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第二章 大隅秘湯、夜這い旅? 人気ゴルファーの謎
第3話 サーロインとポークカレー
しおりを挟む場内がスリルに包まれた。パットを打った緑の顔が青ざめる。カップのふちでくるりと回ったボールは、一瞬静止すると、グリーン上から姿を消した。カップインし、高い音が鳴った。
客席から大歓声があがった。みな、“神風ガール"を応援していたのだ。プレイ中は自重していたカメラマンたちが、一斉にフラッシュを焚き始める。ローカルテレビ局のスタッフも、慌ただしい動きを見せ始めた。
最後は危ういパットだったが、結果、四打のバーディーで、緑は今大会を締めくくることができた。既にホールアウトしている他のふたりは、パーで上がったので、結局、緑は、二位に二打差をつけての優勝となった。
隼人は拍手をしながら、父、孝之の上着の裾を引っ張った。
「やった。緑ちゃん、勝ったよ!」
「ああ、良かったな」
孝之は、ノリ良く答えた。我が子が喜んでいる。連れてきたことで、父親の威厳は保てたのだ。
次に、母、美弥子に言った。
「お母さん、緑ちゃん、勝ったんだよ!」
「そう、良かったわね……」
美弥子は、ノリ悪くこたえた。彼女は、ゴルフにも神風ガールにも興味はない。腹が減った。疲れたので、今夜は外食か弁当屋で済ませたかった。
表彰式が行われ、緑のインタビューを聞くことができた。
「勝因は?」
インタビュアーが訊いた。ローカル局のアナウンサーである。
「11番ホールで、パーセーブできたことです」
緑が答えた。タコツボのような深いバンカーからの、リカバリーショットのことである。
「次の大会も控えてますが、抱負を」
「良い結果が出せるよう、頑張ります」
緑のセリフは、さほど面白くはない。ただ、礼儀正しく、かわいいので人気がある。現在、“娘にしたい有名人ランキング"で上位に入っていた。数年後には、“部下にしたいランキング"とかにも顔を出すに違いない。
「また、“神風"が吹きそうですか?」
インタビュアーのその質問を、はにかんだような笑顔でかわした。有名になると、そういう芸当も出来るようになるのか。
インタビューを終え、表彰台をおりた緑は、キャディーの素子と軽く抱き合ったあと、ひとりのゴツい男と握手をした。彼の名前は猪熊豪三郎という。緑が所属するゴルフスクールの校長であり、服のセンスがイッている。真っ白なスーツに金のネックレスが眩しい。
表彰式が終わると、ギャラリーが帰りだした。美弥子はトイレに行くと言って、クラブハウスに戻っている。ホントは日焼けしたくないからだ。
「隼人くぅーん」
和美が走ってやって来た。隼人の前で急速に立ち止まると、急ブレーキにかかる“G"が、フライトジャケットの中の“G"カップを、ずどん、と揺らす。息子の横に立つ孝之は、それを見逃さなかった。心の中で、そのビックサイズのバストに手を合わせ、ありがたく祈った。 まさか、“ゴッド"のGなのか……!
「和美さん、このあとどうするの?」
隼人が訊ねた。
「わたし、すぐ帰らなきゃいけないのよ」
「えー。つまんないなァ」
隼人が言った。もう少し、いっしょにいたかった。
「また、今度ね。電話して」
「うん」
「これからも、息子と仲良くしてやっていただけますか?」
孝之が和美に訊いた。チャンネエの電話番号まで知っているとは、けしからん息子だと思った。
「もちろん、もちろんですわ。もう、一生の仲だと思ってますのよ、おほほ……」
和美は答えた。父親に対する印象を良くしたことで、彼女は満足していた。その先に、強大な母、美弥子の影があることを、若い和美は、まだ知らない。今後、修羅の展開があるのか。
鹿児島市郊外にある、ここ“南日本オーガスタ・カントリークラブ"は、コースに宿泊施設が併設された高級志向のゴルフ場である。様々な料金プランを設け、ゴルフに全く興味のない人たちにも人気のホテル内では、スタッフの笑顔と温泉大浴場、そして絶景を眺めおろすことができる最上階の展望レストランが客を待ち構えている。
床も壁もテーブルも食器も従業員の服装までも白を基調とした内装のそのレストランは、トーナメントを終えたプロの一流ゴルファーも利用するだけあって、セレブ感がぷんぷんと匂うが、それは当然、値段のほうにも反映されていた。
(ええッ……?)
