こいこい

三城 谷

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~稲荷と少女~ 前編

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 ミーンミーンミーンミーン……。
 私にとって、16回目の夏の季節がやって来た。その日は過去最高気温を叩き出していると朝のニュースでやっていたが、そのニュースを信用せずに外へ飛び出した私は後悔している最中だった。

 「……あつい」

 夏の季節の度に鳴り響く蝉の大合唱を耳に入れながら、私はある場所へと向かっていた。そこは都会から遠く離れた田舎の中の田舎で、先月になって、やっと街灯を取り付けたという話を聞くぐらいに発展速度が遅い田舎だ。私はそこに住んでいる親戚の家へ挨拶に向かう為、こうして外へと出ている訳なのである。

 「……あぁ~、帰りたい。だっるい……」

 そんな誰に向けた訳でも無い文句を呟きながら、私は電車に乗り込んで目的地を目指し続ける。電車に乗り込んだ瞬間、暑苦しかった空気が嘘のように涼しくなる。この季節になると冷房を付けてくれるのは、都会の電車ならでは嬉しく思うし助かる。だがしかし、満員電車の場合は具合を悪くするので、心の底から便利とは言い難い。

 「……」

 休日ではあるが、昼間に近い所為だろうか。電車に乗っている人数が、幸い少ない。私は空いている席へと腰を下ろし、安堵の息を吐きながら窓の外を眺めた。
 住宅街や商店街を通り過ぎて行き、都会から田舎、街から田んぼへと景色は姿を変えていく。そうなった瞬間、ふと見えた景色が私の記憶と重なる。見えた森や山を眺めていると、ふと頭の中に浮かんでくる映像。それは私の中にある記憶であり、思い出であり、忘れてはならないという約束をしたものだった。

 「……また、会いたいな」

 私はそんな事を呟きながら、これから続く長い旅路の為にひと眠りするのであった。記憶の中に残っている彼女の事を想いながら、私は夢の世界へと誘われていく――。


  ◆


 夏休み。それは学生にとって、思い出を作るには必要な時間である。それを分かっている沙羅だったが、友人からの誘いを断って実家へと帰省していた。
 その場所は田舎の中の田舎で、信号機が設置されていない程の田舎である。車の通りも少ない田舎だからか、街灯も無いが事故は無い。平和といえば平和だし、不便といえばそれなりに不便な場所である。

 「ねぇねぇお母さん、今年も夏祭りやる?」
 「もちろんよ。おじいちゃんとおばあちゃんが、毎年やってるんだから」
 「やった!」

 沙羅は母親と共に電車から見える景色を眺めながら、そんな言葉を交わしていた。太陽の暑い日差しを受けつつも、白いワンピースと麦わら帽子が絵になっている。キキー、というブレーキ音と共に列車が停車した。つまりは目的地に到着という事である。

 「う~~~~ん、ついたぁ~~~~!!!」
 「こら沙羅、恥ずかしいから大声で騒がないの」
 「はぁ~い」
 
 母親の言う事に従いつつも、沙羅は内側から込み上げるテンションに耐え切れる様子も無かった。そのテンションは実家に到着してからも続き、深夜帯まで騒ぎ続けて居たのである。


  ◆

 ――人間は嫌いだ。
 
 心からそう思える事を繰り返し、少女は暗闇の中を彷徨さまよう。街灯も無く、ただ自分の目だけで周囲の様子を確認する。そして把握し、再びの草を掻き分けて進み出す。
 自分がこの世で生きていられるかどうか、これから自分はどうなるのか。そんな疑問を浮かべながら、少女は目を細めて林道を進む。自分という存在証明が出来ない以上、これ以上考えるのは不毛だと考えたのだろう。分からない事は分からないと投げているだけなのだが、少女はそうする事で平常心を保っている。
 何故なら、今の状態で人間に……たった一人で勝てるなどと思っていないのだから。昔とは違う、頭のどこかで理解しているからこそ、迂闊に手を出す事は出来ない。
 
 「……つまらない世の中じゃ」

 少女は一人でそう呟き、フッと消えるように森の奥へと向かうのであった。

 
  ◆


 翌日の事、私はお祭りの準備があるからという事で実家の手伝いをしていた。自分が出来る事は無いかと探していると、祖父から枯れ葉や木の枝を集めて来て欲しいと頼まれた。それを了承した私へ、祖父から2つの決まり事を出された。

