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05.アストラルジャンプと女王シビラ
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しだいに暖かさが増し、春の訪れとともに、村の周囲の木々は新芽に彩られはじめた。
春分を迎えようという頃になると、村には活気が溢れだし、人々は本格的な畑仕事の季節の到来とばかり、忙しそうに動き出すのである。
しかし、木窓の前に頬杖をつき、心踊らぬ様子でぼんやりと外の柳を見つめていたのは、魔女見習いのミミー・シルヴァーであった。
「なんだか、憂鬱だわ」
空は晴れ渡り、新緑の香りを含んだ風が心地よく頬を撫でつける。春の訪れは、誰しもがうきうきと心踊るもののはずだったが……
「はぁ」
「にゃあ」
ため息をついたミミーの横では、パステットがあくびをするように鳴いた。
店は順調で、軟膏もよく売れる。裏庭のハーブは今ではどんどんと増えて、かぐわしい芳香を店中に匂わせている。それなりに知り合いも増えたし、友達もできた。
「なのに、なんで……」
こう憂鬱なのか。
なんとなくだが、その理由は分かっていた。ただ、そう認めたくないだけだ。
「ホームシック……なんてこと、ねえ」
パステットの肉球を指でつつきながら、ミミーはつぶやいた。
「そりゃ、久しぶりに帰りたい気もするわ。姉さんたちにも会いたいし、シーンにもわたしがこうして上手くやっていることを伝えたい。でもね……」
修行の期間中に、王国に帰ることが許されているのは一度だけだ。なにも困ったことがないのにその機会を使ってしまっては、もしものときに帰りたくても帰れなくなる。
「どうしようかなあ。もうすぐ春分だし。でもやっぱり、ビョールティナまで我慢しようかな」
これまではいつも、年に八回の大サバトの祭りには、王国の魔女たちに囲まれて賑やかに過ごしてきたのだ。それが今は一人きりで、寂しく家のなかで魔法円を見つめるだけだ。リミーが来てくれるのは嬉しいが、彼女は魔女ではない。
「はあ」
ミミーはまたため息をついた。村に来たばかりの頃は気が張っていて、なんとかここでやってゆくことだけを一心に考えていたのだが、こうして村の生活に慣れてきたからこそ、ふとした寂しさとホームシックめいた気持ちがふと出てくるのだろう。
「ああ、そうだねえ。ほら、あんたが最初にミルクをもらいに来たときなんかさ、それはそれは、なんだかもう、今にも泣きだしそうな顔をしていたよ」
ふらりと訪れたミミーにお茶を差し出しながら、ナミルは言った。
「きっと、心にゆとりが出てきたんだね。そらパステット、あんたにはミルクだよ」
「にゃあ」
パステットが嬉しそうに皿のミルクを舐める。ナミルの入れてくれたハーブのお茶を一口すすり、ミミーもほっと息をついた。
「そういうものなのかしら」
「そうさ。今のあんたの顔は、穏やかで、頬にも赤みがさしていて、とても可愛いよ」
「ありがとう」
ミミーははにかみながらナミルを見た。この家に来ると、なんだかとても落ちついた気分になれる。ハーブや軟膏を届けに、ふらりと立ち寄ると、ついいつも長居してしまうのはそのせいだ。
「まあ、いくら魔女っていっても、あんたくらいの子が一人で暮らすのは、それは大変なことさ。ときどき里心がつくのは仕方がないさね」
「ええ、でも……」
だがミミーは、その先を言うのをやめた。
(魔女はそれではダメなんです。一人でなにもかも、ちゃんとやってゆけなくては、ダメなんです)
いくら親切なナミルでも、見習い魔女としての、自分のそうした気持ちまでは理解できないだろう。たとえ友人であってもすべてを共有できることはない。魔女になるとはそういうことなのだ。
ナミルの家を出て帰る途中、通りの向こうから歩いてきたのは親友のリミーだった。
「リミー、こんにちは。最近お店に来てくれないけど、どうかしたの?」
「……」
無言で首を振ったリミーに首をかしげる。
「わたし、なにか悪いことでもしたかしら?」
「ううん。そうじゃないのよ」
リミーは浮かない顔でうつむいた。
「それじゃあ、なにか……」
「あのね……お母さんが、もうあまりミミーと遊んではダメだって」
「どうして?」
「この前の、あのキャンドルマスのことを話したら、すごく怒られて……そんな魔女みたいなことを一緒になってやってはだめだって」
「そんな……」
ミミーは驚いて言葉を失った。自分とってはごく当たり前の、そして大切な儀式であったのに。そんな風に思われてしまうなんて。
「ごめんね、ミミー」
「……」
リミーの去ってゆく通りの先を見つめながら、こみ上げてくるゆるやかなショックに、しばらく声が出なかった。足元に絡みつくパステットにも気づかず、ミミーはその場に立ちすくんでいた。
家に戻っても、なんともいえない寂しさが抜けていかない。もうリミーは来てくれないのだろうか。やはり、魔女には普通の友達は無理なのだろうか。
(こんなに、寂しくなるなんて。ダメだ。わたしは、ダメだ)
もっと強くなりたい。強くならなくては。ミミーはそう思った。
春分の日の夜、ミミーは魔法の軟膏を体に塗った。出発のときにシーンからもらった軟膏だ。
膝を立てて横たわると、眠りが来るまでの間、心の中で呪文を唱えつづける。
(上手くいくかしら……)
アストラルジャンプは、簡単にいうと眠りに落ちる瞬間に、意識だけが幽体のように実体から抜け出してゆくことである。肉体から離れた精神的存在となることで、アストラル界を移動し、遠く離れた場所にまで一瞬で行けるのだ。
シーンの軟膏の効力は確かだった。これまでは、ほんの数回くらいしか成功したことはなかったのだが……眠りに落ちる直前、かすかな肌の震えとともに自分の体からするりとなにかが脱出するような、そんな奇妙な感覚を、ミミーは今、確かに感じていた。
自分が眠った。と同時に、別の意識が目覚めた。
そして気づくと、ミミーは天井のあたりに漂い、横になった自分を見下ろしていた。
(わお。面白ーい)
自分で自分を見下ろしている。それは、なんとも不思議な感じだった。毛布にくるまったパステットがなにかの気配に気づいたのか、ぴくりとその耳を動かした。
(ごめんね、パステット。わたし行ってくる)
意識のみの存在となったミミーは、自分の体にしばしの別れを告げた。
心の中で「帰りたい」と念じると、宙に浮かんだミミーの意識体は、屋根を突き抜けて空高く舞い上がった。
周りには星の輝く夜空になった。しかし風の冷たさも、夜の暗さも感じない。
ミミーの体はそのままぐんぐんと上昇し、空を滑るようにして飛びはじめた。
(なんて速いのかしら。ほうきもなしでこんな風に飛んだのは初めてだわ)
自分の体にはなんの感覚もないことが少し怖いのだが、しだいに慣れてくると、飛ぶのが愉快になってきた。
(ようし)
頭で「速く」と念じると、さらに飛行のスピードが増し、自分の後方に星空が流れてゆく。あっという間に森を越え、山に囲まれた王国が見えた。
(ああ、帰ってきた!)
