ヘタレ女の料理帖

津崎鈴子

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波の行く先3

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前置き

この話には流血を連想させるシーンが最後に出てきます。
苦手な方は  「エミさんに突き飛ばされた」 という文字が出てきたら回れ右、です。

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 かすれた声が弱弱しく病室に響く。
「ユキ……」

その声の主テルは、ベッドから体を起こす。

その姿はすっかりやつれて、知らない人のようだ。

その人は涙を流していた。私をじっと見て、言葉が出ないようだ。

「久しぶりね」

色々と言ってやろうと来てみたものの、それしか言葉が出ない。

「ユキ、会いたかった」

力ない笑顔。テルの自信満々なあの笑顔はなく、疲れ切った様子が手に取るようにわかる。

「大変だったね。お互いに」

なんか、哀れに思う自分と、ざまあみろって思う自分がいる。たぶんどちらも本音なんだろう。自分で自分がわからない。

「ユキがいないと俺……」

テルはそう口にしかけた。その時、病室の扉が開き、息を荒げる面会者が表れた。

「ユキちゃんごめん!!遅くなった!!」

満面の笑顔で現れたのは、テルの妹のハルカちゃんだ。

「来てくれたんだね、こんなバカなお兄ちゃんの為に!!」

刺々しい言葉でテルを睨むハルカちゃん。テルとおばさんは面食らっている。

「ハルカ!病院なんだから静かにしなさい」おばさんのお小言も右から左だ。

気を取り直してテルが、もう一度、何か言おうとしていた。しかしハルカちゃんがブロック。

「お兄ちゃん、ユキちゃんにお見舞いのお礼言ったの?」

「…………ああ、ユキ、来てくれてありがとう……」

テルはお見舞いのお礼を言ってなかったことに妹に指摘されるまで気が付かなかったようだ。

「お兄ちゃん、ダメだね。ハルカのこと子供だから大人の話に首突っ込むなって怒鳴ったけどさ、大人としてのマナーはハルカの方が上だったね!!」
ハルカちゃんはテルをにらみつける。

「ごめんなさいも言ってないんじゃないの?ユキちゃんが一杯我慢してくれて別れてくれたのに、ありがとうもごめんなさいも言わないで、自分の言いたいことやしたいことを先に口を出すのは子供だよお兄ちゃん」

ハルカちゃんを止めようとしていたおばさんも、テルも、下を向いてしまった。

エミさんは、そっとハルカちゃんの傍に近づいて頭を撫でる。

「ハルカちゃんは、この中の誰よりも大人だね。本当にいい子だよ。この年になっても学ぶことが出来て私は幸せもんだよ、ありがとう、ハルカちゃん」

エミさんは、優しい笑顔でハルカちゃんを褒めた。ハルカちゃん、エミさんがいることに今更気が付いたのか、満面の笑みであいさつした。

「エミさん、この間はご馳走様!!あれからよく寮でかしみん焼きのパーティしてるの!!」

そのふたりの再会を横目に、テルに言った。

「テル、私にお前は強いからひとりで生きていけるだろうって言ったよね。でもね、強くなんかないの。別れてくれって懇願されて、あいちゃんを守っていくって言ったでしょ?辛くて魂が抜けたようになって、アパートを引き払って、このエミさんのところにご厄介になって、傷ついた心は、いろんな人が助けてくれて少しづつ回復しつつあるの。テルともう一度って考えられない。また裏切られるって不安があるから」

身体が弱っている時に言うのは鬼畜かなって思ったけど、この弱弱しいテルを見たらきっと愛ではなく情で戻ってしまいそうになる。そして怖かった。ずっとテルを疑い続けるのも、ありもしない心変わりを責めてしまうかもしれない私の弱さにも。

「ごめん……」

涙をこぼすテル。

「ユキさん、今日は来てくれてありがとうございました」

青白い顔のおばさんが絶望した顔で面会のお礼を言ってくれた。

そして、私とエミさんは病室を後にして歩き出した。後ろからドアの音がして
慌ててハルカちゃんが病院の玄関までお見送りするとついてきてくれた。
直後、病室から号泣する声が聞こえてくる。お母さんとテルが泣いているようだ。

「仕方ないよ。先に手を放したのは兄ちゃんなんだもん。今更元サヤなんてムシがいいわ。もうユキちゃんにはいい感じの人がいるんだもんね。その人のこと言ったらきっとお兄ちゃんストーカーになりそう」

なくしたものは大きかったんだよ、馬鹿なお兄ちゃん、と自嘲気味にハルカちゃんは笑った。

この地域では大きな部類の病院であるせいか今日も患者さん、面会客警備員と人でごった返していた。
のんびりと話しながら玄関の方へ歩き出していると急ぎ足の妊婦さんが歩いてくる。

生まれそうなのか気にしないで歩いていると、突然エミさんに突き飛ばされた。

「え?!」

床に転んで見上げると、そこには憎しみに目をギラつかせた妊婦と目が合う。
人相はずいぶん変わっているけど、あいちゃんだ!!

そして、私をかばうように覆いかぶさったエミさんから生暖かい液体が流れ出す。

スローモーションで映るその光景に驚愕した。

妊婦あいちゃんの手には赤い液体で染まった刃物が鈍く光り、ハルカちゃんの絶叫で、それで周囲の人々は振り返り逃げまどい、私たちの周りがドーナツのように空間が開き、警備員が駆け寄り、あいちゃんを数人がかりで取り押さえる。
あいちゃんの口からこの世のものとも思えぬ咆哮がエントランスに響き渡った。


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