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壱章 切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ
参話 盗賊と大きなハンデ
しおりを挟む「を級は基本的に新規追加されない一点ものだからね、それがなくなったら終わり。でもい級の小鬼みたいなのは無尽蔵に湧いてくるからほら、こんな感じで糸で束ねてあるの」
「なるほど」
店員はそう言ってい級の冊子を見せてくれるが、糊付けされたを級の本とは違って穴が開いており、糸でファイリングできるようになっていた。
「もちろん薬草の採取とかも依頼にはあるのよ」
を級にもあるのだろうかとページを捲ってみれば、「仏の御石の鉢」「蓬莱の玉の枝」「燕の産んだ子安貝」などがあった。竹取物語でかぐや姫が無茶振りするあれのことだろう。鵺の討伐と同難易度とは、かぐや姫もなかなかに酷いお姫様なんだなと思った。別世界の話だが。
「おーい、かぐやさん! 依頼完了だ!」
依頼書からこの世界の生活が想像できるかも知れないと思い、い級の冊子をぱらぱら捲っているとまさに武士といった格好をした二人組がカウンターにやってきた。
「……かぐや?」
「ああ、坊ちゃん。それ私の名前。撫竹かぐや、組合の看板娘です!」
なるほど、姫というにはいささかお転婆そうではあるが、確かに無茶振りしてきそうな人ではある。
「お? 坊主見ない顔だな。新入りか?」
「っす」
俺が見た本でのセオリーを思い出す。確かギルドでは先輩に絡まれるんだっけか。
あまり神経を逆撫でしないよう、頭を下げてその場から引く。
「まあ頑張れよ! んで、かぐやさん。依頼の尻子玉だ」
しかし二人組は俺に絡むどころか爽やかな笑みを浮かべて激励すると、カウンターに黒くて丸い……石にしてはやや柔らかそうな物を置く。
「おお、凄い! 確かに尻子玉ね。田中さんのかどうかは分かんないから、また明日来てちょうだいね」
尻子玉、っていうと河童に抜かれる架空の臓器……だったか。確かに湿り気があって臓器っぽくはある。先ほど誰かが河童の話をしていたし、普通にいるみたいだな、河童……。
「じゃあまた明日、同じ時間帯に来ますんで」
「はいよ。待ってるわ」
じゃあねー、と撫竹さんは二人を見送ると、尻子玉を持って奥の部屋に引っ込んだ。
なんとなく自分の尻を触るが、そこに尻子玉があるような気配はない。そもそも尻子玉の気配なんざ知らないが。
「撫竹さん?」
あまり目立ちたくはないため小さな声で呼ぶが反応はない。居心地の悪さを感じながらも数分、依頼書を見ながら過ごしたが彼女は戻ってこなかった。
田中さんのケツに尻子玉をねじ込んでいるのなら、当分戻ってこないだろう。
そう判断した俺はいったんギルドを後にする。
本に従うならここで絡まれて実力を披露するはずなのだが、皆は陽気に酒を飲むだけで俺に絡むどころか視界にも入っていなさそうだ。そもそも実力を披露するにも刀はないし……鵺なんている世界で技を磨いてきた連中に、ただの高校生が勝てるわけもない。
ギルドの外は中が騒がしかった分だけ寂しさすら感じる静けさだ。
「……腹減ったな」
通りにある茶屋はひと串あたり四文、見れば串を一本注文すればお茶もサービスで付くようである。
ポケットに突っ込んである財布から小銭を取り出して見てみるが、残金は四百二十四円だった。一文がいくらかは知らないが、現代のお金に換算するなら多分俺は一文以上持っていることだろう。
だがこの小銭は使えない。この時代というか世界の技術がどの程度かは知らないが、この小銭の細工はそこそこ高値が付くだろう。
もしかしたら百円が数千円にも数万円にもなるかも知れない。しかし入手先やら何やらを聞かれてどう答えればいいのか。仮に嘘を付いて金を入手しても、同じものを持っている可能性があるからと襲われでもしたらたまったもんじゃない。
…………悩んだ末、俺は小銭を売ることを止めた。本当に食べるものに困った時に売ればいい。
山や川に行けば食べられるものなんていくらでもあるだろう。幸い鞄にはライターも――――
「あ」
鞄が無かった。忘れたとかそういうわけではなく、起きた時から鞄は無かった。
一応、俺の記憶が正しければ起きた時から鞄は無かったわけだが、それでも念のために元いた橋の下に急ぐ。
「無い、か」
やはり無かった。この身体一つで転移したということだろう。元の世界では公園にぽつんと俺の鞄だけ残っているはずで、騒ぎになることだろう。
