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「やまや」
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3 「やまや」
ジョニィはうやうやしくお辞儀をしてみせた。
「神聖なる生徒会のたまり場にようこそ」
「神聖」が聞いてあきれる、とぼくは思った。焼肉料理店の「やまや」は、戦前を通り越して江戸時代からあるんじゃないかと思われるほどの、すすと脂がしみついた店だったからだ。
会長の隣では、歌姫が辺りをきょろきょろと見まわしていた。
「きみは焼肉屋がそれほど珍しいのですか」
会長はスタッカートな口調でいった。
「いや、そうじゃないけど……ちょっとひとりでは、入りづらいかなあ」
歌姫の答えに、ぼくはにやりと笑った。
「ほほう、ロックシンガーでも、怖いものは怖いですか」
会長がわずかに眉を顰めた。
「伊藤さん、きみがこの焼肉屋をはじめにして、焼肉屋というもの全般に入りづらさを感じるのは、きみに原因があるのではない。単に、女性は焼肉屋に入るのははしたないと考えるという、われわれを縛る愚かな偏見があるせいにすぎない」
早口でまくし立てると、会長はコップの水を飲んだ。
「きみが偏見に縛られないようになることを祈る。ここのクッパは絶品だ。一度食べてみたまえ。そうすればわかる」
「税込み500円だしね」
ジョニィは笑った。
「歌姫さん、会長のいう通り、ここのクッパは絶品だよ。なにせ、スープが違う」
「えーと、書記の……」
「ジョニィでいいよ」
「じゃあ、ジョニィ。カルビクッパとクッパでは、どっちがお得?」
「カルビクッパだ」
ぼくは主張した。
「唐辛子と胡椒をきかせたカルビスープ、こいつを汗をかきながら食べる。これ以上にうまいものはない」
「染野くんは激辛好きだからね」
ジョニィは笑って首を振った。
「初心者は普通に、クッパかビビンバを食べるのがいいよ。サイズも大中小とあるしね」
「へえ……」
歌姫は周囲を見回した。
「残ってるところには残ってるのね、こんな店……でも、どうして、ここが生徒会のたまり場になったの? おいしいんなら、もっと広く知られてもいいんじゃ?」
「それについてはジョニィくんに聞くのが早い」
会長は早口でいった。
「この店を発見して、生徒会にもたらしたのは、彼なのだから」
「たまたま入ったら、店の主人が変わっていただけだよ。それまでは、なんということもない焼肉屋だったんだけど、今の店長になってから、味がぐんとよくなったんだ」
ジョニィは夢を見るかのような瞳になった。
「ぼくの憧れとする人物だ」
「会長」
ぼくはいった。
「なにをジョニィのスイッチを入れて遊んでるんです」
歌姫は視線の先をジョニィからぼくに移した。
「スイッチ?」
「まあ見てろって」
ぼくはジョニィを指さした。
ジョニィは歌うように続けた。
「歌姫さん、それはひとつの革命だった。ああ、その焼肉の味!」
歌姫はまだわかっていないようで、視線をまたジョニィに戻した。
「あのカルビの絶妙なうまみ! あのロースの芸術的な肉汁! そのときぼくはわかったんだ、焼肉屋こそぼくの天職だと! 高校を卒業したら、大学なんか行かないで、そのまま、この焼肉屋に弟子入りする! そしていつか自分の店を持つ! 牛肉を食べることに関しては、ぼくたち日本人は、いまだひよっこ同然だ、と、ぼくは思い知らされたんだ!」
さすがに歌姫もわかったようだった。
「そんな人が生徒会の書記なんかやってて大丈夫?」
「大丈夫じゃないから困ってるんだ。見てろよ、歯止めがかからないとあいつ延々と演説するから」
ぼくはジョニィから目をそらした。
ジョニィは続けた。
「レバーは香ばしく焼かれ、そしてホルモンは弾力性を失わない。たれと塩とを超越した福音、それがこの『やまや』の焼肉なんだ! レバーを刺身で食べるのもいいだろう。だが、それは野蛮だ。ぼくたちは野蛮性を克服し、文明である火を用いて生よりもうまくしなくてはならない。ぼくたちは断固として」
歌姫は会長に聞いた。
「会長、わかっててジョニィに話、振ったの?」
「伊藤さん、きみが生徒会に入るのなら、慣れておいてくれなくては困るからな」
ジョニィは立ち上がって拳を振り回し始めた。
「ぼくたちは炭と火とに立ち返らねばならない! そのとき、網はすでに単なる客体としての網を飛び越え、ひとつの主体として現前するのである! 肉はすでに肉ではなく、ひとつの奇蹟であり」
「いつまで続くの、これ?」
歌姫はあきれ顔でいった。
「いっただろ。歯止めになるものが出てくるまでは、この調子だ」
「なんなの、その歯止めって」
いいタイミングで、歯止めはやって来た。
「クッパ中ふたつに、小ひとつ、カルビクッパ中ひとつ、お待たせしました」
そういって、店主の奥さんがお盆を持ってきた。
ジョニィは演説をぴたっとやめ、スプーンを手に取った。
「ああ、やっときた」
そういってジョニィは座ると、あきれ顔で見ている歌姫に視線を送った。
「おいしいよ。なにしてるの、食べないの?」
会長はスタッカートな口調で歌姫にいった。
「慣れてくれないと困る」