 『暗くなる前に帰ってくる事』
 『森の奥へは行かない事』

 それは幼い頃から言われ続けている事であったから、私は深く考えずに了承した。そしてその日の内に集めてしまおうと、サプライズも兼ねて急ぎ足で森の中へと入った。だがしかし、それで全てが狂ってしまったのだろう。今となっては懐かしい、波乱万丈な思い出として話す事が出来る。出来るけれど、その頃の私には先の事なんて考える頭なんて無かったのだろう。

 「まぁ、大丈夫かな!れっつごー!」

 一人でにそう手を上げて、私は森の奥へと足を踏み入れてしまったのである。そして出会った。出会って、出逢い、出遭ったのである。
 私よりも小さく、そして綺麗な毛並みをした一匹の狐に――。

 「……おお、キツネだ。初めて見たっ」
 「…………」
 「おいで~♪(か、かわいい)」

 その日の私は、生まれて初めて野生の狐というのを見たのだ。可愛い物好きである性格の所為で、目を輝かせて私はゆっくりと手を伸ばした。野生の動物に無警戒で手を伸ばすなど、誰かに今言ったら注意されるだろう。それぐらい危険な行為なのにも関わらず、当時の私の危機管理の無さには驚くばかりである。

 「……」
 「あ、逃げないで。待ってよ~♪」
 
 一匹の狐に夢中になった私は、祖父との約束事を守らずに森の奥へと入って行った。文字通り、文字通り以上の意味で土足で踏み入ったのだ。彼女の……あの子の領域に。あの子たちの領域に……。


  ◆

 
 日が暮れる。そうなってしまえばこっちのものだ。人間は夜道に慣れている者が少なく、もし慣れていたとしても、それは狩りに慣れている人間に過ぎない。だが今のこの時代の中で、狩りに慣れている人間は殆どが寿命を迎えているはずだ。

 「あ、逃げないで。待ってよ~♪」
 「……」

 しつこい。そんな事を思いながら、わらわは溜息を零して足を止めた。相手は子供だ。そしてもうすぐ月明かりが照らす夜となるのだから、脅すには好都合だ。

 「……」

 そう思った童は、姿を変えて茂みに隠れた。人間の間では、夜道に声が聞こえると恐れるらしい。森に近付けないようにする方法の一つで、童はその方法とやり方を受け継いでいる。ならば、童がする事は一つだろう。他の同胞の為にも、この森に人間を近付けさせないようにする為に。

 ――この人間を脅す他に生きる道は無い。

 「っ……あれ。キツネさんが居ない。確かにこっちに行ったはずだけどなぁ……」
 『カー、カー!』
 「ひっ……」

 周囲が茂みや木々で囲まれている場所へと出た人間それは、急に鳴き出したカラスの声に怯え出した。このまま逃げるように逆方向へ走れば、童が何かをする必要は無くなるのだが。それはその場で蹲るように耳を塞いでいる。
 そのまま逃げれば良いのにも関わらず、まだ動く気配がしない。それどころか、キョロキョロとしている様子が妙に弱々しく見える。助けた方が良いだろうか?
 いや、駄目だ。童は人間ではないし、人間を助ける理由などない。人間にはたくさん苦しめられた上に、住み処まで奪われてきた。
 この場所だけが、童たちが暮らせる町なのだ。そんな町の、童たちの森に勝手に入った人間など、助ける必要など――。

 「こわいよぉ……おかあさん、っ……」
 「!?」

 泣いて、鳴いて、啼いている。あの者にも母上が、親が居るのか。頼る者は居ない。誰一人、助けてくれる者など居ない。そんな事を理解するのは、とても寂しい。淋しいのを童は知っている。離れ離れは……悲しいものだ。

 「……」
 「え?な、なに?」
 「……」
 「おんな、のこ?」
 「迷ったのか?人の子」
 「……う、うん。キツネさんが可愛くて、着いて行ったら帰れなくなっちゃって……ひぐっ」
 「か、かわ……こ、こほん。理由は分かった。ならば着いて来い」
 「え?」
 「案内してやる。出口までな」
 「っ……!」

 童が歩き出した瞬間、慌てた様子でその後ろを着いて来る。追い掛け回されるのには慣れているが、こうも自分から着いて来いと言ったのは初めてだ。我ながら、どうかしている。正気の沙汰とは思えない所業だ。こんな所を同胞に見られれば、童はこの場に居られなくなるだろう。そうなる前に、さっさとこの人間を追い出すだけだ。

