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剣の華と白衣の堕太子
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――――――お題1「堕落した王子と海の向こうの悪の華の物語」――――――
「…堕ちたものですわね」
最高級品の香茶で唇を濡らした女はため息交じりにそういった。身につけた全てを至高の品で飾った女は、それらをくすませるほどに美しい。彼女は氷の視線を目の前の男に向けた。このサロンの中にあって不釣り合いな平民の衣をまとった男を。
「貴方一体、何をしていたの」
「ガールズハントでーす」
平民の衣をまとった男はだらけ切った調子でそう答えた。一瞬女のこめかみに青筋が立ったのを目ざとく見つけ、してやったりという表情で嗤う。だが一瞬で表情を隠した女は、静かに呟いた。
「今は亡きものといえども、一国の主であった男が下町で女と…本当に堕ちたものね」
「へぇ、土足で人の家に踏み込んできて剣を突き付ける野蛮なお姫様にも、そういう見栄はあるんですねぇ」
即座にそう切り返すと、男はまっすぐに女を見る。一瞬だけ、男の瞳に憎悪の暗い光がよぎった。
「それともアレか、狩った獲物はアタクシの物ですってかい。王子っていうより、むしろ獣扱いだ」
向けられた視線の鋭さに、女の表情がわずかに曇る。氷の仮面にひびを入れた男は、それ以上興味はないとばかりに肩をすくめた。
「私と旧王家の貴方が婚姻を結べば、王族の主権と血統は残りますわ。私は貴方を正式な…」
「布告もなく我が国に砲火を向けた蛮族の娘に頭を下げよと謂うか、恥を知れ!」
剣の腹で打ちすえるような怒号がサロン中に響き渡る。向けられた視線に籠る憎悪と軽蔑の色を見てとって、女は屈辱に顔を歪めた。誇り高き王女の仮面がひび割れ、その奥から一瞬だけ、女としての表情が覗く。しばしの間交わされた視線での攻防に敗れ、先に目をそむけたのは女の方だった。
「…お姫さん、あんたがうちの国でなんて言われてるか知ってるかい」
語気を戻し、男は問いかける。しばし沈黙し、息をつきながら力なくかぶりを振った女の様子を見て、男は肩をすくめた。
「髪は剣、瞳は氷。玉座につきたる御姿は、海の向こうの悪の華」
歌うような言葉は、優雅なる罵倒だった。
「美しいが近寄りがたく、しかし勝手に人の敷地に踏み込んでは、周囲の草木を容赦なく枯らす。知らないなら知らないでいいさ」
諦めたように再度肩をすくめ、男は優雅に一礼した。今はない国で行われていた、式典で用いる最上級の礼。男の素生と意思を同時に示している。女は何も言えず肩を落とした。
―――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――お題2「牡牛座、駄犬、狂おしい」――――――――
悠々とサロンを出ていく青年の背中を、女は黙って見届けていた。何一つとして反論ができなかった。男のその強い瞳の力に気圧され、女は己の女としての表情を隠すためにかぶった矜持と立場と言う仮面を、いとも簡単に叩き割られたのである。青年の背中が見えなくなった頃、女の背後に大きな影が現れた。
「なぜ、あの男を生かしておくのですか」
影は口を開いた。その雄牛座の意匠を施した甲冑を纏う姿は、影の主が王家の親衛隊であることを示している。影の主は更に重ねた。
「既に滅びたとはいえ、あの者は我が国に反旗を翻した国の長。奴を旗頭としていつ何時残党が兵をあげるか分かりません」
女は黙したまま答えない。影の主は男である。女の視界には入らないが、厳めしい甲冑に身を包んだ男の瞳は、母国に仇をなす危険のある男への敵愾心に燃えているのだろう。青年の出ていったサロンの出口に視線を向けて沈黙を守る女に、男は低い声でさらに続けた。
「あの男を捕らえ、断罪すべきです」
女は答えなかった。国の主として、危険の芽は摘んでおくにこしたことはない。わかってはいるが、あの青年に為政者として接するのは、不可能に近い難事であった。氷の瞳をもつ覇道の王女。その彼女が、あの青年を前にすればたちどころに狂おしい情熱を必死で抑え込むただの女になり下がるのである。
あってはならぬ事である。知られてはならぬ事である。幸い、彼女の無様な様は男に伝わっていない様子であった。女は密かに砕かれた仮面を被り直す。そうと気づかず、背後の男は声を高めた。
「如何にあの男が嘗て殿下と婚約を交わした男であろうとも――」
「――駄犬の分際で、誰が発言を許したか」
静かだが氷よりも冷たい一言に、背後の気配が凍りついた。言葉を失ったらしい親衛の騎士に、女は艶然と微笑んで振り返る。
「心配するな。口は健在でも、堕落したあの男の策謀などとるに足りぬ」
大丈夫だ、私は王女。あのような男に振り回され、つまらぬ感情に身を焼く愚かな女はなりはしない。
目を合わせた男は言葉を失った顔を更に畏怖で凍りつかせ、即座に深々と首を垂れる。甲冑に包まれた幅の広い肩と兜をはずした金色の髪を冷然と見下し、女は息をついた。これこそが私のあるべき姿。そう、今脳裏を過った青年の親しげな笑みなど、もはや二度と見ることのない、過去の幻影に過ぎないのだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「剣の華と白衣の堕太子」 了