まだ王国を出てきてからほんの数カ月しかたっていなかったが、ミミーの心にはたまらなくなつかしさがこみ上げてくる。
(きれいだわ。空から見ても)
上空から見下ろすと、まるで五芒の形を描くように、きらきらと輝くたくさんの光が見える。魔女の王国では、ちょうど春分の祭り、オルバン・エイリャーの最中なのだ。
(たくさんのろうそくを灯し、花を摘んで冠にして、春の女王を決めるんだわ。今年は誰が女王になったのかしら)
五芒の輝きに吸いよせられるようにして、ミミーの体は地上へ降りていった。
アストラル体といえども、結界の張られた王国の中央から舞い降りることはできない。ミミーは外来者としての作法通り、出発したときの北西の塔から降りることにした。
(なんだか不思議ね。ほうきににも乗らずに、こうして飛んで帰って来られるなんて)
実際には、本当の体が飛んでいるわけではないので、こうしている自分はむしろ幻に近い存在なのだが。なんにしても、意識があるままで、まるで夢の中の飛翔のような感覚で飛べるというのはすごいことだ。
(夢、ともまた違うのよね。なんて不思議なのかしらアストラル界って)
そう思いながらミミーは北西の塔に入った。ためしにひょいと塔の壁をすり抜けてみると、簡単に壁を通り抜けられた。
(わっ、面白い!)
これなら家の壁や屋根などもすり抜けられそうだ。ミミーはわくわくとしながら、王国内を飛んでいった。
魔女たちの住む家々の扉には、黄色い花で飾られた「太陽の火の輪」がかけられ、誰もがやって来た春を祝っている。家々を見ながら飛んでゆくと、よく見知った形の屋根が見えてきた。なつかしい、シルヴァーのカブンだ。
(久しぶりだなあ。誰かいるかしら)
ミミーはひょいと壁を通り抜けて家の中に入った。すると、台所でのんびりとお茶を飲んでいる二人の姿を見つけた。
(あら、ヘレン婆とイバネスね)
ふわふわと天井に浮かぶミミーの姿は二人には見えない。ただ、なにかの気配は感じるらしく、二人はお茶を飲みながら、なんとなくそわそわした様子で辺りを見回している。
(二人の他にはいないみたい。そうか、きっとみんなお祭りで外に出ているのね)
ミミーは気づかない二人に手を振ると、また屋根をすり抜けて外へと出た。
王国の中央にそびえるシビラの塔。その周囲の森が、サバトやエスバットなどの儀式の場になるのだ。ミミーはそちらに向かって飛んだ。
(あっ、いるわ)
塔を囲む森の辺りにたくさんの灯が見えた。王国の魔女たちが集まっているようだ。
(あっ、ケイトがいる。それにトルカにカンパスも)
その中にカブンの仲間たちを見つけると、ミミーはふわりとそちらに近づいていった。
もうサバトの儀式は済んだのだろう、魔女たちは楽しげな様子で手をつなぎ、互いに摘んできた花を頭に乗せて、歌いながら春分の祭りを祝っている。アストラル界では音は聞こえないのだが、その様子からいかにも楽しげな歌声が聞こえてくるようだ。カブンの妹であるトルカとまだ小さなカンパスは、はしゃぎながら木々の間を走り回っている。
ミミーは、ふわふわと上空に浮かび、久しぶりに見る仲間たちの姿を眺めていた。近づいていって声をかけたかったが、意識体であるミミーに気づくものはいないだろう。なんとなく寂しさも感じるが、それでもこうして戻ってきて王国の変わらぬ様子を眺めていると、よほど気分がやわらいできた。
(この次に帰るときは……そうね、ビョールティナかオルバン・ヘフンになるかしら、そのときは、わたしもこの森でまた花を摘むんだ。サンザシとリンボクで冠を編んで、森の木の実を探したり、ウサギを追いかけたりするんだ)
森にいる魔女たちが、なにかに注目する様子で一斉に顔を上げた。
太陽を示す黄金の飾りを縫い込んだ礼服に身を包んだ女司祭役の魔女が、仰々しい仕種でなにごとかを告げた。サクラソウとラッパスイセンの花束が一人の魔女に渡された。
それを受けたのは、ミミーの姉のケイト・シルヴァーだった。
(ああ、ケイトが今年の春の女王なのね!)
