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正義の伯爵と純白の兵器②
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顔合わせが終わり、セロンとブルーノだけが部屋に残った。椅子に座ったセロンの斜め向かいにブルーノが険しい顔で立ち、セロンは背もたれにもたれかかりながら真正面に飾られた大きな絵画を見つめた。
「まだ言いたい事があるのか」
「御言葉ですがセロン様、このような現状で見ず知らずの人間を屋敷に招き入れるなど無用心にすぎます」
「こんな時だからこそ人手が必要だ」
「貧困に嘆いたという話は信用に値しません、それにしては上等な腕輪や指輪を身につけていました。いくらトゥワノの紹介だとしても用心すべきです」
「トゥワノはこの3年間良くやってくれている。トゥワノの顔を立ててやるべきではないのか」
「…確かにトゥワノの働きは目を見張るものではありますが、トゥワノがここに来たのも全てシスがこの屋敷に来てからです」
「何が言いたい」
「私はトゥワノもまたシスを狙う者共と内通しているのではないかと考えています」
「いい加減にしろブルーノ!」
声を荒げるセロンに、ブルーノは眉ひとつ動かさず言葉を続けた。
「貴方に何かあってからでは遅いのです」
「そのために黒幕を突き止め、この不毛な暴力を終わらせる必要がある。それは俺やお前が努力した程度ではどうにもならない!」
「敵が見えない状況を打破していないうちに新参者を招き入れるのはやはり得策ではありません」
「お前は俺に毎日毎晩、敵と戦い疲弊していくお前やトゥワノを指を咥えて見ていろと言うのか?トゥワノの話ではあの2人は腕が立つらしい、俺たちにも戦力は必要だ」
「出自も不明な挙句、腕も立つなどなお怪しい」
「今は猫の手も借りたいところだ、そんなに信用できなければお前が2人を監視しろ。俺は明日城に出向く」
セロンは終着の無い話に嫌気がさし、椅子から立ち上がると足早に扉に歩み寄る。
「では私も」
「いい、明日は俺1人で出向く」
「なりません!セロン様」
「お前はその目で彼奴らが信用に値するのかしないのかを見極めろ!結論が出るまで俺に話しかけることは許可しない」
大きな音を立てて扉は閉まった。
応接室に1人取り残されたブルーノは、寂しげに眉をしかめポケットから古い懐中時計を取り出した。それを強く握りしめたまま、彼は静かにその場に佇むのであった。
コンコン、扉がノックされる。
部屋の中にいた少女は扉に駆け寄り、嬉しそうな顔で扉を開けた。そこに立っていたのは彼女が待ち焦がれていた相手。
「おかえりなさい、セロン様」
「ただいま」
セロンは穏やかな顔でシスの頭を愛しそうに撫でつけた。シスは花が咲いたように純粋な笑顔でそれを受ける。部屋の中で2人はソファに身を寄せ合いながら座った。離れていた時間を埋めるように、ただ静かにお互いの存在を確かめる。
「変わった事はなかったか?」
「新しいメイドさんがいらっしゃったんです!ブラッドさんにはお会いしたのですが、まだもうひと方とはお会いしていなくて」
両手の指先を軽く合わせ、シスは花のような笑顔をセロンに向ける。セロンは楽しそうに話すシスの姿を、穏やかで優しい表情で見つめた。最近はこんなに楽しそうに話すシスの姿を見ることができなかった、今回の騒動の全てが自分のせいで起きていると知ったときからいつもどこか悲しい顔をしていた。
セロンは実直な男だが、とても不器用だ。
シスをどうやって元気づけたらいいのか分からず、大好きな彼女の笑顔が曇る事を心苦しく感じていた。
「もう1人はブラッドの妻だそうだ」
「はい、アーチャさんとおっしゃるんですよね」
「知っていたか、後でトゥワノに言って連れて来させよう」
「ありがとうございます」
「礼には及ばん。俺はお前に自由を与えてやることができず、逆に謝らねばならん…いつも肩身の狭い思いをさせてすまない」
「そんな事はありません!」
シスは声を張り上げ、両手でセロンの左手を掴んだ。
「セロン様は私にたくさんのものを与えて下さいました、何もない私にこんなに優しく接して下さって…私ばかりが貰ってばかりで」
言葉を紡げば、今までのセロンの優しさが、自分には勿体ないほどの愛情が走馬灯のように駆け巡る。それを思い出してまた涙が溢れて、俯きながらシスはぎゅっと手を強く握った。
「貴方が私に光をくれた。とてもとても優しく、温かい光を」
「シス…」
セロンはシスと出会ったあの日を思い出す。
今から3年前、
ユーディリヒ皇子からの依頼で、セロンは奴隷オークションの会場に潜入していた。奴隷を持つ事は公には禁止されており、大体の貴族は従者として奴隷出身の人間を支配する。ジョルマザ公国は貴族と魔法使いが上位、魔力のない人間は下位という考え方が根付いているため、人間の価値に大きな差があった。