「はぁ……」
いつもより重みのある気がする二酸化炭素を思いっきり吐き出し、俺はその場に座り込んだ。異世界に転移しても割と冷静さを保っていた自負はあるが、なんだか一気に心が折れてしまった。
俺が読んでいた本の主人公は、異世界に転移したと把握した瞬間かなりのテンションで叫んだり走り回ったりしていたのだが、正直知らない土地に一人ぽつんと取り残されてそんな元気は生まれてこない。
日頃の鍛錬で精神も鍛えられていた気がしたのだが、誤差みたいなものだったようだ。
それでもなんとか自分を奮い立たせ、俺は立ち上がった。目指すは近場の森である。
本当ならもう一度ギルドに戻って情報収集と何か仕事でも見つけて路銀を稼ぎたいところではあるが、日が落ちてきて空は赤く染まり始めている。夜になるまで一刻の余裕すらないかも知れない。
だったら何か口にできるものと枯れ木を集め、たき火でもして一夜を過ごした方がいい。火くらいはどこかでもらえるだろうしな。
開いていれば明日は朝からギルドに向かい、看板娘の撫竹さんに仕事でも紹介してもらうことにする。向こうは勝手に何かを察してくれていたため、話はすんなりと通りそうだ。
「……よし」
そうと決まれば善は急げ。思い立ったが吉日とも言うし、俺は近くの森に向かった。
「――――甘かったか」
なんかこう、江戸時代ともなれば果実取り放題なくらい自然豊かなイメージがあったのだが、そこらの森と何ら変わりはなかった。
高い建物が無いため森はすぐに見つかり、空にそびえる……と言うのは流石に大げさだが、立派な天守閣があるため木に登ってしまえば道に迷うこともない。
問題はやはり食料だけで、そしてその問題が一番大きかった。
考えてみれば鵺がいるような世界である。街のすぐ近くとはいえ、武器も無しに単身突っ込むのは無謀かも知れない。それどころか一夜過ごす気なのだから、我ながらノープランにもほどがある。
しかしだからといって何かいい案が思いつくかといえばそんなことはなく、結局俺は大木を背にうんうんと唸ることしかできなかった。
「……誰だ」
そのまま数分悩んでいると、少し離れたところからこちらの様子を窺う気配がしてきた。こんな街近くに盗賊の類はいないだろうと思い込み、俺は逃げることもせず何者かに無防備な姿を晒し続けた。
やがて。
「よお、坊ちゃん」
俺が無手で仲間がいないことが分かったからか、三人組の男が現れた。全員髷を結っており、腰には大小を差している。
こちらをにやにやと眺める姿を見てようやく俺は、先ほど逃走すべきであったのだと気付いた。
しかし時既に遅し。三人はゆっくりと俺を囲むように近付いてくる。
逃げるか? しかし土地勘はなく、街は男たちがいる方角だ。じわじわと追い詰められるよりも、隙を見て刀を奪った方がまだ勝機はある。
まずは会話しながら近付いて、相手の油断を誘う。
「あの、自分に何か用――――」
一撃。
「え?」
訓練の賜物としか言いようがない。わずかに一歩、俺は反射的に下がった。
「ごふっ」
何かが込み上げてきて、俺は口から吐き出した――――大量の血を。
斬られた……のか? 腹が燃えるように熱かった。
「ちっ、馬鹿が一丁前に避けようとしやがって。わざわざ苦しむだけだってのに……おい、脱がすぞ。手伝え」
「おう」
三人は俺を囲み、指示通り服に手を伸ばす。
俺は――――男の刀に、手を伸ばした。
「ん? おい! こいつ俺の刀を、」
本差を引き抜くような空間はなかったため、素早く脇差を抜き取って太ももを斬りつける。
「ぎゃあ!?」
男は俺の服を脱がそうと近付いていたため、太ももの内側……大動脈を斬るのは簡単だった。
斬られた男はもんどり打ちながら絶叫し、血を吹く太ももを圧迫している。
「貴様ッ!」
残り二人は素早く俺から距離を取ると刀を抜く。
先ほどの一撃、俺は避けることができなかった。それは相手が達人だからではない。まさか何の躊躇いもなく人間を斬れるなんて思わなかったし、いきなり斬られるとも思わなかったからだ。言わば意識外からの攻撃であり、俺は避けることができなかったのである。
それに言ってしまえば祖父の足元にも及ばない一撃だった。きちんと刀を抜いて対峙すれば負ける気はしない。
「……ぐ」
しかし口からも腹からも止め処なく血が溢れ、その傷はハンデとするにはあまりにも大きかった。
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