「…堕ちたものですわね」
最高級品の香茶で唇を濡らした女はため息交じりにそういった。身につけた全てを至高の品で飾った女は、それらをくすませるほどに美しい。彼女は氷の視線を目の前の男に向けた。このサロンの中にあって不釣り合いな平民の衣をまとった男を。
「貴方一体、何をしていたの」
「ガールズハントでーす」
平民の衣をまとった男はだらけ切った調子でそう答えた。一瞬女のこめかみに青筋が立ったのを目ざとく見つけ、してやったりという表情で嗤う。だが一瞬で表情を隠した女は、静かに呟いた。
「今は亡きものといえども、一国の主であった男が下町で女と…本当に堕ちたものね」
「へぇ、土足で人の家に踏み込んできて剣を突き付ける野蛮なお姫様にも、そういう見栄はあるんですねぇ」
即座にそう切り返すと、男はまっすぐに女を見る。一瞬だけ、男の瞳に憎悪の暗い光がよぎった。
「それともアレか、狩った獲物はアタクシの物ですってかい。王子っていうより、むしろ獣扱いだ」
向けられた視線の鋭さに、女の表情がわずかに曇る。氷の仮面にひびを入れた男は、それ以上興味はないとばかりに肩をすくめた。
「私と旧王家の貴方が婚姻を結べば、王族の主権と血統は残りますわ。私は貴方を正式な…」
「布告もなく我が国に砲火を向けた蛮族の娘に頭を下げよと謂うか、恥を知れ!」
剣の腹で打ちすえるような怒号がサロン中に響き渡る。向けられた視線に籠る憎悪と軽蔑の色を見てとって、女は屈辱に顔を歪めた。誇り高き王女の仮面がひび割れ、その奥から一瞬だけ、女としての表情が覗く。しばしの間交わされた視線での攻防に敗れ、先に目をそむけたのは女の方だった。
「…お姫さん、あんたがうちの国でなんて言われてるか知ってるかい」
語気を戻し、男は問いかける。しばし沈黙し、息をつきながら力なくかぶりを振った女の様子を見て、男は肩をすくめた。
「髪は剣、瞳は氷。玉座につきたる御姿は、海の向こうの悪の華」
歌うような言葉は、優雅なる罵倒だった。
「美しいが近寄りがたく、しかし勝手に人の敷地に踏み込んでは、周囲の草木を容赦なく枯らす。知らないなら知らないでいいさ」
諦めたように再度肩をすくめ、男は優雅に一礼した。今はない国で行われていた、式典で用いる最上級の礼。男の素生と意思を同時に示している。女は何も言えず肩を落とした。
―――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――お題2「牡牛座、駄犬、狂おしい」――――――――
悠々とサロンを出ていく青年の背中を、女は黙って見届けていた。何一つとして反論ができなかった。男のその強い瞳の力に気圧され、女は己の女としての表情を隠すためにかぶった矜持と立場と言う仮面を、いとも簡単に叩き割られたのである。青年の背中が見えなくなった頃、女の背後に大きな影が現れた。
「なぜ、あの男を生かしておくのですか」
影は口を開いた。その雄牛座の意匠を施した甲冑を纏う姿は、影の主が王家の親衛隊であることを示している。影の主は更に重ねた。
「既に滅びたとはいえ、あの者は我が国に反旗を翻した国の長。奴を旗頭としていつ何時残党が兵をあげるか分かりません」
女は黙したまま答えない。影の主は男である。女の視界には入らないが、厳めしい甲冑に身を包んだ男の瞳は、母国に仇をなす危険のある男への敵愾心に燃えているのだろう。青年の出ていったサロンの出口に視線を向けて沈黙を守る女に、男は低い声でさらに続けた。
「あの男を捕らえ、断罪すべきです」
女は答えなかった。国の主として、危険の芽は摘んでおくにこしたことはない。わかってはいるが、あの青年に為政者として接するのは、不可能に近い難事であった。氷の瞳をもつ覇道の王女。その彼女が、あの青年を前にすればたちどころに狂おしい情熱を必死で抑え込むただの女になり下がるのである。
あってはならぬ事である。知られてはならぬ事である。幸い、彼女の無様な様は男に伝わっていない様子であった。女は密かに砕かれた仮面を被り直す。そうと気づかず、背後の男は声を高めた。
「如何にあの男が嘗て殿下と婚約を交わした男であろうとも――」
「――駄犬の分際で、誰が発言を許したか」
静かだが氷よりも冷たい一言に、背後の気配が凍りついた。言葉を失ったらしい親衛の騎士に、女は艶然と微笑んで振り返る。
「心配するな。口は健在でも、堕落したあの男の策謀などとるに足りぬ」
大丈夫だ、私は王女。あのような男に振り回され、つまらぬ感情に身を焼く愚かな女はなりはしない。
目を合わせた男は言葉を失った顔を更に畏怖で凍りつかせ、即座に深々と首を垂れる。甲冑に包まれた幅の広い肩と兜をはずした金色の髪を冷然と見下し、女は息をついた。これこそが私のあるべき姿。そう、今脳裏を過った青年の親しげな笑みなど、もはや二度と見ることのない、過去の幻影に過ぎないのだ。
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「剣の華と白衣の堕太子」 了
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