輜重兵の契約

想磨

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1-2 契約の了承

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 第五輜重旅団訓練生二十七番。これが黒髪黒眼の少年となった俺の新たな肩書だった。
 それはその名の通り、グラウンドに並んだ老若男女に混じり輜重兵としての訓練を強いられることを意味していた。
 つまり、社会の荒波なんて目ではないほどの地獄の日々を体験させられるのだ。

 ……と言えば聞こえはいいのだろうが、彼らはそこまでの地獄を作るつもりはないらしい。

 どうにも時間的猶予が無いらしく、訓練は最低限かつ簡素なものに限定されるようだった。
 そして更に言うなら、実際やるのは輜重兵としての訓練である。

 俺達がやらされたのは、座学での輸送の知識習得と、輸送手段の操縦法の学習。これだけだった。


 結果として俺がどうなったかというと、こんな簡単な訓練で言うのもなんだが……首席だった。


 喜ぶべきか悲観すべきか、この世界の戦争はある程度発達したものであった事がこの結果に大きく関わっているのは言うまでもない。
 何せ、戦争の主役は銃や大砲、そして戦車。飛行機はまだ登場しておらず、大量輸送手段と言えば船だけだったのだから。

 そしてその中で俺達が先ず覚えるべきものは、トラックだ。

 笑ってしまった。馬鹿にするなとも内心で思った。俺は社会人で普通免許は当然のように持って居る。
 そんなものの運転など、少しの訓練で乗りこなせる。いや訓練と言える程の労も要らない。乗用車との違いと言えば身幅と死角くらいなのだから。

 しかもここのトラックは乗り心地は最悪だが操縦が素直な部類で、思い通りに動かすことが出来た。
 やってみろと言われて試した片輪走行すら、一発で出来るくらいである。この世界の車両はあちらの世界でも非常に優秀と言われるのは間違いなかった。

 一つ問題があるとすれば、俺の背が小さすぎて座ったままでは操縦が出来ず、視野も狭いという点だけか。
 隣に乗っていた教官が恐怖で顔を引きつらせていたのは中々愉快だった。

 そしてトラックの他には、もしもの為に馬も習うのだか、これも一日で難なくこなせてしまった。
 しかも普通は乗り始めると腰も尻も痛くなるらしいのだが、そんな苦痛も一切起きなかった。

 俺は本当にこういう才能があったのだろう。それか、俺の前世は馬だったか。
 どちらにせよこれだけ容易く乗れるなら、サラリーマンでなくて競馬の騎手になればよかった。

 ああ、こういうのも人生を誤ったというのだろう。楽して稼げるチャンスを不意にするなんて、資本主義国家が育てた犬として情けない限りである。


 ……で、後悔と驚愕の混じった順調な一週間を過ごして、二週間目。


 今日の訓練メニューは一風変わって、基礎体力を鍛えることとなったらしい。トラックの駐車場でなく、グラウンドに集合がかかった。
 が、何故か呼び出されたのは俺だけらしい。道行くすがらに人を見るが、新兵が俺しかいない。

 疑問はあるものの、恐らく俺が優秀な成績を修めたからだろう、という推測は立っていた。
 そして、まだ他の人間はトラック運転に四苦八苦しているのだから仕方ない、という推論も立っていた。

 しかし、あまり信じたことは無いが、第六感が何やらきな臭い匂いを感知している。その異臭に少し眉間のしわが深くなる。
 他の人間がぎょっとしたように見て来た為、一先ず眉間を揉んでおくがどうも取れない。昔の癖というのは中々取れないというのは事実なようだ。

 仕方ないのでシワを寄せたまま来てみれば、土嚢と木の板で作った的があるグラウンドに、教官だけポツンと居た。

 その人望をなくした課長の様、もしくは学校ではぶられたボッチの様は、ますますきな臭さを醸し出していた。
 どうも雲行きが怪しい。というか雨が降り出している。気分的には大豪雨と言って良いほどだ。

