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別章 砂の海
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しおりを挟むまた近づいて来た唇を、颯相手の肩を押しやり避けた。
のしかかる体は重く力押しされると完全に負ける。いつもならば意のままに操れる風が粘土か泥炭の中で溺れるように動かせぬ。
「俺達の国では、こういうことをしないと言っただろう」
颯は言った。
他になんと言って良いのか颯には全くわからなかった。
「ここはお前達の国ではない。俺の国では、美しいものには美しいと言い、慕わしく思えばそのように振る舞う。触れたいと思えば触れ、奪いたいと思えば……奪うのだがな。そんな怯えた顔をするな」
怯えてなどいないと颯は憤慨したがそんな表情さえ愛おしいというように頬を撫でられた。
「星を見ると言っただろう」
国ではじゃれあう事はあっても髪に口付けたり、相手の意を得ずに触れたり撫で回すという事がほとんどなかった。
全身を掻きむしりたいような、転げ回りたいような気分になるのを颯は堪える。
「もう見ている」
そんな馬鹿な、お前まさかその目に映っている俺を星に喩えて見ているなどとそんな事は言わないよな?問いかけようとして三度目に近づいた唇を避けることができず颯はぎゅっと目を閉じた。
生暖かい風が全身を撫でまわす。颯が目を開けると孔雀と白孔雀が優雅に尾羽を揺らしながらすぐ横を歩き去って行った。
「え?」
颯は飛び上がり辺りを見回した。
砂の他は何もない地面に寝転がっていたはずが、眼前には瑞々しく優雅な庭園が広がっている。異国情緒あふれる石造の東屋や、たわわに果実を実らせた木々、見たこともないような色とりどりの花。鳥の形をした瀟洒な噴水。
そこは砂漠ではなく緑の楽園のように見えた。
颯はひどく戸惑った。
着ていた着物さえ別の物になっている。上半身はほとんど何も着ていないも同然で、首に細い金の鎖が一回りし、首元からさらに細い鎖が二つに分かれて、乳首を噛むように付けられた紅い宝石に繋がっていた。
下半身は下履きも草履もなく、薄い透ける布が腰の周りを包み、紅いビーズで出来た帯が巻きつく事でかろうじて前を隠していた。
なんたる破廉恥な
颯はあやかしであるが、衣装は首から手首まで隠れるものが、足は脛まで隠れる方が好みだった。何も着ていない同然の衣装は好みからは逸脱しており颯を仰天させるに充分過ぎた。
「ああよく似合う」
後ろから黄褐色の腕が蛇のようにぬるりと巻きついた。しかし細くはない。颯には振り解けない屈強な腕だった。
「黒風きさま何を考えて」
「見ろ」
有無を言わさぬ口調で、、命令に慣れた声が颯を捕まえた。颯の背は一枚の板のように黒風の胸に引き寄せられた。
胸を弄られながら見た方向には、束風とあの大柄な赤銅色のあやかしがいた。
相撲でもなく喧嘩でもなく陶然とした面持ちで二人の肉体が絡み合っていた。まるで互いしか目に入らぬというように見えながら、束風は颯に向かってにやと笑った。束風は白魚のような肌を火照らせて熱波を受け入れていた。
赤銅の瞳に悋気の炎が燃え上がった。
「熱波は情熱的過ぎて、いけない」
黒風の腕の中に隠されて、相手がこちらに興味を失うのを見た。
「あちらも」
顎を掴んで向かされた方向には、熱波にも黒風にも似た男の太腿の上に乗せられて、凩が頬を染めて唇を重ねていた。
こちらは燕の親鳥が雛に餌をやるようにどこか忙しない。凩の口に入るのが餌ではなく赤く濡れて尖らせた舌先であるのが見えて颯は赤面した。
おまえらは異郷で何をしているんだ!?
颯も束風も凩も、同じ風のあやかしである。戯れて口をつけた事はある。颯は束風とならば少し身体を擦りあった事がある。それは情愛というよりは、いつか『魂結び』をするために先に生まれたあやかしが下に教える手習のようなもので、決して面前で繰り広げられるような激しいものでもなく、頬が赤らむようなものでもなかった。
それが。
異国で。
よく知りもしない相手と。
誰と戯れようが、誰と契ろうが、指図する気も咎める気も無いが、自分が『魂結び』をする相手は、これではないかという漠然としたものが颯にはあった。顔が眼裏に浮かぶ。
それはこの黒風では、ない。
「俺は、颯。お前が欲しい」
耳に囁きかけられる声が熱い。
「お前が俺を魂結びの相手に選ばずとも、お前が欲しい」
砂漠の熱に背後から包まれて、颯は呻いた。
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