この奴隷オークションは、大体が誘拐されてきた者や借金のかたとして身売りされた者、あとは魔物がほとんどを占めている。
正義感の強いセロンは、傲慢で人を人とも思わないような人間を心の底から嫌悪していた。この会場に集まってくる人間のほとんどは、金を持て余した貴族や魔法使い共だ。
正体がバレないよう全員が仮面をつけているが、飛び交う言葉も下卑た笑いもすべてがセロンを不快にさせる。
劇場のように赤い上等な椅子が横並びに置かれた会場でセロンは1番後ろの席に腰かけ、イライラしたように小さく貧乏ゆすりをしながらオークションを見ていた。赤くギラギラした服を着た仮面の司会者が次々に商品を紹介し、客は金額を叫ぶ。
舞台に立たされた人間は、ただ無言で自分に付けられた値段と人生の全てを奪う飼い主の顔を、絶望に濁った目に映すのだ。奴隷は物だ、この会場から生きて出られたとしても死ぬより苦しい日々が待っている。売れなかった物はリサイクルされる、実験動物として。
「人の皮を被った悪魔か…人そのものが悪魔なのか分からんな」
セロンは眉間に深い皺を刻み、目の前に広がる醜悪な現実を、目を背けずに焼き付けた。少年少女、成人の男、女、老人、魔物…全てが商品としてさばかれる。
「さぁ、それでは最後の商品です」
司会者が声を大にして注目を集めた。
藍色のサテンの幕がかけられた大きな物が運び込まれる。今までの商品とは違うソレに会場の視線は集中した。くだらない余興を見せられてきたセロンは、ようやく終わるのかと胸をなでおろした。
「ご覧ください」
現れたソレに、セロンは目を見開いた。
円柱のガラス管に閉じ込められ、体を無数の黄金の鎖に束縛されたまま眠りにつく純白の少女。透明な液体の中で揺らめく白銀の髪、雪のように美しい肢体…それはその場にいるものを魅了する。
その美しさに誰もが息を呑んだ。
「この息を呑むほどの美しさ!こちらは希少な人工生命体の少女。ただし機能はついておらず残念ながらなりそこないの人工生命体です。しかし美術品として飾るには申し分ない商品となっています!!」
今までで1番の熱量が会場を包み込んだ。
どんどん値段は上がっていく、今日紹介された奴隷が全て買えるほどの額になっていった。
「60億!60億でました!!ほかにいらっしゃいませんか」
「100億!!」
喧騒を割り裂く大声に、会場中が静まり返った。
気づけばとんでもない金額を提示していた。装飾品や美術品になど興味はないセロンだったが、彼女を手に入れたいと本能でそう思った。彼女は確かに美しいが、奴隷を望む他の人間には100億出すのは渋られた。
セロンは奴隷オークションを終えたその足で、依頼主であり親友のジョルマザ公国第一皇子ユーディリヒの居室を訪ねた。セロンとユーディリヒの仲の良さは城の者にも周知されているため、ズカズカと廊下を歩いても従者や衛兵らも軽く会釈をしてセロンに道を開けた。
「ユーディリヒ!」
「うわっ、どうしたんだいセロン。ノックもせずに入るなんて君らしくない」
部屋の中に居たのは女性と見紛う端整な顔、カラスの羽の様に黒く艶めくミディアムヘアー、日の光を知らないような透き通った肌の青年。彼がこのジョルマザ公国の第一皇子ユーディリヒ・ファンダズマである。
窓辺に腰掛け、本を読んでいたところセロンが勢いよく入ってきた。
「言われた通り行ってきたぞ」
「あぁ、ご苦労だったね。まぁ座りなよ」
読んでいた本を閉じ、窓辺に置いてセロンが座った椅子の向かいに腰かけた。セロンは両腕を組んで神妙な面持ちで俯いている。
「それでどうだったんだい?」
「最悪だ…」
「君はああいう場所には合わないだろうからね、いつも苦労をかける」
「いや、違うんだ」
「ん?」
「…んだ」
「え?なんて?」
セロンはティーテーブルに倒れこむように上体を倒し、ダンっと両手の拳を叩きつけた。その様子にユーディリヒはビクッと体を大きく震わせ目を丸くした。セロンは拳が震えるほど握りしめながら、重い口を開いた。
「買ってしまったんだ、奴隷を…!!」
「えっ!?君がかい」
2人の間に沈黙が流れた。ユーディリヒは困惑したが、咳払いをひとつしてセロンに問いかける。
「何を買ったんだい?」
「…少女だ」
「わ~お」
セロンがまさか女の子を買うなんて…
「いくら?」
ユーディリヒの問いかけに、セロンは詰まった。
「いくらで買ったんだい?」
「…100億」
「100億!?お~いおいおい、そんな額出せるのかい?」
「難しいかもな」
セロンは勢いよく起き上がり、背もたれにぶつかるように寄りかかる。悲しいような困ったような険しい顔で両手両足を組んだ。
「それで?連れてきたのかい?」
「いや、動かないんだ。ガラスの中で眠っている」
「え~…君そんな趣味あったの」
ユーディリヒは遠い目でセロンを見る。
「違う!人工生命体の少女だ」
「…人工生命体だって?」
「あぁ、ガラスの容器に入った人工生命体の少女を買ったんだ」