白いメニュー表を見た美弥子の目が驚いた。これまで白くするか?という意味ではない。
「高ッ……!」
次に、思わず彼女は声に出した。その後、ホールスタッフに聞かれやしなかったか、と気にもなった。
「まァ、たまにゃいいじゃねえか。隼人も帰ってきたことだしよ」
そう言う孝之のセリフは、文章にするとカッコいいが、言った本人の顔は白……ではなく、青くなっていた。実は声も震えている。
(今度の小遣い、減額よ)
(ええっ、そんなぁ……!)
言葉に出さずとも、アイコンタクトだけで通じあえる。夫婦の絆は海よりも深く、二時間ドラマよりもミステリアスだ。
数時間もゴルフ観戦をしていたので、昼食の時間が遅くなったが、同じ境遇の連中が多いのだろう。店内は混んでいた。景色が良い窓際の席がとれたのはラッキーだったが、それで良し、という気分にはなれない。かと言って、お冷とメニュー表を出されたあとで、店を出るような度胸も、この夫婦にはない。覚悟を決めて、食い物を選択するときが来た。
「ハーくん、何にするの?」
美弥子は、隣に座る美しい愛息に訊いた。
「じゃあ、僕、薩摩黒毛和牛サーロインステーキセット(7,800円)で」
隼人はこたえた。
「孝之さんは、何にするの?」
美弥子は、前に座る一家の大黒柱に訊いた。
「じゃあ、俺、薩摩黒豚カツカレーセット(3,200円)で」
それを聞いた美弥子の形の良い眉が、10時10分の位置をさした。
「ちょ、ちょっと待て!俺のほうが隼人より安いじゃねぇか。なぜ、怒る?」
孝之が言った。すると、さらに美弥子の眉がつり上がる。これが11時5分になったら、嵐が吹く。亭主は妻に屈した。後々のことを考えると賢明な判断だ。
「あー……いや、そういえば、昨日から腹の調子悪かったっけ。ポークカレー単品(1,200円)でいいや……」
それでも高いが、なんとか許可が出た。ちなみに美弥子は、“地中海の風薫るトマトパスタセット(1,800円)"を頼んだ。料理の値段に、家庭内での優先順位が見える。
レストランの窓の下に、さきほどまで試合が行われていたコースが広がっている。職人が手塩にかけて整備した芝生は、地上で見るより、上から見たほうが明るく見えるものだ。フェアウェイとラフのくっきりとしたコントラストは、安全と危険の境界を色で示すかのように濃く、そして強い。ウォーターハザードやバンカーといったプレー上の障害物は、製作者の計算の上で設置されているものであり、天然の配置とは印象が異なる。ギリシャ風建築のクラブハウスが太陽の下、宝石箱のように白く輝いていた。ゴルフほど自然の中でプレーする球技は、この世には存在しないが、その舞台となるゴルフ場とは、人工美の極致なのかもしれない。
料理が届いた。メニュー表の写真で見るより量が少ないと美弥子は思った。いや、それは気のせいだ、と思いたいので、さっさと片付けることにした。フォークでまいたパスタをソースに絡め、食べた。味は良い。
単品のカレーを頼んだ孝之は、失敗したと思った。辛さが足りない。もっと強烈でスパイシーな刺激が欲しかった。まったりとした上品な味付けは、グルメブームが生み出した弊害か。それとも、庶民的すぎる俺の舌が下品なのか。
「あらあら、ハーくん。こんなとこに、おべんとつけたらダメじゃないの」
と、美弥子。テーブルの上の紙ナプキンを取ると、隣で高いサーロインを食っている隼人の口のまわりを拭いた。端正な口元がソースまみれであった。愛息が食っているステーキセットは、いかにも美味そうだが、皿に乗っているライスの量が少ないと孝之は思った。これで腹が膨れるのか。
そのとき、店内の客がざわついた。何事だろうと思い、東郷一家は、周囲の視線の先を見た。
店に、今大会の優勝者、林原緑が入ってきたのである。
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