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栗平の駅に降りると、僕は彼女に何処に行きたいのかを尋ねた。彼女は鞄の中からメモ帳を取り出して、そこに挟んでいた小さな紙を取り出した。そこは栗平の駅から少し歩く小さな公園の住所だった。ミサを捜すのに小さな公園に行くなんて、いささか疑問に思ったけれど、僕はそこを案内することにした。栗平の駅は小さな町の割には大きい駅で、2つの出口がある。本当は今降りた方の出口に行く方が近いのだけれど、僕は階段を上がって反対側の出口から出た。そっちからでないと僕は道が分からないのだ。彼女はそんな僕の行動に何も言わなかった。まぁ、ここに来ること自体が初めてだったから、まずそれが遠回りかどうかも分からないのだと思う。栗平の駅を出ると、左に曲がり、すぐに線路を越えた。その時にも疑問に思う顔をしていなかったから、きっと道は完全に僕に任せているのだろう。栗平は新興住宅街で新しい家や大きな家が多い。実はこの辺りは僕の校舎の宣伝のためにチラシをよく撒きに来ている場所で、馴染みが深い。この新しい家を眺めながら、自分の安月給を呪ったものだ。僕なんかは一生こんな家に住めないだろうなぁ、と恨み節を呟きながら歩いていた。いつもチラシを撒くのは夜だから、こんな午前中に歩くのは初めてだ。別に僕が住んでいる場所とそんなに変わらないはずなのに、空気が違う気がした。ちょっと前に流行ったアコギの歌が似合うような朝。確か時々英語交じりになる女性ミュージシャンの歌だったか、ちょっと気分が上がっていくのが分かった。
そうしているうちにすぐに公園に着いた。新しく出来た道路の脇に出来た公園は、公園と呼ぶにはおこがましい程小さなもので、例えるなら団地の中に出来た簡易公園みたいなものだった。きっとボール遊びなんかやった日にはすぐに道路に飛び出して行ってしまうだろう。公園に着くと、彼女は周りを見渡して、何かを探し始めた。手には写真が握られている。どうやら写真のアングルを確かめているようだった。
「その写真の場所を探しているの?」
と僕が訊くと、彼女はアングルを探しながら、小さく頷いた。写真を見せてもらうと、ブランコに乗っているのはミサだった。ミサは極端に写真を嫌がる人間だった。その写真もミサだと判りはするけれど、ミサは横を向いて手で顔を隠していた。僕も昔シャッターを向けたことがあるけれども、やはり同じことをされた。
「これを撮ったのは君?」
と訊くと、彼女が今度は首を横に振った。
「これは婚約者の方が撮ったものです」
ミサの写真嫌いは徹底したものだったらしい。婚約者だぞ、と僕は呟いてしまった。この写真を撮りながら、彼は一体何を思ったのだろうか。そんな仕草も可愛いと思ったのだろうか。それとも、自分に心を開いていないようで不穏な気持ちになってしまったのだろうか。いずれにしても、僕は彼のことを知らない。どれだけ考えても分かるはずがなかった。
「あっ、あのブランコ!」
不意に彼女が走り出した。公園の端には小さなブランコがあって、どうやらそれが探していたブランコだった。うん、これで間違いない。という彼女に、僕は見つけた後、どうするのかを尋ねた。すると、彼女の顔が見る見るうちに色を失っていき、どうすればいいんでしょう、と逆に僕に訊いた。余りのことに僕はつい笑ってしまった。休日の午前(もうすぐ午後になろうとしていたが)に大学生の女の子に連れられて公園を探し、探した後は何もないという状況が余りに面白すぎたのだ。僕が大声で笑うものだから、申し訳なさそうな顔をしていた彼女も笑いだした。笑いながら、乗ってみればいいんじゃない、と僕が言うと、お腹を抱えながら彼女はブランコに乗った。笑って乗るもんだから、揺れてしまって真っすぐ進まなかったけれど、とても気持ち良さそうだった。数回漕ぐと、彼女は僕に隣のブランコに乗るように促した。さすがにこれは僕も躊躇した。もういい年をした男がブランコに乗るのは抵抗がある。いやぁ、と苦笑いをしていると、乗ればいいのに、と彼女は隣のブランコを見た。