 「今夜は月が綺麗だ。無事に辿り着けるぞ、人の子よ」
 「あ、あの……あなたも迷子じゃないの?」
 「……迷子が出口を案内する訳なかろう。お前は阿呆か?」
 「う、うん。でも……(耳と尻尾が生えてる。……本物かな?)」
 「ん、何だ?ジロジロと他人を見るでない。失礼な奴だな、お前は」

 無駄話。出口まで辿り着くまでの間、その間だけに交わされる一度かぎりの会話だ。この先、この人間と会う事は二度無いだろう。いや、あってはならない。人間と仲良くなるなど、同胞が、この森が許すはずが無い。

 「――着いたぞ、人の子よ」
 「ほんとに、出られた」
 「この先を真っ直ぐに行けば町に出るだろう。童はここまでだ。もう二度と、森に入るでないぞ。人の子」
 「あ、うん。ありがと、う……あ、あれ!?い、居ない。夢だったのかな……も、もしかして幽霊とか!?」

 何をブツブツと言っているかは知らないが、さっさと帰らんか。そう思っていた時だった。
 その人間の母親らしき人間が現れて、その人間を強く抱き締めていたのを見た。人間の中にも、あのような温かい家族が居るのだな。羨ましい……そんな事を思いながら、童は森の奥へと姿を消した。


  ◆


 「うぅ~……」

 昨日、私は森の中へ入った事で帰りが遅くなった。その所為で私は、母に怒られて今日は一日お祭りの準備を手伝えと言われてしまった。元々手伝うつもりでこの場所まで来たのだが、簡単な作業だけの約束をしていたのにも関わらず、罰という名目で神社や道の大掃除を手伝う羽目になっていた。

 「あじゅい……」
 「文句ばかり言わないの。あんたがちゃんと約束を守らないから、こうなってるのよ?山の神様が助けてくれたから、良かったものの。心配しちゃったわよ、本当に馬鹿なんだから」
 「山の、神様?」
 「あら、知らない。あぁ、そういえば、小さい頃に御伽噺おとぎばなしとして話した以来だものね。覚えてないのも無理は無いか」
 「え、なにそれ、聞きたい!聞かせて聞かせて!」

 罰の大掃除を手伝うにしろ、何かで気を紛らわせる必要があった。そこで私が考えたのは、母が言った『山の神様』という単語。それは少し昔の話らしくて、この町は神様に護られていたという話だった。
 祖父の代の前からもある話みたいで、母もその話を嫌って程に聞かされて覚えてしまったらしい。そんな愚痴を混ぜながらも、母は楽しそうにその話を聞かせてくれた。いわゆる伝承という話を聞いていた私は、昨日助けてくれた小さい女の子を思い出した。

 「あのお母さん、あの森に小さい女の子が居たんだけど……」
 「ええ?何を言ってるのよ、沙羅しかあの時間に森に入ってないわよ?」
 「で、でも、その子が助けてくれなかったら、出口まで出れなかったからお礼を言いたくて……」
 「あら、そうなの。どこの子かしら。近所の子なら分かると思うけど、うーん……」

 母は少し考えるようにして、腕を組んでいた。私も少し考えてみたが、母の言う通りに近所の子供たちを連想する事は出来なかった。だってあの子は、彼女は違ったから。何かが違うというのは一目で分かった。だって彼女には、耳と尻尾が生えていたのだ。あれはまるで、キツネのような……。

 
 そしてその夜、私は祖父にその女の子の話をしてみた。そしたら、予想外の答えが返ってきたのであった。

 「ほぉ、それは稲荷神様じゃな。沙羅は運が良いのう」
 「い、いなり神様?それって、お寿司のおいなりさん?」
 「っはっはっはっは、違う違う。お稲荷様じゃ。この町をむかーしから護ってくれている神様でな?ずっと前からワシらを護ってくれているありがたーい神様なのじゃよ。沙羅が無事に森から出られたのも、もしかしたらお稲荷様のおかげかもしれんのう」
 
 恐らく、母と祖父は子供の言葉だと思ってそう告げたのだろう。だがしかし、まだ子供だった私には、その神様という存在は信じられなかったが、一つだけしたい事が生まれてしまったのだ。

 ――また会いたい。

 そんな願望を抱えながら、私は翌日の朝を待つのであった。


  ◆


  ――出て行け。

 そんな言葉が脳裏を過る。その言葉は童のような存在は勿論、他の同胞も一度は言われた事のある言葉だろう。それを言うのは大体人間で、同胞では縄張り争いなどがあった時に言う機会があった。だがしかし、童の記憶上では縄張り争いをした経験は無い。
 そんな争い事の中ではなく、単純にして明快な場所で言われているのだ。

