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第二章 大隅秘湯、夜這い旅? 人気ゴルファーの謎
第4話 サインください!
しおりを挟むスターの登場に、店内の客たちは沸いた。
“緑だ!"
“神風ガールだ!"
そう叫び、みなが緑の前に殺到した。
“握手してください!"
“サインください!"
緑の横には、キャディーの寺山素子もいた。そして、ふたりが所属するゴルフスクールの校長、猪熊豪三郎も。
「あー、押さないで押さないで、順番に順番に、ウヒョヒョヒョヒョ」
押し出しが強い猪熊が緑の前に立ち、客たちを制した。彼は純白のスーツに身を包んでいるが、その体つきは大変にゴツい。縦にもデカいが横幅もある。見せつけるかの如く金のネックレスを、ぶらぶらと揺らしていた。
「あー、緑。サインしておあげなさい、ウヒョヒョヒョヒョ」
そう言って、群がる人々を牽制するために前に挙げた手の指全てには、色とりどりの十色の指輪がはめられていた。カラフルなファッションセンスである。目に優しい。わけがない。
緑は頷くと、客たちの要望に応え始めた。即席のサイン会が店の入り口付近で行われたが、店側が迷惑だと文句を言うことはない。なんと、従業員までもが色紙を持って並んでいるではないか。
緑は、慣れているのだろうか。スラスラとサイン書きと握手をこなし、次々と客をさばいている。将来はプロゴルファーになるのだろうが、現時点では彼女はアマチュアにすぎない。それでもプロ級の人気と知名度を誇っている。スターとは、そういうものなのだ。
「お父さん、僕も緑ちゃんのサインほしいなぁ……」
隼人が言った。愛する息子の頼み。父親が聞かぬはずがない。
「おし、任せとけ!」
孝之は、サイン色紙を持ち、ごった返す人の群れに飛び込んだ。
「うわー」
そして、もみくちゃにされている。緑の前に辿り着けそうな気配がない。
「ハーくん……」
ため息をついて、美弥子が言った。
「あんたが行きなさい。たぶん、お父さんより、貰える可能性が高いわ」
隼人は色紙を持つと、ちょこちょこと駆け出した。現在、五年生だが、体はかなり小さい。そして、その美しい顔は美少女のものにしか見えない。そんな彼が混雑の中に加わると、ミーハーな連中もさすがに道をあけてくれた。人間、そこまで冷たくはない。可憐でいたいけな“女の子"に譲ってくれた。
するりするりと人混みをかき分けて、隼人は緑の前まで来た。そして、満面の笑顔で
「緑ちゃん、サインください!」
と言った。緑は、にっこり笑顔でサインしてくれた。慣れた手つきで書かれ、なかなか達筆である。もちろん握手も付いてきた。良い思い出になるだろう。 戻って来た隼人は、美弥子にこう言った。
「僕、当分、手を洗わないよ」
「ダメよ」
美しい母は即答した。まもなく、孝之も戻って来た。眼鏡が歪み、服がボロボロになっている。
「なはははは。面目ない」
と、孝之。かいた頭は、ボサボサになっていた。
「おーい、緑がいたぞ!」
店の外から声がした。それに呼応して大挙してきたのは、マスコミ関係者である。ある者はカメラを持ち、ある者はメモ帳を持っていた。
「緑ちゃーん、話聞かせてよ」
「次の試合も勝てそう?」
「彼氏とかいないの?」
「好きな芸能人のタイプは?」
そのマスコミ連中を、今度は、キャディーの素子が制した。
「すみません。ファンの方との交流が先ですので」
すると、今度は素子に質問が飛んだ。
「ねぇ、緑ちゃん、移籍の噂が出てんだけどホントなの?」
「関係ない質問には答えられません!」
素子は、キッパリと言った。
そのころ、和美と敏子は車で帰路についていた。行き先は山下町にある超常能力実行局鹿児島支局本部である。南日本オーガスタ・カントリークラブを出た二人の車は住宅地を抜け、国道から県道217号線に出た。ここは、産業道路と呼ばれる交通量が多い道だ。
「とりあえず、組織の“お上"には、なんて報告するの?」