春の女王に選ばれたものは、次の祭りまでの一年の間、若い魔女たちの憧れの的になる。それは誰しもが認める美しき魔女の象徴なのだった。
(すてきだわ。とっても綺麗……ケイト姉)
花の王冠をかぶって嬉しそうに顔を輝かせる姉の姿を、ミミーは空中から見つめていた。
(いいなあ……わたしもいつか選ばれたいわ。ああ、でもきっとわたしなんかより、エルフィルなんかの方がふさわしいでしょうね)
オルバン・エイリャーの祭りもクライマックスを迎え、魔女たちの踊りがにぎやかに始まろうとしていた。
それを見つめながらぼんやりとしていると、「ミミー」と、どこかで声が聞こえた。
(だ、誰?)
ひどくはっきりした声が頭の中に響き、ミミーは驚いて辺りを見回した。
(ミミー、こっちよ)
空中に現れのは、なにか白っぽいもやのようなものだった。それはミミーと同じくアストラル体に違いない。
(シーン……シーンなの?)
(ええ、そうよ)
声が返ってきた。実際にはそれは、波動のような精神の声であるが、ミミーには確かにシーンの声が聞こえる気がした。
白いもやの中に、しだいにはっきりと彼女の顔が現れ、ミミーに微笑みかけた。
(アストラルジャンプで来たのね。おかえりなさいミミー)
(ええ、ありがとう、シーン。あの軟膏はすばらしく効くわ。わたしでもこうして飛んでこられるんだから)
(ふふ、私の特製の軟膏ですからね。あなたが飛んでくる気配はすぐわかったのよ)
(そうだったの)
二人はふわふわと、空中に浮かぶシャボン玉のように辺りを漂いながら、意識体同志の不思議な感覚で会話を交わしていた。
(村では上手くやっている?)
(ええ、なんとか)
ミミーは心の中でうなずいた。
(はじめはいろいろと大変だったり、不安だったり、悲しいこともあったけど、今はもう……うん、大丈夫)
(そう、よかったわ)
シーンのやわらかな波動が意識を通して伝わってくる。カブンの姉といるよりも、ずっと大きな安堵感がミミーを包み込んだ。もしアストラル体でなかったら、このままシーンに飛びついてしまいたいくらいだった。
(ありがとうシーン。軟膏も銀のペンタクルも、それに、今まで教えてくれたたくさんのことも。どれも私には本当に役立ったわ。もしもこうやって戻れなかったら、きっとほうきで飛んで帰ってきてしまって、見習い修行が失格になったかもしれないもの)
ありったけの感謝の思いを、ミミーは心の言葉に込めた。
(こんな……わたしなんかにとても親切にしてくれて、もったいないくらいだわ)
(いいえ、ミミー。あなたが立派な魔女になるのは、私も嬉しいことだから)
シーンの心の声は穏やかで、そして優しかった。
(これからも、そしてずっと……応援しているわ)
(ほんとうにありがとう、シーン)
(さあ、ミミー。軟膏の効果は一晩も持たないから、もうあまり時間がないわ)
空中でゆらりとシーンが手招いた。
(こっちへいらっしゃい)
ふわふわと漂うように飛んでゆくシーンの意識体に、ミミーもついてゆく。
二人はシビラの塔に近づいていた。王国の中央にそびえる女王の塔は、現実界で見るときよりもいっそう光り輝いている。
(アストラル界では、より大きな魔力と意識体を持つ存在は、より強く光るのよ)
(ふうん。そういえばシーンの体もなんだか白く光っているみたい)
ミミーはまだシビラの塔に入ったことはない。それも当然だ。この塔に入ることができるのは、王国の魔女の中でも、大司祭を勤められるくらいの立場の者だけなのだ。
(ああ、シーン……私なんだか、どきどきするわ)
ミミーはさっきから胸の高鳴るような感覚を覚えていた。実体ではないのだから、どきどきするというのもおかしな話であったが,塔に近づくにつれてその感じが強まってゆく。
(大丈夫。アストラル体だからどこへでもゆけるわ。塔の結界も、私がいれば平気だからね。さあ、しっかりと意識して。ときがたつにつれて、アストラル体の存在力は薄くなるわ。今そうして飛んでいるあなた自身を、もっと強く意識するの)
シーンの体がふわりと高く飛び上がった。ミミーも急いでその後を追う。
塔の壁ぞいを上昇し、そのてっぺん近くにまでくると、シーンは両手を前に突き出すような格好で、そのまま塔の壁に向かっていった。シビラの塔には窓というものがない。精巧に作られた白い石壁は、まるできらきらと輝く水晶のように見える。
(付いてきて、ミミー)
シーンは壁に両手を触れると、そのまま吸い込まれるように中へ入ってゆく。
(待って、シーン)
ミミーも同じように両手を突き出し、壁に向かって思い切って飛び込んだ。するりと、何かやわらかなものを突き抜ける感触があった。まるで大きなプディングかなにかに、頭から突っ込んだような気分だ。
(……)
おそるおそる目を開けると、そこは光の世界だった。
目もくらむような白と銀の光が、きらきらと辺りに反射している。
(わあ……)
目が慣れてくると、どうやら光っているのは周囲の壁や天井のようで、それ自体が銀か白亜でできているのか、ぴかぴかとした光沢をはなっていた。
(大丈夫?ミミー、こっちよ)
回廊の先にシーンが立っているのが見えた。
(シーン。ここは……)
(もちろん、塔の中よ)
くすりと笑ってシーンが言った。シーンの体は、さっきまでの白いもやもやとしたものではなく、実際の体がそこにいるように、はっきりとして見えていた。
(こっちよ。いらっしゃいミミー)
(は、はい)
ミミーはシーンの後について歩きだした。驚いたことに、この場所は意識体であっても足が床につき、普通に歩けるのだ。飛んでいたときのふわふわした感覚はない。自分がアストラル体であることを忘れてしまいそうだ。
シーンとともに白と銀に輝く回廊を歩いてゆく。奥へ進むにつれて、しだいに辺りの白い輝きが強くなってくるようだ。ミミーは思わずまぶしさに目をそばめた。
(さあ、着いたわ)
シーンの声には、これまでと違いどこか厳かな響きがあった。
白い壁と天井の続く回廊の先に、不思議なものが浮かんでいた。
(五芒星が、浮かんでいる……)
それは、大きなペンタクルだった。まるで、青白い炎が空中で星の形に燃えているようにも見える。その五芒の真ん中がゆらゆらと揺らめいた。金や銀、青や緑色が混ざり合い、あたかも輝く水面でもあるかのように、それは激しく揺らめきはじめた。
その不思議な色彩の渦の中になにかの形が現れはじめ、それは誰かの顔のようになった。
(アストラル体での接見、どうかご無礼をお許しください)
シーンがその場にひざまずく。
「かまいません」
はっきりとした声が聞こえた。意識体の心の声ではなく、ちゃんと辺りに響く声が。
(ミミー、女王陛下です)
(あ……)
呆然としていたミミーは、シーンにうながされて、慌ててひざまずいた。
「いいのですよ、そのままで。シーン・ゴールド、そしてミミー・シルヴァー」
炎の五芒星の中に、白く美しい顔が現れた。まぎれもない女王シビラの顔だ。
「よく戻りました。ミミー、魔女見習いとしての修行は順調ですか?」
(は、はいっ)
女王からじかに呼びかけられて、ミミーは緊張に体を直立させた。
「そう。よろしいことね。それでは引き続き修行にはげみなさい。今年のソーウィンにはまた会えるでしょう」
(はい。が、頑張ります!)
