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第三章 怪奇、幽霊学習塾! 退魔剣客ふたたび
第17話 神霊ジャーナリストの強運
しおりを挟む『ばかな女……』
幽霊が奈津子の背中に向けた指先。その周囲が小さな渦を巻いた。なんらかの“力"が放出されようとしている。“生命の危機"と言って良い状況だ。
だが、神霊ジャーナリスト、花ノ宮奈津子という女は、類まれな強運の持ち主だった。これまで何度も危ない橋を渡り、絶体絶命のピンチに遭遇するたびに誰かの助けが入るのである。今宵もまた、そうであった。
突如、暗闇をなにかが切り裂いた。幽霊の足下に暗器が突き刺さる。投擲用の小刀だった。
『だれ……?』
幽霊が向けた視線の先に立つシスターは伝説に登場する戦乙女か?それとも、かすかな光をたよりに迷い込んだ夜の女神、ニュクスの化身か?その美しさ、照らす暗天の月さえも嫉妬させる。
『ただものではないわね』
異能の力を感じたのか、幽霊は訊いた。対するシスターは答えない。この女、無口である。
「ありがと、退魔士さん」
窓の鍵をひねり、開けた奈津子は久美子に軽くウインクをおくった。次の瞬間、けたたましい警報音が鳴る。そこから神霊ジャーナリストは飛び降りた。ここは二階である。
『たたかう気かしら……?』
と、幽霊。久美子は下段に鍔のない日本刀を構えている。彼女の愛刀、花切丸だ。両者の距離は約8メートル。すぐにでも詰められる。
『なぜ、当てなかったの……?』
幽霊のその質問……足下に突き刺さったままの暗器のことである。不意討ちなどしないのが流儀であるが答えなかった。耳障りな警報音の中、なぜか相手の声は、よく聴こえる。
「何が“目的"だ?」
逆に訊きかえす久美子。寒い中、美しい唇から白い息がたちのぼる。“人外の存在"が“こちら側"にやって来るとき、なんらかの理由があることも多い。
『ヒ・ミ・ツ』
言って幽霊は人差し指を向けた。なんらかの“力"の解放であろうが、それより速く久美子は自身の剣の間合いに詰めた。花切丸を逆袈裟に一閃。
幽霊は後方に退いて、それをかわす。このとき足は動いていない。宙に浮いた。そのまま、下がる。二度目、三度目の斬撃も同様に流した。
久美子が距離をとらない理由は、ここが建築物内だから、ということもある。遠距離から剣圧を放ち攻撃した場合、周囲を損壊させてしまう。退魔連合会に対する訴訟沙汰になりかねないため、どうしても近接戦闘を選択する必要があった。久美子は食らいつくように剣を振るい、また、幽霊は、それらをことごとく、よくかわす。さほど大きな建物ではないのだが、なかなか端に行き着かないものである。
何度目かの攻撃が空振りに終わったとき、幽霊は急激に久美子の懐に飛び込んだ。反射的にのけぞり、数歩分を飛び退く。目の前の幽霊は子供服姿であり、顔は長い前髪に隠れ、見えない。
『やるわね』
という幽霊は、やはり“少女"であろう。ぼんやりと発光している白い体が小さい。
「いたぞ!」
背後で声がした。薩国警備の制服を着た者たち、つまり超常能力実行局のEXPERである。ここ、バーニング・ゼミナールは、彼らとセキュリティ契約を結んでいる顧客であった。
『邪魔が入ったわね……』
言うと“彼女"の白い姿が徐々に暗闇に溶け込んでゆく。その様は久美子に、コーヒーに入れたクリームを連想させた。実際、そんな風に見えた。
『再戦の機会があるかもね……』
と残し、幽霊は消えた。すでに気配はない……
壁に設置されたスイッチを押すと電気がついた。既に警報音は鳴り止んでいる。久美子は、奈津子が飛んだ窓の下を見た。美しい顔が冷たい夜風に晒される。奥二重の目を細めた先には何者の気配もない。
(上手く逃げたか……)
奈津子は人外に襲われることを想定して退路を確保していたのである。窓にロープなどはない。
二階程度の高さならば、人間、飛び降りることは可能である。“練習"を積んでおけばなおのこと。下に広がる道路の状況を頭に入れておけば、女の体でも難しいことではない。おそらく彼女は、普段からこういったシチュエーションを考慮して、逃げる訓練を行っているのだろう。路上に障害となるものは存在しない。そこもチェック済みであろうが。
「大丈夫ですか?」
警備服姿の男がひとり、声をかけてきた。EXPERである。久美子は頷いた。
こんな遅い時刻に久美子が、ここにあらわれたことには理由があった。薩国警備、つまり、超常能力実行局鹿児島支局が数時間前、バーニング・ゼミナール内に設置された防犯カメラにより、花ノ宮奈津子の存在を確認したのである。そこから退魔連合会鹿児島支部S市出張所に連絡があった。連絡を受けた久美子が、自宅から急遽、駆けつけたわけである。
数日前から忍びこんでいた奈津子がなぜ、今まで見つからなかったのか?久美子はEXPERのひとりから所見を聞いた。このバーニング・ゼミナールは夜、最後に外に出た従業員が入り口の壁に設置された機械にスティック型のキーを差し込むことでセキュリティがかかるのだが、そのとき、既に奈津子は中にいたのだろうと言う。事実、入り口の防犯カメラの映像に彼女が出入りする姿があった。薩国警備は入退出する者を個人単位でチェックしてはいないので、奈津子が建物内に残ったまま戸締まりされたことに気づかなかったのである。多人数の生徒たちが行き来する建物なので、なおさらのこと。深夜、防犯カメラの死角内でのみ行動していたのだと考えれば、数日間、奈津子が深夜に潜伏できたことに不思議はない。ちなみに彼女が飛び降りたとき警報音が鳴ったのは、窓にセキュリティがかかっていたことが理由である。
久美子が薩国警備の連中に挨拶をし、バーニング・ゼミナールの外に出られたのは三十分ほど後のことだった。塾長の初美に電話連絡は済ませてある。幽霊が出現した件については明朝、経営者である彼女に退魔連合会から報告があるはずだ。
(誰かが、花ノ宮奈津子を“手引き"したのか……?)
凍えるような寒さの中、建物を見上げ久美子は思った。おそらく今夜、防犯カメラが視認出来る位置に一瞬、立ったのは奈津子のミスだったのだろう。だから助けに駆けつけることが出来た。幽霊があらわれた日に、そのような事態を引き起こす。“神霊ジャーナリスト"の強運おそるべしといったところだが、それが超常の事柄を取り扱う物書きとしての彼女の真の天分なのかもしれない。かつて首払村で“化け物"に襲われたときも“偶然"、近くの滝で水浴びをしようとしていた河野和美に救われた。
そして、さきほどEXPERのひとりが言っていたが、内部に“協力者"がいれば、奈津子の潜入は、さほど難しくはないだろう、とのことだった。
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