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第三部:白いシャツの少年
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「わかっていたよ」
ぽつりと呟くような声がして、蛍里は顔
を上げる。隣を向けば慈しむような眼差し
が自分を待っていて、包み込むように大き
な手が肩を抱き寄せる。蛍里はすっぽりと
一久の腕に包まれながら、穏やかな声に耳
を傾けた。
「……僕の手を取ることが出来ないこと
は、初めからわかっていた。あなたは優しい
人だから。それでも、僕は詩乃守人ではなく、
榊一久としてあなたに想いを伝える必要があ
った。あなたが何の迷いもなく僕の手を取れ
るように、僕は新たな道を進まなければなら
なかったから。何も言わずに去ってしまった
ことでは、ずいぶん不安な思いをさせてしま
ったけれど……こうも思う。もし、あのまま
僕たちが結ばれていたとしたら、あなたが僕
の隣にいたとしたら、僕はここまで必死に夢
を追うことが出来ただろうか?と」
そこで言葉を途ぎった一久を、蛍里は腕
の中から見上げる。一久は少し困ったように
眉を寄せて、けれど口元には淡い笑みを浮か
べている。
「あなたを迎えに行きたい一心で、僕は
筆を執り続けた。それこそ、寝る間も惜しん
で、昼も夜もね。いまにして思えば、あの時
ほど執筆に情熱を注いだ時期はなかったんじ
ゃないかと思う。もちろん、後継ぎという
役目を果たせなかった以上、僕にはこの夢を
実現しなければならないプレッシャーも多分
にあったのだけれど。それでも、あなたが
『待っている』という想いは、何ものにも
代えがたい原動力だった。だから、僕がいま
詩乃守人としてここにいられるのは、あなた
の……蛍里のお陰だ。だからもう、過ぎたこ
とを悔やまないで。その物語を読む度に蛍里
が自分を責めているかと思うと、僕も辛い」
温かな手が蛍里の心を解すように、やんわ
りと肩を擦っている。その温もりに涙が滲ん
でしまいそうになって、蛍里は慌てて一久の
胸に顔を埋めた。
思えば、再会してからいままで、この想い
を口にしたことは一度もなかった。口にして
しまえば、きっと一久を責めてしまうことに
もなる。そう思って、ずっと避けていたのだ。
けれどあの別れには、離れていた時間には
意味があったのだと、いま知らされる。
互いに寂しさを分け合った一年があるから、
いまの幸せがあるのだ。
――すべての過去が、いまに繋がっている。
そう思えば、恋焦がれながらすれ違った
時間さえも、愛しく感じることが出来る。
蛍里は滲んでしまった涙を指で拭うと、
顔を上げた。
「……ごめんなさい。せっかく詩乃守人
さんの物語を読んだのに、悲しい気持ちに
なったりして。離れていた時間も、無駄で
はなかったんですよね。私ったら、どうし
ようもないことを考えてしまって。ホルモ
ンのバランスが乱れているからでしょうか。
この頃、ナーバスになってしまうことが多
くて」
そう言って、蛍里はふっくらとしてきた
お腹を擦る。妊娠7カ月に入ったお腹は、
ゆったりとした服を着ても目立つようにな
っていて、長い時間立っているとお腹が
張ってしまうのが最近の悩みだった。
蛍里の手に重ねるように、一久が手を
添える。彼が触れると、お腹の赤ちゃん
が動くような気がするのが不思議だった。
ぽつりと呟くような声がして、蛍里は顔
を上げる。隣を向けば慈しむような眼差し
が自分を待っていて、包み込むように大き
な手が肩を抱き寄せる。蛍里はすっぽりと
一久の腕に包まれながら、穏やかな声に耳
を傾けた。
「……僕の手を取ることが出来ないこと
は、初めからわかっていた。あなたは優しい
人だから。それでも、僕は詩乃守人ではなく、
榊一久としてあなたに想いを伝える必要があ
った。あなたが何の迷いもなく僕の手を取れ
るように、僕は新たな道を進まなければなら
なかったから。何も言わずに去ってしまった
ことでは、ずいぶん不安な思いをさせてしま
ったけれど……こうも思う。もし、あのまま
僕たちが結ばれていたとしたら、あなたが僕
の隣にいたとしたら、僕はここまで必死に夢
を追うことが出来ただろうか?と」
そこで言葉を途ぎった一久を、蛍里は腕
の中から見上げる。一久は少し困ったように
眉を寄せて、けれど口元には淡い笑みを浮か
べている。
「あなたを迎えに行きたい一心で、僕は
筆を執り続けた。それこそ、寝る間も惜しん
で、昼も夜もね。いまにして思えば、あの時
ほど執筆に情熱を注いだ時期はなかったんじ
ゃないかと思う。もちろん、後継ぎという
役目を果たせなかった以上、僕にはこの夢を
実現しなければならないプレッシャーも多分
にあったのだけれど。それでも、あなたが
『待っている』という想いは、何ものにも
代えがたい原動力だった。だから、僕がいま
詩乃守人としてここにいられるのは、あなた
の……蛍里のお陰だ。だからもう、過ぎたこ
とを悔やまないで。その物語を読む度に蛍里
が自分を責めているかと思うと、僕も辛い」
温かな手が蛍里の心を解すように、やんわ
りと肩を擦っている。その温もりに涙が滲ん
でしまいそうになって、蛍里は慌てて一久の
胸に顔を埋めた。
思えば、再会してからいままで、この想い
を口にしたことは一度もなかった。口にして
しまえば、きっと一久を責めてしまうことに
もなる。そう思って、ずっと避けていたのだ。
けれどあの別れには、離れていた時間には
意味があったのだと、いま知らされる。
互いに寂しさを分け合った一年があるから、
いまの幸せがあるのだ。
――すべての過去が、いまに繋がっている。
そう思えば、恋焦がれながらすれ違った
時間さえも、愛しく感じることが出来る。
蛍里は滲んでしまった涙を指で拭うと、
顔を上げた。
「……ごめんなさい。せっかく詩乃守人
さんの物語を読んだのに、悲しい気持ちに
なったりして。離れていた時間も、無駄で
はなかったんですよね。私ったら、どうし
ようもないことを考えてしまって。ホルモ
ンのバランスが乱れているからでしょうか。
この頃、ナーバスになってしまうことが多
くて」
そう言って、蛍里はふっくらとしてきた
お腹を擦る。妊娠7カ月に入ったお腹は、
ゆったりとした服を着ても目立つようにな
っていて、長い時間立っているとお腹が
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が動くような気がするのが不思議だった。
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