意識体なので大声を上げても仕方なかったのだが、ミミーは心の声で大きく答えた。
「ほ、ほ、元気がいいようね」
五芒星の光がやわらかくくるめいた。それはまるで女王の笑いのようだった。
「さあ、もっとこちらに、ミミー。こちらに来て」
(は、はい)
よろめくように、ミミーは空中に燃える五芒星に近づいた。炎の中に揺らめく女王の顔がはっきりと見えた。
「アストラル体になっても、姿が変わらないのはね、あなたの意識体が綺麗だからよ。ミミー・シルヴァー」
女王シビラの声が、まるですぐ耳元で聞こえるようだ。ミミーはくらくらと目まいがするような気分だった。
(ミミー、意識をちゃんと保たないと)
シーンの注意が少し遠くなったところで聞こえる。
(あ……)
ふわりと、体が浮かぶような感じがした。
「もうすぐ目覚めてしまうようね、ミミー。アストラル体でいられる時間は長くはないのです」
女王の言葉に、もう自分の意識で返事をすることができなかった。体が揺れるように、いうことをきかないのだ。
「ではミミー・シルヴァー。これだけは覚えておくのよ……」
しだいに五芒星が遠くなる。女王の声も……
ミミーは耳を澄ませようと、なんとか感覚を集中させた。
女王の最後の言葉が、かすかな震えとともに頭に響いてきた。
「魔女になるということは、大地とともに生きるということ。太陽を迎え、月に祈り、樫の王と柊の王を見送り、移りゆく季節の中で自然とともにあるということよ」
(移りゆく季節の中で……大地とともに生きる)
気を失いかける直前のような、薄れゆく意識の中で、ミミーはその言葉を胸におさめた。
「そして……人々の中にあって、彼らの心に溶け込み、その生活の喜びと辛苦を理解し、それでもなお自らは孤独であること」
(ああ、体が……)
「それが魔女であるということなのよ……」
そこで女王の言葉がとぎれた。
目の前の白と銀の光も消えた。シーンもいない。
ここはもう塔の中ではなかった。
(ああ、体が溶ける……)
自分の意識そのものが、まるで氷のように溶けはじめ、消えてゆくような感覚……
(消える……、わたしが消えてしまう)
だが、しだいに恐怖も消え、感覚というもの、思考の断片すらも消えてゆき……
そして、すべてが消えた。
「……」
気づくと、ミミーは自分が寝ていることを知った。はじめ、自分が死んでしまったのかというような恐怖を覚えた。
だが、すぐに体は動いた。
「こ、ここは……」
辺りは暗かった。
すぐ近くで生き物の気配がした。おそるおそる手を伸ばすと、やわらかな毛並みに触れた。温かな体がゆったりと寝息を立てている。
「パステット……」
ここが村の自分の家であることを知り、ミミーはほっと息をついた。それでは、アストラル体の自分が、自分の体に戻ってきたのだ。
「夢、じゃないわよね」
そう。確かに自分は王国へ飛んだ。春分の祭りでケイトが春の女王になったのを見たし、シーンに会い、女王の塔へ入り、そして……
「ああ、シビラ女王と……」
意識体としてであったが、憧れの女王と言葉を交わした。そして「ミミー」と、自分の名を呼んでもらったのだ。
「ああ……夢みたいだわ!」
ミミーは体を起こして手で頬に触れてみた。この体から離れている間に、まるで新しく自分が生まれ変わっているような、そんな妙な気分だった。
「人々の中で、その生活の喜びと辛苦を理解して、なお孤独であること……」
あのとき、最後に聞こえた女王の言葉を、思い出すように口にしてみる。
「それが、魔女……それがわたし」
夜明けの陽光が木窓から差し込んできた。
「不思議な、とっても不思議な気分だわ……」
パステットを起こさぬように、ミミーは静かに起き上がり、家の外へ出た。
「まぶしい……」
暁の光を体に浴びていると、自分の体がまた自分のものになってゆくという、確かな感覚があった。実体のない意識体となったときの、ふわふわとした自由な気分よりも、土に足を付けているこの自分の方がずっと好きだ。ミミーは、そう感じていた。
少しずつ、心と体に力が湧いてくる。少しずつ。
「頑張ろう。わたし」
ミミーは大きく息を吸い込み、そしてはいた。
ここが自分の暮らす場所なのだと、耳元でそよぐ風がそう囁いた気がした。
春分を迎えようという頃になると、村には活気が溢れだし、人々は本格的な畑仕事の季節の到来とばかり、忙しそうに動き出すのである。
しかし、木窓の前に頬杖をつき、心踊らぬ様子でぼんやりと外の柳を見つめていたのは、魔女見習いのミミー・シルヴァーであった。
「なんだか、憂鬱だわ」
空は晴れ渡り、新緑の香りを含んだ風が心地よく頬を撫でつける。春の訪れは、誰しもがうきうきと心踊るもののはずだったが……
「はぁ」
「にゃあ」
ため息をついたミミーの横では、パステットがあくびをするように鳴いた。
店は順調で、軟膏もよく売れる。裏庭のハーブは今ではどんどんと増えて、かぐわしい芳香を店中に匂わせている。それなりに知り合いも増えたし、友達もできた。
「なのに、なんで……」
こう憂鬱なのか。
なんとなくだが、その理由は分かっていた。ただ、そう認めたくないだけだ。
「ホームシック……なんてこと、ねえ」
パステットの肉球を指でつつきながら、ミミーはつぶやいた。
「そりゃ、久しぶりに帰りたい気もするわ。姉さんたちにも会いたいし、シーンにもわたしがこうして上手くやっていることを伝えたい。でもね……」