 ――人間ではない。化け物だから。

 その理由によって、童と童の一族は言われ続けてきた。そしてそれは今も変わらず続いては居るのだが、それでも何とかバランスを保って生きる事が出来ている状態だ。
 人間と相容れようと考える者は居ないし、助け合う事など在りはしない。童たちの間では『弱肉強食』というが通常運転と云えるだろう。

 「……ふぅ……これで良いな。では母上、今日こんにちの食材を集めて参ります」

 森の中にある小さなほこら。その祠の奥にある小さな石積みに、童は両手を合わせながらそう言った。そして背中に小さなかごを背負うと、その場から勢い良く飛び出した。
 今日は良い天気だ。無事に木の実や魚も取れる事を期待しながら、童はその祠を後にした。


  ◆


 この前の夜に遭遇したキツネ。そして耳と尻尾の生えた少女。
 そんな少女の事が気になって眠れない私は、朝早くに家を飛び出して山の中へと踏み入っていた。太陽がある内に見つかれば良いのだが、それでも会える確率は少ないだろう。
 祖父の話が本当なのであれば、その少女はこの森を護る神様かもしれないという話だ。ただの人間が、神様に出会うという話は、現実世界で一度も聞いた事が無い。あるとすれば、それこそ御伽噺の中だけだろう。
 だがどうしても、この前の夜に助けてもらったお礼を言う事は出来ていない。それは人間相手でも、神様相手でも、失礼に値する案件だ。私はそう思った結果、森へ入る事を決意したのだ。
 今度は迷子にならないように、昼間に切り上げる予定である。だが……

 「……はぁ」

 しばらく森の中を歩いて見たが、道がある所と道が無い場所では、体力を消耗する速さが桁違いだった。それを頭の中から抜けていた私は、トボトボとした様子でゆっくり森の中を散策していたのだった。

 「どこにいるんだろ?あの子」

 あの耳と尻尾の生えた少女については、神様と言われれば納得が出来る。だがしかし、あのキツネは野生だ。野生のキツネと遭遇する事を望んでいるが、野生の動物が存在しているという事は、他の動物も当然のように存在している事だろう。それ故、散策すればする程にその危険度は増していくはず。

 「でも、また森の奥に行ったら怒られそうだなぁ……」

 母から怒られる事は多々あっても、祖父から叱られた事はあまりない。だが数少ない回数だったとしても、怒った時の記憶は色濃く残っている場合がある。祖父に叱られた時の記憶がまさにそれなのだ。
 怖い。とにかく怖かったし、耳が痛かったという事を記憶している。
 だからこそ、一度破ってしまった約束を二度も破ったとなれば、流石に祖父の逆鱗に触れる事だろう。
 それだけは避けたい道なのであった。

 「あと少し歩いたら、帰ろうかなぁ」

 私は独り言を呟いて、きびすを返そうとした。だがその時だった。

 「あ」
 「げっ……」

 私の目の前にそれは現れた。綺麗な艶の入ったベージュ色の髪。髪と同じ色で、毛先は黒くなっている尻尾。小柄で私とは変わらない容姿で、その瞳は淡い水色が透き通っていた。

 「……」
 「な、何だ人の顔をジロジロと」
 「き、キレイ……そしてカワイイ!」
 「か、かわっ……ぐぬぬ(またこいつ、この前と同じ人間だ。嫌な奴と遭遇した)」

 何かムスっとした視線を向けられているが、逃げるような素振りはしていない。だが私と彼女の間には、大きな溝が掘られている感覚がした。それは多分、人間が他人に関わる前に無意識に出す壁のようなものだろう。私はそれを感じ取る事は出来たが、私自身の中で言う事は既に決まっているのである。

 「あ、あのっ」
 「……?」
 「この前は、助けてくれてありがと!」
 「……別に気にするな。童の住処から、追い出したかっただけだ。他意は無い」
 「でも事実、助けてくれた!だから、ありがと!」
 「ぐぬ……別に良いと言っている。さっさと頭を上げるのだっ」

 彼女は腕を組んで、そっぽを向きながらそう言った。可愛らしい様子だと思った私は、抱き締めそうになったのを必死に堪えていた。手が上がったり下がったりしながら、彼女の様子を伺った。嫌われないか心配であるが……

