罪の在り処

橘 弥久莉

文字の大きさ
上 下
76 / 127
第四章:絡みつく真実の糸

74

しおりを挟む
 「息子さんと山に登ったという恋人の名を、
教えてもらえませんか?」

 窓の外を眺めていた母親が僕を向く。
 そして、仏壇の前に供えられた花々の影に
隠れている一枚の写真を指差した。

 「そこに写真が飾ってあるでしょう。彼女
の名は確か、貴船菜乃子さんといったかしら。
たった一度、お見舞いに伺ったときに話した
だけですけど。『あなただけでも助かって良
かった』と言ったら、彼女、泣いてしまって」

 ガンと、頭を殴られたように視界が揺れた。
 揺れた視界の先に、目を凝らせば見覚えの
ある写真がそこにある。


――空の青と、雪の白。


 眩いほどの景色を背景に、トレッキング
ポールを空高く掲げ、笑っている六人の男女。
 その真ん中でひときわ輝いた笑みを向けて
いたのは、ポンポンのついた帽子に、ピンク
のゴーグルを頭に掛けたその人、貴船菜乃子
さんだった。




 「素敵なお店ね。まるで隠れ家に来たみた
いだわ」

 夜カフェ、「MISAKI」に誰かを連れて来る
のは初めてのことで。ドアを開けた瞬間に僕
と目があった岬さんは、一拍の間を置いたの
ち、「いらっしゃいませ」といつもの笑みを
向けてくれた。

 「あ、っと。奥いいかな?」

 僕は、僕たちの『隠れ家』ではなく、店の
一番隅っこを指差す。屋根裏部屋をイメージ
した店内は天井が低く、照明も落とされてお
り、本棚や古いオルガン、アンティークの棚
などが訪れる客を趣のあるプライベート空間
へと誘ってくれる。僕は菜乃子さんと向かい
合う形で革張りのソファに腰掛けると、いつ
ものカフェ・トロピカーナを注文し、彼女も
それに倣った。

 「初めてね、こうして二人で会うのは」

 「そういえば、そうかも知れませんね」

 ぐるりと店内を見回しながら、菜乃子さん
が屈託のない笑みを向ける。一度家に帰って
着替えたのだろう。今日はいつもの落ち着い
た色合いのパンツスーツではなく、真朱のロ
ングスカートに白いタートルニットを合わせ
ている。暗がりで良く見えないが、メイクも
直してきたに違いない。僕はそのことにちく
りと胸の痛みを覚えながら、どう話を切り出
すべきか思い倦ねていた。

 すると彼女が顔を覗き込む。
 お冷で喉を潤していた僕は、その眼差しに
瞬きで答えた。

 「話したいことって、何かなと思って」

 「……ああ」

 所在なく笑って、僕は視線を泳がせる。
 もしかしなくても、彼女はあの日の返事を
待っているわけで。どちらの話を先に切り出
そうと傷つけることには変わりない。

 僕は喜々として話せることではないことを
言外に滲ませると、いきなり核心を突いた。
しおりを挟む

処理中です...