもある! だが我々が憎きララクトを打倒すためにも、尽力する様に!」
ああ。早速やることは決まった。例え幻覚だとしても戦争なんて御免だ。
命を磨り潰して会社に尽くして来たとは言え、それはあくまで俺が生きるためだ。
本当に命を懸けるなんざ本末転倒としか言いようがない。
「さっさと隠れるか」
「既に軍を出入り口に配置した。万が一にも兵役を逃れようと思う奴は居ないだろうとは思うが、もしそんな国民が居たとしたら……覚悟するように」
「……」
早速やることが変更した。一先ずあの『一つ目』を呪ってやろう。幻覚だろうと何だろうと関係ない。藁人形と鼎とろうそく、釘、石。これらをもってあの目を潰すとしよう。
「全く信じられん。ここには強制的に雇用契約させられる事を規制する法律はないのか?」
イライラしながら軍人を睨むが、彼女は決して俺を見ることは無かった。
そして熱狂し志願する村人に流されるまま、俺は軍役につくこととなった。
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