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敬愛賛美
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断崖絶壁に荒々しく波打つ地中海。曇り空は可憐な少女の心中に不安を募らせる。馬車の籠のなかで金髪が揺れ、俯いた白い頬に影を落とす。
石膏に彫刻が施された重厚な門扉を前に臆病にも震え上がる馬と御者があった。
「お嬢様、……ヴェスペルステーロ大公爵の城へ到着いたしました」
彼女を赤子の頃から仕えている御者はあわれな娘だと、静かに籠を見つめる。
自分には彼女を逃がすという勇気がなかった。自分にも家族がいる。それこそ少女と歳の近い子供がいる。
だが、少女を逃がせば父である伯爵よりも恐ろしい大公が天罰を下さんとどこまでも追ってくるだろう。この大陸で鼠のように隠れても逃げる場所など一片もないのだ。
一向に籠から姿を現さない少女の気持ちを汲んで、自分の意志で出てくるまでこうして御者は動かなかった。
それが、彼に出来る唯一の少女への献身だった。
「ローデリック伯爵のご令嬢 レフィ様。遠路はるばるお越しいただきありがとうございます。主人は心よりレフィ様をお待ちしておりました」
それも束の間。丁寧な口調で献身的な低姿勢を身に纏った男が門扉を開けて立っていた。
ああ、ついに。伯爵の溺愛するこの年若い彼女は、彼の贄として御前の前に伺候するのか。
御者の心の声の終わりと同時に、内側から籠の扉が叩かれて男は丁寧な所作で扉を開けて挨拶をする。
「お初にお目にかかります。ヴェスペルステーロ家の執事長 オフェレーマと申し上げます」
「……初めまして。レフィ=ローデリックでございます」
籠のなかから優雅に降り、絹糸のような金髪が揺れるのを御者は馬車から降りて見惚れていた。
彼女の目には少女の持つ純粋さを削られ、茨のように鋭かった。覚悟を持ったその姿に御者は己の無意味な献身を恥じた。
しかし、御者の方に振り向いた彼女の口元にはまるで悠遠の昔に見たような笑みを浮かべていた。御者はそれだけで心より彼女に平伏する思いであった。
石灰石の城壁に装飾石膏が施された歴史ある厳かな城へと続く重い門扉をくぐり男――執事長である彼に案内され、壮麗な身廊を通り自然光を浴びたハーブの香り華やぐ中庭を横切る。
「……いい香り」
「お好みに合われたご様子で恐縮です」
「 “意外” と洗練された美しいお城ですわ」
「ご想像と違われましたか?」
召使だとしても大公の執事長であるオフェレーマの前で失言をしてしまったことに気付き、レフィは慌てて言い改める。まったく父親そっくりなのであった。
「ご、ごめんなさい! 悪い意味ではなくて……ただ、パーティでは華麗な振る舞いも端麗な容色も人の目を惹くものでしたし、……それにサロンでも絶え間なく彼の艶めいたお話が咲きますから、その、嫌だわ。私ったら何を言っているのかしら」
オフェレーマはただジッと穏やかに笑みを浮かべながら、顔を赤らめるレフィの話を待っていた。
「……その、私が感じたのはとても繊細でなんというか、心が和らぐように思えたのです」
「ふふ、レフィ様はご主人様との性質に似ているようですね」
その後、レフィは内陸の王都から離れたことが無かったためか、草木が生い茂る緑緑しい景色と甘美な潮の風、それが死骸とは到底思いつかない香りに警戒心が薄れはじめ、興味津々といった風にすみずみまで城内を見渡した。オフェレーマは彼女の気の済むままにそうさせた。
広間について大階段を前にオフェレーマが立ち止まる。レフィは彼の背後に立って階段を見上げ、視線の先に城主であるトゥリプアルボ=ヴェスペルステーロ大公の姿が目に入った。彼の背後には歴代大公の肖像画が並んでいた。そのちょうど当代である自身の肖像の前でワイングラスを片手に、手すりに身を寄せて立っていた。
階上から、彼は蜜のように甘美さを持つ声でレフィに話かける。
「お気に召してくれたかな?」
レフィはすかさず身なりを整え、ドレスの裾を持ち上げ令嬢らしく洗練された所作でお辞儀をする。
父親に言われるままに持参した道中着と普段用のドレスはどれも古く地味で、清廉さと優雅さを身に纏った見目麗しい大公の姿を前にして改めて自分の姿を恥じた。だが、礼儀だけが自身に身に付けたただ一つの誇りだったため完璧にこなした。
「だ、大公閣下にご挨拶申し上げます。レフィ=ローデリックと申し上げます。この度は、大公領での長期滞在にご招待いただき感謝申し上げます」
「ああ、レフィ嬢。よく来てくれた。敬称などつけず気軽にアルと呼んでくれ」
「いえ、そういうわけには!! その、アル様とお呼びしてもよろしでしょうか?」
「まあ、好きに呼び給え。オフェレーマ、長旅で疲れているだろうから彼女を部屋に案内してくれ」
「承知致しました。レフィ様こちらへ、お部屋へご案内致します」
「は、はい!」
オフェレーマに案内された部屋は、テラス付きの大きい窓がある、曲線的な調度品が揃った淡く華やかな部屋だった。
テラスに出ると曇り空だった外はいつの間にか晴れて、道中は籠のなかに塞ぎこんで見ることのなかった、白い街並みと太陽の光を受けて青い空と緑の海の間に金や銀に輝く一線が敷かれているのを目にした。レフィはその神秘的な世界に感嘆を漏らす。
「都では見れない美しい領地だわ」