「あっ」
小さく声を漏らした彼女が何かを見つけてブランコを止めた。
「ほら、蚕ですよ!」
よく見ると、隣のブランコの鎖に虫が止まっていた。彼女は嬉しそうに僕を呼んだけれど、近くで見ると、それは蚕ではなく、毛虫だった。
「ほら、これは毛虫だよ。近くに桜の木もあるし」
なぁんだ、と言うと、ちょっとがっかりした様だったけれど、
「でも、成長して蝶になる方がいいもんね」
と頷いた。まぁ、でも僕も蚕を間近で見たことがないから蚕かもしれないけどね。と僕が言うと、いや、毛虫の方がやっぱりいいですよ。と彼女は呟いた。
「森下さん、蚕って成長するとどうなるか知ってますか」
「いや、知らないなぁ」
「蚕って、成長すると、飛べない蛾になるんですよ」
今まで蚕の繭から糸を作ることは知っていたけれども、成長してからのことは知らなかった。
「でも、蛾って飛べるんでしょ」
「もちろん翅はありますよ。でも、震わせるだけで飛べないんです」
「飛べないんだ」
「そして一週間もすれば死んでしまうんです」
虫が長生きすることはないと知っていても、言葉にすると虚しくなる。
「一週間ってセミみたいだね」
「でも、セミは一週間は飛べます。蚕は飛べません」
彼女はまたブランコを漕ぎ出した。でも今度は笑っていなかったから、真っすぐにぐんぐんと漕ぐ事ができた。
「飛べることもなく死んでいく蛾はどんな気持ちなんでしょうね」
彼女はどんどんと漕ぐ力を増していった。
「飛べないなら最初から翅なんて付けなきゃいいのに」
「そうだねぇ」
人間も飛べない。飛べないから空に憧れた。翅がないから翅を作ろうとした。だから今僕たちは飛行機を介して飛ぶことが出来る。でももし翅があったら?震わせるだけで飛べなかったら。同じように空に憧れるだろうか。飛ぼうと思えばいつでも飛べる翅が付いてしまったが故に、本気で飛ぼうとしないのではないか。そして死期が近づいて、いざ飛ぼうとした時に、その翅が飛べないものだと知ったら、どう思うのだろう。絶望の淵に追いやられてしまうのだろうか、それとも死ぬまで飛べると信じて翅を震わせるのだろうか。
ブランコを漕ぐ彼女の姿は蝶そのものだった。ミサは、ミサはこのブランコを漕ぎながら蝶になったのだろうか。
そうしているうちにすぐに公園に着いた。新しく出来た道路の脇に出来た公園は、公園と呼ぶにはおこがましい程小さなもので、例えるなら団地の中に出来た簡易公園みたいなものだった。きっとボール遊びなんかやった日にはすぐに道路に飛び出して行ってしまうだろう。公園に着くと、彼女は周りを見渡して、何かを探し始めた。手には写真が握られている。どうやら写真のアングルを確かめているようだった。
「その写真の場所を探しているの?」
と僕が訊くと、彼女はアングルを探しながら、小さく頷いた。写真を見せてもらうと、ブランコに乗っているのはミサだった。ミサは極端に写真を嫌がる人間だった。その写真もミサだと判りはするけれど、ミサは横を向いて手で顔を隠していた。僕も昔シャッターを向けたことがあるけれども、やはり同じことをされた。
「これを撮ったのは君?」
と訊くと、彼女が今度は首を横に振った。
「これは婚約者の方が撮ったものです」
