“魔剣" リルムリート

さよなら本塁打

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第三章 怪奇、幽霊学習塾! 退魔剣客ふたたび

第52話 異変

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「久美子さん!」 


 バーニングゼミナールの近くの路上で、久美子は声をかけられた。隼人である。リュックを背負い、ちょこちょこと駆けてくる小柄な姿が可愛いらしい。 


「あれ……顔、赤いよ?」 


 彼は言った。どうやら、本当に赤くなっているらしい。ゆうべ、自慰をしながら、妄想の中で散々に、この少年を犯したのだ。それを思い出してしまったのである。 


「……“風邪"だ」 


 と、久美子は答えた。珍しいことである。この女、大変に無口で、滅多に話すことなどない。だから、嘘をつくこともない……はずなのだが。 


「大丈夫?最近、寒いから……」 


 言って隼人は、思いっきり背伸びをした。そして細い手を、久美子の額に当てた。優しい少年である。 


「ホントだ、熱い」 


 と、隼人。突然のことだったので、余計に赤くなってしまった久美子。照れて、熱が上がってしまったに違いない。鍛え抜かれた彼女の健康体は、風邪とかいう病気など寄せ付けないものなのだ。もう、何年もひいていない。 


 寒いのは事実である。三月のこの時期にしては、気温が低い日が続いていた。その上、今日は風が強く、ふたりの髪が逆立つほどになびいている。隼人は分厚いジャンパーを着ており、久美子は地面を擦りそうなほどに長いロングコートを羽織っている。春らしからぬ気温と春らしい強風の相乗効果が、より一層の寒さを生み出していた。 


「大丈夫だ……心配ない」 


 久美子は隼人の手を払い、言った。乱暴な動作ではなかったが、口調は少し、つっけんどんだった。 


「どうしたの……?」 


 隼人は、首を傾げた。その姿は愛らしいものだが、同時に嗜虐心を煽る。昨夜の妄想のように口淫で犯し、快楽に歪む顔を見たくなるのだ。 


(ああ……) 


 久美子は内心で嘆いた。こんな路上で濡れてきたのである。自分の節操のなさを呪いながらも、性器の分泌を感じる。このままでは、穿いている派手なパンティが愛液にまみれる。そうなる前に彼女は歩き出した。 


「僕、なんか悪いこと、したかなぁ……」 


 立ち去る背中を見ながら呟く隼人。久美子が無愛想なのはいつもと変わらない。が、今日の態度は変だった。観察眼の鋭い隼人は、気づいていた。 










(私は、どうしてしまったのか……) 


 早足で歩きながら、久美子は思った。隼人は年端もゆかぬ子供である。それなのに昨夜、妄想の中で彼を犯した。“道具"で自慰をしながら…… 


(11歳の、子供だぞ……) 


 どこかイライラしているのは、結局、それが原因である。もし隼人がもう少し大人であったなら、そんなことは気にしないだろう。だが、彼は小学生だ。異常な性愛と言って良い。 


 隼人という少年には、どこか魅力があるのだ。女を惹きつけ、そして、いやらしい妄想に追い込む魅力が。サディスティックな欲望をかきたてるのは、あの美貌か。 


 河野和美と倉敏子も抱いた、その欲望と同様のものに久美子もとらわれはじめていた。このままでは、おかしくなる。それを危惧するあまり、あんな態度をとってしまった。自分の大人げなさに、悪い後味も感じていた。余計に、イライラがつのる。 


 さらに、愛液で汚れたパンティの濡れた感触がまた、不快だった。さきほどの冷たい態度に対し、ほんの一瞬、傷付いたような表情を見せた彼。その儚さと脆さが、さらなる劣情を呼んだ。それを見ただけで性的に感じてしまったのなら、もう、自分は淫乱以外の何者でもない。 


 “ぱんっ……!" 


 気合いを入れるため、久美子は軽く、自分の頬を叩いた。明日はテストの実施日。“なにか"があるはずの日なのである。“幽霊騒動"の決着も、つけなければならない。バロンという敵もいる。 










 急遽、実施が決まったテストを明日に控えたバーニング・ゼミナールは、昨日以上の猛烈な負の気に支配されていた。さすがの久美子も息がつまりそうな思いをしていた。 


(相当なものだな……) 


 教室の後ろに立ち、子供たちの後ろ姿を見ながらの久美子の感想である。宗教的能力者の彼女ですらきついと感じるのならば、通常人は尚更、しんどいはずである。皆、気力体力ともに消耗しているだろう。室内の者たちの様子が暗い。


『非現実ジャーナル』に掲載された幽霊記事の宣伝効果により増加した塾生たち。親に無理矢理通わされている彼らは、本来、勉強などしたくない者たちである。だから、明日に控えたテストに対する不満が爆発しかけている。“新参"が抱える、そういったストレスが負の気を生み出しているのだろうが、それは元々いた古参の生徒たちにも影響を及ぼしているのかもしれない。だが、負の気がここまで連鎖して漂うことは異常である。人間は耐えるということも知っている生き物であり、このような現象が頻繁に起こる事柄ならば、世界など、とっくの昔に滅んでいるだろう。学校や職場といった社会的環境も、そして友人や夫婦、恋人同士といった人間関係も、ある意味、当事者間の我慢で成り立っているものだ。だから、普通は、誰かが“負の側面"に堕ちても、周囲に感染することはない。 


 “塾内にアンテナの役割を果たしている者がいるのではないかね?" 


