銀猫旅行社へようこそ・~夢を叶える超ホワイト企業は違う意味でブラックでした~

相田ゆき(渡辺河童@あいだ啓壱)

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第一章・銀猫旅行社の仕事

1-こだわりのなさとこだわりの世界

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 入社初日、スーツで現れた僕に、社長はスーツでなくともいいと言って笑っている。旅行会社といえばスーツだと考えていた僕は、どんな服装で来ればよかったのか悩み始めた。

ただ、そう言っている社長は、面接のときと同じくドレスシャツに黒のスーツでビシッと決めている。何故僕だけがスーツでなくともいいのか、さっぱり訳が分からない。

聞けば、朝早くお客さんが来ていたらしい。社長も普段は来客時しかスーツを着ないと言っている。いつもはどんな服装なのか、オシャレ過ぎて眩いほどでは無いのか……、僕のオシャレセンスの無さに今から頭が痛くなった。

「普段はジーンズなどでも構わない。来客時は、黒のオーダースーツを着なさい」
社長はそう言うと、僕に「洋服代」と書かれた封筒を手渡してきた。僕は咄嗟にそれを返そうする。
「いやいや! 高給頂いてますし! 自分で揃えます!」
「いいんだ。ちゃんとパンツの中心に、綺麗な折り目が付いた、オーダースーツを身につけて欲しいからね」
社長はそう言うと、また封筒を僕の手に握らせた。さすがにここまでされると悪いとしか思えなかったが、折り目がきちんとしたオーダースーツがいくらするのか分からなかったのもあって、僕はお礼を言いながら封筒を受け取ることにした。

封筒を受け取ると、社長は次に僕に少し大きい箱を渡してきた。

「これは、なんですか……?」
「今日から、しばらくの間の制服だよ」
僕は訝しげに箱を受け取り、それがとっても軽かったので、中身がどんなものかと考える。社長は僕に箱を開けさせ、僕はその中身を二度見した。

それは……、どこをどう見ても、フリル付きのエプロンだった。しかも、たぶんミケが選んだに違いないピンクで、左胸には可愛らしいリボンまで付いて「けいすけ」と平仮名での名札まで付いている。箱には、エプロンを取り出すと、ピンクのリボン付き三角巾、猫柄のマスクまで入っていた。

「スーツじゃ、今日の仕事は勤まらないから……」
社長は、声を出して笑いながら僕のスーツの上着を脱がせ、皺にならないように丁寧にハンガーにかけ、言葉を続ける。

「仕事はミケと幽霊達に教わるといい」
僕は半ばヤケクソ気味でシャツの腕をまくってエプロンを着け、パンツの裾をめくり三角巾も頭に巻いた。なんとも着心地が悪く、顔は火が出そうに熱い。熱い顔をマスクで隠せば完成だ!そんな様子の僕を社長はくつくつと笑いながら見ていた。

 ……その日、最初の仕事は部屋の大掃除から始まった。

 ミケに掃除のやり方を教わりながら汗だくになりつつ、すべての部屋やトイレ、洗面所やキッチンを掃除していく。玄関と廊下、応接室、浴室以外は、嘘だと思いたいほどに汚く、何年掃除していないのか考えてしまうほど荒れ放題だった。

「ミケ……、教えるだけじゃなくて手伝ってよ……」
僕はあまりの惨状に根負けしつつ、ブツブツと文句を言った。
「ミケはにゃんこだからしないも~ん♪ 代わりにユーレイさんたちが手伝うにゃん♪」
答えが相変わらずの電波系だったので、深くツッコまずにとにかく掃除をしまくった。スライム型のスケスケ幽霊たちが、いつの間にかやってきて、雑巾やモップを使って一緒に掃除してくれていた。しかもその幽霊達は、全員僕の言葉を聞き、言うことを守って掃除してくれていた。どこを掃除すれば分からないときは、”ミューミュー”と鳴きながら、掃除場所に連れて行ってくれたりもした。

 ……汚れがある場所を我をも忘れるほどに丸一日、毎日掃除すると、1週間ほどで本来のこの家の美しさが戻ってきた。よく見ればキッチンの床が大理石だったり、埃を纏ったカーテンを洗えば、美しい西洋の花模様が浮かび上がったりする。僕はいつの間にか幽霊達と仲良くなり、掃除する場所を見つけては、ずっとこまめに埃一つ残さぬように掃除を続けた。掃除をすればするほどに家は美しくなり、どちらかと言うと家というよりも、お屋敷という名前に相応しい様相になってくる。これはこれで、貧乏な家で育った僕にとっては、結構楽しいものだった。ただ、2階はまだ手を付けていない。社長とミケの部屋がある2階には行くなと幽霊たちが言うからだった。

 そして、次の週には社長直々に、コーヒーの淹れ方を教わった。
社長が選んだ厳選のコーヒー豆をまず、ゆっくりとミルの取っ手を回しながら挽いていく。もちろんここでは電動式など以ての外だ。豆の量は多すぎても少なすぎてもいけない。ミルは、そうっとゆっくり愛情を注ぐように取っ手を回し、粉の挽き具合を音で聞き分ける。

次にペーパーフィルターに挽いた豆を移し、沸かしておいた90度前後の湯をドリップポッドを使って、中心からそっと円を描くように優しく細く注ぎ入れる。豆が蒸らされ粉が膨らんできたら湯を止め、じっくりと蒸らす。粉が膨らみ終わって平らになったら、また愛情を込めて優しく細く湯を継ぎ足す。

