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松山秋ノブ

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 夏休みは最高だった。これまで橋本にとって夏休みは特に感情を持つようなものではなかった。毎日家にいる分だけマンガを読む時間が増える、というくらいのものだ。時々電話がかかり、友達が遊びに来たり、遊びに行ったり、それくらいのものでしかなかった。でも、この夏は違う。橋本はこの夏に母親から携帯電話を譲り受けた。そんなに機能がついているわけではなかったが、橋本の気分は高揚した。自分専用の連絡ツールがあるということは、一国の王になったようだった。未だ友人間でも携帯電話を持っている人間は少なかったが、それは問題でなかった。携帯電話から相手の家の電話に掛けたら良いのだ。着信元が問題なのではない、発信元が重要で、とにかく橋本は携帯電話を持つことができたのだ。これまでの鬱屈としたものが全て真っすぐになっていく感じ、完全最強。橋本はこのことを誰かに伝えずにはいられなかった。

 夏休み直前の学校で、橋本は大川に携帯電話を持ったことを教えた。まだ携帯電話を持っていなかった大川は興奮して、すぐに話に飛びついた。メーカーは、色は、番号教えろよ、何それ、最強じゃん。橋本は大川の反応を見ながら、きっと大川は自分が携帯電話を持った時も同じように興奮するんだろうな、と思った。そして、橋本と大川は共に最強であることを感じるんだろう、と。その時まで自分の興奮が続いているのか、意外にも余りの大川の興奮に橋本の方が冷静になってきたが、でも、またその時には2人で改めて最強になればいいと思った。携帯電話を持てば何でも出来る。宇宙にだって行くことが出来る、大統領と話をすることも出来る。くだらない流行を終わらせて、自分だけの世界を作ることができる。橋本と大川は休み時間じゅう、携帯電話の野望を語った。

「ねぇ、橋本君、携帯電話持ってるの」

不意に声を掛けられて橋本が振りかえると、平河さんだった。橋本は驚いて声が出なかった。代わりに大川が伝えてくれた。そうだよ、こいつ携帯電話持っててさ、白い携帯でめっちゃくちゃ最強なんだぜ、と。平河さんは笑顔で、ふうん、そうなんだ。と言うと、橋本に携帯電話のメーカーを尋ねた。今度は落ち着いて橋本が答えると、平河さんはまた笑顔で、それじゃ、私と一緒だ、と言った。

 私と一緒。

その言葉の意味を理解するのに、橋本は少し時間を費やしてしまった。もしかして、平河さんも携帯電話を持っているのか、考えれば当たり前だが、橋本は思考を整理することだけでいっぱいいっぱいだった。そんなことも知らずに大川はより喜んで騒ぎ出した。なんだよ、お前ら揃って最強じゃん!、すげぇな、って。平河さんも最強って呼ばれて少し嬉しそうだった。最強も悪くないよね、って。橋本も最高に嬉しかった。平河さんも携帯電話を持っている、しかも自分と同じメーカーの。決して携帯電話を持っている人間が多くはない年齢の中で自分と平河さんは同じものを持っている。これだけで何だか誇れる気がした。他には何も要らない。同じものを持っている。それだけで、それこそが最強。

「ねぇ、橋本君、番号教えてよ」

その流れはすごく自然だったのに、橋本に稲妻が落ちた。えっ、番号?思わず口からこぼれた言葉に、平河さんはちょっと困った顔して、

「もしかして番号を教えられないの」

と言った。橋本は慌てて首を振って、番号を伝えた。口頭でいきなり言ったものだから、平河さんは覚えられない、と笑っていた。平河さんはペンを取り出すと、持っていたプリントの裏に番号を書くように勧めた。平河さんのペンは女の子が持つような可愛らしいペンじゃなくて、機能性を重視したちゃんとしたペンだった。そのおかげもあって、スムーズにすらすらと書くことができた。

「ありがとう、夏休みに連絡するね」

もうその笑顔を見ることは出来なかった。さっきふと番号という言葉を出してしまったのは、余りにも意外だったから。携帯電話を持てば、番号交換なんて当たり前の話なのだろうが、橋本は番号を交換したところで何を話したらいいかが分からなかったのだ。番号をもらって平河さんと何を話せばいいんだろう、そう思ったら、番号を訊くなんて思考が浮かばなかったのだ。でも違う、平河さんは夏休みに連絡をくれる。何を話せばいいかは問題じゃない。夏休みに自分専用の携帯電話に平河さんから電話がくるのだ。不特定多数の人物が聞いている会話じゃない。2人だけの会話。本当に最強だった。何となく迎えようとしていた夏休みが一気に向日葵みたいになった。橋本は、最高とはこういうことをいうのか、と本当に噛みしめていた。

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