ユーディリヒの顔が険しくなる。
「もう少しその子の事、詳しく話してくれないか」
「透明な液体に入った白い少女だ。金の鎖に縛り付けられていたな」
「他には?」
「確か下腹部に"No.Ⅵ"と書かれていたな」
「…その子は今どこに居るんだい?」
「オークション会場だ」
「そうか…」
ユーディリヒはセロンから顔を背け、真剣な顔で思い巡らせる。セロンが呼びかけるが、ユーディリヒは自分の中で話し合いその真剣な面持ちのままセロンに向き直った。
「君のお陰で違法オークションが行われているということが分かった。セロン、この件は私に任せてくれないかい?」
「どういう事だ」
「人工生命体なんて希少な物まで出品されているなんて見過ごせないからね。すぐにオークション主催者の一斉摘発を行う、その子も一度こちらに押収させてもらうことになる」
「……そうか」
人工生命体が自分の元から離れるのが嫌なのだろう、明らかに沈んだ様子にユーディリヒは困ったように微笑んだ。
「心配しないでくれ、君が惚れ込んだ愛しの君は危険がないと分かれば君に引き渡すと約束するよ」
ユーディリヒの言葉に、セロンの顔が真っ赤に染まる。音を立てて椅子から立ち上がり指をさしながら大声で反論した。
「なぁ!?べ、別に惚れ込んだわけではない!」
「ふふ」
「何を笑っている!」
セロンがユーディリヒに会った日、多くの兵士が墓地に向かったとの噂が流れた。その翌日、新聞に大々的に違法オークションの一斉摘発についての記事が書かれていた。違法オークショングループと顧客名簿が押収され、頻繁に出入りしていたとされる貴族、魔法使いには罰金や刑罰が与えられた。そして違法オークショングループは城の地下にある牢屋に投獄され、終身刑又は死刑が言い渡された。
新聞を読んだセロンはすぐに屋敷を出て馬を走らせた。墓地に到着して、オークション会場に続く墓穴を探したが何処にもない。確かにあったはずのものが最初からなかったように消えていた。
「オークションがあったのは昨日の深夜…ユーディリヒに会ったのはその日の朝、昨日のうちに全てかたをつけたというのか」
その日から、セロンの心に引っかかっていたのは例の人工生命体の事。オークション関連の対処を行なっているため、城には入れずユーディリヒからもなんの連絡も来ないことにくすぶっていた。
数日が過ぎた頃、屋敷に黒い布に包まれた大きな荷物が運び込まれた。荷物を運んできたのは城に使える魔法使い数名で、ユーディリヒからの手紙をセロンに渡した。そこには人工生命体の調査が終わった事、搬入が終わったら城に来て欲しい旨が書かれていた。
荷物はセロンの自室に運ばれ、光の下にあの日見たそのままの姿で彼女はセロンの前に現れる。精巧に作られたそれは、真近で見れば見るほどに心惹かれた。しばし見とれていたが振り返るともうそこには魔法使い達の姿はなかった。
「あまりにも美しいと、人形にしか見えんな」
ノックの音が聞こえ返事をするとブルーノが部屋に入り、深々とお辞儀をした。顔を上げたブルーノは彼女の姿に驚き目を見開く。セロンはそこから動かないブルーノに声をかけ、自分の隣に来るよう促した。
「セロン様…これは…」
「人工生命体だ」
「人工生命体…なぜそんなものがここにあるのですか」
「たまたまだ」
「たまたまで手に入る代物ではありません!」
その希少価値は魔物や宝石よりも高く、造られた者・人工生命体を創り出す事は不可能と言われている。過去に何人もの錬金術師や魔法使いが 人工生命体の実験を行なったが、人の形すら創り出すことが出来ず、過去にルイス・ゴールドという稀代の天才錬金術師が7体の製造に成功したという伝説だけが残っている。
魔法使いが多く存在するこの国でも人工生命体を見た事がある人間などいない。例え人形であってもそうそうお目にかかる事のないものだ。
「ブルーノ、俺はこれから城に行く。従者達にはこれに触れないようにお前から伝えておいてくれ」
「お待ちくださいセロン様!まだ話は」
制止する声も聞かずにセロンは足早に部屋を出た。残されたブルーノは彼女を憂顔で見つめ、拳を強く握りしめる。
「…何事も無ければよいのだが」
コンコン
「ユーディリヒ、入るぞ」
返事も待たずにセロンは扉を開けた。いつもは整頓されている部屋は書類や本が至る所に散乱していて、足の踏み場もない状態に変わり果てていた。セロンは呆然とドアノブを握りしめたまま固まる。
「あ~すまないこんな時に呼んでしまって」
声が聞こえた方を見ると大きな天蓋付きのベッドから、紙をバサバサと床に落としながらユーディリヒが現れた。何日も休んでいないのか、ボロボロになっている友の姿にセロンは少ない床を踏みながらユーディリヒに近づいた。
「まさかあれから休んでいないのか!」
「ははは、いや~やる事が多くてね…」
