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25. 王太子

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夜遅く、テストの採点も寝る支度も終わった頃、テオドールが帰ってきた。
私が起きているのを見て、1番最初に彼がしたのは謝罪だった。

「孤児院のことごめん。立て込んでて抜け出せなかった」
「ううん、全然大丈夫。おかえりなさい。大変だったね」

私はサイドテーブルに置いた紙の束を少しだけテオの方に押した。

「これ、採点済みのテストの答案だよ。時間のある時に見てほしいの」
「ああ」
「あとね、人柄と体力のことはおじさまと施設長にメモをもらってきたよ」

二人の特徴や、これまでどんな仕事をしたことがあるか、健康状態に問題はないか、といった簡単な推薦状的なものだ。
テオドール本人にもう一度時間をとってもらうのは難しいのではないかと思って急遽お願いしたら、二人とも快く引き受けてくれた。

「ありがとう。助かるよ。明日確認する」
「うん、あの……」

テオドールはものすごく疲れているように見えた。それこそこの前爆発した時と同じくらい。

(なんか、最近疲れてること多い気がする)

「どうした?」

テオドールは優しく笑った。疲れてるのに、それを見せないようにしているのだろうか。

(私が可愛いとか言うから、甘えられなくなっちゃったのかな)

仕事が忙しくて普段気を張っているから、プライベートな時間ではできるだけ気を遣ってほしくない。私は基本的にほとんどこの屋敷内にいるため、私の前でもちゃんとしてたら、テオドールが気を抜ける場所が全くなくなってしまう。

「テオ、これは子ども扱いしてるわけじゃないんだけど……」
「ん?」

私は自分の腕を広げた。

「ぎゅってして頭撫でたいって言ったら怒る?」
「……は?」

テオドールは口をぽかんと開けたまま私を見ていた。
人と30秒ハグをすると1日のストレスのうち30%くらいが軽減されると聞いたことがある。私が相手でいいのか分からないけど、前に疲れた時にはテオドールから抱きついてきた。生きてる人間なら誰でも同じ効果を与えられるはずだ。 

「……」

いつも難しいことを聞いても即答するのに、テオドールは返事をしてくれなかった。

「やっぱり、いや……?」

不安になってつい答えを催促してしまうと、テオドールははっとしたような顔をして、首を振った。両手を広げてくれたので、私は彼の腕の中に入り、背中に手を回して抱きしめた。

(わ、どうしよう……心臓がうるさくなっちゃう!)

触れたところから、私の鼓動がおかしいくらい速いのがバレそうな気がする。

(でももうやっちゃったし、ストレス軽減のためだから)

テオドールのため、と思っていたけど、私自身が彼の体温とにおいに幸せを感じてしまう。本当は私が抱きつきたいだけで、ただの下心だったんじゃないかと自分を軽蔑した。

申し訳ないなと思いつつも、そっと髪に触れた。髪の流れに沿ってゆっくり撫でる。

テオドールが私の身体に腕を回し、ぎゅっと力を入れた。苦しい。下手したら背中を痛めそうなほどに力強い。

「テ、テオ、……ちょっとだけ、力ゆるめて」 

返事代わりにますますぎゅうっとされて、息が詰まった。

(ほんとに疲れてるんだ。お疲れ様)

捕まえられて頭を撫でることはできなくなってしまった。代わりに背中をゆっくり撫でる。

「ユリウス王太子が……」

テオドールが呟いた。
ユリウスは国王とエレノア前王妃の間に生まれた王位継承権の第一位にいる人だ。まっすぐさらさらの黒髪と、エリーナと同じ菫色の瞳をしている。
いつもにこにこしているけれど、エリーナには微笑みかけてくれたことがない。

同じ両親から生まれた兄妹として、エリーナはユリウスに構ってほしい気持ちがあった。甘えたかったんだと思う。
ユリウスの気を引くために、彼の近くにいる人に声をかけてみたこともあるようだけど、ユリウスはいつもエリーナのことを無視している。

(エリーナは無視されるのが1番嫌いみたい)