と、助手席に座る和美。
「“なにもありませんでした"で、いいんじゃないかなぁ……」
とは、ステアリングを握る敏子の台詞だ。超童顔の彼女が運転している大型のセダンは、鹿児島支局の公用車である。普段、彼女らは、超常能力実行局のことを“組織"と呼んでいた。わざわざ長い正式名称なんて用いない。
“気を見る能力"を持つS型の超常能力者である敏子が感じなかったということは、林原緑は“同類"ではない、ということになる。組織が期待した“27番目の超常能力"、というわけではなかったようだ。
奈美坂精神病院の同期でありながら、和美と敏子の立場は異なる。
和美は大学に進学し、見習いEXPERの身分を続けている。超常能力実行局は、学業の優先を認めているからだ。和美が正式なEXPERになるのは、卒業後ということになる。だが、定期的な“実地研修"を受けなければならない身分であるため、今回、敏子についてきた。和美のほうが従う立場である。
一方で、実家の経済的事情から進学しなかった敏子は、今年高校を卒業し、正式なEXPERとなった。ルーキーイヤーである。
27番目の超常能力の発見という偉業を達成するために、なぜ、新人の彼女が選ばれたのかというと、鹿児島支局が抱える慢性的な人手不足という事情があった。近年、超常能力者による犯罪は増加傾向にあり、その上、市井の人々を悩ませている“人外の存在"の出現も後を絶たない。それらの解決にベテランや中堅が駆り出された結果、林原緑の調査に敏子のような若手が赴くことになったのである。いくら“新種"の超常能力を発見することが名誉であっても、犯罪や人外を差し置くような優先事項ではない。
「林原緑が超常能力者ではないとすると、人外の可能性もあるわね」
和美が言った。それもありうることである。何らかの理由で、緑が風を操る人外に取り憑かれているのだとしたら、今度は組織側が“強行手段"に出る可能性もある。つまり、戦闘行為だ。だが、確証がない。
「ま、“これ"を使うことがなくてよかったけどね」
和美は、フライトジャケットの中に手を入れた。ホルスターの中に銃が入っている。米軍でも正式採用されているベレッタM9だ。
「そうだね。和美ちゃん、射撃下手だしね」
敏子が笑った。和美よりかは上手い自信がある。
「そうなのよぉ。どうせ当たらないから、抜く気もないけどね」
和美は伸びをして、そう言った。そして思った。
(まァ、隼人くんに会えたのは収穫だわ。しかも、お父様にまで。親公認の関係になるには、やはり第一印象が大事よ。それは上手くいったはずだわ。あとは下着ね。やっぱり黒よ。黒に限るわ。隼人くんみたいな奥手タイプは案外黒が好きなものなのよ。だから、官能小説の家庭教師が履いてるような黒のブラジャーとパンティを用意して迫らなきゃ。隼人くん、覚悟なさい。逃さないわよ)
「へっくち!」
食事を終え、ホテルの外に出た隼人は、くしゃみをした。冷たい風が吹いているからか。
「あらあら、ハーくん。鼻水たらしちゃダメじゃないの」
美弥子は、そう言うと、ポケットティッシュを取り出して、愛息の美しい顔に当てた。
「ちーんして」
隼人は鼻に力を入れた。ちーん。
そんな母子の様子を見ていた孝之が言った。
「おいおい、美弥子。あんまり甘やかすと、俺みたいな立派な男になれねぇぞ」
無視された。がっくりと背中を丸め歩く、そのうしろ姿に、中年男の哀愁が漂っていた。
(ところで……)
眼鏡の奥で、孝之の目が光った。
(あの河野和美って女、“物騒な物"を持ってやがったな)
彼の鋭い目は見逃さなかったのだ。フライトジャケットの中で和美の胸が揺れたとき、その横に銃が隠されていたことを。ほんの一瞬、生じた隙間ではなかったか。野獣と同質の目を持つこの男、只者ではないらしい。
(なんか、キナ臭えことがおこってるらしいな。巻き込まれねぇうちに帰るか)
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