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ちゃいろ
しおりを挟む敵の気を引くために『チャイロ』は大声で叫んだ。その隙に『シロ』が逃げる。どうしても山の中では雪のように白いシロの被毛は目立ってしまうから、シロの退路を守るためにチャイロは前に飛び出した。
いつもならば薮から草むらへ飛び込んで、二、三度跳ねれば下手な弓手の主は見当違いの方向へ矢を放つのに。ぎりっと何かいつもと違うしなる音の後、ずがっと驚くほど近くで音が響いた。
突き刺さった矢がびぃぃぃんと不気味な音を立てていた。
チャイロの眉間の間で。
シロは逃げれただろうか。そう思いながらチャイロの身体は薮の中へ倒れた。
だからやめろと言ったのに。チャイロはよく分からぬまま腹を立てていた。自分の足元では茶色い狐の獣人が痙攣している。おそらくもう獣と獣人の境目を制御出来なくなり手足が獣になったり、ヒトの形をとって地面を掻きむしったりしている。見た事もないほどにがくがくと震えて口の端から血泡を吹いて、のたうつ身体をチャイロは不思議と冷静に見つめた。
シロが『クロガネ』の真似をして、人のいる街に降りてつまらぬ悪戯をする様になってしまった。チャイロの住む里は山の奥で楽しい物など何もなく、歳の近い遊び相手もいなかったからだ。
葉っぱのお金で何かを巻き上げてきてしまったり、供えてあるお餅や菓子を盗んだり、御善を喰い散らかしたりクロガネもシロもやりたい放題だった。
きっと小さな悪戯なら見逃されたのだろうが、今回ばかりはいけなかった。シロは知らぬ間に尻尾で蝋燭の灯りを倒してしまったようだった。小さな蝋燭と炎だったが、木の建物は火がつくと一気に燃え広がってしまった。暫く雨が降っていなかった事も災いした。
炎は建物一つを舐めただけでは済まなかったのだ。
不運。
不運、その言葉はチャイロのためにあるようだと常々チャイロは思っていた。今の里には老いた狐の獣人が多い。若い群生は新たな場所を求めて里を去ってしまった。母は狩もろくに出来ないチャイロを放り出して去ってしまった。
二つ目の不運はクロガネが居着いた事だ。クロガネは同じ狐の獣人だが被毛は黒く体格も里の獣人より優れていた。クロガネが居着いた事で他の獣人族が寄り付かず襲われなかった事はありがたかったが、クロガネはチャイロの身体が少し大きくなると態度を一変させた。
獣の姿の時は首の後ろを噛んで覆い被さるようにして酷いことをされた。とにかく痛く、痛く、痛く、苦しくてチャイロは嵐が去るのを待つようにじっとしているしかなかった。逆らうと余計に酷く噛まれる。突かれる。獣人の姿になると今度は上から下から前から後ろからとにかくもう息が出来ないほどに振り回されて、身体は痣や噛み痕だらけになるし、後肢の間から血が出る事もあった。特に今年の冬は酷かった。せっかく良い香りのする草や葉を集めたのにどろどろのぐちゃぐちゃにされてしまった。里の建物に居ると夜に必ず引き倒されて酷い目にあう。
もっと早くに生まれていれば他の若い個体と一緒に里を出られたのにと思っても、仕方がなかった。
だからクロガネに見つかってしまえば逃げたり暴れたりせずに、チャイロはぜんぶが終わるまでただ目を瞑ってじっとしているより他なかった。
三つ目の不運はシロに会ってしまった事だ。シロもはぐれの個体で、ただ小さくて人化もできぬほどひどく弱っていた。
同族には救いの手を伸ばす。里の老いた獣人達が自分にしたようにチャイロもシロの世話をした。精一杯可愛がった。実のところ小さい頃のシロはとても可愛らしかった。撫でるときゅんきゅんと鳴き、腕の中に抱くと温かい。小さい頃はチャイロの後をとてとてとついて周り愛らしかったのに、チャイロの背を少し越すほど大きくなってしまった。こうなると言う事は聞かない、悪戯はする、クロガネの真似をしてのしかかってこようとする。チャイロはシロに張り手を喰らわし、もし次にそんな事をしたら絶交だ!と言い放った。
シロはその時は泣いていたくせに、クロガネとくっついてしまった。
よりにもよって、チャイロの寝場所でクロガネと睦あっていた。クロガネがチャイロにするのとは随分違って善さそうな声をあげて。
チャイロは腹が立ったが、解放されてほっとした。二人がくっついたのならもうシロの面倒を見てやる必要もない。どこか他の里に出かけてみるか、街に遊びに行って見るのも良いかもしれないと思っていた。
一度こっそりと街の近くまで行ったのだが、チャイロは人が多すぎて怖くなってしまった。里の少ない獣人としか生活した事の無いチャイロには街は人も多く活気があり過ぎてなんだか怖かった。
その帰り道でクロガネとシロを見つけたのだが、どちらもまるでそこに住んでいたかのように堂々としていた。
チャイロはそれっきり街へ行こうという気にはならなかったのだが、クロガネとシロは時々降りては何かを巻き上げて里の年寄りにばら撒いたりした。恵んでやると、チャイロも餅や魚を貰った事があった。
悪い事はしてはいけないよと、里の老獣がたしなめるのを、特にクロガネは聞く気もなく鼻で笑うような感じだったし、シロはシロで大丈夫、大丈夫と呑気そうに見えた。
あの時もっと、気をつけろと言っていれば…。
全ては後の祭りである。
チャイロは死にかけの自分の身体を見下ろしていた。
茶色の目玉に薄らと涙の膜が張ってそこに太陽の光が黄金色に輝いている。皮肉なことに生きている時よりも死にかけの今の方が輝く美しい瞳に見えた。
身体は狐の体に戻り、口元からだらりと長い舌が伸びている。こんなに長かったのかと自分でも驚くほどだった。
見事なまでに眉間の間に矢が突き刺さっている。
「あああ、らせつ、殺してはいけないとあれほど言ったのに」
この場にそぐわぬ優しい声がした。馬に乗った白い衣をつけた人がやって来る。長い髪を頭の後ろで束ねて、頭上には三角のすげ笠が乗っている。
白い面は柔和だがその秀麗な額と頬には汗と重い疲れの影があった。
「かわいそうに、まだ若い仔じゃないか…」
「大事な堂を焼いたのだぞ、死んで詫びるくらいしなければ」
チャイロは自分を射殺した声の主を見た。らせつと呼ばれた男は人には見えなかった。青い陽炎のようのものが鎧を着込んだ全身から立ち昇っているのだ。
「主人よ、この魂魄がまだ消えずにここにいるぞ、どうする?」
「あらまぁ、どうしようか」
主人と呼ばれた男とらせつに見つめられて、チャイロはぶるぶると震えた。
二人とも地面に倒れる骸ではなく、浮いているチャイロの身体をしっかりと見つめていたからだ。
「おまえ、うちの子になるかい?」
チャイロは良く分からぬまま、うん、と頷いてしまった。
ここに一人残されるのが寂しかったせいもあり、主人と呼ばれた男の目がとても澄んでいたからでもあった。
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