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おまけ
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魔界の理が書き換えられ、評議会という巨大な重しが消えてから数週間。
世界は目まぐるしく変化していたが、ウィラとユアが住まうアジトの最奥にある寝室だけは、外の喧騒を忘れさせるほどの濃密な静寂に包まれていた。
「……あ、っ……はぁ、はぁ……」
深夜。ユアは、自身の右手の疼きで目を覚ました。
肉体的な傷は、ウィラの魔力とフィオの治療によって完治している。指先は滑らかに動き、魔力回路も正常だ。しかし、深い眠りに落ちようとする瞬間、意識の隙間を縫って「あの記憶」が這いずり出してくる。
冷たい石畳の感触。自分を見下ろすドレイクの汚らわしい笑い声。そして、軍靴で右手を踏みにじられた時の、脳を突き刺すような骨の軋む音――。
「う、あ……」
ユアは暗闇の中で自分の右手を見つめた。月光に照らされた指先が、自分の意志に反して細かく震えている。一度刻まれた恐怖は、肉体が治っても魂の奥底に澱のように溜まり、時折こうして牙を剥くのだ。
「……また、その子が泣いているのね?」
背後から、鼓膜を甘く震わせる声が響いた。
驚いて振り返る間もなく、ふわりと温かい、薔薇の香りを纏った熱がユアを包み込んだ。ウィラだ。彼女はいつの間にか目を覚まし、ユアの震える背中にそっと胸を預けていた。
「ウィ、ウィラ様……。起こしてしまいましたか。すみません、僕は……」
「謝る必要はないわ、ユア。あなたのSubとしての震えを鎮めるのは、Domである私の特権なのだから」
ウィラはユアの細い腰を後ろから抱きしめ、首筋に柔らかな唇を寄せた。彼女のDomとしての鋭い直感は、愛するSubが過去の亡霊に侵食されかけていることを瞬時に察していた。
「おいで、ユア。その右手を……私が今から、完全に作り替えてあげる」
ウィラはユアの手を引き、大きな寝台の中央へと彼を誘った。
柔らかなシーツの上に、ユアが仰向けに沈み込む。ウィラはその上にゆっくりと跨り、支配者としての艶やかな笑みを浮かべた。月光を背負った彼女の姿は、恐ろしいほどに美しく、神々しい。
「ユア。その手を私に預けて」
「っ……はい、ウィラ様……」
ユアは震える右手を、捧げるように差し出した。ウィラはそれを両手で丁寧に、壊れやすい硝子細工を扱うかのような手つきで包み込む。
ウィラの指先から、金色の細い魔力が糸のように伸び、ユアの右手の神経へと入り込んでいく。
「これから、あなたのこの手に『新しい記憶』を刻むわ。ドレイクの冷たさも、痛みの残滓も……すべて私の熱で塗り替えて、消し去ってあげる」
ウィラは、ユアの掌のちょうど中央――以前、もっとも強く踏みつけられた場所に、深く、長く、熱い接吻を落とした。
「ひ……あ、っ!!」
ユアの体が、弓なりに跳ねた。
ただのキスではない。ウィラのDomとしての強烈な魔力が、唇を通じて直接、ユアの記憶の核へと流し込まれる。
「あ、あ、熱い……ウィラ様、中が……頭の中が、真っ白に……」
「逃げないで、ユア。私を感じて。あなたのこの指は、私に触れるためにあるの。私の髪を梳き、私の肌を愛撫するために、私が治したのよ」
ウィラは、ユアの人差し指を一本、愛おしそうに口内へと含んだ。
温かな舌が、指の節々を丁寧に舐め上げ、吸い上げる。ドレイクの暴力的な記憶が、ウィラの湿った熱によって一箇所ずつ、丁寧に剥ぎ取られていく感覚。
「あ、う……あぁ……っ、嫌な、記憶が……溶けて……っ」
「そうよ、いい子。もっと深く……私の『支配』に溺れなさい」
ウィラは指先だけでなく、ユアの右手の甲、手首、そして肘の内側の柔らかな皮膚へと、噛み跡のような印(マーキング)を残しながら吸い上げていく。
ユアの右手は、もう震えていなかった。