 「……その手は何だ?」
 「い、いやぁ、モフモフしたいとか思ってないよ。うん。大丈夫大丈夫」
 「何が大丈夫か分からん。気持ち悪いから、今すぐその手を止めろ」

 嫌われてしまったようだ。蔑むような視線を向けられ、ただでさえ遠かった距離がさらに開いてしまった。これは私のミスであり、万死に値する失敗だ。もう少し抑えていれば、あの耳と尻尾をモフモフ出来たのに。
 そんな蔑まされた視線を向けられながらも、私は彼女に近付こうとしたのであった――。


  ◆


 森の中を散策していた少女、沙羅。彼女は数日前に助けてもらったお礼として、狐耳と尻尾を生やした少女を探していた。そして今、その探していた少女に再び出会う事を喜んでいたのだが……

 「おい、何故着いてくる?」
 「私にも、何か出来ないかなぁって思って……ダメだった?」
 「邪魔だ。帰れ」
 「あう(手厳しい!)」

 沙羅が着いて行こうとするのだが、狐娘はそれを拒み続ける状況になっていた。どうしてもお礼をしたいと無理矢理に追うが、やっている事はストーカーと変わらない為、狐娘は睨むようにして沙羅を見ていた。

 「童は人間が嫌いだ。近寄るな」
 「あう……」

 声色をキツくしているはずなのだが、ショックを受けていても足を止める様子が無い沙羅。そんな沙羅の様子に呆れたのか、狐娘は溜息混じりに駆け出した。その駆け出す事に慌てた沙羅は、彼女を見失わないようと、その背中を必死に追った。

 「……」
 「はぁ、はぁ、はぁ……ちょ、っと、待って……!」

 森の中を駆け進み、狐娘は沙羅の事を振り払おうとしていた。着いて来られるのに嫌悪感を持っている狐娘は、あたふたとしている沙羅の放って置く事はしなかった。人間の事が嫌いであっても、無害そうな人間は別という考えなのだろう。
 だがそれでも、完全に心を開いている訳ではない。その証拠に狐娘は、沙羅が声を掛けてこないようにして森を駆けているのだ。妖という存在が嫌われていた過去を思い出す事もあり、沙羅の事を真っ直ぐに信用する事が出来ないのである。

 「はぁ……(まだ諦めてないのか。馬鹿馬鹿しいなぁ、あの人間は)」
 「ぜぇ……ぜぇ……もう、だめ……」
 「……ふん。(あの者がどうなろうが、童には関係ない。あのまま同胞に食われてしまえば良い)」

 そんな事を思いながら、狐娘は沙羅の事を放置する事に決めた。狐娘以外にも、この森には同胞が暮らしている。自分で対処しなくても、沙羅一人くらい造作も無いだろう。それこそ、人間と妖には大差がある。

 「……童は、人間が嫌いだ」

 そう。だから狐娘は、そう呟いて沙羅の事を置いて行った――。


  ◆


 「……どこ行っちゃったんだろ?」

 私は小さくそう呟いて、周囲の様子を確認する。薄暗くなってきて、太陽が昇っているのにも関わらず暗い。これが森の奥であり、彼女が暮らしている場所なのだろうか。もし違ったら、私はどうなるのだろうか。
 そんな心配が、今更ながら込み上げてくる。

 「神様に失礼な事しちゃって、バチが当たる。……なんて?」

 なんて事を考えながらも、その可能性が低くない事が脳裏を過ぎる。このまま森の奥へ踏み込むという事は、彼女、もしくはそれ以外の神様が居た場合に失礼になるかもしれないのだ。それならいっそ、森を引き返して出た方が安全ではあるのだが、ここで一つ問題が生じていた。

 「――出口、どっちだっけ!?」

 また迷ってしまっている状況なのであった。
 数日前にやらかしているのにも関わらず、また私は森の中を彷徨っていた。懲りに懲りず、また道に迷うとは人間としてどうなんだろうか。学習機能が低いのだろうかと、自分自身を煽りたい気分である。だがそんな事を言っている暇は無く、今は一刻も早く森の出口を探さなければならない。我ながら馬鹿である。

 「来た道がこっちだから……こっち、かな?いやでも、こっちかな?」

 その場で右往左往しながら、私は周囲の様子を確認し続ける。何処を見ても景色はほぼ同じなのだが、進むにしても戻るにしても、どのみち険しい道なのは一緒。ならば答えはただ一つしか無いだろうと思う私は……。