 久美子は、上司の村島の言葉を思い出した。バーニング・ゼミナールにいる誰かが、負の気を受信、発信、増幅させているのか?それと、今回の幽霊騒動に因果関係があるのだとしたら、つきとめなければならない。“なにか"がおこってからでは遅い。 


(もう一度、直談判するか……) 


 壁にかけた自分のロングコートを見ながら、そう考えた。先日、塾長の中久保初美にテストの中止を提案したのだが、却下されている。だが、やはり危険だ。明日の実施当日、退魔士たちの応援があるとはいえ、このままでは子供たちの健康は保証できない。 


 突如、一人の女子生徒が立ち上がった。トイレにでも行く気なのだろう。教室の出口へと向かうが、ふらふらと足もとがおぼつかない。五、六歩ほど歩いたところで、彼女はよろけ、机に座っている男子生徒の肩とぶつかってしまった。肉体的にも消耗しているようだ。 


「てめぇっ……今、わざとぶつかったろ!」 


 男子生徒は立ち上がり、女子生徒の胸倉を掴んだ。互いに小学生である。 


「ち、違うわ……わざとじゃないのよ」 


 と、女子生徒は言った。暴力に怯えている。 


「黙れ!俺は、おまえらと違って、勉強なんかしたくねぇんだよ!」 


 と、男子生徒。 


「じゃあ、なんで、ここにいるのよ?」 


 とは、女子生徒。彼女は、“古参"の塾生である。 


「来たくないのに、親が行けって言うから来てるんだよ!」 


 と答える男子生徒は、“非現実ジャーナル効果"により、無理矢理通わされている“新参"だ。 


「やっちまえよ……」 


 教室内にいる他の“新参"から声があがった。 


「そうだそうだ、やれよ」 

「真面目に勉強すれば、ほめられるとか思ってんだろ?」 

「だから、ガリ勉はムカつくんだよ」 


 新参たちは言った。 


「ここは勉強する場だろ?」 

「そうよ、やる気のない人は帰ってよ!」 

「おまえらが馬鹿なのが悪いんだよ」 


 古参たちが批判した。 


「そうよ……あんたたちの頭が悪いからって、八つ当たりしないでくれる?」 


 胸倉をつかまれた女子生徒が言った。見ると、目が虚ろである。彼女は、自分に暴力をふるおうとしている男子生徒の股間に手を当てた。 


「な、なにしやがる……?」 


 今度は男子生徒のほうが怯えた。相手の少女の目が、次第に淫靡な光を帯びはじめた。彼女は膨らみ始めた男子生徒の一物を揉みしだくようにした。 


「おちんちん、こんなになっちゃって……ひとりエッチばかりしてるから、頭が馬鹿になったのね?」 


 女子生徒は挑発的な口調で言った。狂っているに違いない。 


「な、なにを……」 


 恐怖を感じたのか?男子生徒が身を離そうとしたそのとき…… 


「うぎゃあああああああッ!」 


 彼は悲鳴をあげ、倒れた。金玉を握り潰されたのである。 


「痛えよォ……痛えよォ……」 


 股間を抑え、泣きながら、のたうち回る男子生徒に女子生徒は馬乗りになった。 


「どうせ、勉強なんかしないのでしょう?“目"なんか、いらないんじゃない?」 


 彼女は、落ちていた鉛筆を拾った。先が尖っている。それを振り上げた。 


「や……やめろ、やめてくれ……」 


 涙を流しながら許しを乞う男子生徒が顔をそむけた。 


「そう、じゃあ、首を刺してあげるわ。頭に流れる血液なんて、あんたには不要でしょ?」 


 気がふれた女子生徒の手が振り下ろされた、そのとき…… 


「なにすんの?離して……!」 


 彼女は叫んだ。凶器を持った、その手を掴んだのは久美子だった。そのまま、女子生徒を立ち上がらせた。 


「離して……離してよ、離せ……!」 


 久美子より遥かに背が低い子供にしては、暴れる力がやけに強い。それもまた、負の気がさせていることか? 


「御免……」 


 小さく言って久美子は、握った拳で女子生徒の腹を打った。気絶した体を抱きかかえる。 


 次の瞬間、奇妙な現象が起きた。教室内の子供たちが次々と倒れはじめたのである。ある者は座りながら机に突っ伏し、またある者は椅子から転げ落ちながら意識を失った。皆が糸の切れたあやつり人形のようになるまで、十秒もかからなかった。久美子以外の全員が、である。 


 直後、バーニング・ゼミナール内のすべての電気が消えた。増大した負の気は、機器類にも変調をもたらすのだ。










「天宮久美子……」


 真ッ暗闇の中である。街灯と月の光だけが差し込む塾内の廊下。その端に立つ影が独り言を呟いた。壁に背を預け、地面に座っている。投げ出した脚は長く、顔には神話に登場する獣を模した仮面を被っていた。 


「おまえは、テストの日……つまり、明日が“その日"だと思っていたのだろう?だが甘いぜ……」 


 低く笑った。違法薬物ストロング・エンジェルの密売人にして、今回の首謀者である。久美子とは一度、戦ったことがある間柄だ。この男は意表をついたのだ。テストの前日である今夜こそが、彼が設定した決戦の日だったのだ。 


「俺にとっての“その日"とは、今日だったのさ。今宵、俺は“力"を得ることになる……」 


 そう言って、ゆっくりと立ち上がった。仮面の男、バロンである。
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