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松山秋ノブ

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 教室に入ると、もう既にひと騒ぎが始まっていた。大半が誰彼と一緒のクラスになれて嬉しいだの、キモいだの。嬉しい悲しいはわかるけど、キモいという感情が生まれる理由がわからない。最近は何でもキモいと言っておけば通用するような気がする。オールマイティな言葉にしては品がない。まぁいいや、こんなことを考えること自体がキモいんだろうな、と思う。そんな橋本を他所に、別のクラスの人間がやってきて、クラスが離れてしまった友人と最後の別れの挨拶をしたりもしている。どうせ本気で別れを惜しんではいまい。三日も経てば新しい友人とわいわい始める、ともすれば、昔の友人を疎ましく思うようになるかもしれない。これまでそういう姿を何度となく見てきた。まだ中学生もそこそこに人間の汚い部分を随分と見た気がする。もしかすると、見たような気になっているだけかもしれないが、少なくとも橋本にとっての世界はそうだった。

「なぁ、見てみろよ」

大川が橋本に黒板を見るように促した。黒板にはこれからの席順が張り出されていた。橋本と大川はすぐ近くの席だった。橋本の斜め前の席に大川が座る。廊下側の前から2、3列目。まあまあの席だ。近くになれたな、とおざなりの返答をすると、いや、そこじゃねぇよ。と大川が嫌な微笑みをした。

「ほら、お前の前の席を見てみろよ」

と大川が指差す。そこには名前が何も書かれてはいなかった。

「きっと、ここは転校生の席だぜ」

大川の言葉に、橋本はさっき大川が、転校生が来るらしい、と言ったことを思い出した。確かに空席にするには余りにも不自然な場所だ。えっと、確か転校生って・・・と言葉に詰まると、大川がにやりとして

「きっと可愛い子だぜ」

と言った。まぁ、それは大川の勝手な妄想であって、きっと根拠なんてないんだろうけど、確かに可愛かったらいいなと思いながら、それはそれで困るなと思った。小学校の頃は女子とも仲良くしていたけれど、中学生になってからはグループ内の特定の女子としか話していなかった。青年期に入って、自分の容姿の残念さとか、なんか余計なことを考えるようになってからは、昔のように無邪気に話せなくなってしまった。だから、今、急に目の前に可愛い女子が来たところで、何も話せるはずがないのだ。

 

 橋本が複雑な、けれども意味の無い悩みを抱いていると、教師が教室に入ってきた。これまで動物園状態だった教室に一気に静寂が訪れた。蜘蛛の子を散らすように黒板に集まっていた生徒が席に着いていく。担任の教師は既に始業式で発表されていて、若い男の教師だった。どこかの中学校から移ってきた教師で、橋本はまだ名前すら覚えていなかった。教師がコホンと一回咳をすると、恐らくほとんどの教師かそうするように、簡単に自己紹介を始めた。大抵この手の自己紹介は、余計な情報まで含まれる。最初の数分間は聞いている毛れど、それ以降は全く聞くことはない。ただ、それで退屈なホームルームや授業の時間が減るのならば、それでいいやというくらいだ。

 

ところが、教師は自分の自己紹介をすぐに終えた。驚いて教師の顔を見ると、教師はどこか得意気な顔をしていた。

「ところで、ひとつ席が空いているだろう」

と教師が言うと、大川が小さく「よしきたっ」とガッツポーズを決めた。

「今日から仲間になる新しいクラスメートがいます」

と教師が紹介すると、ドアが静かに開いた。

 橋本はその瞬間、時間が止まったことが分かった。ドアが開かれると同時に、その外の世界から春の風がびゅうと吹いてきて、花弁が待って、それが橋本の視界をすべて埋め尽くしたのだった。花弁が通過すると、止まった時間の中で、唯一彼女だけが歩いていた。春風の中を、黒髪の背の小さな彼女が、狭い歩幅で、橋本の世界に入ってきたのだ。
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