修行の期間中に、王国に帰ることが許されているのは一度だけだ。なにも困ったことがないのにその機会を使ってしまっては、もしものときに帰りたくても帰れなくなる。
「どうしようかなあ。もうすぐ春分だし。でもやっぱり、ビョールティナまで我慢しようかな」
これまではいつも、年に八回の大サバトの祭りには、王国の魔女たちに囲まれて賑やかに過ごしてきたのだ。それが今は一人きりで、寂しく家のなかで魔法円を見つめるだけだ。リミーが来てくれるのは嬉しいが、彼女は魔女ではない。
「はあ」
ミミーはまたため息をついた。村に来たばかりの頃は気が張っていて、なんとかここでやってゆくことだけを一心に考えていたのだが、こうして村の生活に慣れてきたからこそ、ふとした寂しさとホームシックめいた気持ちがふと出てくるのだろう。
「ああ、そうだねえ。ほら、あんたが最初にミルクをもらいに来たときなんかさ、それはそれは、なんだかもう、今にも泣きだしそうな顔をしていたよ」
ふらりと訪れたミミーにお茶を差し出しながら、ナミルは言った。
「きっと、心にゆとりが出てきたんだね。そらパステット、あんたにはミルクだよ」
「にゃあ」
パステットが嬉しそうに皿のミルクを舐める。ナミルの入れてくれたハーブのお茶を一口すすり、ミミーもほっと息をついた。
「そういうものなのかしら」
「そうさ。今のあんたの顔は、穏やかで、頬にも赤みがさしていて、とても可愛いよ」
「ありがとう」
ミミーははにかみながらナミルを見た。この家に来ると、なんだかとても落ちついた気分になれる。ハーブや軟膏を届けに、ふらりと立ち寄ると、ついいつも長居してしまうのはそのせいだ。
「まあ、いくら魔女っていっても、あんたくらいの子が一人で暮らすのは、それは大変なことさ。ときどき里心がつくのは仕方がないさね」
「ええ、でも……」
だがミミーは、その先を言うのをやめた。
(魔女はそれではダメなんです。一人でなにもかも、ちゃんとやってゆけなくては、ダメなんです)
いくら親切なナミルでも、見習い魔女としての、自分のそうした気持ちまでは理解できないだろう。たとえ友人であってもすべてを共有できることはない。魔女になるとはそういうことなのだ。
ナミルの家を出て帰る途中、通りの向こうから歩いてきたのは親友のリミーだった。
「リミー、こんにちは。最近お店に来てくれないけど、どうかしたの?」
「……」
無言で首を振ったリミーに首をかしげる。
「わたし、なにか悪いことでもしたかしら?」
「ううん。そうじゃないのよ」
リミーは浮かない顔でうつむいた。
「それじゃあ、なにか……」
「あのね……お母さんが、もうあまりミミーと遊んではダメだって」
「どうして?」
「この前の、あのキャンドルマスのことを話したら、すごく怒られて……そんな魔女みたいなことを一緒になってやってはだめだって」
「そんな……」
ミミーは驚いて言葉を失った。自分とってはごく当たり前の、そして大切な儀式であったのに。そんな風に思われてしまうなんて。
「ごめんね、ミミー」
「……」
リミーの去ってゆく通りの先を見つめながら、こみ上げてくるゆるやかなショックに、しばらく声が出なかった。足元に絡みつくパステットにも気づかず、ミミーはその場に立ちすくんでいた。
家に戻っても、なんともいえない寂しさが抜けていかない。もうリミーは来てくれないのだろうか。やはり、魔女には普通の友達は無理なのだろうか。
(こんなに、寂しくなるなんて。ダメだ。わたしは、ダメだ)
もっと強くなりたい。強くならなくては。ミミーはそう思った。
春分の日の夜、ミミーは魔法の軟膏を体に塗った。出発のときにシーンからもらった軟膏だ。
膝を立てて横たわると、眠りが来るまでの間、心の中で呪文を唱えつづける。
(上手くいくかしら……)
アストラルジャンプは、簡単にいうと眠りに落ちる瞬間に、意識だけが幽体のように実体から抜け出してゆくことである。肉体から離れた精神的存在となることで、アストラル界を移動し、遠く離れた場所にまで一瞬で行けるのだ。
シーンの軟膏の効力は確かだった。これまでは、ほんの数回くらいしか成功したことはなかったのだが……眠りに落ちる直前、かすかな肌の震えとともに自分の体からするりとなにかが脱出するような、そんな奇妙な感覚を、ミミーは今、確かに感じていた。
自分が眠った。と同時に、別の意識が目覚めた。
そして気づくと、ミミーは天井のあたりに漂い、横になった自分を見下ろしていた。
(わお。面白ーい)
自分で自分を見下ろしている。それは、なんとも不思議な感じだった。毛布にくるまったパステットがなにかの気配に気づいたのか、ぴくりとその耳を動かした。
(ごめんね、パステット。わたし行ってくる)
意識のみの存在となったミミーは、自分の体にしばしの別れを告げた。
心の中で「帰りたい」と念じると、宙に浮かんだミミーの意識体は、屋根を突き抜けて空高く舞い上がった。
周りには星の輝く夜空になった。しかし風の冷たさも、夜の暗さも感じない。
ミミーの体はそのままぐんぐんと上昇し、空を滑るようにして飛びはじめた。
(なんて速いのかしら。ほうきもなしでこんな風に飛んだのは初めてだわ)
自分の体にはなんの感覚もないことが少し怖いのだが、しだいに慣れてくると、飛ぶのが愉快になってきた。
(ようし)
頭で「速く」と念じると、さらに飛行のスピードが増し、自分の後方に星空が流れてゆく。あっという間に森を越え、山に囲まれた王国が見えた。
(ああ、帰ってきた!)
