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「で、どうするんだよ。」
と大川がプリントに目を移したまま橋本に声を掛けた。もうすぐ先生が来るぞ、早く写さないとやばいだろ、と橋本が返すと、それはそれだよ、と大川も応戦した。相変わらず目はプリントに移し、手も素早く動かしながら、大川の表情は真剣だった。大川は基本的に塾の宿題をやってこない。やらなくても自分は何とかなると思っているのか、或いは全くやる気がないのか。宿題を解く能力が無いという訳ではないようである。大川は成績さえ橋本に劣っていたけれども、ここぞという時の爆発力は橋本にも目を見張るものがあった。現にこうして手を動かしながらも橋本の話を聞き逃さずに聞いている。頭が良いのか、いや、単に器用なだけか。ともかく塾の授業前はこうして大川は橋本の宿題を写すことが恒例になっていた。橋本は時にこうした大川の行動を残念に思っていたが、それ以上に頼もしく思っていた。どんな状況でも大川ならとにかく状況を良くしてくれるんじゃないか、若しくはそんな大川のピンチを助けられるのは自分しかいないという感情さえ持っていた。
「いや、そりゃ行くだろうけどさ。」
「そんなことは分かってるよ。」
宿題はあとプリントの裏だけ。大川はプリントを裏返した。
「そうじゃなくて、いつ、だれと、何を観に行くのかってことだよ。」
プリントを移す大川の横で、橋本はいろいろな計画をしてみようとした。何といっても初めて平河さんから遊びの誘いを受けたのだ。ここは徹底的に計画を練り、実行し成功させなければならない。転校してきて間もない平河さんは、あの日橋本に、この街に遊びに行く場所があるかどうかを尋ねた。そこそこ大きな街だったけれど、昔はもっと大きな街で、今は見る影もない。炭坑町で栄えた橋本の街は石炭の必要性が低くなったと同時に一気に廃れていった。幼稚園の頃はまだ炭坑はぎりぎり生き残っていて、近くの川は炭坑やその石炭を利用した工場の排水で七色に光っていた。子ども心にその虹色の川は空に輝く虹とは異質な不吉なものであることは分かった。それでもそれをどう言葉にしていいか分からなかった橋本は、何も分からないふりをして、ただその川を見ていた。そして段々とその虹は消えていった。それからその川は虹色には光らなくなったけれど、ただ黒く汚れるようになった。炭坑がなくなって、その川に命を投げる姿も見てきた。その中には同級生の家族もいた。悲しいことだけれど、その悲しさも分からないふりをした。分かったところで、橋本はまだ中学生で、親からお小遣いをもらったり、食事を用意してもらっていたから、この街を出るという考えが全くなかったのだ。自分が行ったことがない場所がこの世に本当に存在しているのかも怪しかった。今、自分の見えている、見たことなる風景が日本であり、世界であり、宇宙だったのだ。だから遊べる場所、と言われたときに、橋本は、普通に世界にはたくさんの遊べる場所があると思っていた。でなければ、世の中の子どもやカップルや夫婦は休みの日に何をしていいか分からなくなってしまう。けれども、冷静に考えて、橋本の知る世界には、この街にはそうした場所が無さ過ぎた。あった場所は炭坑の没落と共に消えていったのだ。
声に詰まる橋本に、平河さんは、やっぱりこの辺には無いのかなぁ、と落ち込んだ声を出した。このままじゃいけない、橋本は咄嗟に自分の世界の中を駆け回った。住宅地、誰もいない公園、通学路、線路、それでも見つからないので、橋本は天を仰いだ。橋本は初めて自分の境遇を呪った。自分は何と面白くない場所に生まれてしまったのか、橋本は子どもの頃の思い出を考えた。そう言われると、思い出のほとんどは町で1年に一度行われる祭り、近くの山で1年に二度行われる祭り、それ位だった。特別な催し以外には何もない、はぁ、とため息をついた。そしてまた目線を前に戻すと、橋本は机の横のポスターに目をやった。それは好きな映画のポスターであった。好きな音楽家の生涯を辿った映画、映画かぁ、と思った時に橋本は声をあげた。