 「よし、進もう!」

 ただの馬鹿なのであった――。


  ◆


 「何をやってるのだ、あの馬鹿者は……」

 森の奥へと行ったはずの狐娘は、遠くから沙羅の様子を眺めていた。彼女のような存在は夜目に慣れていて、暗くても遠くの場所まで確認する事の出来る。つまりは視力が人間の数倍あるという事なのだが、沙羅の事が心配になって狐娘は戻ってきた様子だった。
 だがそんな心配とは無縁と無自覚に思っている狐娘は、ジト目を浮かべながら沙羅の事を睨むように観察していた。転んだり、キョロキョロとしたり、猫や犬のように蝶を追ったり……そんな沙羅を眺めている内に狐娘は、ムスッとした様子で茂みから身体を出していた。

 「ぐぬぬ……やはり落ち着かぬ。童の暮らす森に人間が居るなど、母上に顔向け出来ない。他の同胞に任せるつもりだったが、童が直接手を下すとしよう。……ククク、覚悟しておくが良いわ人間め」

 ボッボッボ、と狐火を出現させる狐娘は、不気味に笑みを浮かべてそう言った。悪戯を思い付いた子供のように笑い、狐火を沙羅の元へ流すようにして手を伸ばした。ユラリユラリと風に流されて、狐火は徐々に沙羅へと近寄っていく。

 「ククク……さぁ、驚きの声を聞かせてもらおうではないか。ニシシ」
 『ウォッホ……何を企んでいるのやら、お主は暇なのか?』
 「っ!?」

 突然と聞こえて来た声によって、狐娘はビクンと身体を震わせて息を止めた。キッと睨み付けるようにして振り返ると、そこには黒い翼を生やし下駄を履き、小さい竜巻を発生させながら木の枝の上に座る者の姿があった。それは天狗と呼ばれる存在であり、狐娘と共にこの森を管理している者の一人である。

 「何用じゃ、天狗風情が」
 『風の噂を耳にしてな?イナリが人間の子供を相手にしているという言伝を貰ったんじゃよ』
 「付喪神つくもがみの仕業か?」
 『さぁのう?しかしお主、本当に人の子と戯れているとは、あれ程に人を嫌っていたというのに……いやはや、成長したという事かのう?』
 「……何を勘違いしておるんじゃ。童はあの人の子と戯れた事など無いし、童にそんな気など毛頭無い。それもこれもあの人の子がオカシイのじゃ。童の事を怖がる所か触れようとまでしてくる始末じゃ。人間風情が」
 『ほほう?そこまで物怖じしない子供も珍しいのう?良く見掛ける子供なのかえ?』
 「知らんし興味も無い。それよりも天狗、何かあの人の子を追い出すにやり方はあるか?正直手を焼いていてな、童ではどうしようも出来ん。殺す訳にもいかない以上、自然に森に近付けない方法はあるか?」
 『ほっほう?これは珍しい。あのイナリから助言を求められるとはのう。いやはや、今夜は雪かのう。っほっほっほ』

 沙羅を殺さずに森から追い出したいという言葉を聞き、天狗は顎を触れながらそんな事を言った。狐娘……イナリの事を昔から知っている天狗は、目を細めながらどうしたら良いか考えた。やがてポンと手を叩いた瞬間、イナリに耳打ちするのであった。

 「――冗談ではないぞ。天狗、貴様は何を言っているのか分かっておるのか?」
 『これがワシが出せる最善じゃい。後はお主が考えるんじゃな。じゃーのう?若き狐のイナリよ~』

 天狗はそう言いながら、風になって姿を消した。取り残されたイナリは、溜息混じりにキョロキョロとする沙羅の事を眺めて佇むのであった――。

 
 「そんな事、童が思う訳が無かろうが……天狗の阿呆」


  ◆


 「はぁ、はぁ……早く出ないと」

 暗くなる前に帰るという当時の約束事を守るようにして、私は慌てた様子で森の中を進んでいた。だが進めば進む程、その森の色は濃くなっていき、やがて大きな壁へと辿り着いてしまった。完全に道に迷ったといえるこの状況で、私はそれを自覚する事になった。

