楽園をかたどったなら

陣野ケイ

文字の大きさ
4 / 23
一章「天国になど辿り着けずとも」

01

しおりを挟む
 【北の楽園】。
 はるか北のどこかにある、獣人とヒトが種族を超えて仲良く生きられる秘密の場所。
 世間一般的には都市伝説として語られている。

 実際、北の大地に【楽園】はある。
 そういう名前の、とある医薬品開発グループとして。

 【楽園】はどこの国にも属さない、半ば治外法権の組織だ。
 古くからひっそりと薬の開発を続け、表には出てこず常に社会の影の部分に在り、医学の発展に貢献し続けてきた。
 かつて「ローカスト熱」という致死性の高い病のパンデミックが起こり世界中が大恐慌に陥ったとき、ワクチン及び治療薬を開発して皆を救ったのは誰あろう【楽園】である。
 その功績に見合う賞賛の声や褒美を、【楽園】は当時の各国首脳陣に求めなかった。それどころか、自分たちのおかげであることを世間一般の獣人たちに知られることすら求めなかった。
 求めたのはたった一つ。「今まで通り放っておいてくれ」——ただそれだけ。

 【楽園】の理念は世間に認められることではない。
 ただ淡々と、黙々と、新しい薬を開発して獣人社会に貢献すること。
 その薬の開発に、どんなに非道な手段を用いていたとしても。

 ワクチンは通常、鳥——獣人のように知的進化を遂げなかった一部の鳥類が存在する——の卵から精製される。
 しかしローカスト熱をはじめとする獣人にとって致死性の高いウイルスのいくつかは、不思議なことに鳥の卵の中ではまったく増殖しない。試行錯誤を繰り返すうち、やっと見つけた正解が「ヒト」だった。
 ヒトの身体の中では獣人同様に爆発的な増殖を見せるウィルスたちを見て、【楽園】の獣人たちは以前から抱いていたある懸念が真実かもしれないと沈痛な面持ちになる。
 いつからかヒト似獣人なるものが生まれるようになり、じわじわとその割合が増えていっているように。かつてヒトのあの姿が社会性動物としての進化の完成系かもしれないと言われていたように。

 動物から知的進化を遂げた獣人は身体の中身も外見も含め、ヒトへ近付いていっているのではないかと。

 以後【楽園】は積極的にヒトを研究し、飼育頭数を常に一定に保つよう繁殖させ、利用するようになる。
 いずれ自分たちが成る未来の姿かもしれない生態モデルとして。
 そして彼らを材料にワクチンや治療薬を開発し続け、変わらず獣人が支配する社会の維持に貢献するために。



 ◆ ◆ ◆



 今はとある街の大病院で働くシロクマ獣人の医師ディラン・マイヤーズは、かつて【楽園】に属していた。
 この頃の名前はディラン・クラーク。
 両親はともに【楽園】に所属していたスタッフだったが、実験中の事故で早くに亡くなったため組織幹部のもとで育てられた。ある程度の年齢になると自然とディランは【楽園】の中で仕事をするようになり、やがて適性を見出されて若くして医師となる。
 医師と言っても、【楽園】に所属するスタッフたちを専門に診ていたわけではない。どちらかといえば、その中で飼育されている——被験生物であるヒトの医師として、だった。

「この子たちが、あなたが主に担当するグループのヒトたちです」

 そう言って黒羊獣人のスタッフが開いた扉の向こう。それはそれは小さくて弱々しいヒトの子どもたちが十人ほど、無機質な床に座り込んでいた。
 誰もが不思議そうに大きなディランを見上げる中で、ひときわ目を引く金髪の美しいヒトの子どもが立ち上がる。

「ネラ先生。この方も、俺たちにお勉強を教えてくださる先生ですか?」

 あまりにも流暢に喋るその子にディランは最初、恐怖すら覚えた。
 個体差こそあるものの、ヒトは本来なら知能が高い。教えさえすれば獣人の喋りを真似るようになることは知っている。だが、目の前の子どもは「真似る」などという域ではなかった。
 言葉の意味も、その言葉を使う適切なタイミングも、何もかもを獣人同様に理解して喋っている。
 何より、ネラ——ディランを育ててくれた幹部の娘であり、ディランにとっては義妹にも等しいスタッフから「先生は先生でも、彼はお医者様よ」と返されたあと。

「じゃあ、ドクターとお呼びします。よろしくお願いしますね」

 そう言ってはにかんだヒトの子どもに、獣人との違いなど姿ひとつしかないように思えて。
 ヒトを——彼らを実験体はおろか材料にまでした薬の開発事業に身を投じていることが、だんだんディランには恐ろしくなっていった。

 果たして、これは正しいことなのか?

