49 / 60
第二巻 第三章 第二部 ボレロ
第四十八話 セイクリッド
しおりを挟む「お姉ちゃん! 倉庫の中にいろってパパが言ってたよ! なんで外に出ちゃうの!」
私はこの頃はまだ気が強く、何事にも物怖じしない性格だった。
その日は外の天気は雨。
ただの雨ではない、血の雨だ。
聖戦だ。
魔王軍が捨て身の一撃を妖精族に加えてきた、あの日のことだ。
「ダメだ、ここはもう直ぐに陥落する!」
お姉ちゃんは勇ましい羽を持っていた。
私の小さくてどうしようもない羽とは違い、立派な妖精だとわかるほどに綺麗で悲しげな羽だ。
月明かりを透き通らせる彼女の羽は、外で飛び散る肉片も映し出す。
「でも、お姉ちゃんがいないと神樹が無くなっちゃうよ! パパもママもお姉ちゃんが居なくなったら困るって!」
私はその時、思いっきりお姉ちゃんの手を引っ張った記憶がある。
それは、私のワガママなんかじゃない。
我が王家の宝、命、名誉の全てを任せられたお姉ちゃんの存在がどの兵士や城や、私の命よりも大事なものであったから止めたのだ。
パパもママも言っていた。
『この戦争が終わるのは、神樹を失った時だ』と。
つまり、それは何を意味するかは世間の事を何も知らない私でも分かっていた。
お姉ちゃんの死だ。
お姉ちゃんさえ死ねば、この大戦争は終結するのだ。
「アイネ、私のことは好きか?」
ヴィーナスの名を冠すお姉ちゃんは、私のところへ近づいてくる。
「な、なんでそんなことを聞くの? 大好きだよ!」
私はお姉ちゃんの手を掴んだ。
お姉ちゃんの手は温かくて湿っている。
暖かいのは、お姉ちゃんの手が自分の血で濡れているからだ。
「アイネ。私もお前のことが大好きだ」
お姉ちゃんはそう言うと、立ち上がって外を見た。
私は去ろうとする彼女の手をもう一度掴んだ!
「お姉ちゃん! 外に行く気なの!? 死んじゃうよ!」
しかし、彼女は私の手を思いっきり振り払らい、私の頬を平手打ちしたのだ!
「っ?! お姉ちゃん!」
よろめいて尻餅をつく私。
そして、姉は大声で私に叫ぶ!
「私はこの王家の最高位に君臨する王女だ! この戦争を止めずしてなにが王か! 奴らの狙いは私の首であることは分かっている! その意味がわかるか、アイネ!」
赤い月明かりに照らされるお姉ちゃんの姿は、妖精という可愛いものとはかけ離れていた。
青い髪が血塗られた汚い色に変色し、凝固して酷く髪が乱れていた。
「やだよ、お姉ちゃん! お姉ちゃんが死んだら、これから私はどうやって生きていけばいいかわからないよ!」
私は叩かれたにもかかわらず、死の門へ向かうお姉ちゃんの足にしがみつく。
姉の巫女服から見える素足には、割れたガラスが無数に刺さっていた。
彼女の血の足跡は廊下からここへ続いていることがここからでもわかる。
故に、敵から見つかるのも時間の問題だと言うことだ。
頰が腫れ上がり涙を出せずにいた私、そのとき、不意に私の頬を血まみれの指が撫でた。
「アイネ。もっと強くなりなさい。逃げてばかりでは、何も成せないんだ」
お姉ちゃんは呆然とする私に歩み寄ると、左手を差し出した。
私が右手を差し出すと、お姉ちゃんはぎゅっと強く握った。
瞬間、強い光が私の右手を覆ったのだ。
「お姉ちゃん……」
導かれるような強い光。
私はお姉ちゃんの左手に集められた光を見つめる。
「……王家をこれから守るのはお前だ、アイネ。これを受け取りなさい」
お姉ちゃんの光り輝く左手が、私の右手に乗った瞬間、私の体の中に大量の魔力が流れ込んでくる!
「おっ、お姉ちゃんっ! 熱い、熱いよぉ!」
あまりの痛みに私は身体を反らせながらお姉ちゃんの強い光を飲み込む。
「これはな、アイネ。妖精族の最高傑作だ。『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』。代々伝わって来た最高位魔法の最終形態だ。この魔法は貰い受けた時から、アイネに渡すつもりで編曲して来たんだ」
彼女の光り輝く魔法が、私の手のひらに入っていく。
「でも、ダメだよ! 私はお姉ちゃんみたいに強い魔法は発動できないし、才能が無いってパパやママもっ!」
「そんなの嘘に決まっているだろう、馬鹿者!」
お姉ちゃんは私の右手を強く握ると、全ての魔力が私の中に入って来た!
思い切り突っ込まれた光は私の中を搔きまわすと、全身が焼けつくような感覚に襲われる!