ユーディリヒは頭をかきながらフラフラしている。セロンはベッドの上の書類を払いのけ、ユーディリヒを無理やりベッドに押し込み布団をかけた。そしてそのまま逃げ出せないようにベッドの縁に腰掛け、疲れ果てているユーディリヒをため息混じりに見下ろす。
「ちゃんと届いたみたいだね」
「先程屋敷に従者が来て置いていった」
「そうか、よかった」
「…どこまでやったんだ」
「ん~?そうだな~オークションに携わった人達を一斉摘発して、父上と話し合って処罰したかな」
「それは大体新聞で読んだ」
「それが大変でね、名のある貴族とかも絡んでたからさ。デモが起きないように気をつけてやらなきゃいけないから、誰も彼もに同じ罰を与えられなくてね…罰金とか差し押さえしなきゃいけない色々を計算してたら」
「お前は優秀だがやり過ぎる事がある。お前はいずれこの国を統べる存在なんだ、もっと自分を大切にしろ」
「ありがとうセロン」
「…それであの人工生命体は」
「調査したよ」
「そうか」
「でもほとんど分からなかったんだけどね」
「何…?」
「うちの魔法使い達にあのケースから出してもらおうと思ったんだけどね。特殊な魔法がかけられてるみたいでさ、魔法でも物理技でもこじ開けられなかったんだよ」
城に仕える魔法使いはこの国の中でも一握りのエリート達であり、最高峰の魔導集団と言える。その彼等が解けない魔法となれば非常に厄介な存在なのだと国民であれば誰もが察する事ができるだろう。
「だから君に返す事にしたよ」
「よかったのか」
「うん、得体の知れない彼女を置いておいて城に何かあったら困るからね」
「おい!」
ユーディリヒはケラケラと可笑しそうに笑い声を上げた。ひとしきり笑い終われば上半身だけを起こしてセロンの目をじっと見つめた。
「君だからこそ安心して預けられるんだよ」
「何だいきなり」
「人工生命体の希少性は君も分かっているはずだ。あれだけ美しい人工生命体だから彼女を悪用する事はないだろう」
ユーディリヒは笑顔でセロンへの信頼を現した。屋敷に戻ったセロンはまた彼女のいる自室へと帰る。彼女は変わらずガラスケースの中で静かに眠っているばかり。
「素性の知れない人工生命体か…」
冷たいガラスケースの中で鎖に繋がれた彼女は人の形をした宝石のような美しさに、ただ眺めるだけで時間はおもしろいように過ぎ去っていく。
「お前が人と同じように動くことが出来たなら、どんな声で話すんだろうな」
ノックの音が聞こえ扉の向こうから声がした。
「セロン様、お食事のご用意ができました」
「分かった」
長い時間座り続け重くなった腰を上げ、セロンは居室を後にした。カーテンの閉められていない部屋で彼女は月光に照らされ、その光を吸い込み淡く光りを放ち始める。
食事を終えたセロンにブルーノが声をかけた。呼び止められた理由を察して、セロンはブルーノと共に自室に戻った。自室に続く廊下を曲がると扉から青白い光が漏れ出ており、2人は慌てて部屋に向かって駆け出した。扉を勢いよく開けると強く眩しい光に2人は目を細め、光の正体を見た。
「何だこれは…!」
光はガラスケースから放出されている。
薄く開けた目に見えたのは、彼女を縛る鎖が青白い光を放ちながらケースの中でゆらゆらと生きているかのように動いていた。
「セロン様これは一体」
「俺にも分からん!」
瞼を閉じても陽の光の下にいるような眩しさに顔を背けた。刹那、一際強く輝いてそのまま蝋燭が燃え尽きるように、静かに光は消えていった。
目を開けた時には先程までの事が嘘のように部屋は静まり返っていた。揺らめいていた鎖も闇の中で鈍く光を反射しているが、ただの金の鎖に戻っている。
セロンはガラスケースに駆け寄った。
彼女の前に立ちガラスケースを覗き込むため両手をついた。セロンが現れるのを待っていたかのように、ガラスの表面にキキキキキ…と甲高い音を立てて文字が刻まれ始めた。驚いたセロンはサッと体を離し、後退りしながら文字を目で追う。
"C'è un futuro che vuoi cancellare?"
消し去りたい未来はありますか
訳の分からない質問だ。
セロンがそれを読んだことを確認したように、少し間を空けて次の文字が刻まれる。
"C'è un passato indesiderabile?"
望まぬ過去はありますか
"C'è una ragione per cui vuoi vivere?"
生きたい理由はありますか
「セロン様!お下がりください!」
ブルーノがセロンに駆け寄ろうと足を出した瞬間、強く青い光とともに何千もの鎖が光の束となって行く手を遮る。鎖は少女とセロンの邪魔をさせまいと遂には輝く壁となって2人を包み込んだ。
「何だというんだ…!」
ブルーノは両腕で顔を覆い隠しながら主人の名を叫び続ける。光に包まれた空間の中、外からの音は一切聞こえない。ブルーノの名を呼ぶが声は反響するだけで届かなかった。
「お前は何が知りたいんだ」
"Voi"
貴方
「俺…なら目を覚ませ」
"È il motivo?"
何故…?
