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【14】継母?王子と小さな殿下 その2
しおりを挟む子供は黒に近い褐色の髪に瞳の色は緑だが、その色は良く知っている男のように深くはなく、少し水色が混じったような色をしていた。東方のセージと呼ばれる陶器のような。
その顔立ちも子供のせいもあるだろうが、優しげで柔らかい。
「カイ殿下?」と若い侍女に声をかけられて、その細い肩がぴくりと震える。彼は怯えたような表情で言った。
「ち、父上が美しい方を連れて来られたというから、こ、こっそりひと目だけ見るつもりで……」
父上という言葉にリシェリードは目を丸くした。当然、ヴォルドワンのことだろう。なにより、ここは帝宮でも奥にある皇帝とその家族の暮らす場所なのだ。先代の皇后が住んでいたという別宮を、ヴォルドワンは大急ぎで改装させて、リシェリードを迎えていた。
皇后も特別な愛妾ももたないヴォルドワンには、他に家族もおらず、ここまで来られる子供となれば、これはもう。
「こちらの小さなお客様にお茶とお菓子をお出しして」
リシェリードは侍女にそう命じ、そして瞳を潤ませかけている少年に「私と一緒にお茶をしてくださいませんか?殿下」とにっこり微笑んだ。
その微笑みに少年は頬をほんのりと赤らめた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
お茶菓子に出されたのは林檎がたっぷりとはいったケーキに皿に盛られたクッキー。少年はそれに瞳を輝かせて、ケーキを食べて、クッキーをかじった。
「おいしいですか?」
「うん、新しい乳母は甘い物はお身体によくありませんって、あまりくれないんだ」
「あ、ここで食べたことは内緒にしておいてね」と肩をすくめる彼にリシェリードはくすりと笑う。
「そういえば、名乗りもまだでしたね、失礼しました、リシェリード・オ・ルラと申します」
「僕はカイ・ロロ・ロラン。僕の父上は……その……」
「ヴォルドワン陛下でらっしゃいますね?」と訊ねれば、少年はこくりと頷く。そして「でも、優しそうな方でよかった」とつぶやく。「カテリーナが……」と続けて「あ、新しい乳母なんだ」とカイは言う。「前のマーサは優しかったんだけど……」と言葉を濁し。
「父上が連れてきた方は、とてもお綺麗だけど怖い方だから、僕がいることを知られちゃいけない。じゃないと怖いことが起こるって」
「怖いこととは?」
「……知らない」
カイは首を振るが、その少し怯えた表情からして乳母が具体的なことを言ったのは確かだ。
たとえば、継子の存在を知れば自分が嫉妬して、カイを宮殿から追い出すだろうとか。怖いこととなると、殺すとまで言ったかもしれない。
ともあれ、その新しい乳母のカテリーナというのは子供の教育にはあまりよろしくない存在だとわかった。
とはいえ、もう少し状況を知る必要があるようだ。
カイとあれこれ話し、カイが「また、来ていい?」というのにうなずいた。
「いつでもいらしてください。美味しいお菓子を用意してお待ちしておりますね」
そう言うと、彼の顔は明らかに喜びの表情となった。「えっと……カテリーナには……」という彼に。
「もちろん、ちょっと怖い乳母には内緒ですね」
リシェリードが秘密とばかり唇にひとさし指をあて、片目をつぶればカイも「うん!」と元気よくうなずいて生け垣の向こうに去っていった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
「昼間、カイが訪ねてきたようだな?」
夜、離宮に戻ってきたヴォルドワンにそう問われた。
「かわいいお客さんがいらっしゃったので、また来てもいいと答えたが?」
ヴォルドワンがリシェリードに言ったのは「今日からあなたはこの奥の主人だ。好きにすごして構わない。ただし、私のそばから離れることは許さない」と、これだけだった。
カイが訪ねてくることは、別に構わないはずだと言外に言えば、ヴォルドワンは眉間にしわを寄せて。
「手をつけた準騎士の娘が母親だ。既に亡くなっている。私の子供はあれが一人だ」
つまりカイの母親はすでに故人で、生家の身分も低くなんの影響力もない。さらに自分の子供は彼一人しかいないと。端的な言葉はこの男らしかった。
「あなたの記憶を取りもどす前の話だ」という言葉に、リシェリードは思わず苦笑してしまう。別に他の女と子を作ったことを問い詰めたつもりもないし、自分にそんな権利もないと思っている。
自分は皇帝に招かれた“客人”に過ぎないのだから。
「これからはあなたという皇妃以外、俺は愛妾もなにも迎えるつもりはない」
「さて私は皇妃になることを承知したつもりはないのだけど」
ヴォルドワンの眉間のしわがますます深くなるのに「その話はおいておいて」とリシェリードははぐらかす。この話となると、すぐに寝台に放り込まれて昨日の続きになりそうだ。
「カイ殿下の乳母が最近変わったようだけど?」
「そのようだな。老齢で以前の乳母が隠居を申し出たのに、新しい乳母を付けるようにと申しつけておいた」
「まるで人ごとだな。将来の皇帝だというのに」
「カイが皇帝となるとは限らない」
即答に、リシェリードは怪訝に眉を寄せた。皇帝の唯一の息子が、将来の皇帝になるとは限らない?
