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番外編 その1

しっぽの気持ち

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「私が王妃様の部屋付のメイドですか?」

 侍従長のカジミールに言われて、王宮につとめるメイドのアリエメはパチパチと瞬きをした。茶色の柔らかな波をうつ髪と同じ色の、垂れたウサギの耳が彼女の頭の上にある。

「そうだ。お世話する者はなるべく少なくと言われてな。あとは自分で出来ると」

 そして侍従長のカジミールの頭は白髪交じりの灰色で、綺麗に前髪をあげたその髪に垂れるのも、かつては黒くつやつやした毛皮の犬耳だったが、色は髪と同じ灰色だ。

「では、どちらの女官様方のお手伝いをすればいいのでしょうか?」

 自分のような平民出で王宮に雇われたメイドは、あくまで下働きであって、王宮に仕える貴族の方々のお手伝いをするものだ。

 もっとも、爵位持ちの夫人方が家事労働など出来るはずもなく、ベッドメイクも部屋の掃除はすべてメイド達の仕事であって、女官方のやることは王族や愛妾の方々のお話相手や、お支度のための服を手渡すだけの、当然着替えなどの手伝いはメイドがする、形ばかりのものであるのだが。

 逆に目の前にいる男性使用人の侍従長などは、平民出の出世頭であり、王宮の家政のすべてを取り仕切っているといって過言ではない。

「いや、後宮に仕える女官の制度は廃止された。正式な発表は明日の予定だ」
「は、はい?」

 思わず聞き返してしまった。後宮の女官というのは貴族の女性の誰もが望む花形の官職なのだ。先に言ったとおり、その仕事はほとんど形式ばかりとはいえ、王妃や愛妾方の女官となることを望む方々がどれほどいることか。

 またその女官の方々から、王の御手がついて寵姫となる方もいるのだと、そんな仲間達の噂話も聞いていた。その女官を廃止するなんて……と目を丸くするアリエメに「お仕えするレティシア様は、すでにお目覚めだから、王妃の間に向かってくれ」と言われた。

 表のまつりごとなど、奥で働く自分達にはわからないことだし、余計な詮索は無用と察して、カジミールに一礼して、侍従長の部屋を出た。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 王妃の間に向かう途中「アリエメ」と声をかけられて振り返れば、顔なじみのメイドの顔があった、彼女は後宮で一番の権勢を誇る愛妾ドミニク付のメイドだ。

「よかった、おわかれの挨拶が出来て」
「おわかれって……?」
「うちの姫様だけじゃないわ。後宮のすべての愛妾様方に宿下がりが命じられたの」

 まるで内緒話をするように彼女が声を潜めるが、アリエメは息を呑んだ。それは愛妾様方がすべてクビということで、女官制度が廃止されたのとも関係あるのだろうか? と頭が混乱する。

「あなただって、耳にしたでしょう? 表の宮殿での反乱騒ぎとギイ大将軍様が、陛下の自らの手で討たれたって」

 たしかに前日の騒ぎはこの後宮も届いていた。アリエメはこの目で見た訳ではないが、信じられない話ばかりだった。

「あなたは王宮に直接お仕えするメイドだから、ここに残れていいわね」

 彼女はドミニクの実家が個人的に雇ったメイドだ。元々後宮での権勢を誇るために無駄に増やした使用人と彼女も分かっているのだろう。「わたしもどうなるんだか」なんてつぶやきを残して、後宮を出るドミニク様のお仕度を手伝わなければ、と言い残して、去って行った。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 すべての愛妾様方に暇が出されて、そして自分は王妃の間にいらっしゃるお方であるレティシア様に仕えるという。それが新しく後宮に入ると噂の十三番目の寵姫の名であることは、アリエメも知っていた。

 扉を軽くたたき「失礼します」と声をかければ「入れ」と男性の声がした。女性ではない。この後宮では聞いたことのない侍従の声だと、不思議に思い、なかに入る。

 そこには黄金の髪、黄金の瞳の男性が立っていた。そして獅子の耳に獅子の尻尾。この色を持つ獅子……王族の方はただ一人しかいないのに、見た事がないその美丈夫の姿に、アリエメは息を呑む。