かつてのトラウマで固まっていた指先は、今やウィラの銀髪を強く掴み、彼女の熱をもっと自分の中に注ぎ込んでほしいと、渇望するようにのたうち回っている。
「どうかしら、ユア。まだ、痛む?」
ウィラが顔を上げ、濡れた唇でユアを見つめる。
ユアの瞳は快感で潤み、視界はとっくに現実を失っていた。右手の感覚は、もはやウィラの体温と一つになり、ドレイクの影など、一欠片も残っていない。
「……いいえ……。もう、あなたの熱しか……感じません……。もっと、もっと上書きしてください、ウィラ様……」
ユアは自分から、汚されていたはずの右手をウィラの頬に添えた。
ウィラは満足げに目を細め、その掌に頬ずりをする。
「ええ、いいわよ。夜はまだ始まったばかりだもの。……次は、その手をどこに這わせたいかしら?」
ウィラの執拗なまでの接吻と魔力による「上書き」によって、ユアの右手からは過去の冷たい疼きが完全に消え去っていた。代わりにそこにあるのは、脈打つような熱と、指先まで痺れるような全能感に近い快感だ。
「はぁ、っ……あ、ウィラ……様……」
ユアの瞳はとろりと濁り、焦点が定まらない。Subが深い精神的陶酔に陥る状態――**『Subspace(サブスペース)』**の入り口に、彼は立っていた。
かつてドレイクに強要されていたそれは、薬物で無理やり思考を奪われる、泥濘に沈むような不快な感覚だった。だが、今ウィラが彼に与えているのは、羽毛に包まれて空へ昇っていくような、圧倒的な解放感だ。
「ユア、私を見て。思考を止めて、私の声だけを拾いなさい」
ウィラが、ユアの耳元で低く、鈴の音のように清らかな声を響かせる。
Domとしての「コマンド(命令)」が、魔力を含んだ音波となって、ユアの剥き出しになった精神に直接届く。
「……はい、ウィラ様。お声……聞こえます……。頭の中、ふわふわして……何も考えられません……」
「それでいいの。あなたは今、一輪の花。私の庭で、私に愛でられるためだけに咲いているのよ」
ウィラは、ユアの胸元に残る古い傷跡――かつての隷属の紋章があった場所を、爪先でなぞるように愛撫した。
「昔の主(Dom)は、あなたを『無価値な器』と呼んだそうね。……でも、私は違う。あなたは、私の魔力を誰よりも純粋に輝かせてくれる、世界で唯一の鏡よ」
「鏡……僕が、ウィラ様の……?」
「そう。お前が感じているこの悦びは、私があなたを愛している証拠。お前が堕ちれば堕ちるほど、私は満たされるの」
その言葉は、ユアにとってどんな媚薬よりも強く作用した。
「必要とされている」という実感が、彼のSubとしての本能を激しく突き動かす。ユアは自分からウィラの首に手を回し、喉を鳴らす猫のように、彼女の胸元に顔を擦り寄せた。
「もっと……もっと、お命じください。ウィラ様の言葉で、僕を壊して……。僕は、あなたのものだから……」
「いい子ね、ユア。それじゃあ、特別なコマンドをあげるわ」
ウィラは、ユアの首筋の「うなじ」をそっと噛んだ。
「『呼吸を、私の魔力に委ねなさい』」
それは、生物としての本能さえもDomに預けるという、究極の服従命令だ。
ユアの肺が、一瞬動きを止める。苦しさはなかった。ただ、ウィラが吐き出す熱い息を吸い込むことだけが、彼にとっての唯一の酸素となった。
視界から部屋の景色が消え、世界にはウィラの匂いと、彼女の声と、自分の内側で暴れる快楽だけが残る。
ユアの意識は、深い、深い黄金の海へと沈んでいく。そこには恐怖も、明日への不安も、過去の痛みもない。ただ、自分を愛してくれる唯一無二の支配者の存在だけが、道標のように輝いていた。
「あ、ああ……っ、ウィラ、様……。僕……消えちゃいそうです……幸せで、溶けて……」
「消えないわよ。私がこうして、あなたを繋ぎ止めているもの」
ウィラは、完全に理性が消失し、ただ快楽の波に揺られるだけの存在となったユアを、力強く抱きしめた。