まだ王国を出てきてからほんの数カ月しかたっていなかったが、ミミーの心にはたまらなくなつかしさがこみ上げてくる。
(きれいだわ。空から見ても)
上空から見下ろすと、まるで五芒の形を描くように、きらきらと輝くたくさんの光が見える。魔女の王国では、ちょうど春分の祭り、オルバン・エイリャーの最中なのだ。
(たくさんのろうそくを灯し、花を摘んで冠にして、春の女王を決めるんだわ。今年は誰が女王になったのかしら)
五芒の輝きに吸いよせられるようにして、ミミーの体は地上へ降りていった。
アストラル体といえども、結界の張られた王国の中央から舞い降りることはできない。ミミーは外来者としての作法通り、出発したときの北西の塔から降りることにした。
(なんだか不思議ね。ほうきににも乗らずに、こうして飛んで帰って来られるなんて)
実際には、本当の体が飛んでいるわけではないので、こうしている自分はむしろ幻に近い存在なのだが。なんにしても、意識があるままで、まるで夢の中の飛翔のような感覚で飛べるというのはすごいことだ。
(夢、ともまた違うのよね。なんて不思議なのかしらアストラル界って)
そう思いながらミミーは北西の塔に入った。ためしにひょいと塔の壁をすり抜けてみると、簡単に壁を通り抜けられた。
(わっ、面白い!)
これなら家の壁や屋根などもすり抜けられそうだ。ミミーはわくわくとしながら、王国内を飛んでいった。
魔女たちの住む家々の扉には、黄色い花で飾られた「太陽の火の輪」がかけられ、誰もがやって来た春を祝っている。家々を見ながら飛んでゆくと、よく見知った形の屋根が見えてきた。なつかしい、シルヴァーのカブンだ。
(久しぶりだなあ。誰かいるかしら)
ミミーはひょいと壁を通り抜けて家の中に入った。すると、台所でのんびりとお茶を飲んでいる二人の姿を見つけた。
(あら、ヘレン婆とイバネスね)
ふわふわと天井に浮かぶミミーの姿は二人には見えない。ただ、なにかの気配は感じるらしく、二人はお茶を飲みながら、なんとなくそわそわした様子で辺りを見回している。
(二人の他にはいないみたい。そうか、きっとみんなお祭りで外に出ているのね)
ミミーは気づかない二人に手を振ると、また屋根をすり抜けて外へと出た。
王国の中央にそびえるシビラの塔。その周囲の森が、サバトやエスバットなどの儀式の場になるのだ。ミミーはそちらに向かって飛んだ。
(あっ、いるわ)
塔を囲む森の辺りにたくさんの灯が見えた。王国の魔女たちが集まっているようだ。
(あっ、ケイトがいる。それにトルカにカンパスも)
その中にカブンの仲間たちを見つけると、ミミーはふわりとそちらに近づいていった。
もうサバトの儀式は済んだのだろう、魔女たちは楽しげな様子で手をつなぎ、互いに摘んできた花を頭に乗せて、歌いながら春分の祭りを祝っている。アストラル界では音は聞こえないのだが、その様子からいかにも楽しげな歌声が聞こえてくるようだ。カブンの妹であるトルカとまだ小さなカンパスは、はしゃぎながら木々の間を走り回っている。
ミミーは、ふわふわと上空に浮かび、久しぶりに見る仲間たちの姿を眺めていた。近づいていって声をかけたかったが、意識体であるミミーに気づくものはいないだろう。なんとなく寂しさも感じるが、それでもこうして戻ってきて王国の変わらぬ様子を眺めていると、よほど気分がやわらいできた。
(この次に帰るときは……そうね、ビョールティナかオルバン・ヘフンになるかしら、そのときは、わたしもこの森でまた花を摘むんだ。サンザシとリンボクで冠を編んで、森の木の実を探したり、ウサギを追いかけたりするんだ)
森にいる魔女たちが、なにかに注目する様子で一斉に顔を上げた。
太陽を示す黄金の飾りを縫い込んだ礼服に身を包んだ女司祭役の魔女が、仰々しい仕種でなにごとかを告げた。サクラソウとラッパスイセンの花束が一人の魔女に渡された。
それを受けたのは、ミミーの姉のケイト・シルヴァーだった。
(ああ、ケイトが今年の春の女王なのね!)
