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chapter 1

9話 チップ

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「傭兵ギルドの者だが、二日間馬を借りたい」

 面倒臭そうにこちらを見る門番に軽くチップを握らせ、貸出し中の馬の中でも上等な馬を連れて来て貰う。

 チップと言えば聞こえは良いが、悪く言えば賄賂のようなものだ。無論それで不幸になる人間が居るわけでも無いし、こういった付き合いは非常に大事だ。羽振りが良い人間だと認識されれば、次からもこういった事がスムーズに行える。

「ありがとう。次からも頼むよ」

 そう告げると門番はにやりと笑い、願っても無いよと言葉を発する。少なくともこの都市で、守衛は兵士の中でも比較的立場が上であるためそう簡単に部署替えは起こらない。つまり、次からも優遇して貰える。

 インターネットが存在しないこの世界、情報の価値は非常に高い。前世では検索ボタンをクリックすれば出て来る無数の情報も、こちらの世界ではあちこち飛び回らないと入手出来ない。

 俺にとって、情報の入手元はフィーとアシュラとスパーダくらいだ。フィーは現在ただの学生でしかないため情報に乏しく、アシュラは立場が上過ぎて曖昧で綺麗な情報しか入って来ない。スパーダは俺が求める、取り繕われていない汚い情報を入手出来る人間だが、残念な事に情報の有用性を理解していなかったり風俗関係に偏っていたりと、大して役に立たない。

 しかし兵士で、しかも中間よりやや下の立場である門番ならば下からの情報も上からの情報も入って来るだろう。

 無論、いきなり聞いたところで何も答えてくれないだろうが、この関係を継続する事が出来れば事情も変わって来るはず。

 そんな黒い事を考えつつ馬を常足で走らせ、のんびりと目的地を目指す。この速度ならば約九時間で到着するだろう。襲歩であれば二時間もかからないだろうが、それだと馬が持たない。

 この世界には都市と都市を繋ぐようにして一本の道――街道――があり、その街道沿いに点々と宿駅と呼ばれる物が建てられている。

 宿駅はその名の通り宿と駅の役割を持つ。旅人はそこで寝泊まりし、次の宿駅まで限定ではあるが馬を借りる事が出来る。

 宿駅は近隣の村がそれの維持を義務付けられているため、いざ行ってみたらもぬけの殻でしたなんて事にはならない。

 だが――――今回の目的地である北の平原の先に都市は無い。そのため街道なんて便利な物は無く、宿駅ももちろん存在しない。

 つまり、夜は魔物が蔓延る森の中で野宿が決定しており――――あれ、ケンタウロスは何の問題も無いとして、そっちの方が断然危なくないか? 遠距離からの狙撃だと敵にこちらの位置はバレないし、仮にバレてもこちらはトリガーを引くだけで良い。しかし近距離だと俺には何も出来ない。

「――――無かった事にしよう」

 ぱからぱからと馬を歩かせながら、先程の恐ろしい考えを頭の中から追い出す。危険に備えて思案するのは構わないが、自分の首を絞めるだけの思考は不要だ。

 俺は脳と言う名のデータベースを掃除しながら、暗くなり始めた空を見る。

 前世の知識がある俺も、何故夕焼けが赤くなるのかは分からない。今の俺が分かるのは、夕焼けはとても綺麗で…………とても危ういという事だ。

 この世界に電球は無く、魔法も一部の人間にしか使えない。だから人々の行動時間は一日を分割して出来た確かな数字ではなく、太陽という人智の及ばない絶対で不確かな存在に頼ったものになる。具体的に挙げるならば、人々は朝日と共に動き出し、それが沈むのと同時に就寝する。

 それ故に夏の活動は長くなり、必然的に冬の活動は短くなる。

 そこには完成されたサイクルがあり、誰も夜の不便さを訴えたりはしない。…………今思うと夜に出歩く概念が無いのも、犯罪率を下げる要因の一つなのかも知れない。

「――――ん?」

 どこからか水のせせらぎが聞こえて来る。

 今回、水袋は一リットルの水が入る物を五つ持って来ているため水の補給は必要無いが、万が一の事を考えると足が止まる。…………正確に言えば止まったのは馬の足で、止めたのは俺の意思だ。