彼の身体は、ウィラの魔力に同調するように、規則正しく、そして激しく震えている。
これこそが、信頼関係の果てに辿り着く、真のDom/Subの形。
「さあ、仕上げよ。あなたの魂の奥底まで、私の色で染め上げてあげる」
ウィラの指が、ユアの最も敏感な場所に触れる。
ユアは声を上げることさえ忘れ、大きく目を見開いたまま、至高のSubspaceの深淵へと真っ逆さまに堕ちていった――。
至高のSubspace(サブスペース)の深淵から、ユアの意識がゆっくりと浮上し始めたのは、窓の外の月が少しだけ西に傾いた頃だった。
「……あ、……ぁ……」
指先一つ動かすことさえ億劫なほどの、心地よい脱力感。全身の細胞が一度溶けて、再びウィラの手によって組み直されたかのような不思議な感覚がユアを包んでいる。
視界が少しずつ鮮明になると、そこには自分を優しく見つめる、銀色の瞳があった。
「おかえり、ユア。良い夢は見られたかしら?」
ウィラの声は、先ほどまでの支配的な響きとは一変し、春の陽だまりのような柔らかさに満ちていた。彼女は、力なく横たわるユアの身体をシーツごと抱き寄せ、その額に優しく口づけを落とした。
これが、Subにとって最も重要で、そして最も「報酬」を感じる時間。
**『アフターケア(事後処理)』**の始まりだった。
かつてドレイクの下にいた頃、ユアにとって「行為」の後は、ただのゴミのように放り出され、冷たい床で凍えながら体力の回復を待つだけの地獄だった。
だが、ここでは違う。
「冷えるわね。少し待っていて」
ウィラは手早く、しかし丁寧に、ユアの身体を温かな蒸しタオルで拭き上げ始めた。汗と魔力の余韻で火照った肌を、彼女の白い手が優しく撫でていく。その一つ一つの所作に、言葉以上の愛情が宿っていることをユアは肌で感じていた。
「ウィラ、様……僕……汚いのに……」
「何を言っているの。あなたは、私に最高の悦びをくれた誇り高いSubよ。世界で一番、清潔で美しいわ」
ウィラはそう言うと、フィオに用意させていたのであろう、温かい果実水と、口当たりの良いスープを寝台まで運んできた。
「……飲めるかしら? 私が支えてあげるから」
ウィラの腕の中にすっぽりと収まり、彼女の手から直接、温かな飲み物を与えられる。喉を通る熱が、空っぽになった身体の内側をじんわりと満たしていく。
ユアの瞳から、堪えていたものが溢れ出した。
「……っ、ふ、うう……っ、ウィラ、様……」
「どうしたの? どこか痛む?」
「いいえ、痛くなんてありません。……ただ、幸せすぎて。こんなに……こんなに優しくしてもらえるなんて、僕……夢を見ているんじゃないかって……」
ユアは、ウィラの胸に顔を埋め、子供のように声を上げて泣いた。
右手のトラウマが消えたこと。ウィラに全てを預けられたこと。そして何より、今の自分が一人の人間として、これほどまでに慈しまれていること。
その全てが、彼の凍てついていた心を目一杯に溶かしていた。
ウィラは何も言わず、ユアが泣き止むまで、その背中をゆっくりと一定のリズムで叩き続けた。
トントン、と。
まるで、幼子を寝かしつける母親のように。あるいは、唯一無二の伴侶を慈しむ妻のように。
「ユア。あなたはもう、何にも怯えなくていいのよ。お前の過去は私が焼き尽くした。お前の未来は、私が護るわ」
やがて泣き疲れたユアの呼吸が、穏やかな寝息へと変わっていく。
ウィラは彼を清潔な寝衣に着替えさせると、大きな寝台の真ん中で、自分自身の腕を枕に彼を眠らせた。
ユアの右手は、無意識のうちにウィラのシャツの裾をギュッと掴んでいる。
その指先には、もう震えはない。
かつて絶望に染まったその手は、今や、自分を愛してくれる人の温もりを離さないために、力強く、そして穏やかにそこにあった。
「おやすみなさい、私の可愛いSub。……明日も、その次も、あなたの隣には私(Dom)がいるわ」
