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巫子の聖句
しおりを挟むアルテア殿下が少し早くお帰りになって、午後の時間がぽっかりと空いてしまったけれど、この時間は本来ならばレベリオの歴史や巫子としての教養を学ぶ座学の時間だったので、巫子の聖句を確認する時間になってしまった。
アルテア殿下が二年外国に出られている間、俺は星養宮にずっと引き籠っていることも可能ではあるけれど、もしやんごとない事情で巫子として何らかの催事に出席しなければならなかった場合、最低限超えなければいけない境界線がある。
それが巫子として述べる聖句が言えるかどうからしい。えー。
ええー。なんかあれだよ、詩みたいなやつだよ…。
俺、あれは先代が唱えているのを聴くのは好きだった。朗々とした美声で天から光が降り注ぐような感じだったけれど、俺が同じことしようとしても、市場の慣れない物売りの声みたいになっちゃう…。
ああいうのを息するが如く、立板に水の如くできるのが望ましいんだって…。えー。
『麦を見よ、霜の衣を纏い踏まれてもなお、夏に天に伸びゆく姿を見よ。その辛苦は黄金の実りと共に報われん』
なんかこういうのをね、棒読みするんじゃなくて、抑揚をつけて、ちょっと身振りも加えてやるわけよ。
は、恥ずかしい…。
しかも大国の恐ろしい所は聖句が一つで終わらない事だった。
伝言を受けるように前の聖句を受けて答えなきゃいけないんだって。
巫子とか、他の教会のお偉い方が多いと大変だね。大変だねって、他人事じゃないんだった。
「では、黄金の実りを受けた場合の聖句はどうなりますか?」
先生役はへベスである。
えーっと『その黄金の実りはより貧しき者の手に分け与えよ。汝の心は満たされ、滅ばざる真の豊かさを得ん』
久しく唱えていなかったので、脳味噌に血流と酸素を総動員する。思い出せ、俺。多分何某かは覚えていると思うんだ。
「では真の豊かさとは?」
えーっと『真の豊かさとは目に見える黄金ではなく、ただ己の心の内にあり誇りと品格を備え、行いによって示し与えられるものである』
ちらりとへベスの表情を伺うと、彼は珍しくにっこりと笑った。
「良くできています。最初にえーっとを言わなければ満点でしょう」
やった。褒められちゃった。
「では次に…」
ぅきゃー容赦ない。
「へ、へベス、お茶が飲みたいよ…」
「聖句でお茶を求める場合はどのようになさいますか?」
えー。お茶くれよも聖句で言うの!?もう。厳しいなぁ…。
『水無く乾きたる地で、隣人に己の酒をあるいは水を与えられる者こそ真実の愛を持つ者である』
「では、愛を淹れて参りましょうか」
へベスは俺に楽にして良いよと云うように頭をぽんぽんと軽く叩いて部屋を出て行った。
お茶の準備をしに行ってくれたのだろう。
俺は行儀悪く机に突っ伏した。
『乾きの句』はセルカで、人前で唱えることは無かった。まぁ、水脈を見つけられない俺が言える台詞では無かったからだ。だけど、自分のために唱えていたので覚えていた。
へベスはレモンとライムのアイスティーを淹れてくれた。うん、すっきりする。
飲みたいと思った時に冷たい飲み物がいつでも飲めるって幸せなことだよね。
すっきりはしたんだけどね、俺の頭の中に愛の句がなかった!
うーんうーん、俺が純粋に忘れているだけなのか、先代があまり愛に関する聖句を詠まなかったのか謎だけど。
物欲の愛の句は覚えてたんだけどなぁ『銀を愛する者は銀に満足することなく、黄金を愛する者は黄金に満足されることなく、財産を愛する者は付随する利益に満足しない』
こういうやつじゃないらしい。
「ねぇ、じゃぁどういう句がレベリオでは詠まれるの?」
へベスは俺がそう言う前から俺を見ていた。
そして低い声で囁いた。
『この世界の内で最も儚く最も長く続く愛は、報われぬ愛である』
年若いもの慣れぬ少女なら、その声に顎先をすくわれて数日眠れぬ夜を過ごさせるかもしれない。
不実な夫を持った女性なら泣きながらそのまま胸に倒れ込みそうな、未亡人であれば迷わず彼の上か下になっているだろうな、つまりはとても危険な声だった。
俺は幸いにもどれでも無かったので、狼狽えて額に汗を滲ませるぐらいですんだ。
…嘘だ。表面上は取り繕ったものの、狼狽え過ぎて残りの聖句がまるで思い出せなくなってしまった。
水車を逆向きに取り付けたように、風の吹いている最中に誤って船から帆を外してしまったように、空回りして先に進めず、これは復習が必要ですねとへベスに低い声で笑われた。
へベスの囁きよりもっと狼狽するような文章を読んだじゃないか、思わず本を取り落とすような。
その本に書かれた事をなぞるように恥ずかしいこともしたじゃないか、と俺の頭の中の片隅でひとつまみほどの冷静な部分が口を尖らせる。
何故そんなに気になってしまったのかといえば、それが不意打ちのような囁きだったからでなく、あれがへベスの本心のように思えたからだ。最も長く続く『報われぬ愛』、それはへベスのもう亡くなってしまった巫子に永遠に捧げ続けられているものだと、思えてしまったからだ。
彼が目を細める時、微笑む時、お茶を淹れて手を止める時、その全ての動作の一瞬の空白の中に、へベスの本当の巫子がいる。
俺の単なる思い込みかもしれないけれど、それに気づいた、あるいはそう言うことがあるかもしれないと心か頭の片隅で覚えておくことは、この先必要かもしれないと思えてしまった。
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