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Clear Color.10(Side C)
しおりを挟む五年前のその日、大川の予想通り彼女は橋本の前の席に座った。名前を言ったらしかった。きちんと自己紹介もしたはずだった。けれど、彼女の言葉の全てを橋本は覚えてはいなかった。彼女が教室に入ってきた瞬間、教室の空気が一変した。それは転入生という異質なものがこれまでいた世界に入ってきた時に起こる決まりきったものとは違っていた。くだらない、ろくでもないと思っていた世界が桜色になった気がした。彼女が壇上に近づく一歩一歩がスローモーションに見える。身長は150センチくらいしかないだろう、その低い背が、橋本はこれまでテレビで見たどんなモデルよりも堂々と高く見えた。肩の途中くらいまである黒髪は、長すぎてポニーテール状に縛ってあった。その髪が歩くたびにひらひらと揺れた。その髪が揺れる度に、橋本の心臓は大きくなった。その余りに清楚で凛とした姿に、橋本は一瞬で心を奪われてしまったのだ。
彼女が前の席に着いてからも、橋本の心臓が鳴り止む事は無かった。むしろ、近くに居ることで、余計に何も考えられなくなった。ただ、橋本が今まで気にしたことなどなかったシャンプーの良い香りがしていた。何か話そう、そう思ったけれど、何も浮かんで来ない。彼女に向けて話そうとする言葉の全てが汚く思えてならなかったのだ。今思えば、何とも馬鹿なことを考えていたのか、と呆れてしまうが、当時の橋本は、そんな「ケガレ」みたいなものを彼女に対する自分に感じていた。それ位に彼女は神聖に見えたのだ。だから、不意に後ろを向かれて「よろしくね」と言われた時には、本当に焦ってしまった。あわあわしてしまうことが目に見えて分かってしまったものだから、それだけは避けたくて、ただぶっきらぼうに、あぁ、とだけ答えてしまった。
もうその日はずっとダメだった。とりあえず、このずっと高鳴りしている心臓を止めようと思ったけれど、止まる気配はなく、先生の言葉も耳に入ってこなかった。大掃除の時も、彼女と距離を取るようにしていたから少しはマシだったけれど、それでも周りの言葉も耳に入ってこなかった。彼女のことを見ていると、何だか地球上に自分の彼女しかいないような気持ちになる。いや、正確には彼女以外の人間が止まって見えているらしかった。彼女が世界であり、それ以外は風景に過ぎなかった。
「おい、ぼーっとしてんじゃねぇよ」
不意に耳元で言われて、橋本は思わず、おぉ、と声を挙げた。その声に声を掛けた大川が余計に飛び上がった。周囲の視線が橋本と大川に集まる。大川は顔を赤くして橋本を教室から出した。
「おい、大丈夫か、こっちがびっくりしたじゃんか」
橋本はまだ顔を赤らめて言った。ごめん、ちょっとな、と橋本は上手くごまかした。でも、そんなごまかしが大川に通用するはずもなかった。
「まぁ、平河さんが可愛いのは認めるけど、ずっと見てるのもどうかと思うぞ」
えっ、平河?と声を高くすると、話の流れから、彼女の名前が平河であることが想像できた。そうか、平河か、と反芻した。
「もしかして、お前、名前をもう忘れちまったのか?」
いや、忘れたっていうか、よく聞いてなくて。本当に大川には何でもお見通しらしい。
「何だよ、いくら春だからってぼーっとしすぎだろ」
まぁ、そうだな。と言うと、教師が教室に戻ってきた。やべっ、と大川が教室の中に一目散に入ると、橋本もそれに続いた。橋本はそんなに運動神経が良いほうではなかったので、どうしても大川よりは1テンポ遅れてしまう。急いでしまった拍子に、教室のドアに足をぶつけてしまった。思ったより大きな音が出てしまって驚いた。痛てて、と顔を挙げると、平河さんと目が合った気がした。慌てて目を反らしたから、本当に目が合ったかは分からなかったけれど、橋本はもう足の指の痛みも忘れて、平河かぁ、と再び呟いた。
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