「俺が何かを知ってみせろ」
行動してみせろ、
そう言い切ったセロンの言葉に沈黙する少女の口から小さな気泡が溢れた。白い瞼が開いた時、ガラスケースに大きな亀裂が入る。脳まで照らす眩しい光に目を閉じた。
光が収まった時、
「…起動を確認、全機能異常なし」
割れたガラス、すべての鎖が蒸発するように光の粒になって消えていく。二本足で立つ少女の瞳は暗がりの中藍色に輝いていた。
「…っ、動い…た…?」
「私はNo.Ⅵ…シス…」
「シス」
「貴方の僕です」
それだけ話し、糸が切れた人形のようにシスは倒れ込んだ。セロンは咄嗟に受け止め、人間と変わりないその肌と温もりに戸惑った。
。
「まだ言いたい事があるのか」
「御言葉ですがセロン様、このような現状で見ず知らずの人間を屋敷に招き入れるなど無用心にすぎます」
「こんな時だからこそ人手が必要だ」
「貧困に嘆いたという話は信用に値しません、それにしては上等な腕輪や指輪を身につけていました。いくらトゥワノの紹介だとしても用心すべきです」
「トゥワノはこの3年間良くやってくれている。トゥワノの顔を立ててやるべきではないのか」
「…確かにトゥワノの働きは目を見張るものではありますが、トゥワノがここに来たのも全てシスがこの屋敷に来てからです」
「何が言いたい」
「私はトゥワノもまたシスを狙う者共と内通しているのではないかと考えています」
「いい加減にしろブルーノ!」
声を荒げるセロンに、ブルーノは眉ひとつ動かさず言葉を続けた。
「貴方に何かあってからでは遅いのです」
「そのために黒幕を突き止め、この不毛な暴力を終わらせる必要がある。それは俺やお前が努力した程度ではどうにもならない!」
「敵が見えない状況を打破していないうちに新参者を招き入れるのはやはり得策ではありません」
「お前は俺に毎日毎晩、敵と戦い疲弊していくお前やトゥワノを指を咥えて見ていろと言うのか?トゥワノの話ではあの2人は腕が立つらしい、俺たちにも戦力は必要だ」
「出自も不明な挙句、腕も立つなどなお怪しい」
「今は猫の手も借りたいところだ、そんなに信用できなければお前が2人を監視しろ。俺は明日城に出向く」
セロンは終着の無い話に嫌気がさし、椅子から立ち上がると足早に扉に歩み寄る。
「では私も」
「いい、明日は俺1人で出向く」
「なりません!セロン様」
「お前はその目で彼奴らが信用に値するのかしないのかを見極めろ!結論が出るまで俺に話しかけることは許可しない」
大きな音を立てて扉は閉まった。
応接室に1人取り残されたブルーノは、寂しげに眉をしかめポケットから古い懐中時計を取り出した。それを強く握りしめたまま、彼は静かにその場に佇むのであった。
コンコン、扉がノックされる。
部屋の中にいた少女は扉に駆け寄り、嬉しそうな顔で扉を開けた。そこに立っていたのは彼女が待ち焦がれていた相手。
「おかえりなさい、セロン様」
「ただいま」
セロンは穏やかな顔でシスの頭を愛しそうに撫でつけた。シスは花が咲いたように純粋な笑顔でそれを受ける。部屋の中で2人はソファに身を寄せ合いながら座った。離れていた時間を埋めるように、ただ静かにお互いの存在を確かめる。
「変わった事はなかったか?」
「新しいメイドさんがいらっしゃったんです!ブラッドさんにはお会いしたのですが、まだもうひと方とはお会いしていなくて」
両手の指先を軽く合わせ、シスは花のような笑顔をセロンに向ける。セロンは楽しそうに話すシスの姿を、穏やかで優しい表情で見つめた。最近はこんなに楽しそうに話すシスの姿を見ることができなかった、今回の騒動の全てが自分のせいで起きていると知ったときからいつもどこか悲しい顔をしていた。
セロンは実直な男だが、とても不器用だ。
シスをどうやって元気づけたらいいのか分からず、大好きな彼女の笑顔が曇る事を心苦しく感じていた。
「もう1人はブラッドの妻だそうだ」
「はい、アーチャさんとおっしゃるんですよね」
「知っていたか、後でトゥワノに言って連れて来させよう」
「ありがとうございます」
「礼には及ばん。俺はお前に自由を与えてやることができず、逆に謝らねばならん…いつも肩身の狭い思いをさせてすまない」
「そんな事はありません!」
シスは声を張り上げ、両手でセロンの左手を掴んだ。
「セロン様は私にたくさんのものを与えて下さいました、何もない私にこんなに優しく接して下さって…私ばかりが貰ってばかりで」
言葉を紡げば、今までのセロンの優しさが、自分には勿体ないほどの愛情が走馬灯のように駆け巡る。それを思い出してまた涙が溢れて、俯きながらシスはぎゅっと手を強く握った。
「貴方が私に光をくれた。とてもとても優しく、温かい光を」
「シス…」
セロンはシスと出会ったあの日を思い出す。
今から3年前、
ユーディリヒ皇子からの依頼で、セロンは奴隷オークションの会場に潜入していた。奴隷を持つ事は公には禁止されており、大体の貴族は従者として奴隷出身の人間を支配する。ジョルマザ公国は貴族と魔法使いが上位、魔力のない人間は下位という考え方が根付いているため、人間の価値に大きな差があった。