「どうやったら恋ができるか知ってるか? どうやったら他人を喜ばせられるか知ってるか? どうやったら子供ができるか知ってるか?」
私は涙を溜め込むお姉ちゃんの表情を見て、目玉が熱くなっていく。
「お前は切り札なんだ、この王家のな。私が死んだ後に代理となる妖精王だ。だから、アイネは敢えて世間のことをなにも聞かされずに生きてきたんだ」
お姉ちゃんは強く撫でると、私の顔を眺め続ける。
「選択をさせてあげたかった。アイネには、自分で幸せを見つけて欲しかった。――結局、私と同じ様に、言いなりになる生活が待っていることだろう。だが、アイネ。自分で自分の道を決めていいんだ。アイネが望む様に生きていきなさい」
「お姉ちゃん……!」
姉は血まみれの手で髪の毛を縄で結うと、大きな羽を広げてみせた。
「神の代理は、何も望んではならない。巫女は生贄にされるまで純潔で居ないといけない。色恋など言語道断なんだ」
私はその当時、なんのことを言っているかは分からなかった。
「だから、アイネ。どうか、好きな男性を探しなさい。そして、生まれてくる子供達に伝えてくれ、『巫女はもっと自由に生きるべきだ』と」
お姉ちゃんは私に抱きつくと、涙を流しながら震える。
私と言えば、本当に逝ってしまうお姉ちゃんの最後の言葉を脳で咀嚼することで精一杯だった。
涙は結局出ない、まだ信じていないからだ。
「お姉ちゃん……?」
「――私、実は神樹様を裏切ったんだ。巫女の宿命を破り、私は処女を喪失したんだ」
「それって、どう言う意味なの?」
「そのうち分かるさ。とにかく、私は好きな人と共に歩んでいこうと思っている」
お姉ちゃんの目から涙が止まらない。
恐らく、お姉ちゃんが好きだと言った人はもう既に――。
「私は、先に行くよ。大丈夫だ、お姉ちゃんは強いから、アイネのことを守ってみせるから!」
そして、お姉ちゃんはポケットから一つの木の枝を取り出す。
綺麗な茶色い枝、それは神樹の強い魔力を発していた。
「私が儀式中に握って折ってしまった枝だ。両親に見つかったらいけないと隠し持っていてな。私が死んだ後にこのような不名誉を残したく無い。預かっておいてくれ」
そう言い残すと、お姉ちゃんは立ち上がって赤い月を眺める。
「お姉ちゃんは、アイネを死なせない。約束するよ」
「ダメだよっ! お姉ちゃん! 行っちゃ嫌だ!」
言葉数が足りない、語彙力の無い私。
もうお姉ちゃんは振り返ることはない。
そして、ようやく涙が流れ出した頃、お姉ちゃんは最後に私に一言、一言だけ声を渡してくれた。
「素敵な王子様を見つけろよ、アイネ」
そして、姉は大きな扉を閉めた。
それから先は暗闇の中、開かない扉をただただ叩き続ける時間が続いた。
折れた枝を握り締め続けた。
痛いはずなのに、血が流れているはずなのに私はノックし続けた。
何時間も何時間も。
……。
あれから激しい音は鳴り止んで、静寂が私の心を騒つかせる。
戦争が終わったことをどこか嬉しく、そしてどこかで怒りと悲しみを感じていた。
私は試しにお姉ちゃんからもらった魔力を手の中で使ってみた。
明るくて優しく輝く彼女の命の結晶。
その曲は王位継承者が持つべきクラシックの魔法だった。
『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』
意味は『小さな夜の曲』。
私はその曲を聴きながらお姉ちゃんが死んでいく様を心に浮かべていた。
優しくて、温かくて、寂しい音楽。
私は、この曲が大嫌いだ。
だから、私はお姉ちゃんが大嫌いだ。
……そう思って生きていかないと、心が死んでしまう気がした。
そう、心の中では忘れられるわけない。
あんなに優しいお姉ちゃんが、本当に死ぬの?
誰よりも笑ってたお姉ちゃんが……?
私はお姉ちゃんが大好きだ。
だからこそ、嫌いにならなければならなかった。
人は忘れることで生きていける。
いつまでも依存して生きていきたくないでしょ?