窓の外では、魔界の新しい法則に照らされた夜明けが、静かに始まろうとしていた。
二人が繋いだ手の上に、希望という名の光が優しく降り注いでいた。
(おまけ前編・完)
世界は目まぐるしく変化していたが、ウィラとユアが住まうアジトの最奥にある寝室だけは、外の喧騒を忘れさせるほどの濃密な静寂に包まれていた。
「……あ、っ……はぁ、はぁ……」
深夜。ユアは、自身の右手の疼きで目を覚ました。
肉体的な傷は、ウィラの魔力とフィオの治療によって完治している。指先は滑らかに動き、魔力回路も正常だ。しかし、深い眠りに落ちようとする瞬間、意識の隙間を縫って「あの記憶」が這いずり出してくる。
冷たい石畳の感触。自分を見下ろすドレイクの汚らわしい笑い声。そして、軍靴で右手を踏みにじられた時の、脳を突き刺すような骨の軋む音――。
「う、あ……」
ユアは暗闇の中で自分の右手を見つめた。月光に照らされた指先が、自分の意志に反して細かく震えている。一度刻まれた恐怖は、肉体が治っても魂の奥底に澱のように溜まり、時折こうして牙を剥くのだ。
「……また、その子が泣いているのね?」
背後から、鼓膜を甘く震わせる声が響いた。
驚いて振り返る間もなく、ふわりと温かい、薔薇の香りを纏った熱がユアを包み込んだ。ウィラだ。彼女はいつの間にか目を覚まし、ユアの震える背中にそっと胸を預けていた。
「ウィ、ウィラ様……。起こしてしまいましたか。すみません、僕は……」
「謝る必要はないわ、ユア。あなたのSubとしての震えを鎮めるのは、Domである私の特権なのだから」
ウィラはユアの細い腰を後ろから抱きしめ、首筋に柔らかな唇を寄せた。彼女のDomとしての鋭い直感は、愛するSubが過去の亡霊に侵食されかけていることを瞬時に察していた。
「おいで、ユア。その右手を……私が今から、完全に作り替えてあげる」
ウィラはユアの手を引き、大きな寝台の中央へと彼を誘った。
柔らかなシーツの上に、ユアが仰向けに沈み込む。ウィラはその上にゆっくりと跨り、支配者としての艶やかな笑みを浮かべた。月光を背負った彼女の姿は、恐ろしいほどに美しく、神々しい。
「ユア。その手を私に預けて」
「っ……はい、ウィラ様……」
ユアは震える右手を、捧げるように差し出した。ウィラはそれを両手で丁寧に、壊れやすい硝子細工を扱うかのような手つきで包み込む。
ウィラの指先から、金色の細い魔力が糸のように伸び、ユアの右手の神経へと入り込んでいく。
「これから、あなたのこの手に『新しい記憶』を刻むわ。ドレイクの冷たさも、痛みの残滓も……すべて私の熱で塗り替えて、消し去ってあげる」
ウィラは、ユアの掌のちょうど中央――以前、もっとも強く踏みつけられた場所に、深く、長く、熱い接吻を落とした。
「ひ……あ、っ!!」
ユアの体が、弓なりに跳ねた。
ただのキスではない。ウィラのDomとしての強烈な魔力が、唇を通じて直接、ユアの記憶の核へと流し込まれる。
「あ、あ、熱い……ウィラ様、中が……頭の中が、真っ白に……」
「逃げないで、ユア。私を感じて。あなたのこの指は、私に触れるためにあるの。私の髪を梳き、私の肌を愛撫するために、私が治したのよ」
ウィラは、ユアの人差し指を一本、愛おしそうに口内へと含んだ。
温かな舌が、指の節々を丁寧に舐め上げ、吸い上げる。ドレイクの暴力的な記憶が、ウィラの湿った熱によって一箇所ずつ、丁寧に剥ぎ取られていく感覚。
「あ、う……あぁ……っ、嫌な、記憶が……溶けて……っ」
「そうよ、いい子。もっと深く……私の『支配』に溺れなさい」
ウィラは指先だけでなく、ユアの右手の甲、手首、そして肘の内側の柔らかな皮膚へと、噛み跡のような印(マーキング)を残しながら吸い上げていく。
ユアの右手は、もう震えていなかった。
かつてのトラウマで固まっていた指先は、今やウィラの銀髪を強く掴み、彼女の熱をもっと自分の中に注ぎ込んでほしいと、渇望するようにのたうち回っている。