「前世の私が定めたことだ」とヴォルドワンが続ける。
リシェリードと永遠に別れ、北に渡った彼は散り散りだった騎馬民族をまとめて、一つの国を作ったのだが、生涯独身だったという。
「つまり、今のお前は前世のお前の血をこれっぽっちも引いていないと?」
「それで前世の俺のままに生まれたのだから、まったく不思議だな」
「…………」
いや、不思議というよりなにやらこの男の妄執を感じるぞ……とリシェリードは思ったが、今は話の続きだ。
「私は死ぬ前に主だった部族の七人の当主を選帝侯とし、領土の独立権と次期皇帝を選ぶ投票権を与えた」
この七つの家の合議によって次の皇帝を決める。それが初代皇帝ヴォルドワンの遺言だった。
次期皇帝となる者は皇帝家と七つの家の直系の男子。正妻腹、妾腹は問わず次期皇帝たるものに相応しい者を選べと。
「皇帝には次の皇帝を選ぶ権限はない」
「つまり、皇帝の子が皇帝となるわけではないと?」
「そういうことだな」
「…………」
優秀な者が次の皇帝に選ばれる。一見、よい仕組みのように思えるが、しかし……。
「俺は久々に皇帝を父に持つ、直系の皇帝だ。母は騎士の身分でさえない平民の侍女でな。父が酒に酔って気紛れに手を付けた。
母は俺を生んですぐに亡くなり、俺は一旦は騎士の家に養子に出された。帝宮に呼び戻されたのは、父が病がちとなって、その前に主立った兄達が亡くなっていたからだ」
いずれも七つの選帝侯の家から出た愛妾達の息子だったという。そのことごとくが“不審な死”を遂げたということだ。
「王位継承権の争いなんて長子相続が決まっていてもあるというのに、相応しいものが皇帝に選ばれるなんて、血なまぐさいものになると、前世のお前は思わなかったのか?」
「あなたが亡くなったあの塔に俺の心は置いてきた。北に渡ってからの俺は、戦に取り憑かれた悪鬼のようなものだ。
皇帝となるのはもとより血塗られた道。力で奪い取れとあとの者に言い渡したつもりだ」
皮肉に口の片端をつり上げるヴォルドワンに、リシェリードの胸はきゅっと痛くなった。本当の痛みではなく、これは贖罪のそれだ。
この男にただ生きて欲しいと願ったことが、彼を凍えるような孤独の道に突き落としたのか?と。
「しかし、後ろ盾もないお前がどうして皇帝に選ばれた?」
「前世の俺は選帝侯とは別に、皇帝たる資格ある者達に、ある儀式を行うように言い残した」
「儀式?」
それは選帝侯の皇帝選出会議が開かれる前、すべての候補者が挑むのだという。
過去それで選ばれた皇帝は現世のヴォルドワンまで一人もいなかったと。
「あなたが私に与えた魔剣だ。この魔剣を鞘から抜き放つ者があれば、それが次の皇帝となると」
「……あの剣には魂がある。お前しか主人とは認めない」
だから、当然生まれ変わったヴォルドワンを魔剣は主と認めて、彼は皇帝となったのだ。
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