無視されるくらいなら、憎まれた方が良い。誰かに強い感情を向けられたいという欲がすごくある。その割に、エリーナは周りに関心がない。

私は悪意のこもった目を向けられるくらいなら無視されていないものとして扱われる方が全然マシだと思ってしまう。エリーナとは気が合わない。

「ユリウス王太子がどうしたの?」

この前、圧をかけてくると言っていた気がする。何か予期せぬ仕事が降ってきたのだろうか。

「あの人、俺を自分の側近にしたいって、公爵に手紙書いて陛下にも話してて……」
「えっ」

それはニーフェ公領に行く話がなくなるということだろうか。もちろんテオドールがそうしたいなら私は何か言うつもりはないけれど、アーノルドからの大きな信頼の証でもある異動の話を簡単に手放していいのだろうか。

「前に俺は決める立場じゃないから公爵と陛下に話してくれって言ったから悪いんだけど……でもそうしないと丸め込まれそうだったし……」
「そんな話があったんだね」
「今日公爵が王都に来てたんだ」
「ヴィルヘルム公爵様が?!直々に……?」
「ああ、もちろん他にも王都に用事があって来たんだけど、……あの人も、自分の要望しか言わないタイプの人だ。それで陛下に呼び出されて、どうするのかみたいな話になって……知らねぇよそっちで勝手に決めろって思うだろ」

(やさぐれてる……)

いつもより口が悪くなっているのもちょっと可愛いなと思ってしまい、慌ててその考えを消した。可愛いはご法度だ。

「それで、どうなったの?」

テオドールはばっと顔を上げた。納得できなさそうな顔をしている。

「ひゃっ!」

いきなり私の足を掬って、横抱きにすると、そのまま寝台に横たえた。自分は足を寝台の外に出したままとすんと音を立てて腰掛け、私の顔の横に手をついた。影になった顔は、むすっとしてる。

「あの王太子……俺のことは諦めるから、代わりにアジリア首長国で縁があった奴隷を帰国の時に側近に迎えたいって言ったんだ。身分の問題で普通はできないよ。最初からそっちが目的で、俺のことは交渉に使えそうだったから声をかけただけだった。そんなもん自分の手持ちのカードで勝負しろって話だし、俺はこの前も胃が痛くなって、今日は半日潰されたのに……ほんとに、くそだ、あの王太子。性格が悪すぎるって理由で王位継承権を剥奪されてしまえ」

一応すでに解決しているせいか、テオドールの怒り方はぷんぷん、と擬音がつきそうなものだった。本人は本当に腹が立っているのだろうけど、可愛いとか思うのが止められない。

「災難だったね」

慰めるように手を握ると、テオドールはその手を握り返した。

「ついでに、騎士団長に報告したら爆笑された」
「それは、想像できるかも……」
「はぁ……あと、ユリウス王太子が4日後に首長国に戻るんだ。その前にあんたと話がしたいって言ってる」
「私?」
「ああ。断りづらいけど、4日しかないから体調不良でなんとか逃れられると思う。どうする?俺はあんまりあの人とあんたを会わせたくない」

私はユリウスの顔を思い浮かべた。ここ数年は留学に出ていたこともあって、あまり印象がない。
テオドールはユリウス王太子が嫌いなようだけど、私はエリーナの兄に会ってみたいと思った。
エリーナの心はユリウスに関心を持たれたことに少し喜んでいる感じがする。それに応えてあげたい。

(もしかしたらすごく恨まれてて、怒鳴られて罵倒されるかもしれないけど……)

もしそうなっても、私には帰る場所があるから、きっと大丈夫だ。

「断らなくて大丈夫。話をしてみるよ」
「いいのか?別に断っても俺の立場は悪くならないよ」
「ううん、私が久しぶりにユリウス兄様に会いたいだけ」
「……そうか。分かった。なら、俺も一緒に時間を作るよ」
「いいの?あまり会いたくない人なんでしょ。マリアと二人で大丈夫だよ」

テオドールは少しむっとした顔をした。

「子どもじゃないんだ。嫌いでも普通に話はできる。またマリアにだけ頼ろうとしてるな」
「……!ごめんなさい」
「いいよ。気遣ってくれたのは分かってるし、俺も心が狭いよな……こういうところか?」

私は首を横に振った。最後の方は声が小さくて聞き取れなかったけど、テオドールの心が狭いなんてことはない。

前はお城に行くのがとても不安だったのに、今回は少しだけ楽しみな気持ちになった。
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