「どうかしら、ユア。まだ、痛む?」
ウィラが顔を上げ、濡れた唇でユアを見つめる。
ユアの瞳は快感で潤み、視界はとっくに現実を失っていた。右手の感覚は、もはやウィラの体温と一つになり、ドレイクの影など、一欠片も残っていない。
「……いいえ……。もう、あなたの熱しか……感じません……。もっと、もっと上書きしてください、ウィラ様……」
ユアは自分から、汚されていたはずの右手をウィラの頬に添えた。
ウィラは満足げに目を細め、その掌に頬ずりをする。
「ええ、いいわよ。夜はまだ始まったばかりだもの。……次は、その手をどこに這わせたいかしら?」
ウィラの執拗なまでの接吻と魔力による「上書き」によって、ユアの右手からは過去の冷たい疼きが完全に消え去っていた。代わりにそこにあるのは、脈打つような熱と、指先まで痺れるような全能感に近い快感だ。
「はぁ、っ……あ、ウィラ……様……」
ユアの瞳はとろりと濁り、焦点が定まらない。Subが深い精神的陶酔に陥る状態――**『Subspace(サブスペース)』**の入り口に、彼は立っていた。
かつてドレイクに強要されていたそれは、薬物で無理やり思考を奪われる、泥濘に沈むような不快な感覚だった。だが、今ウィラが彼に与えているのは、羽毛に包まれて空へ昇っていくような、圧倒的な解放感だ。
「ユア、私を見て。思考を止めて、私の声だけを拾いなさい」
ウィラが、ユアの耳元で低く、鈴の音のように清らかな声を響かせる。
Domとしての「コマンド(命令)」が、魔力を含んだ音波となって、ユアの剥き出しになった精神に直接届く。
「……はい、ウィラ様。お声……聞こえます……。頭の中、ふわふわして……何も考えられません……」
「それでいいの。あなたは今、一輪の花。私の庭で、私に愛でられるためだけに咲いているのよ」
ウィラは、ユアの胸元に残る古い傷跡――かつての隷属の紋章があった場所を、爪先でなぞるように愛撫した。
「昔の主(Dom)は、あなたを『無価値な器』と呼んだそうね。……でも、私は違う。あなたは、私の魔力を誰よりも純粋に輝かせてくれる、世界で唯一の鏡よ」
「鏡……僕が、ウィラ様の……?」
「そう。お前が感じているこの悦びは、私があなたを愛している証拠。お前が堕ちれば堕ちるほど、私は満たされるの」
その言葉は、ユアにとってどんな媚薬よりも強く作用した。
「必要とされている」という実感が、彼のSubとしての本能を激しく突き動かす。ユアは自分からウィラの首に手を回し、喉を鳴らす猫のように、彼女の胸元に顔を擦り寄せた。
「もっと……もっと、お命じください。ウィラ様の言葉で、僕を壊して……。僕は、あなたのものだから……」
「いい子ね、ユア。それじゃあ、特別なコマンドをあげるわ」
ウィラは、ユアの首筋の「うなじ」をそっと噛んだ。
「『呼吸を、私の魔力に委ねなさい』」
それは、生物としての本能さえもDomに預けるという、究極の服従命令だ。
ユアの肺が、一瞬動きを止める。苦しさはなかった。ただ、ウィラが吐き出す熱い息を吸い込むことだけが、彼にとっての唯一の酸素となった。
視界から部屋の景色が消え、世界にはウィラの匂いと、彼女の声と、自分の内側で暴れる快楽だけが残る。
ユアの意識は、深い、深い黄金の海へと沈んでいく。そこには恐怖も、明日への不安も、過去の痛みもない。ただ、自分を愛してくれる唯一無二の支配者の存在だけが、道標のように輝いていた。
「あ、ああ……っ、ウィラ、様……。僕……消えちゃいそうです……幸せで、溶けて……」
「消えないわよ。私がこうして、あなたを繋ぎ止めているもの」
ウィラは、完全に理性が消失し、ただ快楽の波に揺られるだけの存在となったユアを、力強く抱きしめた。
彼の身体は、ウィラの魔力に同調するように、規則正しく、そして激しく震えている。
これこそが、信頼関係の果てに辿り着く、真のDom/Subの形。
