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序章2 運命の夏の日! 美少年と謎の男
第2話 首払村
しおりを挟む首払一郎の家は、首払村の他の家々に比べると、立派なものである。屋根の上を彩る陶器瓦は、真夏の日光を受けて黒い宝石のように輝いており、庭も広い。車は、農作業用の軽トラとセダンの二台が置いてあり、それらが入っている倉庫も大きいものだ。家の中は、きれいに片付いており、木製の洒落たテーブルが食卓だった。
「美味いかね? 隼人君」
一郎が作った熱いうどんとおにぎりをガツガツと掻ッ込む隼人が、うんうんと頷く。奈美坂精神病院から逃げ出した日以来の食事は高速で消化され、出された物全てをたいらげるのに時間はかからなかった。啓子が冷蔵庫から持ってきた氷入りの麦茶で口の中を冷やし、ごちそうさまと礼を言った。
「さて、さきほどの続きじゃが……」
だが、目を伏せる隼人が、その話をしたがらないことを確認すると、一郎のほうから、その件を打ち切った。
「まァ、なにか事情があるようじゃな。深くは追及せんよ」
一郎がテーブルの上に置いた麦茶入りのコップから、からんと硬質な音が鳴る。
「隼人君は何年生かね?」
一年ほどを奈美坂精神病院で過ごした隼人には、学年という感覚が薄れていた。とりあえず、自分が両親と離れた日のそれに1を足し、そして答える。
「小学五年生です」
「そうなのか。おまえのほうがひとつ下じゃな」
啓子に目を向け、意外そうに言った一郎。同じく、隼人も。啓子は、恥ずかしそうに目をそらすと、台所のほうへ早足で立ち去った。
「どうやら、うちの孫娘は、君がかっこいいから照れているらしい。気にせんでくれ」
少し困ったような顔をする目の前の少年は、少女と見間違うほどに美しい。啓子の心理は一郎にとって、わからないものではなかった。ここ首払村には、啓子と同年代の子供がいないので、良い友達にでもなれればいいのである。隼人の不明な素性など気にしないほどに、肝の座ったところがある男だった。
一郎が貸してくれた風呂場は、綺麗に整頓されていた。シャワーを浴びながら体をこすると、数日分の垢が流れていくような爽快さを感じる。頭を洗っていると、ドアの外から、啓子の声が聴こえてきた。
「あ、あの……着替えとバスタオル、ここに置いておくから……」
隼人が、ドア越しに言った礼を確認した彼女は、その着替えが入った籠を見ると、ぼそっとつぶやいた。
「少し、大きいかしら……」
十数分後、少し大きめのTシャツに、ジーンズの裾を踏ンづけながら、隼人が居間に戻ってきた。
「おう、ちゃんと着れたか」
テレビで再放送の時代劇を見ていた一郎が笑う。石鹸の香りを漂わせた美少年の、間抜けた格好がおかしいらしい。
「長くて歩きづらいなぁ」
隼人の素直な感想に、一郎が
「仕方あるまい。それは啓子のじゃからな」
と、答えた。
痩せている隼人の背丈は、五年生にしては一番小さい部類に入る。対して四年生の啓子は、同年代の中では大柄なため、彼女のほうが体が大きい。啓子が自分の服の中から、男の子が着てもおかしくない色の物を選んだのだが、サイズに関しては気の利かせようがなかった。
「そう……ありがとう」
美貌の少年が、綺麗な笑顔で礼を言う。啓子は言葉を返せず、赤くなってうつむいてしまった。
「…………ん?ちょっと待って。まさか、パンツも?!」
隼人は、自分の股間のあたりを見て、言った。
「当たり前じゃ。わしのじゃないよ」
ますます赤くなった啓子の目に、祖父と美少年の、滑稽なやりとりが映る。いつもと違う賑やかな光景が、彼女にとまどいの風を運んできた。
隼人が迷い込んだ首払村は、行政法上の“村"ではない。正式な所在地は、“鹿児島県薩摩郡T町平山首払。奈美坂精神病院は、S市に位置するため、隼人は知らぬうちに、市町村堺を越えていた。平山とは大字をさすので、首払は小字。つまり、集落名ということになる。
近代的な市町村制が完成するずっと以前から、首払村と言われており、地元住民にも近隣住民にも、その名のほうが通りが良いため、いまだにそう呼ばれているのである。
十世帯ほどの集落には、啓子以外に子供はいない。一郎ですら、啓子の次に若い存在であり、いわゆる限界集落である。 古びた家々にかかる表札は、すべて苗字が“首払"と書かれており、もとを辿れば皆、親戚なのだろう。住民は、ほとんどが農業に従事していた。
「暑ッ…」