この奴隷オークションは、大体が誘拐されてきた者や借金のかたとして身売りされた者、あとは魔物がほとんどを占めている。
正義感の強いセロンは、傲慢で人を人とも思わないような人間を心の底から嫌悪していた。この会場に集まってくる人間のほとんどは、金を持て余した貴族や魔法使い共だ。
正体がバレないよう全員が仮面をつけているが、飛び交う言葉も下卑た笑いもすべてがセロンを不快にさせる。
劇場のように赤い上等な椅子が横並びに置かれた会場でセロンは1番後ろの席に腰かけ、イライラしたように小さく貧乏ゆすりをしながらオークションを見ていた。赤くギラギラした服を着た仮面の司会者が次々に商品を紹介し、客は金額を叫ぶ。
舞台に立たされた人間は、ただ無言で自分に付けられた値段と人生の全てを奪う飼い主の顔を、絶望に濁った目に映すのだ。奴隷は物だ、この会場から生きて出られたとしても死ぬより苦しい日々が待っている。売れなかった物はリサイクルされる、実験動物として。
「人の皮を被った悪魔か…人そのものが悪魔なのか分からんな」
セロンは眉間に深い皺を刻み、目の前に広がる醜悪な現実を、目を背けずに焼き付けた。少年少女、成人の男、女、老人、魔物…全てが商品としてさばかれる。
「さぁ、それでは最後の商品です」
司会者が声を大にして注目を集めた。
藍色のサテンの幕がかけられた大きな物が運び込まれる。今までの商品とは違うソレに会場の視線は集中した。くだらない余興を見せられてきたセロンは、ようやく終わるのかと胸をなでおろした。
「ご覧ください」
現れたソレに、セロンは目を見開いた。
円柱のガラス管に閉じ込められ、体を無数の黄金の鎖に束縛されたまま眠りにつく純白の少女。透明な液体の中で揺らめく白銀の髪、雪のように美しい肢体…それはその場にいるものを魅了する。
その美しさに誰もが息を呑んだ。
「この息を呑むほどの美しさ!こちらは希少な人工生命体の少女。ただし機能はついておらず残念ながらなりそこないの人工生命体です。しかし美術品として飾るには申し分ない商品となっています!!」
今までで1番の熱量が会場を包み込んだ。
どんどん値段は上がっていく、今日紹介された奴隷が全て買えるほどの額になっていった。
「60億!60億でました!!ほかにいらっしゃいませんか」
「100億!!」
喧騒を割り裂く大声に、会場中が静まり返った。
気づけばとんでもない金額を提示していた。装飾品や美術品になど興味はないセロンだったが、彼女を手に入れたいと本能でそう思った。彼女は確かに美しいが、奴隷を望む他の人間には100億出すのは渋られた。
セロンは奴隷オークションを終えたその足で、依頼主であり親友のジョルマザ公国第一皇子ユーディリヒの居室を訪ねた。セロンとユーディリヒの仲の良さは城の者にも周知されているため、ズカズカと廊下を歩いても従者や衛兵らも軽く会釈をしてセロンに道を開けた。
「ユーディリヒ!」
「うわっ、どうしたんだいセロン。ノックもせずに入るなんて君らしくない」
部屋の中に居たのは女性と見紛う端整な顔、カラスの羽の様に黒く艶めくミディアムヘアー、日の光を知らないような透き通った肌の青年。彼がこのジョルマザ公国の第一皇子ユーディリヒ・ファンダズマである。
窓辺に腰掛け、本を読んでいたところセロンが勢いよく入ってきた。
「言われた通り行ってきたぞ」
「あぁ、ご苦労だったね。まぁ座りなよ」
読んでいた本を閉じ、窓辺に置いてセロンが座った椅子の向かいに腰かけた。セロンは両腕を組んで神妙な面持ちで俯いている。
「それでどうだったんだい?」
「最悪だ…」
「君はああいう場所には合わないだろうからね、いつも苦労をかける」
「いや、違うんだ」
「ん?」
「…んだ」
「え?なんて?」
セロンはティーテーブルに倒れこむように上体を倒し、ダンっと両手の拳を叩きつけた。その様子にユーディリヒはビクッと体を大きく震わせ目を丸くした。セロンは拳が震えるほど握りしめながら、重い口を開いた。
「買ってしまったんだ、奴隷を…!!」
「えっ!?君がかい」
2人の間に沈黙が流れた。ユーディリヒは困惑したが、咳払いをひとつしてセロンに問いかける。
「何を買ったんだい?」
「…少女だ」
「わ~お」
セロンがまさか女の子を買うなんて…
「いくら?」
ユーディリヒの問いかけに、セロンは詰まった。
「いくらで買ったんだい?」
「…100億」
「100億!?お~いおいおい、そんな額出せるのかい?」
「難しいかもな」
セロンは勢いよく起き上がり、背もたれにぶつかるように寄りかかる。悲しいような困ったような険しい顔で両手両足を組んだ。
「それで?連れてきたのかい?」
「いや、動かないんだ。ガラスの中で眠っている」
「え~…君そんな趣味あったの」
ユーディリヒは遠い目でセロンを見る。
「違う!人工生命体の少女だ」
「…人工生命体だって?」
「あぁ、ガラスの容器に入った人工生命体の少女を買ったんだ」
ユーディリヒの顔が険しくなる。
「もう少しその子の事、詳しく話してくれないか」
「透明な液体に入った白い少女だ。金の鎖に縛り付けられていたな」
「他には?」
「確か下腹部に"No.Ⅵ"と書かれていたな」
「…その子は今どこに居るんだい?」
「オークション会場だ」