 これは部長に呼び出された時の空気と似ている。あの時は確か社債を買えと言われた時だったか。
 散々買い込んだ後だったから当然やんわりと拒否したが。

 教官の前に立ち、敬礼をする。

「お前か。たった二日で馬とトラックの操縦を習得した輩は」

「そうであります」

 郷に入っては郷に倣えという事で、言葉遣いも変えているが、どうもこの教官には不服らしい。

「形だけ入って粋がるなよ。今日から一ヵ月、俺が貴様の指導者だ。つまり俺はお前の神様だ。命令は絶対。聞けなけりゃ死ね。分かったか」

「……」

 これは酷い。社長をより独善的にしたような感じだ。これは戦争中に背中を撃たれる代表的な人間だな。
 逆に言えば、独善的なこと以外社長と変わらない。

 何だ。俺の職場環境は意外と低水準であったらしい。
 離れて見て改めて思う。あそこは労働ではなく奉仕する場であったと。

 ああ。しかし今回もこんなのが上司なのか。こっちもそんなに変わらないではないか。非常にイライラしてくる。

「返事をしろ! クソ虫!」

「了解しました。教官殿」

「その睨んだような顔を止めろ! クソ虫!」

「努力します。教官殿」

 さて、生温い訓練から、くそ暑苦しい訓練へと変わるようだ。




 ここから始まった教官達の訓練の内容は、想定通り非常に理不尽であった。
 が、一方で理性的なものでもあったようだった。

 先ず俺は疲れ果てるまで延々と走らされた。足が動かなくなってつまづいたらどやされた。
 次はいきなり銃の組み立てをさせられた。間違ったらどやされた。
 そしていきなりの戦闘訓練。叩きのめされてどやされた。

 要は達成困難な事をさせて叱責するいう、昔ながらの精神を修練する内容なのだ。
 所謂昭和世代の体育会系でよく見られた、倒れるまで動かすあれである。

 が、多分教官殿はその訓練の結果に不服だったに違いない。

 何せこっちは『君を路頭に迷わせる準備がある』『再就職できずに飢え死にするのは辛いだろうなあ』と脅されながら働いてきた身だ。
 セーフティネットが未だ発展途上な昨今、労基法くそくらえ、自殺者上等という社風の中で生きて来た身にとっては、怒声罵声は環境音である。

 しかも教官の怒声は、俺を鍛えるために振るわれた正真正銘の愛の鞭なのだから、益々怒る気になれない。
 あの人は、自分の仕事が失敗したからと八つ当たりをする上司を見習わないといけないだろう。

 ただ、辛かったことがないと言ったら嘘になる。特にマラソンや戦闘訓練などの肉体的なストレスは凄まじいものだった。

 延々と走らされるのは、完徹三日目とは違う苦しみで、若返った体でも厳しかったのだ。
 しかも、怪我をさせないギリギリを見極めて来るのだから、憎たらしくなってくる。

 初日で吐いた時などは、か弱い子供の振りをしようかと思ったくらいだ。

 と言いつつも、一週間もすれば体力が付いてしまい、戦闘においても二週間でおおよその近接戦闘に加え銃器も学びつくしてしまって、苦ではなくなったが。
 最終的には地獄の百キロマラソンやら狙撃兵の訓練やら、異様な訓練内容になっていたのは笑ってしまった。

 真に凄まじかったのは押し付けられたこの肉体のポテンシャルであると言えよう。

 さて、この一ヵ月間の訓練の総評しよう。
 非常に厳しいものであったが、非常に身になる物であった。お陰で俺はこの世界で生き残れそうである。


 ……で、


「くくく、その年で、訓練を、一ヵ月間で、やり切ったというのか? 面白い奴だなあ」

 散々訓練して、望まれた成果を上げた直後。
 何で俺は審問に掛けられている様な状況に居るのか、誰か教えてくれないだろうか。

「あははっ。いやいや素晴らしいじゃないか。オースティンが絶望しながら報告した時はにわかには信じがたったぞ二十七番。お前にも見せてやりたかったよ。あの鬼教官が混乱する様を。ぷぷっ」

 くたびれ切った状態で立っている俺の前、悠然と安楽椅子に座り笑う女は民衆の前で演説していた軍人だった。
 が、あの時の様子とは打って変わって、非常に無邪気に笑って見せている。