 ――迷子になった。

 自分が何をしているのかも不明になり、やがて方向感覚を失っていく。それは恐らく、森の中で暮らしているという神様が原因だろうと思い始めた。
 自分自身の行いが悪いから、神様も呆れた様子で結果を導き出す。それは悪い方向にしか行かないようにするように、私という一人の人間の運命に終わりを告げさせようとしているのだと思った。
 バッドエンド。ゲームや漫画などで良く言われる単語が頭の中で浮かび、私は崩れるようにその場で座り込んだ。もう帰る事は出来ないと、もう家に戻る事は出来ないと、家族の元へは行くことが出来ないと思ってしまったのである。

 「っ……どうしよ。……また約束を破って……また勝手に森に入って……迷惑掛けて……っ」

 悔しかった。いつもは出来ている事や守っている事を守らなかった結果がこれだ。自分自身が招いた結果が悔しくて、その後の結果が何度の頭の中を過って不安にさせてくる。こうして行けば良かったなどという過去を振り返りながら、私は一人で森の中を彷徨った。
 もうここから出る事は出来ない。そんな事を思いながら、私は暗い森の中を進んで行くのだった。

 『フヒヒ……見ろ、人間の子供が居るぞ』
 「っ!?」

 ふと聞こえて来た声に反応し、私は全身を震わせた。その声には不気味さがあり口を塞いだ。逃げなくてはならない。けど息を漏らすな。そんな事を誰からか言われているような気がして、無意識に私は静かに走った。
 一刻も早く、ここから離れなければならないと自分に命令しながら……。

 『例の狐が見逃したとかいう子供か?どのくらいの子供かは分からんが、喰ったら美味そうだなぁ。フヒヒ』
 『ハッハッハ、あまり食い過ぎるなよ?オマエが食い意地が悪いのは知ってるが、食い散らかされるこっちの身にもなってくれ?』
 『人間の子供は美味いぞぉ?良い感じ油もあるし、何より活きが良いんだぜぇ?フヒヒ』
 「っ……!(に、逃げないと…で、でも)」

 逃げなければならないと思っていても、体を動かす事は出来なかった。喉の奥の水分が無くなって、頭の中が真っ白となっている。何かを考えようとしても、私の中で答えが出る気配が無い。毛糸の糸が複雑に絡まって、解き目がいつまで経っても見つかる気配が無いのだ。
 そんな息を詰まらせていた時だった。私は重大なミスを犯してしまった。

 ――パキッ。

 足元に落ちていた木の枝を踏んでしまい、近くを通っていたそれが私の方へと向きを変えたのである。

 『なんだぁ~?今の音は』
 『おい、微かに人間の匂いがしないか?もしかすれば、さっきの人間の子供が居るかもなぁ』
 『フヒヒ。丁度良い具合に腹が減ったなぁ。おい、お前にも分けてやるから協力しろ』
 『しゃーねぇな。頭は要らないから、足とかは寄越せよ?骨ならしゃぶりたい気分だ』
 「――――!?」

 ガサガサと近寄ってくる足音に恐怖し、私はその場で丸くなるようにして座り込む。口を塞ぎ、息が漏れないように隠れたからだ。だが背筋が凍る程の緊張で、頭の中をグチャグチャにされる程の吐き気が襲ってくる。そんな気持ち悪い感覚に耐え切れなくなった私は、その場から全力で逃げ出したのだった――。


  ◆


 「何で童が人間の面倒なぞしなきゃならんのだ」

 童は、そんな愚痴を零しながら森を進んでいた。暗くなった森の中を躊躇せずに進み続け、道に迷うことなく少女を探す。別にあの少女の事を好いてはおらぬが、天狗の奴に言われてしまえば仕方が無い。面倒ではあるが、森の秩序と平和を守る為ならば動かなければならないのが童という存在だ。

 「天狗の奴、次に会ったら覚えておけ。童が灰にしてやる」

 ボウッと音を出して、狐火を出現させる。暗くなって視界も悪くなっているが、童だけなら問題は無い。だが他の同胞と遭遇する事を考慮すれば、この方法が一番楽な方法である事は間違いないだろう。
 童は狐火を使って、森の中に明かりを灯した。人間からすれば人魂と呼ばれる類になるのだろうが、同胞からすれば童の灯玉だと理解が出来よう。問題は……

 「あの小娘が、どこに居るか……じゃな」

 童はそう言って、一番高く育っている大樹を駆け登った。地上から見ても分からない物が、高い位置から見る事で分かる事もある。そんな行動をして数分後だった。風が童の頬を撫でると共に、人間の匂いが鼻を擽った。