「そうか…」
ユーディリヒはセロンから顔を背け、真剣な顔で思い巡らせる。セロンが呼びかけるが、ユーディリヒは自分の中で話し合いその真剣な面持ちのままセロンに向き直った。
「君のお陰で違法オークションが行われているということが分かった。セロン、この件は私に任せてくれないかい?」
「どういう事だ」
「人工生命体なんて希少な物まで出品されているなんて見過ごせないからね。すぐにオークション主催者の一斉摘発を行う、その子も一度こちらに押収させてもらうことになる」
「……そうか」
人工生命体が自分の元から離れるのが嫌なのだろう、明らかに沈んだ様子にユーディリヒは困ったように微笑んだ。
「心配しないでくれ、君が惚れ込んだ愛しの君は危険がないと分かれば君に引き渡すと約束するよ」
ユーディリヒの言葉に、セロンの顔が真っ赤に染まる。音を立てて椅子から立ち上がり指をさしながら大声で反論した。
「なぁ!?べ、別に惚れ込んだわけではない!」
「ふふ」
「何を笑っている!」
セロンがユーディリヒに会った日、多くの兵士が墓地に向かったとの噂が流れた。その翌日、新聞に大々的に違法オークションの一斉摘発についての記事が書かれていた。違法オークショングループと顧客名簿が押収され、頻繁に出入りしていたとされる貴族、魔法使いには罰金や刑罰が与えられた。そして違法オークショングループは城の地下にある牢屋に投獄され、終身刑又は死刑が言い渡された。
新聞を読んだセロンはすぐに屋敷を出て馬を走らせた。墓地に到着して、オークション会場に続く墓穴を探したが何処にもない。確かにあったはずのものが最初からなかったように消えていた。
「オークションがあったのは昨日の深夜…ユーディリヒに会ったのはその日の朝、昨日のうちに全てかたをつけたというのか」
その日から、セロンの心に引っかかっていたのは例の人工生命体の事。オークション関連の対処を行なっているため、城には入れずユーディリヒからもなんの連絡も来ないことにくすぶっていた。
数日が過ぎた頃、屋敷に黒い布に包まれた大きな荷物が運び込まれた。荷物を運んできたのは城に使える魔法使い数名で、ユーディリヒからの手紙をセロンに渡した。そこには人工生命体の調査が終わった事、搬入が終わったら城に来て欲しい旨が書かれていた。
荷物はセロンの自室に運ばれ、光の下にあの日見たそのままの姿で彼女はセロンの前に現れる。精巧に作られたそれは、真近で見れば見るほどに心惹かれた。しばし見とれていたが振り返るともうそこには魔法使い達の姿はなかった。
「あまりにも美しいと、人形にしか見えんな」
ノックの音が聞こえ返事をするとブルーノが部屋に入り、深々とお辞儀をした。顔を上げたブルーノは彼女の姿に驚き目を見開く。セロンはそこから動かないブルーノに声をかけ、自分の隣に来るよう促した。
「セロン様…これは…」
「人工生命体だ」
「人工生命体…なぜそんなものがここにあるのですか」
「たまたまだ」
「たまたまで手に入る代物ではありません!」
その希少価値は魔物や宝石よりも高く、造られた者・人工生命体を創り出す事は不可能と言われている。過去に何人もの錬金術師や魔法使いが 人工生命体の実験を行なったが、人の形すら創り出すことが出来ず、過去にルイス・ゴールドという稀代の天才錬金術師が7体の製造に成功したという伝説だけが残っている。
魔法使いが多く存在するこの国でも人工生命体を見た事がある人間などいない。例え人形であってもそうそうお目にかかる事のないものだ。
「ブルーノ、俺はこれから城に行く。従者達にはこれに触れないようにお前から伝えておいてくれ」
「お待ちくださいセロン様!まだ話は」
制止する声も聞かずにセロンは足早に部屋を出た。残されたブルーノは彼女を憂顔で見つめ、拳を強く握りしめる。
「…何事も無ければよいのだが」
コンコン
「ユーディリヒ、入るぞ」
返事も待たずにセロンは扉を開けた。いつもは整頓されている部屋は書類や本が至る所に散乱していて、足の踏み場もない状態に変わり果てていた。セロンは呆然とドアノブを握りしめたまま固まる。
「あ~すまないこんな時に呼んでしまって」
声が聞こえた方を見ると大きな天蓋付きのベッドから、紙をバサバサと床に落としながらユーディリヒが現れた。何日も休んでいないのか、ボロボロになっている友の姿にセロンは少ない床を踏みながらユーディリヒに近づいた。
「まさかあれから休んでいないのか!」
「ははは、いや~やる事が多くてね…」
ユーディリヒは頭をかきながらフラフラしている。セロンはベッドの上の書類を払いのけ、ユーディリヒを無理やりベッドに押し込み布団をかけた。そしてそのまま逃げ出せないようにベッドの縁に腰掛け、疲れ果てているユーディリヒをため息混じりに見下ろす。
「ちゃんと届いたみたいだね」
「先程屋敷に従者が来て置いていった」
「そうか、よかった」
「…どこまでやったんだ」
「ん~?そうだな~オークションに携わった人達を一斉摘発して、父上と話し合って処罰したかな」
「それは大体新聞で読んだ」