 無邪気すぎて何処か寒気を催すほどである。
 椅子をぐらぐら揺らして、非常に楽しそうに笑う様が何処かネジが外れているように見えるのだ。

 一回ロールシャッハテストを受けさせる必要があるのは、火を見るより明らかだった。きっと心理的な炙り出しに引っかかり悍ましいものが出て来るに違いない。

 まあ、何にせよ楽しそうで何よりだ。それは結構なことだ。俺も人の楽しみに水を差す様な人間ではない。それで生きていけるなら放置しても良いのだろう。
 ただ、厳しい訓練を乗り切った直後の人間にする態度か、と思うだけだ。

 そんな疲弊した人間を立たせて彼方は座って、その上笑っているなどこいつの神経が知れない。
 きっと顔を作っていなかったら、とても凄味の利いた顔になっていただろう。

 椅子に座って俺を見る軍人が足を組み頬杖を突いた。非常にだらしない。

「一週間で戦争に耐えうる体力を、二週間で軍曹と渡り合うほどの戦闘力を、その他軍人の作法、知識、基本的な諸々を殆ど習得。君は超人なのかねえ。信じられないよ。本当にやったのかねえ?」

 そう言った疑問は俺ではなくあの一つ目にするべきだろう。
 色々とねだったのは俺だが、契約書も同意もなしにこういう肉体を作ったのは紛れもない奴なのだから。

 そもそもやらせておいてその言い草はない。

 全く、上に立つものはこれだから困る。人に物事を頼んで、いざ思い通りに行かなかったらお前のせいだ責任を取れ。
 そもそも上手く行きませんよ、と注進はしたはずだ。そしてごり押したのはお前だ。何責任逃れをしようとしているんだ。

 まあ、録音してあったから見事にカウンター出来たが。くく、あの椅子は中々座り心地が良かったな。

「何か可笑しいかね。私も聞きたいな。是非とも知りたいなあ」

「いいえ、思い出し笑いです」

「何だ。詰まらない。くくくっ」

 詰まらないと言いながら笑う軍人が立ち上がり俺の前に立つ。彼女から少し煙草の匂いがしたから、ここにもそう言ったものがあるのだろう。
 と思った瞬間、俺の頬を軍人が思い切り掴んだ。そして笑みがキリリと吊り上がる。

 これは、食われるかもしれん。

 そうちらりと思った瞬間、俺の頬は練り上げるようにこねくり回され始めた。

 ……こねくり回す?

「くくく、やはり信じられないなあ。こんな頬をプニプニさせた線の細い可愛い子供が、大人すら根を上げる訓練をこなすなんて」

 おい、誰か。こいつに精神科を紹介してくれ。もしくは俺にこいつを殴る権利をくれ。

 何だこいつは。俺は何故この女に頬を弄ばれなきゃいけないのだ。
 そもそもこいつは本当に軍人か。思わず眉間に寄ったしわがさらに深くなるぞ。

 俺が文字通り叩きこまれた軍人像は、国を愛し、己を律し、上官を尊敬し、軍として完成された歯車を演じ、国の為に命を懸ける様な存在だ。
 勿論そんな存在に心の底からなろうとは思わないが、明日の飯の世話をしてくれるのなら演じてやろうと思い、実行してきたつもりだった。

 一兵卒である俺ですら、そうやってきた。

 一方のこいつは何だ。己を律しきれていないのは明白で、尊敬されようとも考えて居なさそうで、その上完成された歯車にも見えない。更に言えば国の為に命を懸けますなんて口が裂けようと言いそうにもない。

 こいつこそ、新兵訓練を受けるべきではないのだろうか。

「あははは、見ろよタッカー。これはプディングよりもツルツルプルプルだぞ! スプーンを用意したくなる位だ! いや今すぐ持ってこい! 銀製のあの、お気に入りの物だ!!」

「……」

 後ろで控える老人も、何か言え。こんなか弱そうな訓練生が上官に良い様に弄ばれているのだぞ。
 いや前言撤回だ。何もしなくていいからその銀の匙を直ちに投げ捨てろ。

 と、唐突に頬から手が離される。こねくり回されたせいで絶対に赤くなっているだろう。

「ふうっ。楽しんだ楽しんだ。では、唐突で悪いがお前に対して神兵調査を行う」

 それは本当に唐突だった。この女は凄まじいほど自由な人間だと分かるほどの唐突さだ。
 その上、言っている事がさっぱり分からない。シンペイの調査、何をする気だ。まさかまた頬をこねくり回すことではあるまい。