実家の部屋よりも広く、自分好みの可愛らしい調度のある部屋に、眺めのいい景色のあるその部屋は、父が言っていた不安など一片も消し去るものだった。
石膏に彫刻が施された重厚な門扉を前に臆病にも震え上がる馬と御者があった。
「お嬢様、……ヴェスペルステーロ大公爵の城へ到着いたしました」
彼女を赤子の頃から仕えている御者はあわれな娘だと、静かに籠を見つめる。
自分には彼女を逃がすという勇気がなかった。自分にも家族がいる。それこそ少女と歳の近い子供がいる。
だが、少女を逃がせば父である伯爵よりも恐ろしい大公が天罰を下さんとどこまでも追ってくるだろう。この大陸で鼠のように隠れても逃げる場所など一片もないのだ。
一向に籠から姿を現さない少女の気持ちを汲んで、自分の意志で出てくるまでこうして御者は動かなかった。
それが、彼に出来る唯一の少女への献身だった。
「ローデリック伯爵のご令嬢 レフィ様。遠路はるばるお越しいただきありがとうございます。主人は心よりレフィ様をお待ちしておりました」
それも束の間。丁寧な口調で献身的な低姿勢を身に纏った男が門扉を開けて立っていた。
ああ、ついに。伯爵の溺愛するこの年若い彼女は、彼の贄として御前の前に伺候するのか。
御者の心の声の終わりと同時に、内側から籠の扉が叩かれて男は丁寧な所作で扉を開けて挨拶をする。
「お初にお目にかかります。ヴェスペルステーロ家の執事長 オフェレーマと申し上げます」
「……初めまして。レフィ=ローデリックでございます」
籠のなかから優雅に降り、絹糸のような金髪が揺れるのを御者は馬車から降りて見惚れていた。
彼女の目には少女の持つ純粋さを削られ、茨のように鋭かった。覚悟を持ったその姿に御者は己の無意味な献身を恥じた。
しかし、御者の方に振り向いた彼女の口元にはまるで悠遠の昔に見たような笑みを浮かべていた。御者はそれだけで心より彼女に平伏する思いであった。
石灰石の城壁に装飾石膏が施された歴史ある厳かな城へと続く重い門扉をくぐり男――執事長である彼に案内され、壮麗な身廊を通り自然光を浴びたハーブの香り華やぐ中庭を横切る。
「……いい香り」
「お好みに合われたご様子で恐縮です」
「 “意外” と洗練された美しいお城ですわ」
「ご想像と違われましたか?」
召使だとしても大公の執事長であるオフェレーマの前で失言をしてしまったことに気付き、レフィは慌てて言い改める。まったく父親そっくりなのであった。
「ご、ごめんなさい! 悪い意味ではなくて……ただ、パーティでは華麗な振る舞いも端麗な容色も人の目を惹くものでしたし、……それにサロンでも絶え間なく彼の艶めいたお話が咲きますから、その、嫌だわ。私ったら何を言っているのかしら」
オフェレーマはただジッと穏やかに笑みを浮かべながら、顔を赤らめるレフィの話を待っていた。
「……その、私が感じたのはとても繊細でなんというか、心が和らぐように思えたのです」
「ふふ、レフィ様はご主人様との性質に似ているようですね」
その後、レフィは内陸の王都から離れたことが無かったためか、草木が生い茂る緑緑しい景色と甘美な潮の風、それが死骸とは到底思いつかない香りに警戒心が薄れはじめ、興味津々といった風にすみずみまで城内を見渡した。オフェレーマは彼女の気の済むままにそうさせた。
広間について大階段を前にオフェレーマが立ち止まる。レフィは彼の背後に立って階段を見上げ、視線の先に城主であるトゥリプアルボ=ヴェスペルステーロ大公の姿が目に入った。彼の背後には歴代大公の肖像画が並んでいた。そのちょうど当代である自身の肖像の前でワイングラスを片手に、手すりに身を寄せて立っていた。
階上から、彼は蜜のように甘美さを持つ声でレフィに話かける。
「お気に召してくれたかな?」
レフィはすかさず身なりを整え、ドレスの裾を持ち上げ令嬢らしく洗練された所作でお辞儀をする。
父親に言われるままに持参した道中着と普段用のドレスはどれも古く地味で、清廉さと優雅さを身に纏った見目麗しい大公の姿を前にして改めて自分の姿を恥じた。だが、礼儀だけが自身に身に付けたただ一つの誇りだったため完璧にこなした。
「だ、大公閣下にご挨拶申し上げます。レフィ=ローデリックと申し上げます。この度は、大公領での長期滞在にご招待いただき感謝申し上げます」
「ああ、レフィ嬢。よく来てくれた。敬称などつけず気軽にアルと呼んでくれ」
「いえ、そういうわけには!! その、アル様とお呼びしてもよろしでしょうか?」
「まあ、好きに呼び給え。オフェレーマ、長旅で疲れているだろうから彼女を部屋に案内してくれ」
「承知致しました。レフィ様こちらへ、お部屋へご案内致します」
「は、はい!」
オフェレーマに案内された部屋は、テラス付きの大きい窓がある、曲線的な調度品が揃った淡く華やかな部屋だった。
テラスに出ると曇り空だった外はいつの間にか晴れて、道中は籠のなかに塞ぎこんで見ることのなかった、白い街並みと太陽の光を受けて青い空と緑の海の間に金や銀に輝く一線が敷かれているのを目にした。レフィはその神秘的な世界に感嘆を漏らす。
「都では見れない美しい領地だわ」
実家の部屋よりも広く、自分好みの可愛らしい調度のある部屋に、眺めのいい景色のあるその部屋は、父が言っていた不安など一片も消し去るものだった。
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