春の女王に選ばれたものは、次の祭りまでの一年の間、若い魔女たちの憧れの的になる。それは誰しもが認める美しき魔女の象徴なのだった。
(すてきだわ。とっても綺麗……ケイト姉)
花の王冠をかぶって嬉しそうに顔を輝かせる姉の姿を、ミミーは空中から見つめていた。
(いいなあ……わたしもいつか選ばれたいわ。ああ、でもきっとわたしなんかより、エルフィルなんかの方がふさわしいでしょうね)
オルバン・エイリャーの祭りもクライマックスを迎え、魔女たちの踊りがにぎやかに始まろうとしていた。
それを見つめながらぼんやりとしていると、「ミミー」と、どこかで声が聞こえた。
(だ、誰?)
ひどくはっきりした声が頭の中に響き、ミミーは驚いて辺りを見回した。
(ミミー、こっちよ)
空中に現れのは、なにか白っぽいもやのようなものだった。それはミミーと同じくアストラル体に違いない。
(シーン……シーンなの?)
(ええ、そうよ)
声が返ってきた。実際にはそれは、波動のような精神の声であるが、ミミーには確かにシーンの声が聞こえる気がした。
白いもやの中に、しだいにはっきりと彼女の顔が現れ、ミミーに微笑みかけた。
(アストラルジャンプで来たのね。おかえりなさいミミー)
(ええ、ありがとう、シーン。あの軟膏はすばらしく効くわ。わたしでもこうして飛んでこられるんだから)
(ふふ、私の特製の軟膏ですからね。あなたが飛んでくる気配はすぐわかったのよ)
(そうだったの)
二人はふわふわと、空中に浮かぶシャボン玉のように辺りを漂いながら、意識体同志の不思議な感覚で会話を交わしていた。
(村では上手くやっている?)
(ええ、なんとか)
ミミーは心の中でうなずいた。
(はじめはいろいろと大変だったり、不安だったり、悲しいこともあったけど、今はもう……うん、大丈夫)
(そう、よかったわ)
シーンのやわらかな波動が意識を通して伝わってくる。カブンの姉といるよりも、ずっと大きな安堵感がミミーを包み込んだ。もしアストラル体でなかったら、このままシーンに飛びついてしまいたいくらいだった。
(ありがとうシーン。軟膏も銀のペンタクルも、それに、今まで教えてくれたたくさんのことも。どれも私には本当に役立ったわ。もしもこうやって戻れなかったら、きっとほうきで飛んで帰ってきてしまって、見習い修行が失格になったかもしれないもの)
ありったけの感謝の思いを、ミミーは心の言葉に込めた。
(こんな……わたしなんかにとても親切にしてくれて、もったいないくらいだわ)
(いいえ、ミミー。あなたが立派な魔女になるのは、私も嬉しいことだから)
シーンの心の声は穏やかで、そして優しかった。
(これからも、そしてずっと……応援しているわ)
(ほんとうにありがとう、シーン)
(さあ、ミミー。軟膏の効果は一晩も持たないから、もうあまり時間がないわ)
空中でゆらりとシーンが手招いた。
(こっちへいらっしゃい)
ふわふわと漂うように飛んでゆくシーンの意識体に、ミミーもついてゆく。
二人はシビラの塔に近づいていた。王国の中央にそびえる女王の塔は、現実界で見るときよりもいっそう光り輝いている。
(アストラル界では、より大きな魔力と意識体を持つ存在は、より強く光るのよ)
(ふうん。そういえばシーンの体もなんだか白く光っているみたい)
ミミーはまだシビラの塔に入ったことはない。それも当然だ。この塔に入ることができるのは、王国の魔女の中でも、大司祭を勤められるくらいの立場の者だけなのだ。
(ああ、シーン……私なんだか、どきどきするわ)
ミミーはさっきから胸の高鳴るような感覚を覚えていた。実体ではないのだから、どきどきするというのもおかしな話であったが,塔に近づくにつれてその感じが強まってゆく。
(大丈夫。アストラル体だからどこへでもゆけるわ。塔の結界も、私がいれば平気だからね。さあ、しっかりと意識して。ときがたつにつれて、アストラル体の存在力は薄くなるわ。今そうして飛んでいるあなた自身を、もっと強く意識するの)
シーンの体がふわりと高く飛び上がった。ミミーも急いでその後を追う。
塔の壁ぞいを上昇し、そのてっぺん近くにまでくると、シーンは両手を前に突き出すような格好で、そのまま塔の壁に向かっていった。シビラの塔には窓というものがない。精巧に作られた白い石壁は、まるできらきらと輝く水晶のように見える。
(付いてきて、ミミー)
シーンは壁に両手を触れると、そのまま吸い込まれるように中へ入ってゆく。
(待って、シーン)
ミミーも同じように両手を突き出し、壁に向かって思い切って飛び込んだ。するりと、何かやわらかなものを突き抜ける感触があった。まるで大きなプディングかなにかに、頭から突っ込んだような気分だ。
(……)
おそるおそる目を開けると、そこは光の世界だった。
目もくらむような白と銀の光が、きらきらと辺りに反射している。
(わあ……)
目が慣れてくると、どうやら光っているのは周囲の壁や天井のようで、それ自体が銀か白亜でできているのか、ぴかぴかとした光沢をはなっていた。
(大丈夫?ミミー、こっちよ)
回廊の先にシーンが立っているのが見えた。
(シーン。ここは……)
(もちろん、塔の中よ)
くすりと笑ってシーンが言った。シーンの体は、さっきまでの白いもやもやとしたものではなく、実際の体がそこにいるように、はっきりとして見えていた。
(こっちよ。いらっしゃいミミー)
(は、はい)
ミミーはシーンの後について歩きだした。驚いたことに、この場所は意識体であっても足が床につき、普通に歩けるのだ。飛んでいたときのふわふわした感覚はない。自分がアストラル体であることを忘れてしまいそうだ。
シーンとともに白と銀に輝く回廊を歩いてゆく。奥へ進むにつれて、しだいに辺りの白い輝きが強くなってくるようだ。ミミーは思わずまぶしさに目をそばめた。
(さあ、着いたわ)
シーンの声には、これまでと違いどこか厳かな響きがあった。
白い壁と天井の続く回廊の先に、不思議なものが浮かんでいた。
(五芒星が、浮かんでいる……)
それは、大きなペンタクルだった。まるで、青白い炎が空中で星の形に燃えているようにも見える。その五芒の真ん中がゆらゆらと揺らめいた。金や銀、青や緑色が混ざり合い、あたかも輝く水面でもあるかのように、それは激しく揺らめきはじめた。
その不思議な色彩の渦の中になにかの形が現れはじめ、それは誰かの顔のようになった。
(アストラル体での接見、どうかご無礼をお許しください)
シーンがその場にひざまずく。
「かまいません」
はっきりとした声が聞こえた。意識体の心の声ではなく、ちゃんと辺りに響く声が。
(ミミー、女王陛下です)
(あ……)
呆然としていたミミーは、シーンにうながされて、慌ててひざまずいた。
「いいのですよ、そのままで。シーン・ゴールド、そしてミミー・シルヴァー」
炎の五芒星の中に、白く美しい顔が現れた。まぎれもない女王シビラの顔だ。
「よく戻りました。ミミー、魔女見習いとしての修行は順調ですか?」
(は、はいっ)
女王からじかに呼びかけられて、ミミーは緊張に体を直立させた。
「そう。よろしいことね。それでは引き続き修行にはげみなさい。今年のソーウィンにはまた会えるでしょう」
(はい。が、頑張ります!)