と大川がプリントに目を移したまま橋本に声を掛けた。もうすぐ先生が来るぞ、早く写さないとやばいだろ、と橋本が返すと、それはそれだよ、と大川も応戦した。相変わらず目はプリントに移し、手も素早く動かしながら、大川の表情は真剣だった。大川は基本的に塾の宿題をやってこない。やらなくても自分は何とかなると思っているのか、或いは全くやる気がないのか。宿題を解く能力が無いという訳ではないようである。大川は成績さえ橋本に劣っていたけれども、ここぞという時の爆発力は橋本にも目を見張るものがあった。現にこうして手を動かしながらも橋本の話を聞き逃さずに聞いている。頭が良いのか、いや、単に器用なだけか。ともかく塾の授業前はこうして大川は橋本の宿題を写すことが恒例になっていた。橋本は時にこうした大川の行動を残念に思っていたが、それ以上に頼もしく思っていた。どんな状況でも大川ならとにかく状況を良くしてくれるんじゃないか、若しくはそんな大川のピンチを助けられるのは自分しかいないという感情さえ持っていた。
「いや、そりゃ行くだろうけどさ。」
「そんなことは分かってるよ。」
宿題はあとプリントの裏だけ。大川はプリントを裏返した。
「そうじゃなくて、いつ、だれと、何を観に行くのかってことだよ。」
プリントを移す大川の横で、橋本はいろいろな計画をしてみようとした。何といっても初めて平河さんから遊びの誘いを受けたのだ。ここは徹底的に計画を練り、実行し成功させなければならない。転校してきて間もない平河さんは、あの日橋本に、この街に遊びに行く場所があるかどうかを尋ねた。そこそこ大きな街だったけれど、昔はもっと大きな街で、今は見る影もない。炭坑町で栄えた橋本の街は石炭の必要性が低くなったと同時に一気に廃れていった。幼稚園の頃はまだ炭坑はぎりぎり生き残っていて、近くの川は炭坑やその石炭を利用した工場の排水で七色に光っていた。子ども心にその虹色の川は空に輝く虹とは異質な不吉なものであることは分かった。それでもそれをどう言葉にしていいか分からなかった橋本は、何も分からないふりをして、ただその川を見ていた。そして段々とその虹は消えていった。それからその川は虹色には光らなくなったけれど、ただ黒く汚れるようになった。炭坑がなくなって、その川に命を投げる姿も見てきた。その中には同級生の家族もいた。悲しいことだけれど、その悲しさも分からないふりをした。分かったところで、橋本はまだ中学生で、親からお小遣いをもらったり、食事を用意してもらっていたから、この街を出るという考えが全くなかったのだ。自分が行ったことがない場所がこの世に本当に存在しているのかも怪しかった。今、自分の見えている、見たことなる風景が日本であり、世界であり、宇宙だったのだ。だから遊べる場所、と言われたときに、橋本は、普通に世界にはたくさんの遊べる場所があると思っていた。でなければ、世の中の子どもやカップルや夫婦は休みの日に何をしていいか分からなくなってしまう。けれども、冷静に考えて、橋本の知る世界には、この街にはそうした場所が無さ過ぎた。あった場所は炭坑の没落と共に消えていったのだ。
声に詰まる橋本に、平河さんは、やっぱりこの辺には無いのかなぁ、と落ち込んだ声を出した。このままじゃいけない、橋本は咄嗟に自分の世界の中を駆け回った。住宅地、誰もいない公園、通学路、線路、それでも見つからないので、橋本は天を仰いだ。橋本は初めて自分の境遇を呪った。自分は何と面白くない場所に生まれてしまったのか、橋本は子どもの頃の思い出を考えた。そう言われると、思い出のほとんどは町で1年に一度行われる祭り、近くの山で1年に二度行われる祭り、それ位だった。特別な催し以外には何もない、はぁ、とため息をついた。そしてまた目線を前に戻すと、橋本は机の横のポスターに目をやった。それは好きな映画のポスターであった。好きな音楽家の生涯を辿った映画、映画かぁ、と思った時に橋本は声をあげた。
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