 さてさて、いい加減この訳の分からない状況を、少しでも何とかする日が来たようだ。

 あの『一つ目』は情報公開する気がないようだし、この上官というには躊躇われる馬鹿は説明責任なんて言葉を知っているわけがない。
 ならばこちらから集める他にあるまい。

「上官殿」

「シャーロット第一指揮官だ。自己紹介しただろう。」

「しておりません。シャーロット第一指揮官殿。シンペイチョウサとは何でしょうか?」

「その名の通りだ。プディング」

「シャーロット第一指揮官殿、神兵とは何でしょうか。それを調査するとはどういう意味でしょうか」

「戦争をややこしくしたい神様とやらが人間に過ぎたる力をぶち込んだ結果生まれた馬鹿げた人間を神兵というんだが、お前がそうでないかを調べるのだよ。プディング」

「シャーロット第一指揮官殿」

「長いな。シャーロット指揮官でいい」

「シャーロット指揮官殿。益々訳が分からないです」

「では簡潔に言おう。プディングが出した訓練成果が人外じみているから人外かどうかを調査する。異論は認めない」

「……了解しました」

 まだまだ聞き足りないが、異論を認めないなら仕方あるまい。それに軍人が二人来て俺の両脇を固めるのだから、もう聞く時間も与えられないのは明白だった。

「貴様がティバーレのイゴーリ並みに使える事を祈っているよ。頑張りたまえ。プディング」

 連行される様に連れていかれる寸前にちらりと見た顔は、嫌に鋭い笑顔だった。





 その笑顔の理由はきっと、検査という名の吐き気を催す実験を知っていたからだろう、と今なら分かる。

 俺は、最後の訓練と言わんばかりに調べ尽くされた。血を抜き取られ、丸裸でレントゲンらしきものを撮られ、全身麻酔付きではあるが解剖まがいの事すらさせられた。
 ここには人権という言葉がないという事が分かる所業であった。労基法くそくらえではなく、法律とは何ぞやという世界なのだ。

 そんな苦痛の実験を繰り返した結果、分かったことを一つだけ述べるとすると、『一つ目』は口頭での契約も法律上は有効であると知っていた様だった。

 今までの悪感情が吹っ飛び、尊敬すらしてしまうほど、彼は俺の要求を忠実に再現しようとしたらしい。

 何せ俺は、『神兵』という特別な存在になっていたのだから。

 俺はあの時不老不死を願った。その願いを叶える様に、俺は肉を骨まで切る怪我をしても一時間もすれば傷跡も残さず回復する身体になっていた。
 力を願ったからか、鍛えれば鍛えるだけ上がるようになっていた。頭の良さを願った結果、記憶力も優秀だ。

 何より神兵として授けられた能力が俺好みだった。

 どうやら神兵の能力というのは、視力が異様に良い、体が頑丈等のまともな部類から、銃弾の威力が上がる等有り得ないものまで、多岐に渡るらしいが、俺のそれは全くの異質だったのだ。

「ではこの瓶に、水を入れ見てくれ」

 テントの中、軍医に囲まれて俺は椅子に座る。

 目の前には机、そして水差しと小さな空き瓶。その二つを使って指示通りにしてみる。
 即ちこの大きな水差しから小さな小瓶に注ぐという暴挙を行う。

 普通だったならそれは入り切らず、直ぐに溢れ出しただろう。

 だが、その小瓶に水がどんどんと中に入っていった。

 まるで小さな小瓶の底が抜けたようだった。小瓶が水を飲み込んでいくようだった。
 そして、水差しの中身をすっかり飲みつくして、小瓶は平然と机の上に立っていた。

「おお、これが物質凝縮か」

 それが『一つ目』が与えた俺の能力であり

「いい結果だ。文句なしだ。では予定通り、君には輜重部隊の一つをお願いしようかね。頑張りたまえ。第一輜重分隊長」

 俺の望んだ金と名誉の足掛かりとなる、新しい肩書だった。

「謹んで拝命いたします」

 成程、仕方ない。ここまで好条件ならば納得せざるを得なかった。
 サインや印鑑等の同意を示すものなく、無理やり契約をさせられたことは目を瞑ってやろう。

 俺はたった今、この体を受け入れ、元の体を捨てることを了承した。

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