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山猫
しおりを挟む星養宮の門の外で、ヘベスが立っているのが見えて、俺はうわぁと声をあげて手を降った。後ろにいた護衛のスミセルさんとルゥカーフの存在はヘベスを見た瞬間に忘れちゃったんだよな。
「子供ではないのですからそのようにはしゃがないでくださいよ。巫子ともあろうものが恥ずかしい」
とかなんとか後ろからルゥカーフが言うのが聞こえたけれど構うもんか。俺はヘベスに駆け寄った。
「おかえり、ヘベス……ってその傷」
ヘベスの左頬の高い部分から口元にかけて目立つひっかき傷があった。うっすらと滲んで固まった血も少しついている。
「ただいま戻りました。おかえりなさいませ。これは巫子様が気にするようなものではございませんよ」
ヘベスは俺の後ろに護衛の方がまだ二人いるせいかどこか余所行きの口調で言った。
「後は私が引き継ぎますので、お送りはここまでで結構です」
ヘベスの言葉にスミセルさんは小さく頷いた。
「いえ、お部屋までお送りするのが決まりとなっていますので」
隣からルゥカーフが余計な事を言う。
ルゥカーフが言ってることは正しいんだろうけどこの何処かから切って貼り付けたような陰険そうな笑顔を見るとさぁ…ヘベスとの時間を邪魔するなよって思ってしまう。ネフェシュの巫子の事だって聞きたいのにさ。
星養宮の中で危ないことなんてないのにさぁ、ルゥカーフが俺の使う二階の部屋の戸を開けて中を確認する。
「ありがとう、もういいよ。明日またお願いします」
お願いなど全くしたくはないが、こう言うように言われているから仕方ない。
「それでは明日の朝同じ時間に我々がお迎えに参ります」
あー明日もルゥカーフがいるのかと思うとちょっと憂鬱になる。一度抱いた苦手意識というものはなかなか消えないのである。
「下でお茶でもいかがですか」
ヘベスが一瞬いたずらっぽい視線を俺に送った。
うわぁ、ヘベス、何言ってるの。スミセルさんはともかくそんな奴誘わなくても良いのに。
「いえ、勤務時間中ですので」
とスミセルさん。
「ふっ、それではありがたく頂戴しようか」
とルゥカーフ。
スミセルさんとルゥカーフはお互いに咎めるような強い眼差しをむけあった。青空のようなスミセルさんの視線が夕焼けのような赤茶のルゥカーフの眼力に押し負けた…ように見えた。
「遠慮なさらずにどうぞ」
ヘベスの声に促されて二人は下の階に向かう。
下には降りなくて大丈夫です、お部屋でお待ち下さい、とヘベスは俺に素早く耳打ちして一度下に降りて行った。
いくらもしないうちにへベスは銀色の盆を持って戻って来た。
「あれ、二人はいいの?」
お茶を勧めた手前同じことテーブルにつかなくちゃいけないんじゃないかと思ったんだけど、へベスは彼にしては珍しくにやっと笑った。
「マウロ料理長が喜んで菓子と茶を振る舞っていますからご安心を」
お盆の蓋が取られると小さい茶色いケーキが二つ、絞り出したような薄茶色のコロコロした菓子が数個。
チョコレートではなくてコーヒーの香りがふわっと漂った。
料理長の菓子も料理もいつも俺を満足させてくれるけれど、さすがに今日はお菓子よりもヘベスの顔の傷が気になった。
「その傷はネフェシュの巫子がやったんだよね?大丈夫なの?そんなに毎日暴れるの?」
「ハティ様がよく寝ていらっしゃるように見えたので、覗きこんだらこうなりました。油断していました。…油断と言うのも何か違うような気もしますが」
ヘベスの口から他の巫子の名前がきこえるのも何か変な感じだった。
ハティ。
ネフェシュの巫子はハティと言うのか。
「この傷のおかげでハティ様の態度も少し軟化しましたから、こう云う事を怪我の光明と言うのでしょうね。傷つけるつもりはなくて殆ど反射的に動いてしまったようでしたので」
え…。寝起きの反射で人の顔を引っ掻くなんて前世は山猫か獅子だったんじゃないだろうか。
俺が不可解そうな顔をしたか、思った事が顔に出ちゃったのだろう。
「黎明宮や周りが安全だと理解していただければ、もう少し落ち着かれると思うのですが、信頼して頂くにはまだ少し時間がかかりそうです」
ヘベスはころんとした薄茶の菓子を摘んで俺の口元に運んだ。固そうな見た目に反して口の中に入るとしゅわぁっと溶ける。ほろ苦さと甘さが一緒になった菓子だった。
「コーヒー味の焼きメレンゲだそうです。エヌは私が入れたお茶も全く躊躇わずに飲みましたよね、最初にお茶を淹れた時ですが」
ヘベスは思い出したように言って俺を見つめた。
懐かしいと云うほどの時間はまだ経っていないのだけれど、ヘベスが淹れてくれたミントのお茶を思い出す。
「ハティ様は食事も毒や身体が痺れるような物が入っているんじゃないかと疑われて最初はお茶どころか水も飲んではくださらなくて」
ヘベスはまた菓子を摘んで母鳥のように俺の唇の中に押し込んだ。
「こんな風に食事を近づけても叩き落されるか、噛みつかれそうになるかで。エヌが特異なのか、ハティ様がかわってらっしゃるのか。側仕えというよりは飼育員にでもなったような気が致します」
「にゃおん」
俺はわざとらしく鳴き真似をして口を開けて、ヘベスが小さいケーキのクリームがつかないように俺の口の中に押し込んだのに、わざとクリームがヘベス指につくように舐め回した。
なんとなく。
ヘベスはすぐ懐くものより、手のかかるものの方が好きなんじゃないかと思って。
それはヘベスが山猫にとられてしまうんじゃないかと思った俺の小さな反抗だった。
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