「さあ、仕上げよ。あなたの魂の奥底まで、私の色で染め上げてあげる」
ウィラの指が、ユアの最も敏感な場所に触れる。
ユアは声を上げることさえ忘れ、大きく目を見開いたまま、至高のSubspaceの深淵へと真っ逆さまに堕ちていった――。
至高のSubspace(サブスペース)の深淵から、ユアの意識がゆっくりと浮上し始めたのは、窓の外の月が少しだけ西に傾いた頃だった。
「……あ、……ぁ……」
指先一つ動かすことさえ億劫なほどの、心地よい脱力感。全身の細胞が一度溶けて、再びウィラの手によって組み直されたかのような不思議な感覚がユアを包んでいる。
視界が少しずつ鮮明になると、そこには自分を優しく見つめる、銀色の瞳があった。
「おかえり、ユア。良い夢は見られたかしら?」
ウィラの声は、先ほどまでの支配的な響きとは一変し、春の陽だまりのような柔らかさに満ちていた。彼女は、力なく横たわるユアの身体をシーツごと抱き寄せ、その額に優しく口づけを落とした。
これが、Subにとって最も重要で、そして最も「報酬」を感じる時間。
**『アフターケア(事後処理)』**の始まりだった。
かつてドレイクの下にいた頃、ユアにとって「行為」の後は、ただのゴミのように放り出され、冷たい床で凍えながら体力の回復を待つだけの地獄だった。
だが、ここでは違う。
「冷えるわね。少し待っていて」
ウィラは手早く、しかし丁寧に、ユアの身体を温かな蒸しタオルで拭き上げ始めた。汗と魔力の余韻で火照った肌を、彼女の白い手が優しく撫でていく。その一つ一つの所作に、言葉以上の愛情が宿っていることをユアは肌で感じていた。
「ウィラ、様……僕……汚いのに……」
「何を言っているの。あなたは、私に最高の悦びをくれた誇り高いSubよ。世界で一番、清潔で美しいわ」
ウィラはそう言うと、フィオに用意させていたのであろう、温かい果実水と、口当たりの良いスープを寝台まで運んできた。
「……飲めるかしら? 私が支えてあげるから」
ウィラの腕の中にすっぽりと収まり、彼女の手から直接、温かな飲み物を与えられる。喉を通る熱が、空っぽになった身体の内側をじんわりと満たしていく。
ユアの瞳から、堪えていたものが溢れ出した。
「……っ、ふ、うう……っ、ウィラ、様……」
「どうしたの? どこか痛む?」
「いいえ、痛くなんてありません。……ただ、幸せすぎて。こんなに……こんなに優しくしてもらえるなんて、僕……夢を見ているんじゃないかって……」
ユアは、ウィラの胸に顔を埋め、子供のように声を上げて泣いた。
右手のトラウマが消えたこと。ウィラに全てを預けられたこと。そして何より、今の自分が一人の人間として、これほどまでに慈しまれていること。
その全てが、彼の凍てついていた心を目一杯に溶かしていた。
ウィラは何も言わず、ユアが泣き止むまで、その背中をゆっくりと一定のリズムで叩き続けた。
トントン、と。
まるで、幼子を寝かしつける母親のように。あるいは、唯一無二の伴侶を慈しむ妻のように。
「ユア。あなたはもう、何にも怯えなくていいのよ。お前の過去は私が焼き尽くした。お前の未来は、私が護るわ」
やがて泣き疲れたユアの呼吸が、穏やかな寝息へと変わっていく。
ウィラは彼を清潔な寝衣に着替えさせると、大きな寝台の真ん中で、自分自身の腕を枕に彼を眠らせた。
ユアの右手は、無意識のうちにウィラのシャツの裾をギュッと掴んでいる。
その指先には、もう震えはない。
かつて絶望に染まったその手は、今や、自分を愛してくれる人の温もりを離さないために、力強く、そして穏やかにそこにあった。
「おやすみなさい、私の可愛いSub。……明日も、その次も、あなたの隣には私(Dom)がいるわ」
窓の外では、魔界の新しい法則に照らされた夜明けが、静かに始まろうとしていた。
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