 男性は面倒くさそうに「ふう……」と息をはいた。

「みんな、俺の姿を見ると驚くんだな。散々、この後宮で見ただろうに」
「一瞬で十歳の姿から、本来の二十歳の姿になられたのです。誰もが驚いて当然でしょう?」

 そこに冷静な声をかけたのは、傍らの椅子に座る女性……いや、男性だ。

 女性と見間違えたのは、その方はあまりにも美しかったからだ。青みがかった銀の長い髪。凍えるような蒼の瞳。白く人形のように整った面。残念なことにその左半分はお怪我でもされたのか痛々しい白い包帯に覆われていた。そして、細いお身体に着ていらっしゃるのは、男性の白いシャツに黒いズボンに靴だ。

 傍らにいる黄金の方はロシュフォール陛下で間違いないだろう。ギイ大将軍の叛逆の話も驚いたが、あの巨躯の赤銅色の獅子を、陛下が倒されたという話には首をかしげたものだ。十歳の子供のお姿の陛下がどうやって? と。
 だが、このお身体ならば納得出来る。どこからどう見ても、ギイ大将軍にも見劣りしない体躯の大人の男性だ。

「レティシア付きのメイドか?」

 訊ねられてアリエメは「アリエメともうします」と声を震わせて頭を下げた。女官ならばともかく、普通メイドなどに王が声をかけることなどない。

「よこしたのはたった一人か? カジミールはなにをしている?」
「私が一人で構わないといったのですよ。ドレスを着るわけでもなし、着替えも自分でほとんど出来ます」

 「だからカジミール侍従長に文句を言ってあまり困らせはいけませんよ」というレティシアに対してロシュフォールが反論もせずに「お前がいいならいい」と多少不服そうながらうなずく姿に、アリエメは驚いた。

 なんの不思議なのか十歳の姿のまま時を止めた王様は、たいへんわがままだと後宮でも評判であったからだ。家庭教師の言うこともきかずに授業はすっぽかされるし、王宮での行事も気まぐれにしか出ないと。

 それが人の言うことをお聞きになられるなんて、これは大人のお姿になられたせいなのか、それとも、この椅子に腰掛けてらっしゃる麗人のせいなのか? とアリエメは目を丸くしていたが、ロシュフォールは侍従の一人が呼びに来たのに応じて部屋を出て行った。

「アリエメと言いましたね」
「はい」
「私はレティシアです」

 そう言いながら、レティシアが顔の包帯に手をかけて、それを外す。左目を走る赤い傷跡にアリエメは息を呑む。「大丈夫でございますか?」と思わず声をあげれば「王宮侍医の治癒魔法によって傷は完全に塞がっています」と声が返る。

「ですが、強力な魔法によってつけられた傷は消えないとの医師の診断です」

 そこにはなんの感情の色も見られらなかった。悲しみも憎しみも、アリエメはレティシアの頭の上と、その背後をさりげなく見た。
 正確には頭の上の耳と、その後ろの美しい銀狐の尻尾をだ。これほど美しい毛並みをアリエメは見たことはなかった。

 耳としっぽには、いくら表情を取り繕っても感情が出る。自分達もメイド修行として、主人の前では極力動かさないようにしつけを受けるし、これは高貴な方々ならなおさらだ。互いの感情を読まれれば社交界ではマズイ場合がある。
 とはいえ、それは社交の場であったり、仕事場で気を張っているときであって、普段生活する使用人の前ではいくら高貴な方々とはいえ、その顔色以上に耳と尻尾に本日のご機嫌が出るものだ。

 しかし、レティシアの耳も尻尾も、ぴくりとも動いていないことに、アリエメは驚いた。この方はメイドの前でも、感情をお表しにならないのか? それとも、その白いお顔の無表情と同じに感情がまったくない方なのか? 

「この傷が怖いですか?」
「い、いえ……」

 どう答えていいのかアリエメはとまどった。それにレティシアが続ける。

「あなたに世話してもらう以上、朝の仕度などで毎日、見るものです。女性ならば、耐えきれないということもあるでしょう。
 ですから、少しでも今、私の世話に抵抗があるのなら申し出てください。このことで、私はあなたを責めませんし、カジミール侍従長にもあなたを処分することはないようにいいますから、安心しなさい」

 淡々とした口調のそのお言葉に、感情がないだなんて思った自分をアリエメは恥じた。
 この方はとてもお優しい方だ。自分のようなメイドに気をつかわれて、その意思を訊かれるなどこのような経験は初めてだった。