意識体なので大声を上げても仕方なかったのだが、ミミーは心の声で大きく答えた。
「ほ、ほ、元気がいいようね」
五芒星の光がやわらかくくるめいた。それはまるで女王の笑いのようだった。
「さあ、もっとこちらに、ミミー。こちらに来て」
(は、はい)
よろめくように、ミミーは空中に燃える五芒星に近づいた。炎の中に揺らめく女王の顔がはっきりと見えた。
「アストラル体になっても、姿が変わらないのはね、あなたの意識体が綺麗だからよ。ミミー・シルヴァー」
女王シビラの声が、まるですぐ耳元で聞こえるようだ。ミミーはくらくらと目まいがするような気分だった。
(ミミー、意識をちゃんと保たないと)
シーンの注意が少し遠くなったところで聞こえる。
(あ……)
ふわりと、体が浮かぶような感じがした。
「もうすぐ目覚めてしまうようね、ミミー。アストラル体でいられる時間は長くはないのです」
女王の言葉に、もう自分の意識で返事をすることができなかった。体が揺れるように、いうことをきかないのだ。
「ではミミー・シルヴァー。これだけは覚えておくのよ……」
しだいに五芒星が遠くなる。女王の声も……
ミミーは耳を澄ませようと、なんとか感覚を集中させた。
女王の最後の言葉が、かすかな震えとともに頭に響いてきた。
「魔女になるということは、大地とともに生きるということ。太陽を迎え、月に祈り、樫の王と柊の王を見送り、移りゆく季節の中で自然とともにあるということよ」
(移りゆく季節の中で……大地とともに生きる)
気を失いかける直前のような、薄れゆく意識の中で、ミミーはその言葉を胸におさめた。
「そして……人々の中にあって、彼らの心に溶け込み、その生活の喜びと辛苦を理解し、それでもなお自らは孤独であること」
(ああ、体が……)
「それが魔女であるということなのよ……」
そこで女王の言葉がとぎれた。
目の前の白と銀の光も消えた。シーンもいない。
ここはもう塔の中ではなかった。
(ああ、体が溶ける……)
自分の意識そのものが、まるで氷のように溶けはじめ、消えてゆくような感覚……
(消える……、わたしが消えてしまう)
だが、しだいに恐怖も消え、感覚というもの、思考の断片すらも消えてゆき……
そして、すべてが消えた。
「……」
気づくと、ミミーは自分が寝ていることを知った。はじめ、自分が死んでしまったのかというような恐怖を覚えた。
だが、すぐに体は動いた。
「こ、ここは……」
辺りは暗かった。
すぐ近くで生き物の気配がした。おそるおそる手を伸ばすと、やわらかな毛並みに触れた。温かな体がゆったりと寝息を立てている。
「パステット……」
ここが村の自分の家であることを知り、ミミーはほっと息をついた。それでは、アストラル体の自分が、自分の体に戻ってきたのだ。
「夢、じゃないわよね」
そう。確かに自分は王国へ飛んだ。春分の祭りでケイトが春の女王になったのを見たし、シーンに会い、女王の塔へ入り、そして……
「ああ、シビラ女王と……」
意識体としてであったが、憧れの女王と言葉を交わした。そして「ミミー」と、自分の名を呼んでもらったのだ。
「ああ……夢みたいだわ!」
ミミーは体を起こして手で頬に触れてみた。この体から離れている間に、まるで新しく自分が生まれ変わっているような、そんな妙な気分だった。
「人々の中で、その生活の喜びと辛苦を理解して、なお孤独であること……」
あのとき、最後に聞こえた女王の言葉を、思い出すように口にしてみる。
「それが、魔女……それがわたし」
夜明けの陽光が木窓から差し込んできた。
「不思議な、とっても不思議な気分だわ……」
パステットを起こさぬように、ミミーは静かに起き上がり、家の外へ出た。
「まぶしい……」
暁の光を体に浴びていると、自分の体がまた自分のものになってゆくという、確かな感覚があった。実体のない意識体となったときの、ふわふわとした自由な気分よりも、土に足を付けているこの自分の方がずっと好きだ。ミミーは、そう感じていた。
少しずつ、心と体に力が湧いてくる。少しずつ。
「頑張ろう。わたし」
ミミーは大きく息を吸い込み、そしてはいた。
ここが自分の暮らす場所なのだと、耳元でそよぐ風がそう囁いた気がした。
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