四角い部屋の水槽 【恋に焦がれて鳴く蝉よりも・番外編】

橘 弥久莉

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第二部:四角い部屋の水槽

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 「うん。毎年、この研修で2~3人辞めるみ
たいだけど、初任給もらっただけで終わっちゃ
うのも悲しいよね。でも、滝田くんは頑張り
過ぎるところがある気がするから、ちょっと
心配かも」

 手にしていた本を閉じて、彼女が俺の顔を
覗く。その労るような優しい眼差しに、小さ
く鼓動が鳴ったのを意識しながら、俺はさり
げなく話題を変えた。

 「そう言えば、折原さんはどうしてこの
会社に?」

 「志望動機ってこと?」

 「うん」

 唐突に、面接官のように、そんなことを
問いかけた俺に目を見開くと、彼女は小首
を傾げながら数秒ほど思案したのち、恥ら
うように言った。

 「実際の面接で答えたこととは全然違うん
だけどね、本当はこのお店の、アルパ・アン
ジェラのチョコレートチャンククッキーが
好きだから、応募したの」

 「……ああ、あの店のクッキーか」

 彼女の答えに頷きながら、俺は柔らかな笑
みを返す。その会社の商品が好きだから、と
いうのはよくある志望動機の一つだ。

 もちろん、それだけでは人事へのアピール
として不十分だろうけど……。

 「あのソフトクッキーは値段の割に大きい
し、チョコがゴロゴロ入ってるから甘いもの
好きには堪らないよな。大学時代、あの店で
バイトしてたんだけど、あのクッキーだけ
買いに来る客も結構いたよ」

 「そうなの?じゃあ、滝田くんがこの会社
を志望したのって……」

 「当たり。『御社のスタッフマネジメント
と販促施策に興味があり……』って、面接官
の前で揚々と語ったのが懐かしいな」

 当時の自分を振り返りながら、ピン、と
背筋を伸ばしてそういった俺に、彼女が破願
する。研修中は私語を慎まなければならなか
ったし、どちらかと言うと、彼女は人見知り
するタイプのようだったから、こうして二人
きりで話す機会を得られたことは、純粋に嬉
しかった。

 だから、もう少しこのまま話していたい。

 内心、そう思いながら俺は次の話題を探し
た。その時だった。

 「あ」

 と、不意に声を発すると、彼女は本を手に
し、すくっ、と立ち上がった。

 「滝田くん、ちょっとここで待っててくれ
るかな?私ね、のど飴持って来てるの。まだ、
いくつか余ってるから、取ってくるよ」

 「本当?貰えるなら、ありがたい」

 俺は相変わらずのしゃがれ声でそう言うと、
喉を擦りながら彼女を見上げた。こくり、と
頷いたかと思うと、彼女が身を翻す。

 細く頼りない背中が、遠ざかってゆく。

 その背中が見えなくなってから、再び
彼女が戻ってくるまでの時間は、おそらく
たった数分。

 けれど、少しでも長くまた二人で話したい。
 そう思っていた俺にはずいぶん長く感じた。
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