「それが大変でね、名のある貴族とかも絡んでたからさ。デモが起きないように気をつけてやらなきゃいけないから、誰も彼もに同じ罰を与えられなくてね…罰金とか差し押さえしなきゃいけない色々を計算してたら」
「お前は優秀だがやり過ぎる事がある。お前はいずれこの国を統べる存在なんだ、もっと自分を大切にしろ」
「ありがとうセロン」
「…それであの人工生命体は」
「調査したよ」
「そうか」
「でもほとんど分からなかったんだけどね」
「何…?」
「うちの魔法使い達にあのケースから出してもらおうと思ったんだけどね。特殊な魔法がかけられてるみたいでさ、魔法でも物理技でもこじ開けられなかったんだよ」
城に仕える魔法使いはこの国の中でも一握りのエリート達であり、最高峰の魔導集団と言える。その彼等が解けない魔法となれば非常に厄介な存在なのだと国民であれば誰もが察する事ができるだろう。
「だから君に返す事にしたよ」
「よかったのか」
「うん、得体の知れない彼女を置いておいて城に何かあったら困るからね」
「おい!」
ユーディリヒはケラケラと可笑しそうに笑い声を上げた。ひとしきり笑い終われば上半身だけを起こしてセロンの目をじっと見つめた。
「君だからこそ安心して預けられるんだよ」
「何だいきなり」
「人工生命体の希少性は君も分かっているはずだ。あれだけ美しい人工生命体だから彼女を悪用する事はないだろう」
ユーディリヒは笑顔でセロンへの信頼を現した。屋敷に戻ったセロンはまた彼女のいる自室へと帰る。彼女は変わらずガラスケースの中で静かに眠っているばかり。
「素性の知れない人工生命体か…」
冷たいガラスケースの中で鎖に繋がれた彼女は人の形をした宝石のような美しさに、ただ眺めるだけで時間はおもしろいように過ぎ去っていく。
「お前が人と同じように動くことが出来たなら、どんな声で話すんだろうな」
ノックの音が聞こえ扉の向こうから声がした。
「セロン様、お食事のご用意ができました」
「分かった」
長い時間座り続け重くなった腰を上げ、セロンは居室を後にした。カーテンの閉められていない部屋で彼女は月光に照らされ、その光を吸い込み淡く光りを放ち始める。
食事を終えたセロンにブルーノが声をかけた。呼び止められた理由を察して、セロンはブルーノと共に自室に戻った。自室に続く廊下を曲がると扉から青白い光が漏れ出ており、2人は慌てて部屋に向かって駆け出した。扉を勢いよく開けると強く眩しい光に2人は目を細め、光の正体を見た。
「何だこれは…!」
光はガラスケースから放出されている。
薄く開けた目に見えたのは、彼女を縛る鎖が青白い光を放ちながらケースの中でゆらゆらと生きているかのように動いていた。
「セロン様これは一体」
「俺にも分からん!」
瞼を閉じても陽の光の下にいるような眩しさに顔を背けた。刹那、一際強く輝いてそのまま蝋燭が燃え尽きるように、静かに光は消えていった。
目を開けた時には先程までの事が嘘のように部屋は静まり返っていた。揺らめいていた鎖も闇の中で鈍く光を反射しているが、ただの金の鎖に戻っている。
セロンはガラスケースに駆け寄った。
彼女の前に立ちガラスケースを覗き込むため両手をついた。セロンが現れるのを待っていたかのように、ガラスの表面にキキキキキ…と甲高い音を立てて文字が刻まれ始めた。驚いたセロンはサッと体を離し、後退りしながら文字を目で追う。
"C'è un futuro che vuoi cancellare?"
消し去りたい未来はありますか
訳の分からない質問だ。
セロンがそれを読んだことを確認したように、少し間を空けて次の文字が刻まれる。
"C'è un passato indesiderabile?"
望まぬ過去はありますか
"C'è una ragione per cui vuoi vivere?"
生きたい理由はありますか
「セロン様!お下がりください!」
ブルーノがセロンに駆け寄ろうと足を出した瞬間、強く青い光とともに何千もの鎖が光の束となって行く手を遮る。鎖は少女とセロンの邪魔をさせまいと遂には輝く壁となって2人を包み込んだ。
「何だというんだ…!」
ブルーノは両腕で顔を覆い隠しながら主人の名を叫び続ける。光に包まれた空間の中、外からの音は一切聞こえない。ブルーノの名を呼ぶが声は反響するだけで届かなかった。
「お前は何が知りたいんだ」
"Voi"
貴方
「俺…なら目を覚ませ」
"È il motivo?"
何故…?
「俺が何かを知ってみせろ」
行動してみせろ、
そう言い切ったセロンの言葉に沈黙する少女の口から小さな気泡が溢れた。白い瞼が開いた時、ガラスケースに大きな亀裂が入る。脳まで照らす眩しい光に目を閉じた。
光が収まった時、
「…起動を確認、全機能異常なし」
割れたガラス、すべての鎖が蒸発するように光の粒になって消えていく。二本足で立つ少女の瞳は暗がりの中藍色に輝いていた。
「…っ、動い…た…?」
「私はNo.Ⅵ…シス…」
「シス」
「貴方の僕です」
それだけ話し、糸が切れた人形のようにシスは倒れ込んだ。セロンは咄嗟に受け止め、人間と変わりないその肌と温もりに戸惑った。
。
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