「いえ、お断りなどいたしません! わたくし、レティシア様に誠心誠意お仕えさせていただきます!」

 勢いこんで言えば、レティシアは軽く目を見開いて、それから「そんなに気負うことはないのですよ」と薄く微笑んだ。
 あいかわらず、尖ったお耳もふさふさとした尻尾も、ぴくりとも動かなかったけれど、そのかすかな笑顔だけで、アリエメはこの新たな主人が大好きになった。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 だから、お世話をして数日で、戦に出られるというレティシアをアリエメはずいぶんと心配したのだ。
 お顔の傷はふさがったとはいえ、あのような細いお身体で戦場などに……と。

 だから、戻られたときにはホッとしたのだけれど、この後宮の部屋から出られると言いだしたレティシアの言葉にも衝撃を受け、逆にここにいろというロシュフォールの言葉に『王様がああ言われているんだから』とホッとした。

 そこからの王様の告白にああやはり……と思ったのは、ここが王妃様の部屋なのと、後宮からはすでにすべての愛妾が王様の命令で立ち去られたことからだった。後宮に暮らしていらっしゃるのは、王様とレティシア様のお二人だ。

「あなた馬鹿じゃないですか?」

 そう言いだした、レティシアのしっぽが一瞬ぶわりとふくらんだことに、アリエメは目を疑った。
 しかし、錯覚でないのがそのふさふさの尻尾がいらだたしげに、左右にせわしくなくうごいていることだ。お耳もぴくぴくはねている。

 ロシュフォールにだったら誠意を見せろとレティシアは条件を出し、彼を部屋から追い出したあとに「まったく」と彼はため息をついた。





 あのあと、彼のお耳としっぽはぴくりともまた動かなくなったが、その翌朝にまたアリエメは目撃することになった。

 ロシュフォール陛下が、王妃様……もといレティシア様のお部屋の前で一晩過ごされたのも驚いたが、それを報告というか、とにかく、扉の向こうの方に朝のご挨拶のひと言でも……と申し上げれば。



「ひ、一晩程度で私はほだされませんからね!」



 パタンと扉をしめたレティシアはしばらく動かなかったが、そのふさふさとしたしっぽは、左右にせわしくなくゆらゆら揺れていた。お耳もぴるぴるしている。

 しかも、振り返って扉によりかかった、彼の白皙の頬は、ほんのりと色づいていた。その頬を両手で包み込む仕草は、まるきり初恋を知った乙女のごとき表情であったのだが。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 三ヶ月といっておいて、結局一月ももたずにお二人が結ばれたことは、世話係のメイドなのだから、当然わかったし、アリエメは喜んだのだった。





「もう、こんな贅沢なお品。眼帯などただ目と傷口を隠すだけで十分でしょうに」

 色々注文したために、一月かかったという、レティシア専用の眼帯を、ロシュフォール自ら持って来た。王妃私室のサロンにて、飴色の卓の上に置かれたそれを見たレティシアの第一声がそれだった。贅沢過ぎると。

「なんですか、この蒼の宝玉は。必要ないでしょう?」
「必要だ。お前の瞳の色に合わせた」
「それに王家の紋章に、なぜ王妃の白百合なんですか」

 文句いいながら、レティシアの尻尾は左右にブンブン揺れている。そんなことおっしゃられても、実は嬉しいお気持ちが、丸見えですよ……とアリエメは思うのだが、口にしたことはない。

 なにしろ、この方がお耳としっぽに表されるのは、ロシュフォール陛下ただお一人なのだ。陛下もわかっているのか、揺れるしっぽをちらりと見て、微笑まれている。

「細工師に一月もかけて作らせたお品がもったいないので付けさせていただきます」
「そうしてくれるとありがたい」

 アリエメの手をかりて、白いレースの眼帯を「どうですか?」とレティシアがロシュフォールに見せれば「ああ、思ったとおりだ」とその嬉しそうな笑顔のままにレティシアをひょいと抱きあげる。「昼間ですよ」なんて、怒っているふりをなさっているけれど、しっぽはゆらゆらゆれて、抱きあげる王様の腕を、くすぐられていることをご存じなのだろうか? 

 お二人の後ろに控えていたアリエメはそっと部屋をあとにしたのだった。後ろで「しっぽをもまないでください!」なんて声がしているのに、くすりと笑った。





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