罪の在り処

橘 弥久莉

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第一章:瞳に宿る影

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 僕は思いきり手を伸ばし、がしりと彼女の
腕を掴んだ。そして藻掻くようにしながら水
を蹴り、水面を目指した。すでに、ぎりぎり
まで酸素を失った肺は焼けるように熱く、頭
には靄が掛かり始めている。

 このままでは彼女を死なせてしまう。
 ダメだ、助かるんだ。二人とも。

 遠のいてゆきそうになる意識を、自分を
叱咤することで何とか繋ぎとめた。

 けれど水面に揺れる青白い月が見えた瞬間、
ふと、緊張の糸が途切れ、口を開いてしまう。
 ゴボ、と口内に入ってきた水を吐き出すこ
とが出来ず、僕はゴクリとそれを飲み込んで
しまった。

 「……っ、げほっ!!げっ」

 ざばっ、と勢いよく水面に顔を出すと同時
に、泥臭い水が鼻と喉を伝い胃に落ちてゆく。

 急激に酸素を吸い込んだ肺が軋んで、僕は
派手にむせてしまった。咳込みながらも彼女
の顎を掴み、息ができるよう顔を水面に上げ
る。そして、耳元で叫ぶように名を呼んだ。

 「藤治さんっ!!ふじっはっ!げほっ」

 ピクリと彼女の瞼が動く。応答はないが
息はあるようだった。僕は彼女の気道を確保
しながら護岸に向かって泳ぐ。暗がりの中、
ブロック張りの護岸に埋め込まれた黄色い
梯子が、朧気に光って見えたのだ。

 やっとの思いでその梯子に辿り着くと、
彼女を左手で抱えたまま、一段、二段と這い
上がる。けれど岸壁は思いのほか高く、意識
のない彼女を抱えて登り切るのは難しかった。

 僕は声を上げて地上の人に助けを求めるか、
彼女の名を呼び意識を引き戻すか、数秒悩み、
もう一度彼女の名を呼んだ。

 「藤治さん、わかりますか!?僕です!!
卜部です!!」

 すると、けほっ、と小さく咳込み、彼女が
目を開けてくれる。そして長い髪を頬に貼り
付けたまま、僕を見上げた。

 「……うらべ、さ」

 その声に、僕は心の中で『神様』と叫んだ。
 そして夢でも見ていたかのように目を瞬い
ている彼女に、泣き出しそうな笑みを向けた。

 「良かった!ダメだったら、助からなかっ
たらどうしようかと。いったい、どうしてこ
んなこと!」

 いまそんなことを訊いても仕方ないだろう。
 冷静ならそう考えることもできたが、僕は
冷静じゃなかった。目の前で人が飛び降りる
のは、これで二度目なのだ。

 どうしてこんな……怒りにも似た焦燥感が、
胸の中に渦巻いていた。そんな僕の気持が
伝わったのだろうか?「ごめんなさい」と、
か細い声で言ったかと思うと、彼女は縋るよ
うに僕にしがみついた。

 「許されたいと思うことも、許されないん
だって思ったら、急に、辛くなってしまって。
それで……」

 そこで言葉を途切った彼女の髪に、僕は
思わず頬を押し付ける。

 彼女が苦しんでいることはわかっていた。
 なのに、すぐに手を差し伸べなかったのは、
他の誰でもない、僕なのだ。もし、川に飛び
込もうとする彼女を見つけることが出来なか
ったら、僕は一生自分を許せなかっただろう。

 「ごめん。本当に、ごめん」

 涙を堪えた声は、低く掠れていた。
 僕にしがみついたままで彼女が顔を上げる。
 怯えるように僕を覗く瞳は影を宿して暗く、
けれど、微かに光を湛え始めている。

 僕はその瞳をまっすぐ捉えると、誓いのよ
うに言った。

 「何があっても君の味方だから。僕が必ず、
君を助けるから」

 瞬間、彼女の瞳に映る自分が大きく揺れた。
 僕は、腕の中で小さく頷く彼女に笑みを向
けると、再び濡れた髪に頬を預けたのだった。
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