啓子から借りている長いジーンズの裾をまくり上げ、一郎とともに玄関から出た隼人の目に陽射しが飛び込む。まだ昼前にもかかわらず、気温はとうに三十度を越え、しかも風が吹いていないため、余計に暑く感じる。歩いてもいないのに大量の汗をかきそうだ。
退屈だろうから村を案内してやる、という一郎の誘いに、隼人はのることにした。もし、ここで数日を過ごすことになるのなら、少しは地理に明るくなったほうがいい。あれだけ走ったにもかかわらず、今の時点では、あまり疲れも感じていない。
早い時間に、夏休みの宿題をすませると言っていた啓子を留守番に残し、ふたりは熱射で焦げる田舎道を、てくてくと歩いて行った。
「今日も、いい天気じゃのう」
そう言って隼人の目の前を歩く一郎は、さほど長身ではないが、その背中は、やけに広さを感じさせる。
「あんたは、宿題はせんでもいいのかね?」
その質問に、隼人は無言を貫いた。普通の学校生活をおくっているはずの年齢だが、普通の学校生活をおくっていない境遇だった。
「まあ、別に答えんでもいいよ。さっきも言った通り、追及はせん。帰るところがないのなら、当分ここにいなさい」
実際、隼人には帰るところがなかった。奈美坂精神病院から逃げ出すまでは、両親に会いたいと願うことも多かったが、いざ逃亡が叶うと、逆に奈美坂精神病院に連れ戻されるのではないかという不安が勝り、家に帰ろうとする気が失せていた。かと言って、ここにいつまでもいられるものではない、ということもわかってはいるのだが。
首払村は、殺風景な集落である。一郎の家を除けば、くたびれた家ばかりで、空き家も目立つ。車がすれ違うには問題ないほどに道路は広いが、その脇には、伸び切った草むらが生いしげり、木には苔が生えている。
「おや、一郎さん。そのかわいい女の子は誰かね?」
軽トラに乗った村人とすれ違った。歳は一郎よりずっと上だろうが、田舎の老人は元気である。
「夏休み中、預かることにした“親戚"の子じゃよ。辰さん、これから畑かね?」
女の子と間違ったことを訂正しない一郎に軽い悪意を感じないでもなかったが、今の口ぶりから察するに、本気で自分の面倒を見てくれるらしい。そう思うと、少し気が楽になった。
一郎が案内する首払村は、殺風景が続いたが、人が居住するあたりを抜けると、悪くない風景が広がってきた。
「わぁ、すごいや」
思わずあげた隼人の感想である。下に見える滝と川は、日照り続きとは思えないほどに豊かな水が流れ、それが真夏の太陽光を乱反射させて、不規則で美しい、昼間のイルミネーションを作り出していた。
「綺麗だなぁ……」
初めて見せた歳相応の表情と言動に、一郎も満足する。
「ここは、“神様"が作った滝じゃからな」
「神様?」
一郎が指差した方向に小さな祠があった。道路脇にあるそれは、質素なものだが、確かに神仏を祀ってありそうな佇まいである。
「ホントかな?」
隼人の問いかけに
「ウソかもしれんな。じゃが、信じれば、夢は叶うものかもしれん」
と、一郎は少し、遠い目をした。
なんともキザなことを言うものだ、と思いながら、隼人は石の段々を降り、川岸にたどり着いた。
「うわっ!冷たいや」
夏の暑さの中でも、適度な冷度を保つ川の水が心地よい。隼人の形の良い指先から、水滴が輝き落ちる。思わず、汗に濡れた顔を、洗ってしまった。
奈美坂精神病院では、研修生たちのストレス軽減のため、月に一度か二度、職員の監視の下で集団外出が行われる。そのため隼人も、この1年ほど、完全に奈美坂精神病院にこもりきりというわけではなかったのだが、このような自然に触れる機会は皆無だったので、やはり楽しい。もちろん、奈美坂の監視下から逃れた解放感も手伝い、さらにテンションが上がりそうになる。
「えっ!?」
少年は、少し不思議な光景を見た。隼人が降りてきた石の段々の脇にある斜面は、道路と川岸をつなぐもので、かなり急で足場も悪いのだが、一郎はズボンのポケットに手を入れたままでそこに飛び、スマートに、わずか二歩で川岸に着地した。
「ん?どうしたね、隼人君」
「おじいさん、今、飛ばなかった?」
一郎が、笑って答える。
「わしは、鳥でも忍者でもないがのう」
「いや……でも、今」
隼人が言いかけたとき、突如、彼の視界が歪み、どこからか“声"が聴こえてきた。
『……私を……探してみない?……』
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