 一度でもそんなことを考えてしまえばもう、ディランの心はヒトの子どもたちへと傾いていくばかり。
 無邪気に懐いてくるヒトの子に、せめて彼らが置かれている辛い現実の慰めになればと様々なものを見せたり教えたりもした。

「ドクター、できました!」

 そしてここでもまた、例の美しいヒトの子ども——アダムは抜群の学習能力と器用さを見せた。
 歌を教えれば一度でほぼ完全に音階やリズムや歌詞を覚え、電子機器の組み立てキットを与えればテキストやディランからの助言を参考に、あっという間に完成させてしまう。そのうち、自己流で改良まで加えてしまう始末。
 ニコニコと満面の笑みで成果物を見せてくるアダムの頭を撫でてやりながら、凄いねと心の底から感嘆するしかなかった。
 すると、彼は照れ笑いしながらこう言うのだ。

「嬉しいです。こうしてできることが増えたら、俺はもっとドクターたちのお役に立てますか?」

 え、と間の抜けた声が出たディランを、透き通った海色の目が真正面から映す。

「俺たちヒトは獣人のお役に立つために生まれてきたんですよね? 実験のお仕事は、痛かったり辛かったりもするし……失敗してしまう子もいますけど。でも、優しくしてくれるドクターたちのために頑張りたいと思っています」

 喉の奥が焼けたように渇いて、ディランは何も返事ができなかった。
 そう思うように、この子たちは躾けられている。疑問すら抱けない。飛び抜けて賢いこの子ですらそうだ。生まれた時からここしか知らないのだから。
 ヒトがかつては知性高く世界を支配していた生き物だったこと。獣人の反逆で立場が逆転し、むしろより酷い境遇になってしまっていること。中でもここに生まれてしまったがばかりに、医薬品開発の材料として搾取されていること。
 何もかも【楽園】の獣人たちの偽りの優しい笑顔に隠され、自分たちはそういう生き物だとしか思えていないのだ。

「俺がもっと色々覚えてネラ先生やドクターたちをお手伝いできるようになれば、実験以外でもお役に立てるかもしれないと思っていました。だから、ドクターが俺にたくさんいろんなことを教えてくれて本当に嬉しいんです」

 その健気で無垢な清い心に、何も報いがないこともアダムは知らない。
 強いて一つだけ報いがあるというのなら、死んだあと。罪がなんたるかも知らない真っ白な魂のままで天国へ行ける。ただそれだけだ。
 だがそれは死を迎えることで辛い現実から逃れられるだけ。報いでもなんでもない。少なくとも、すべてを知っているディランにはそう思えない。
「……ドクター?」

 黙ったまま震えるしかないディランに不安になったのか、アダムが眉尻を下げて一歩近付いてくる。小さな手が触れてきて、ただでさえ潤んでいた涙腺が崩壊した。

「ど、ドクター! どうしたんですか……?」

 いきなり大の大人が泣き出せば、びっくりするのは当たり前だ。
 慌ててディランに飛びついてきたアダムは、必死に手を伸ばして溢れる涙を拭ってくれようとした。そんな様もまるで獣人の「良い子」のようで、もう。

「僕には……君たちヒトと獣人の境目が分からない……!」

 慰めようとしてくれたアダムを抱き締めて、ディランは慟哭する。
 止めなければならないと頭では分かっていたのに、こんがらかったまとまりのない思考の端々が口から次々溢れ出す。

「本当なら、君たちがこんな辛い目に遭わなくたっていいはずなのに。こんな、こんな……天国へ行く以外逃げ場がないなんて。アダム、なのに……君は……可哀想にっ……!」
「……ドクター……?」

 突然のことに混乱し切ったアダムの声音に、ディランは返事できずにいた。
 ややあって、少しだけ頭が冷えてきた頃に彼の小さな身体をそっと離して。「すまない」と、ただ項垂れるしかなかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *本編完結しました

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

「オレの番は、いちばん近くて、いちばん遠いアルファだった」

星井 悠里
BL
大好きだった幼なじみのアルファは、皆の憧れだった。 ベータのオレは、王都に誘ってくれたその手を取れなかった。 番にはなれない未来が、ただ怖かった。隣に立ち続ける自信がなかった。 あれから二年。幼馴染の婚約の噂を聞いて胸が痛むことはあるけれど、 平凡だけどちゃんと働いて、それなりに楽しく生きていた。 そんなオレの体に、ふとした異変が起きはじめた。 ――何でいまさら。オメガだった、なんて。 オメガだったら、これからますます頑張ろうとしていた仕事も出来なくなる。 2年前のあの時だったら。あの手を取れたかもしれないのに。 どうして、いまさら。 すれ違った運命に、急展開で振り回される、Ωのお話。 ハピエン確定です。(全10話) 2025年 07月12日 ~2025年 07月21日 なろうさんで完結してます。

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。 2026/02/14 累計30万P突破御礼バレンタインSS追加しました 2026/02/15 累計いいね♡7777突破御礼SS 19時に公開します。 様々な形での応援ありがとうございます!

【完結】悪役令息の役目は終わりました

谷絵 ちぐり
BL
悪役令息の役目は終わりました。 断罪された令息のその後のお話。 ※全四話+後日談

処理中です...