その日の人数分、コーヒーが抽出されたら、決してその後のコーヒーを一滴たりとも淹れてはいけない。雑味が増え、せっかく愛情いっぱいに注いだコーヒーが、急激に不味くなってしまうからだと言われた。ちなみに、ミケはコーヒーを飲まない。コーヒーの代わりに飲んでいるのは、溶けたバニラアイスクリームだ。

 ここの住人は、こだわっている箇所と、こだわっていない箇所の差が激しい。ミケは毎日、何度も鏡に向かっては化粧直しをしているし、社長はコーヒーにはうるさい。しかし、家は荒れ放題という状態だ。

 1日のサイクルは決まっており、毎日朝10時に出社してまずは、朝食を済ませて掃除。午後12時~13時は、ランチ。ランチが終わったら洗い物と掃除。午後の休憩で15時から16時半までは、ティータイム。定時は午後17時。働く時間があまりにも少ない。その日の掃除が終わってしまえば、やることがなく、お客さんが来る様子もない。毎日出社すると、すぐに掃除をこまめにしていても、あまりにも時間が余る。

とんでもなく余裕があるホワイト企業ぶりだが、本当にこれで毎月70万なのか疑問を持たずにはいられなかった。しかし、僕はもう数百万受け取っている。なにせ、あの日から僕は、正社員として毎月70万円受け取っていたのだから。今更やめるなんてことは微塵にも思わなかった。ただ、それにしても……一向にお客さんが来たり電話が鳴ったことがない日常は、僕を不安にさせた。

 社長が現れるのはだいたい午後12時で、ランチタイムになって初めて姿を見せる。僕は毎日持参している自分で作った弁当を食べながら、”この会社は機能しているんですか?”と、何度も考えては言葉を飲み込んだ。

 社長のランチは、いつも決まってゼリー状の栄養ドリンクだけ。そんなものとコーヒーだけでは、どう考えても栄養不足だろうと思い、僕はランチも作るようになった。元々貧乏だったし、自炊しながら一人暮らしをしていたので、料理することは何の苦労も無かった。逆に、僕が作った料理を社長とミケに食べてもらい、三人で食事をするのは家族を失った僕にとってはとても楽しい時間だった。

ただ少し考えるところがあるのは、社長の食があまりにも細く、一人前の三分の一程度食べればもう何も食べられなくなるということだった。なんとかして栄養を採って欲しいと考える僕は、毎日腕を奮ったが、社長はきちんと食べられないままである。

 栄養ドリンクの件だけでなく、社長は本当に謎だらけだった。そういえば、正直まだ名前を聞いていない。最初に出会ったときの印象とは裏腹に、普段は起き抜けのコーヒーを飲みながらボーッとしていることが多い。服も、僕の入社2日めからはスーツではなく、だぼっとした膝あたりまである白いロングシャツのような部屋着を着ている。なんというか……それはいわゆる彼シャツのようで、大きすぎる感じだった。ただ、銀髪に白い肌に白いシャツを着る姿は、同性の僕でさえ、ちょっと魅入ってしまうほどには美しい。

 社長は半日をぼーっと過ごしているが、僕が通うようになって半年と少し経った頃、突然立ち上がってそっと言葉を吐いた。

「……明日、来客がある」

ミケは、キャッキャと喜んで手を叩く。僕に懐いた幽霊たちも大騒ぎだ。
とりあえず僕は、お客さんが来たら何をすればいいのか、ミケに聞いた。

「ミケ……、僕はお客さんが来たら何をすれば……」
「コーヒー煎れて出すといいんだにゃん♪」
「コーヒー煎れて出すだけ?」
「あとはシャチョーが教えてくれるにゃん♪」
僕は呆気にとられて立ち尽くしたが、ミケはとても笑顔だ。
脳内が追いつかない。

どんな旅行を求めてお客さんが来るのだろう? どんなツアーを提示するんだろう? とりあえず僕は、明日来客があると心に刻み、午後のティータイムに向けてレモン風味のレアチーズケーキを作ることにした。ミケは、僕が砂糖を入れて混ぜ始めた、室温に戻したクリームチーズをじーっとすぐ側で見ている。その表情がかなり真剣だったので、僕はミケに声をかけた。

「ミケ、ケーキ作る勉強したいの?」
「違うにゃ! いい匂いだから舐めたいんにゃ!」
予想外の答えに、思わず僕はぷぷっと笑ってしまった。
「笑うとはなんだにゃん! ちゃんと我慢してたのにゃん!」
ミケは本当の年齢は分からないけど、見た目は明らかに僕よりは年下に見える。高校生ぐらいだろうか……。そんな子が、真剣に見ていた理由が舐めたいからだと聞けば、普段可愛げが無くても許せるような気持ちになった。

その後は、いつも通り三人でティータイムを過ごし、僕はキッチン周りを片付けて定時で帰路についた。

明日のお客さんはどんな人なんだろう……。家に帰った僕は、ベッドに仰向けで寝転んで、明日のことを考える。定時が早いせいなのか、最近は家でずっと次の日のランチに何を作ろうか考えている僕がいた。

「そういえば、来客の時間聞き忘れちゃったな……」

僕はひとりごちると、スマホを見て普段のランチメニュー候補をノートに並べて書く作業に入った。
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