ぼくは会長にうなずくと、無言で、カルビクッパにスプーンを沈めた。
うまい。
ジョニィはうやうやしくお辞儀をしてみせた。
「神聖なる生徒会のたまり場にようこそ」
「神聖」が聞いてあきれる、とぼくは思った。焼肉料理店の「やまや」は、戦前を通り越して江戸時代からあるんじゃないかと思われるほどの、すすと脂がしみついた店だったからだ。
会長の隣では、歌姫が辺りをきょろきょろと見まわしていた。
「きみは焼肉屋がそれほど珍しいのですか」
会長はスタッカートな口調でいった。
「いや、そうじゃないけど……ちょっとひとりでは、入りづらいかなあ」
歌姫の答えに、ぼくはにやりと笑った。
「ほほう、ロックシンガーでも、怖いものは怖いですか」
会長がわずかに眉を顰めた。
「伊藤さん、きみがこの焼肉屋をはじめにして、焼肉屋というもの全般に入りづらさを感じるのは、きみに原因があるのではない。単に、女性は焼肉屋に入るのははしたないと考えるという、われわれを縛る愚かな偏見があるせいにすぎない」
早口でまくし立てると、会長はコップの水を飲んだ。
「きみが偏見に縛られないようになることを祈る。ここのクッパは絶品だ。一度食べてみたまえ。そうすればわかる」
「税込み500円だしね」
ジョニィは笑った。
「歌姫さん、会長のいう通り、ここのクッパは絶品だよ。なにせ、スープが違う」
「えーと、書記の……」
「ジョニィでいいよ」
「じゃあ、ジョニィ。カルビクッパとクッパでは、どっちがお得?」
「カルビクッパだ」
ぼくは主張した。
「唐辛子と胡椒をきかせたカルビスープ、こいつを汗をかきながら食べる。これ以上にうまいものはない」
「染野くんは激辛好きだからね」
ジョニィは笑って首を振った。
「初心者は普通に、クッパかビビンバを食べるのがいいよ。サイズも大中小とあるしね」
「へえ……」
歌姫は周囲を見回した。
「残ってるところには残ってるのね、こんな店……でも、どうして、ここが生徒会のたまり場になったの? おいしいんなら、もっと広く知られてもいいんじゃ?」
「それについてはジョニィくんに聞くのが早い」
会長は早口でいった。
「この店を発見して、生徒会にもたらしたのは、彼なのだから」
「たまたま入ったら、店の主人が変わっていただけだよ。それまでは、なんということもない焼肉屋だったんだけど、今の店長になってから、味がぐんとよくなったんだ」
ジョニィは夢を見るかのような瞳になった。
「ぼくの憧れとする人物だ」
「会長」
ぼくはいった。
「なにをジョニィのスイッチを入れて遊んでるんです」
歌姫は視線の先をジョニィからぼくに移した。
「スイッチ?」
「まあ見てろって」
ぼくはジョニィを指さした。
ジョニィは歌うように続けた。
「歌姫さん、それはひとつの革命だった。ああ、その焼肉の味!」
歌姫はまだわかっていないようで、視線をまたジョニィに戻した。
「あのカルビの絶妙なうまみ! あのロースの芸術的な肉汁! そのときぼくはわかったんだ、焼肉屋こそぼくの天職だと! 高校を卒業したら、大学なんか行かないで、そのまま、この焼肉屋に弟子入りする! そしていつか自分の店を持つ! 牛肉を食べることに関しては、ぼくたち日本人は、いまだひよっこ同然だ、と、ぼくは思い知らされたんだ!」
さすがに歌姫もわかったようだった。
「そんな人が生徒会の書記なんかやってて大丈夫?」
「大丈夫じゃないから困ってるんだ。見てろよ、歯止めがかからないとあいつ延々と演説するから」
ぼくはジョニィから目をそらした。
ジョニィは続けた。
「レバーは香ばしく焼かれ、そしてホルモンは弾力性を失わない。たれと塩とを超越した福音、それがこの『やまや』の焼肉なんだ! レバーを刺身で食べるのもいいだろう。だが、それは野蛮だ。ぼくたちは野蛮性を克服し、文明である火を用いて生よりもうまくしなくてはならない。ぼくたちは断固として」
歌姫は会長に聞いた。
「会長、わかっててジョニィに話、振ったの?」
「伊藤さん、きみが生徒会に入るのなら、慣れておいてくれなくては困るからな」
ジョニィは立ち上がって拳を振り回し始めた。
「ぼくたちは炭と火とに立ち返らねばならない! そのとき、網はすでに単なる客体としての網を飛び越え、ひとつの主体として現前するのである! 肉はすでに肉ではなく、ひとつの奇蹟であり」
「いつまで続くの、これ?」
歌姫はあきれ顔でいった。
「いっただろ。歯止めになるものが出てくるまでは、この調子だ」
「なんなの、その歯止めって」
いいタイミングで、歯止めはやって来た。
「クッパ中ふたつに、小ひとつ、カルビクッパ中ひとつ、お待たせしました」
そういって、店主の奥さんがお盆を持ってきた。
ジョニィは演説をぴたっとやめ、スプーンを手に取った。
「ああ、やっときた」
そういってジョニィは座ると、あきれ顔で見ている歌姫に視線を送った。
「おいしいよ。なにしてるの、食べないの?」
会長はスタッカートな口調で歌姫にいった。
「慣れてくれないと困る」
ぼくは会長にうなずくと、無言で、カルビクッパにスプーンを沈めた。
うまい。
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