ミサの写真嫌いは徹底したものだったらしい。婚約者だぞ、と僕は呟いてしまった。この写真を撮りながら、彼は一体何を思ったのだろうか。そんな仕草も可愛いと思ったのだろうか。それとも、自分に心を開いていないようで不穏な気持ちになってしまったのだろうか。いずれにしても、僕は彼のことを知らない。どれだけ考えても分かるはずがなかった。
「あっ、あのブランコ!」
不意に彼女が走り出した。公園の端には小さなブランコがあって、どうやらそれが探していたブランコだった。うん、これで間違いない。という彼女に、僕は見つけた後、どうするのかを尋ねた。すると、彼女の顔が見る見るうちに色を失っていき、どうすればいいんでしょう、と逆に僕に訊いた。余りのことに僕はつい笑ってしまった。休日の午前(もうすぐ午後になろうとしていたが)に大学生の女の子に連れられて公園を探し、探した後は何もないという状況が余りに面白すぎたのだ。僕が大声で笑うものだから、申し訳なさそうな顔をしていた彼女も笑いだした。笑いながら、乗ってみればいいんじゃない、と僕が言うと、お腹を抱えながら彼女はブランコに乗った。笑って乗るもんだから、揺れてしまって真っすぐ進まなかったけれど、とても気持ち良さそうだった。数回漕ぐと、彼女は僕に隣のブランコに乗るように促した。さすがにこれは僕も躊躇した。もういい年をした男がブランコに乗るのは抵抗がある。いやぁ、と苦笑いをしていると、乗ればいいのに、と彼女は隣のブランコを見た。
「あっ」
小さく声を漏らした彼女が何かを見つけてブランコを止めた。
「ほら、蚕ですよ!」
よく見ると、隣のブランコの鎖に虫が止まっていた。彼女は嬉しそうに僕を呼んだけれど、近くで見ると、それは蚕ではなく、毛虫だった。
「ほら、これは毛虫だよ。近くに桜の木もあるし」
なぁんだ、と言うと、ちょっとがっかりした様だったけれど、
「でも、成長して蝶になる方がいいもんね」
と頷いた。まぁ、でも僕も蚕を間近で見たことがないから蚕かもしれないけどね。と僕が言うと、いや、毛虫の方がやっぱりいいですよ。と彼女は呟いた。
「森下さん、蚕って成長するとどうなるか知ってますか」
「いや、知らないなぁ」
「蚕って、成長すると、飛べない蛾になるんですよ」
今まで蚕の繭から糸を作ることは知っていたけれども、成長してからのことは知らなかった。
「でも、蛾って飛べるんでしょ」
「もちろん翅はありますよ。でも、震わせるだけで飛べないんです」
「飛べないんだ」
「そして一週間もすれば死んでしまうんです」
虫が長生きすることはないと知っていても、言葉にすると虚しくなる。
「一週間ってセミみたいだね」
「でも、セミは一週間は飛べます。蚕は飛べません」
彼女はまたブランコを漕ぎ出した。でも今度は笑っていなかったから、真っすぐにぐんぐんと漕ぐ事ができた。
「飛べることもなく死んでいく蛾はどんな気持ちなんでしょうね」
彼女はどんどんと漕ぐ力を増していった。
「飛べないなら最初から翅なんて付けなきゃいいのに」
「そうだねぇ」
人間も飛べない。飛べないから空に憧れた。翅がないから翅を作ろうとした。だから今僕たちは飛行機を介して飛ぶことが出来る。でももし翅があったら?震わせるだけで飛べなかったら。同じように空に憧れるだろうか。飛ぼうと思えばいつでも飛べる翅が付いてしまったが故に、本気で飛ぼうとしないのではないか。そして死期が近づいて、いざ飛ぼうとした時に、その翅が飛べないものだと知ったら、どう思うのだろう。絶望の淵に追いやられてしまうのだろうか、それとも死ぬまで飛べると信じて翅を震わせるのだろうか。
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