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別章 砂の海
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しおりを挟む「俺は国に帰るから、お前と『魂結び』する事はない」
魂を結べば、この地に留まり、恐らくこの地で潰える事になる。颯は自分の国…というよりは自分の里が好きだった。旅はして見たかったけれど、この地に留まる気はなかった。
「分かってはいても、言われると辛いな」
颯の体をきつく抱きしめたまま、黒風は囁いた。
「お前のような清い風を喰らいたい」
不埒な手は、紅いビーズの帯を簡単に解いてしまい、身につける意味をなさない薄い布の下へ滑り込んだ。
「颯、愉しめ」
そう言って妖しく微笑んだのは束風だった。冬山を凍える拳で殴りつけ頂上に雪の白布を着せかけていく冷厳な姿は微塵もなかった。初めて酒を飲んでよったような貌をして束風は笑っていた。
!?束風!?お前このために来た訳じゃないよな!?
歩く孔雀達が次々に羽を広げてゆく。羽の薄い衝立の陰に眦を朱に染めた束風が消え、赤黒い砂の嵐のような影が覆い被さるのが見えた。
おい、おい!
振り返れば、凩の姿も揺れる極彩色の花の影に消えていた。
おぃいいいい!?
その時の颯は、軒先に吊るされた干し柿の様な気分だった。皮を剥かれ、なす術もない。愉しめと言われてはいそうですかと行動に移せるほど颯は奔放ではなかった。
颯は黒風に向き合い、しっかりと両手を握った。
「黒風、俺はできない」
しっかりと握りしめたはずだったが、横炊きに抱えられ、広い露台にいた。
見下ろせる場所は眩いばかりの白砂で浅瀬は青白磁に輝き、暗い色の一つとして混じることのない青い海が広がっていた。
颯を抱きかかえたまま、黒風は後ろを振り返った。
そこに広がっていたのは赤茶けた砂漠ではなかった。扇状の平野には黄金に輝く麦の畑が地平の端まで続き、両端は豊かな広い森だった。所々細く線が仕切ったように見えるのは川だった。
「昔はこの国に全ての金と銀、宝石や世界中のありとあらゆる貴重な物が運ばれてきて、望めばどんな希少品も手に入ったものだ。帆船が白い鳥のように旅立ち、山のように荷を積んで戻って来る、豊かな港と人を飢えさせぬ豊かな森や麦の畑があった、良い国だった。俺の国は美しいだろう…今は旅立つ船も訪れる人もいない。砂があるばかりだがな…」
あんたは殿様だったのかと尋ねることは残酷なように思えた。颯の頭の中には殿様か頭領以外に上に立つ者を示す言葉がない。何にせよこのあやかしが支配者階級に立つ強大な力を持つあやかしであることは間違いがなかった。それこそ有無を言わせず颯を喰らう事が出来る程に強い力を持っているはずだった。
何故そうしないのだろう。無論喰われたくはないのだが。
「うっ」
突然胸につけられた飾りを引っ張られて颯を声をあげた。乳首を噛むようにつけられた紅い宝石をまた指で弾かれた。
細い金色の鎖を引かれると、両方の乳首がきゅっと引っ張られる。
「うわぁ、何するんだよ」
「お前が他所事を考えているから…。お前の胸中にいるのは誰かと思ったのだ」
ちゃんとあんたの事を考えていたし、俺の胸の内に誰がいてもそれはあんたには関係のない事だと颯は言おうとしてやはり言えなかった。言えば言うほど突き放す事になる。
「あんたは強いのだからこんなまどろっこしい事をせずに、俺を喰ってしまえるはずだ」
「そうだな」
僅かな否定もされなかった。
旅をする前に束風から聞いていた。里の外土のあやかしのなかには狂暴で喰らいついてくるようなものもいるかもしれないと。喰らって相手を潰えさせてしまうものから隷属させてしまうものさえいると。そのどちらもまだ、されていない。
「欲しいものは手にいれてきた。戦って奪い、黄金を積み、望みを言えば相手からひれ伏すようにまでなった。言わずとも手に入るようにさえなった。だが今は全てからっぽだ。砂と幻以外何も残ってはいない。そんな場所へ久方ぶりに遊子が訪れたのだ。喜ばずにいられない。手厚くもてなさばならないと思う…思うのだがもうもてなし方を忘れてしまった。俺はただ無残に喰い殺したいわけではないんだ」
颯のなかのもてなしは、茶や季節の果や、酒などを用意しておくことだった。どれもあやかしの身には必要ないものばかりであったけれど、里の多くのあやかし達が様式美を好んでそうなった。まず形から、真似から、順序どおりに、言い伝えどおりに。
だが異国の地ではじめて、束風の蕩けるような眼差しを見た。凩の蕩けるような笑顔を見た。訪れるものを心から喜ばせるのがもてなしなら、そのもてなし方は間違ってはいないのだろう。
「おれは!」
もう何度目かわからないほど近づく黒風の唇を手で押さえて近づくのを防ぐ。
「おれは理屈っぽくて、堅物で、たぶん決まりとか順序とか段取りとかがわかっていないと進めないのだ。きっと俺がそのようにしてくれと言えば、お前はその順序どおりに事をすすめて俺の言うことを聞いてくれるんだろうけど、俺は、たぶんそれでもあいつらのようには愉しめない…」
馬鹿と言われたのか愚かと言われたのか笑われたのに、颯は悪い気はしなかった。
黒風は若い風の青さや素直さ、清廉さを心から賞賛し、渇望し、心の奥底で血を吐くように憎んだ。もう二度と自身がそれに戻れぬこと、激情から幾度手に入れても乾いた砂のように指の間から全て零れ落ちて、奪って、貪って、積み上げたものが足下に砂となって流れて逝く。
血の匂いが一欠片もしない青いあやかしを前に黒風の懊悩はただ深まるだけだった。
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