 話を戻すが、万が一という事もある。絶好の狙撃ポイントを見付けたとして、一度狙撃体勢に入ったらなかなか動く事は出来なくなるだろう。その時に水が切れると、わざわざ湧き水などを探さなくてはいけなくなる。

 しかし、魔物は今の時間帯から活性化する。そのため水がある場所にはあまり近付くべきでは無い。

「…………むぅ」

 結局俺は水の補給を諦めた。流れる水が湧き水程度なら汲みに行ったかも知れないが、遠くまで水のせせらぐ音が聞こえるという事は、少なくともある程度の大きさと深さの川があるのだろう。水中には地上とは別の進化を遂げた厄介な魔物が多いため、今回は見送る。

 川の付近で野宿をするのは危険なため、それより数キロ離れた場所で馬を止める。既に空は暗い。

 馬に載せていた荷物からアルコール度数の高い酒と干し肉を取り出す。アルコール度数が高い酒を持って来た理由は、医療用として使えるからなのだが…………今回使う事は無さそうだ。

「…………堅っ」

 ぱさぱさして美味しさの欠片も無い干し肉を噛み千切り、酒で胃に流し込む。デザートとして持って来たクッキーを取り出して食べてみるが、この世界でのクッキーは甘味では無くただの保存食だ。テキトーに小麦粉その他を混ぜて焼いただけのぱさつく何かに過ぎない。

 美味しい物を食べたければこの場で獲物を狩るなり材料を持って来て調理すれば良いのだが、街道から大きく外れた場所で火を焚くのは不味い。小さな生物や狼程度の獣ならば火に近付いて来ないが、火はある程度知能のある魔物ならば逆に襲いかかって来る。

 暗闇で魔物に襲われたら死は確実だろう。マシンガンのように連射出来る武器を創造すれば話は変わるだろうが、残念ながら俺には創造出来ても扱う事が出来ない。技術的な問題では無く、魔力的な問題。

「おやすみ」

 隣で嘶く馬に悲しく告げ、マントにくるまって横になる。

 米とか醤油よりまともな寝具が欲しい。そう思うも、結局訪れた睡魔に抗えるような悩みでは無かったらしく、俺はあっさりと眠りに落ちた。







「雲無し、風無し、やる気なーし」

 記憶にあったスナイパーライフルを創造し、それに付属しているスコープを右目で覗く。最初は左目を堅く閉じていたが、両目を開けた方が楽だと気付いた今ではそのようにしている。

 スコープから覗く世界は、文字通り何もかもが別物だ。左で見ればただの点だが、右で見たそれは生物だ。左で見た木は不動の存在だが、右で見ると風の所為か左右に揺らいでいる。

「敵さん発見」

 視界に収められたケンタウロスの数は…………十四。若干増えているような気がするが気にしないでおく。

 距離は大体一キロくらいか。実は初狙撃である俺にはそれが近いのか遠いのかは分からない。ただ風は殆ど無いし、弾やそれを発射する銃本体は魔力で造られているため本物より命中率その他は良いだろう。

 俺は手始めに一番手前のケンタウロスに狙いを付け、トリガーを引いた。

――――着弾。敵の下半身と上半身が分離する。近くの仲間が襲撃に備えて斧を構えるがそれは無意味な行動。俺は即座に次の標的に照準を合わせると、スコープ越しに喚く敵目掛けて引き金を引いた。

 敵は必死に襲撃者を捜すが、しかし一キロ先に居るとは思っていないらしい。検討違いの方向に視線を向ける敵――――否、的に向けて二度三度と引き金を引く。

 こんなに連続で生物を殺したのは初めてだ。だけど不思議な事に罪悪感なんて欠片も無い。何かを殺したというよりも、ゲームで高得点を取るあの高揚感に近い。

 俺の耳には断末魔が聞こえないからか、普段より圧倒的に抵抗感が少ない。

 ケンタウロスの親子が居る。見逃す事なくトリガーを引く。貫通した弾が、奥に居た別のケンタウロスの息の根を止める。軽くガッツポーズ。

 自分でも少し異常だと思っている。人間はここまで間接的な死に無関心なのか。俺が特別? そんな事は無い。分かっている。だからまたトリガーを引く。
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