だから、私はもうお姉ちゃんを思い出さないようにするよ。
だから、許してください。
私はお姉ちゃんが大嫌い。
……。
それから程なくして聖戦は終戦した。
神樹が枯れ果てたことを考えると、なにが起きたかは明白だった。
倉庫から出してもらった時、気つけば私の右手に握られていた神樹の枝は手のひらに深く突き刺さっていた。
血だらけになった私の巫女服が、私の手のひらの大出血がどれくらいなものかを物語っていた。
だけど、お姉ちゃんの痛みに比べればこんなの痛くないよ。
だから、これから私の身に起こる全ての痛みに耐えるよ。
だから……どうか安らかに眠ってね。
大嫌いだよ、いつまでも――。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ギャルい女神と超絶チート同盟〜女神に贔屓されまくった結果、主人公クラスなチート持ち達の同盟リーダーとなってしまったんだが〜
平明神
ファンタジー
ユーゴ・タカトー。
それは、女神の「推し」になった男。
見た目ギャルな女神ユーラウリアの色仕掛けに負け、何度も異世界を救ってきた彼に新たに下った女神のお願いは、転生や転移した者達を探すこと。
彼が出会っていく者たちは、アニメやラノベの主人公を張れるほど強くて魅力的。だけど、みんなチート的な能力や武器を持つ濃いキャラで、なかなか一筋縄ではいかない者ばかり。
彼らと仲間になって同盟を組んだユーゴは、やがて彼らと共に様々な異世界を巻き込む大きな事件に関わっていく。
その過程で、彼はリーダーシップを発揮し、新たな力を開花させていくのだった!
女神から貰ったバラエティー豊かなチート能力とチートアイテムを駆使するユーゴは、どこへ行ってもみんなの度肝を抜きまくる!
さらに、彼にはもともと特殊な能力があるようで……?
英雄、聖女、魔王、人魚、侍、巫女、お嬢様、変身ヒーロー、巨大ロボット、歌姫、メイド、追放、ざまあ───
なんでもありの異世界アベンジャーズ!
女神の使徒と異世界チートな英雄たちとの絆が紡ぐ、運命の物語、ここに開幕!
※不定期更新。最低週1回は投稿出来るように頑張ります。
※感想やお気に入り登録をして頂けますと、作者のモチベーションがあがり、エタることなくもっと面白い話が作れます。
美人四天王の妹とシテいるけど、僕は学校を卒業するまでモブに徹する、はずだった
ぐうのすけ
恋愛
【カクヨムでラブコメ週間2位】ありがとうございます!
僕【山田集】は高校3年生のモブとして何事もなく高校を卒業するはずだった。でも、義理の妹である【山田芽以】とシテいる現場をお母さんに目撃され、家族会議が開かれた。家族会議の結果隠蔽し、何事も無く高校を卒業する事が決まる。ある時学校の美人四天王の一角である【夏空日葵】に僕と芽以がベッドでシテいる所を目撃されたところからドタバタが始まる。僕の完璧なモブメッキは剥がれ、ヒマリに観察され、他の美人四天王にもメッキを剥され、何かを嗅ぎつけられていく。僕は、平穏無事に学校を卒業できるのだろうか?
『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』
最強無敗の少年は影を従え全てを制す
ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。
産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。
カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。
しかし彼の力は生まれながらにして最強。
そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。
クラス全員で転移したけど俺のステータスは使役スキルが異常で出会った人全員を使役してしまいました
髙橋ルイ
ファンタジー
「クラス全員で転移したけど俺のステータスは使役スキルが異常で出会った人全員を使役してしまいました」
気がつけば、クラスごと異世界に転移していた――。
しかし俺のステータスは“雑魚”と判定され、クラスメイトからは置き去りにされる。
「どうせ役立たずだろ」と笑われ、迫害され、孤独になった俺。
だが……一人きりになったとき、俺は気づく。
唯一与えられた“使役スキル”が 異常すぎる力 を秘めていることに。
出会った人間も、魔物も、精霊すら――すべて俺の配下になってしまう。
雑魚と蔑まれたはずの俺は、気づけば誰よりも強大な軍勢を率いる存在へ。
これは、クラスで孤立していた少年が「異常な使役スキル」で異世界を歩む物語。
裏切ったクラスメイトを見返すのか、それとも新たな仲間とスローライフを選ぶのか――
運命を決めるのは、すべて“使役”の先にある。
毎朝7時更新中です。⭐お気に入りで応援いただけると励みになります!
期間限定で10時と17時と21時も投稿予定
※表紙のイラストはAIによるイメージです
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
最難関ダンジョンをクリアした成功報酬は勇者パーティーの裏切りでした
新緑あらた
ファンタジー
最難関であるS級ダンジョン最深部の隠し部屋。金銀財宝を前に告げられた言葉は労いでも喜びでもなく、解雇通告だった。
「もうオマエはいらん」
勇者アレクサンダー、癒し手エリーゼ、赤魔道士フェルノに、自身の黒髪黒目を忌避しないことから期待していた俺は大きなショックを受ける。
ヤツらは俺の外見を受け入れていたわけじゃない。ただ仲間と思っていなかっただけ、眼中になかっただけなのだ。
転生者は曾祖父だけどチートは隔世遺伝した「俺」にも受け継がれています。
勇者達は大富豪スタートで貧民窟の住人がゴールです(笑)
おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう
お餅ミトコンドリア
ファンタジー
パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。
だが、全くの無名。
彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。
若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。
弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。
独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。
が、ある日。
「お久しぶりです、師匠!」
絶世の美少女が家を訪れた。
彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。
「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
(※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。
もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです!
何卒宜しくお願いいたします!)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる