異世界で奴隷と開業を

佐々木 篠

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1章 ダンジョンは稼げない

4話 肛門が痒くなります。

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「……くぁ」

 目が覚めると、既に昼過ぎであった。

 天幕に差し込む光が寝坊したという事実を教えてくれる。

(少し寝過ぎたか……妙にぽかぽかで気持ち良くて、つい…………ん?)

 起き上がろうとしてカムイは自分の身体が動かない事に気が付いた。無論怪我は既に癒えており、筋肉痛だというオチでもない。


 腕の中には尻尾を丸めて耳を伏せ、カムイに抱き着く少女の姿があった。


 言うまでもなく、ハルだ。

「…………っ」

 危うく声を出しそうになるがなんとか堪える。昨日の夜、記憶が正しければハルは仕切りに寒さを訴えていた。

 カムイはそんな彼女にそっと毛布を差し出したのだが、どうやら足りなかったらしい。今は幸せそうな顔で眠りについている。

(少しだけなら、いいよな?)

 本当に少しだけだから、と心の中で誰かに言い訳をしてカムイはハルの頭に触れた。

 セミロングの髪は姉であるリウと同じ綺麗な茶色で、触れればすべすべとした感触が返って来る。

 ゆっくりと頭を撫でれば、手の平がじんわりと暖まる。髪と同じ茶色の耳はこりこりとした感触で、そこだけがひんやりと冷たかった。

(獣人って言うけど、肌は綺麗だ)

 耳と尻尾は毛に覆われているが、白い腕やそれよりもさらに真っ白な太ももには毛が一切生えていない。あまりにも滑らかな肌に触れたい欲求が浮かび上がって来るが、寝ている少女の太ももに触れて言い訳が出来るわけが無い。しかも美少女とはいえ相手は、向こうの世界で言えば小学生なのだ。

 故にカムイはその欲望を握り潰し、無言で頭を撫で続けた。

「……ぅ、ん」

 やがてハルは目を開き、頭を撫でられる心地良い感覚に身体を委ねる。うっとりと目を細めて身体を預ける姿は幼いながらも酷く官能的で、カムイは照れ隠しに少し強く頭を撫でた。

「わ、きゃ!」

 その行為で完全に目が覚めたのか、己の状態に気が付いたハルが顔を真っ赤に染める。

 少し残念だがこれで離れるだろうと思ったカムイだが、ハルはその逆の行動を起こした。つまるところ離れるのではなく抱き着き、カムイの胸に顔を埋めたのだ。

「お、おはようございますぅ……」

 自分で恥ずかしくなったのかハルは頭をカムイの胸にぐりぐりと押し付けた。

「ああ、うん、えと……おはよう」

 そのまま双方無言。

(や、やばい。この雰囲気はやばい。確実にやばい)

 カムイの処理能力を超える負荷に、語彙力が死滅する。

 それでもこの「新婚初夜、翌日」みたいな空気はどうにかしないと! と懸命に頭を働かせる。

「そ、そうだ、お腹空いたし朝ご飯にしよう!」

 出て来た言葉は至極普通の言葉であったが、幸いな事にハルもこの空気を気まずく思っていたのかわざとらしいくらいに乗って来た。

「そうで……だね! 用意するからちょっと待っててね!」

 まだすんなりと言葉は出て来ないようだが軽く返し、ハルは起き上がって置いてあった鞄に手を伸ばした。

(まあ朝ご飯と言っても既に昼だが)

「はい、どうぞ!」

 差し出されたものは|干し魚(サッチェプ)。分かりやすく言えば「鮭とば」だ。

「ありがとう」

 鮭とばを受け取り、噛み千切る。

 噛めば噛むほど甘みが際立ち、塩漬けしているために旅で貴重な塩分も摂取出来る。必然的に噛む回数が多くなるため満腹中枢が刺激されるなどと、正に至れり尽くせりな食料だ。

 だけどはっきり言って朝食として豪華かと問われれば否としか言いようが無いし、無言でもそもそと食べる飯の席ほど味気ないものも無い。

「なあハル、イアンパヌの人たちって主食はなんだ?」

「むむ、主食……難しいなぁ。よく食べるのはオハウだけど、主食とは言わないし……鮭になるのかな?」

 米は無いのか、と聞きたかったのだが遠回し過ぎたらしい。日本人であるカムイにとって米は主食で、そうでなければパンなど選択肢は無数にあり、「主食がない」という回答は予想していなかった。

「お米とか食べないの?」

「んー、人間たちの主食だね。粥(サヨ)に混ぜて食べるけど、あんまり私たちは食べないかなぁ……」

「それは残念」

 米があればその上に刻んだ鮭とばと各種山菜を乗せ、上から熱々のお茶をかけてやれば美味しい鮭茶漬けが作れたのだが、どうやらそれは無理そうだ。

 鮭とばの塩気は確実に米と合うはずだが、それは今後の楽しみとしておこう。

「今日はどうする? うっかり寝過ごしたから、街に着くのは夜になるんだろ?」

「そうだね。夜でもツテがあれば入れてくれたりするけど、普通は入れないと思う」

「じゃあ無理せず移動して、余った時間は食材でも探すか」

 うっかり米とか自生してないかな、なんて思うカムイだが、そんな事があるはず無い。

 ハルが抱き着いて寝ていた通り夜は肌寒く、季節で言えばちょうど秋頃。稲の収穫時期ではあるがそんな奇跡は起こらないだろう。異世界だから確実だとは言えないが、少なくともここらの土壌は稲が収穫出来るようなものでは無い。

「んじゃ、取り敢えずテントでも片付けますか」





「あ、コクワだ」

 エルサレムを目指しつつ歩いていると、ハルが何かを見つけたのか走り出した。

(またか。どれも同じ木にしか見えん)

 カムイのポーチは既にいろいろな山菜やキノコで溢れているが、これは全てハルが見つけたものである。

「お兄ちゃんー! コクワがあったよー!」

 ハルが嬉しそうに千切り取った実を持って来る。

「何これ?」

 差し出された丸い緑色の実を受け取る。

「コクワって言ってね、甘いんだよ!」

 そう言うとハルは器用に皮を剥き、あむ、とその実を口にした。

 カムイも見よう見まねで皮を剥き、実を口にする。

「お、甘酸っぱくて美味いな。キウイみたいだ」

「あー!」

 ハルは嬉しそうにコクワを食べていたが、同じようにコクワを口するカムイを見て叫び声をあげた。それはカムイがコクワを食べた事に対する抗議では無い。ハルはカムイのためにコクワを取ったのだからむしろ喜ばしい事なのだが、問題はその食べ方であった。

「どうした?」

「あ、あのね、怒らないで聞いてね?」

「お、おう」

「その……コクワのここの部分ね、取ってから食べなきゃいけないんだ」

 ここの部分、と実を千切った名残である枝の余り部分を指差す。

「こうやって毟るのか? つーか、取ってないと何か悪いのか?」

「その……お尻がね、痒くなるんだ」

「お尻?」

「うん。肛門がね、ちょっと」

「え!?」

 肛門、と口にして恥ずかしそうに頬を染めるハルは可愛らしかったのだが、カムイはそれどころじゃなかった。

「マジかよ!?」

 人気(ひとけ)の無い森の中、カムイの叫び声が響き渡る。

 ちなみに一個しか食べなかったからか、その後カムイの肛門が痒みに襲われる事は無かった。






 コクワ事件が何も起こらないまま無事終わり、二人は枝部分を綺麗に取ったコクワを食べながら歩いていた。

「お!」

 今度はハルではなくカムイが何かを見つけたのか、ハルを置いて走り出す。

(コクワ発見! 少し細長いけど、この色といい間違いなくコクワだな!)

「あっ、お兄ちゃん、それはーーーー」

 味を確かめるためにカムイは慣れた手つきで皮剥ぎ、もちろん枝も毟り、自分で見つけたコクワを口に入れた。

 悲しい事に今のカムイにはようやく自分で食料を見つけた嬉しさからか、ハルの制止の言葉は聞こえていなかった。

「…………か」

「か?」

「かれええええええええー!!」

「……あぁ、やっぱり」

(くっそ辛、何これめっちゃ舌がぴりぴりするんだけども!)

「はう、こえ、あに?」

 ハル、これ、なに?

「それはコクワに似ているけど、マタタビだよー。コクワよりも細長い俵型で、特徴は辛い事!」

「……道、理で」

 マタタビとはあの猫が大好きなマタタビだが、一応食べられる物ではある。ただし舌に刺激が残る辛さであり生食は推奨されない。普通は酒に漬けたりする。

 特にカムイは辛いものが得意では無いため、知っていれば確実に食べる事は無かっただろう。

 それにこれがもしもハルが見つけたキノコに似た毒キノコ、であれば大変な事になっていたかも知れない。

(……今度からはハルに食べられるか確認しよう)