 「うわあぁぁぁぁ~~~~んっ」
 『待てこのガキぃ!!』
 『フヒヒ、怖くないぞ~』

 その匂いが伝わった途端、そんな声が耳に入ってきた。やたらと大きな声で泣いているが、どうやら同胞が狙っていたらしい。そのまま食われてしまえと思ったのだが、天狗の言葉もあるから無碍には出来ない。何んとも面倒な存在だ、あの小娘は。

 「何をやってるんだ、あの馬鹿者共は」

 童はそんな事を言いながら、ぴょんと下に降りて狐火たちを先に行かせた。あの灯があれば、あの人間がどういう存在かが伝わるはずだ。もしそれが分からない愚か者なら、童が鉄槌を下すだけである。

 「うぎゃああああ、もう追って来ないでぇ!!!」
 『フヒヒ、もう諦めたらどうだ?人の子よ』
 『おいおい、思ったより小せぇ奴だな。お前の一口で終わっちまうぞ』
 「ひぐっ……いや、だ……やめてぇ!」

 正直言って、面倒じゃのう。まぁやらなければいけないのなら、やるしかないのが世の常。

 「……おい、小童共」
 『『あぁっ?』』
 「その人の子は童の客人じゃ。丁重に扱わなければならんのだが、それをしないという事は童への裏切りと思って良いかの?」
 『なっ……何なんだオマエ~!』
 『っ、ば、バカヤロウ!あの人を知らねぇのか!?』
 『んあ?』
 「ほぉ、童を知らんと申すか。ならば良かろう。良い機会じゃ。……お前たちを消し炭にしてくれるとしよう。やれ、お主たち」

 狐火が童を囲むように出現し、目の前に居る身の程知らずに突撃していく。当たっても軽い火傷程度で済むが、直撃すれば熱いし痛みが伴う。仕置きに丁度良い小技である。痛みに耐えられなかった同胞は去り、泣きじゃくっていた少女はポカーンとして童の事を見ていた。

 「何じゃ?文句があるのなら言え。童がその文句を倍で返してやる」
 「んん!?ううんううん!無い無いっ!」

 ブンブンと首を左右に振り、少女は慌てた様子で手も振っていた。そんなに慌てなくても良かったのだが、彼女は今の状況を把握しているのだろうか。今の時代に生きる人間は、妖術という知識は全く無いだろう。それどころか、童のような存在もにわかには信じがたいはずなのだが……。

 「ねぇねぇ、そのフワフワ浮いてるの何?ヒトダマ!?」
 「……違う。童の術じゃ」
 「へぇ~、凄いね!」

 目をキラキラさせて、何やら狐火を興味津々に眺めている。童は少し悪戯心が湧き、狐火を手法で操り始める。くいっと指を少し動かし、狐火を自分で操って見せる。フワフワと移動し、目を輝かせる彼女の目前にまで運んでみた。触れれば一気に燃え上がる危険な炎であるのだが、念の為に忠告ぐらいはしてやろう。

 「小娘、その火には不用意に触れない方が身の為じゃぞ?火傷ではすまぬ事態になるぞ」
 「っ!?え、ほんとに!?」
 「まぁ童が指示を出せば、じゃがな。安心せい、殆どは嘘じゃ」
 「何で嘘を言ったの!?」
 「んあ?ちょっとしたジョークだったのじゃが、ジョークとはこういう事では無かったのかえ?」
 「そうなの、かな?私も良く分からないかも」

 自分の言った言葉を真剣に考え、彼女は難しい表情をしながら唸っている。童は困らせる事を言った覚えは無かったが、どうにもこの年齢の子供への話題が思い付かない。この年齢の子供は、何をしているのだろうか。そんな疑問が頭の中を横切り、童は首を傾げていた時だった。

 「あ、あの……」
 「ん、何じゃ?」
 「ありがとね?また助けて貰っちゃったね!」
 「うぐ……き、気にするでない。乗りかかった船じゃ。童が居なければ、同胞達が五月蠅いのでな。童が動いただけじゃ。決してお主の為では無いわ!勘違いするでないぞ!」

 ビシッと指を差して、童は彼女に向かってそう言った。それから童は彼女を連れて森の中を歩き、闇の中を二人で出口へと向かっていた。しばらく歩けば辿り着く事が出来るにも関わらず、彼女は何度も同じミスをしようとして焦ったが、難なくして出口へと辿り着く事が出来たのであった。
 それが童と彼女……沙羅との交流のキッカケのとなる一日なのであった――。
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