 カムイはそう胸……というか、先ほどから刺激を訴えて来る自分の舌に誓った。







「でっっけえええー!!」

 翌日。

 森を抜けるとそこには、見上げないと一番上が見えないほど高い城壁があった。縦だけではなく横にも大きく、地平線の彼方まで城壁が見える。

 カムイはこれより何倍も高いビルに囲まれて生きて来たが、本物の、しかもこれほど高い城壁は初めて目にした。その興奮は留まる事を知らない。

「うわー、でかいなー! これって本当に丸々街を囲んでんの? 無駄にすげえなおい!」

「ね、ねえ、お兄ちゃん。もう少し声を落として欲しいなー、なんて」

「声を?」

 何で? と見上げていた顔を戻す。そして周囲を見てみると、エルサレムに入る手続きをするために列をなしている連中と目が合った。

「ママー、あの人ー」

「しっ、見ちゃいけません」

 約束とも言えるやり取りに出くわし、カムイは耳まで真っ赤にする。

(うわ! めちゃくちゃお上りさんじゃねえか! 誰か殺してくれ!!)

 違うんだ、決して田舎者……ではあるけど、ちょっと訳ありだから、とぶつぶつと呟くがその言葉は誰にも届かない。

「……並ぼっか」

「そうだね……ははは」

 生暖かい視線を頂戴しながら乾いた笑みを浮かべ、カムイは列の最後尾へと向かった。

「どのくらいかかると思う?」

「うーん、あんまり馬車が無いから、そんなに時間はかからないと思うよ」

「馬車だと特別な手続きでも?」

「ううん。でも大抵商人だから、荷物が多い分チェックに時間がかかるんだ」

「なるほど」

 ハルの言った通り何十分も同じ場所で立ちっぱなしなんて事にはならず、時たま動きが止まるだけで基本的列はすいすいと進む。

 この調子で行けばあと数分といったところだろう。

「そう言えばお兄ちゃんは街で何するつもりなの?」

「何って、そりゃあ送還魔法が使える人を探して、元の世界に戻るのさ」

「お金あるの?」

「…………え?」

「いや、だからお金」

「無いけど?」

 開き直って胸を張ってみる。カムイは言葉に出来ない虚しさを味わった。

「その、お金かかったりするの?」

「もちろん。特に物体を移動する魔法は物流の関係上、経済が滞っちゃうからね。法外な値段を請求されるよ」

「……何、だと……?」

 魔法で物を行き来させれば国はより閉鎖的かつ、大きくなるだろう。

 しかし関税は意味をなくすし、「送還魔法を使う人間」という中抜きが増えれば物価は高くなるか、商人の取り分が下がる。今まで直に恩恵を受けていた人間は反対するだろう。

 それ故に国では移動させられる物質の大きさ、移動場所を法で決めている。

 何者かが隠れて召喚もしくは送還をしようとしても、張ってある結界が阻むようになっている。

 基本的に城壁は物理的な攻撃から、結界は魔法的な攻撃から国を守っている。

 まあそもそもそのような魔法を使える人間自体が極僅かなのだが、カムイがそれを知っているわけも無い。

 ただ帰還には法外な額が必要という言葉だけが頭に入って来た。

(向こうの世界では開業するための資金で悩み、こちらでは帰還するための資金に悩むわけか)

 さらに言えば、もしも帰還するための資金を揃えたところで、向こうの世界での資金問題がどうにかなるわけじゃない。

「……どうしようか」

「大丈夫、その補佐のために私が付いて来たんだから!」

(あ、建前は捨て去る感じね)

 ハルはイアンパヌの儀式という名目で付いて来ているのだが、既にそんな建前に何の意味も無いためカムイは聞かなかった事にした。

「補佐って言ってもなー。ハルが採った食材でも売るのか?」

「それでも私はいいけど、それよりもーーーーあ、列進んだよ」

 前を見れば衛兵がいるだけで他に誰もいない。ようやくカムイたちの番が来たのだ。

「荷物を拝見させていただきます……あ、武器は結構ですよ」

 武器でも預けるのだろうかと思い刀を差し出すカムイだが、あくまでも衛兵は違法な品が持ち運ばれていないかをチェックするだけあり、軽く見ただけで武器は返される。

「それでは通行料を」

「え!?」

「どうぞ」

「確かに頂戴致しました。お通り下さい」

「うぇ!?」

「ほら、行くよお兄ちゃん」

 何がなんだか分かっていないカムイは、ハルに引きずられながらもついに王都エルサレムへと到着した。

(……よし、もう少しこの世界について勉強しよう)

 異世界に来て決意を固めてばかりなカムイは、新たな決意を固めながらぐっと拳を握った……ハルに引きずられながら。
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