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まもりびと
エピローグ
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午前の診療を終えた私は、白衣のまま隣接
する自宅へと足を運んだ。そうして、1階の
廊下の奥にある部屋のドアをノックする。
「どうぞ」という声にドアノブを捻れば、
窓際に置かれたマホガニーのロッキングチェ
アに身体を揺らし、その人は窓の外を眺めて
いる。私はゆったりとした足取りでその人物
に歩み寄ると、隣に立ち、窓の外を見やった。
「来ましたよ。捺人君」
そう言うと父は私を見上げ、満足そうに目
を細めた。
「そうか。どんな様子だった?」
「父さんが死んだと聞いてずいぶん驚いて
いましたが、最後はいい顔で笑っていました」
「笑ってくれたか。ならもう大丈夫だろう」
私の短い報告を聞くと、父は目尻の皺を深
くして、ゆらゆらと椅子を揺らす。
その様子に私は眉を寄せ、深く嘆息した。
父が去年死んだというのは、作り話だ。
もちろん、自ら望んで患者に嘘をついている
訳ではないが、父が作り上げた『まもりびと』
というシナリオに乗っかっていることに変わり
はない。
精神科医をしていると、「死にたい」と患者
から相談されることがしばしばある。
その患者にどんな言葉を掛けるべきか?
どうしたら自殺を思いとどまってくれる
のか?
腐心した挙句に父が思いついた方法が、
この「ショック療法」だった。
「患者の命を守るためとはいえ、医師で
ある自分が嘘をつくのは、どうにも良心が
咎めます。実際に、嘘を口にするのは私な
んですから」
そう不平を漏らすと、父は惚けた顔をし
て、ふむ、と鼻を鳴らす。
「死にたい人間にとって、死んだ人間の
言葉ほど胸に響くものはないだろうよ。
なあに、いまは嘘かも知れないが、もうじ
き本物の『まもりびと』になってあの崖に
立ってやるさ」
そう言って、ふぁっはっはっ、と笑った
父を、私は複雑な想いで見つめた。
父が死んだというのは真っ赤な嘘だが、
多発性骨髄腫を患っているというのは事実
なのだ。しかも、見つかった時には手遅れ
で、父は延命にあたる治療を断り、医療麻
薬を用いて痛みをコントロールしている。
けれど、喜寿を迎えたばかりの父に悲壮
感は微塵もなく、むしろ目の前のやるべき
ことに心を向ける姿は誰よりも生き生きと
していた。こうして骨の痛みに足を引きず
りながらも、虚ろな顔で断崖に向かう人を
見つけては駆け付け、『死んではダメだ』と
この世に引き留めている。もしかしたら、
医療というものが発達していなかった時代
は、誰もが父のように自らが望む余生を
過ごしていたのかも知れない。
そんなことを思いながら部屋を出て行こ
うとした私は振り返り、父の背中に言った。
「父さんが幽霊になってあの崖に立つ
なんて、私には想像も出来ませんがね」
私が放った言葉に、父はひらりと手だけ
を振って見せる。私は父に聞こえるように
溜息を吐くと、部屋を出たのだった。
――けれど数か月後、父が亡くなってのち、
私は父の言葉が嘘ではなかったことを知る
こととなる。
=完=
*最後までお読みいただき、ありがとう
ございました。ご縁をいただけましたこと、
心より感謝致します。 橘 弥久莉
する自宅へと足を運んだ。そうして、1階の
廊下の奥にある部屋のドアをノックする。
「どうぞ」という声にドアノブを捻れば、
窓際に置かれたマホガニーのロッキングチェ
アに身体を揺らし、その人は窓の外を眺めて
いる。私はゆったりとした足取りでその人物
に歩み寄ると、隣に立ち、窓の外を見やった。
「来ましたよ。捺人君」
そう言うと父は私を見上げ、満足そうに目
を細めた。
「そうか。どんな様子だった?」
「父さんが死んだと聞いてずいぶん驚いて
いましたが、最後はいい顔で笑っていました」
「笑ってくれたか。ならもう大丈夫だろう」
私の短い報告を聞くと、父は目尻の皺を深
くして、ゆらゆらと椅子を揺らす。
その様子に私は眉を寄せ、深く嘆息した。
父が去年死んだというのは、作り話だ。
もちろん、自ら望んで患者に嘘をついている
訳ではないが、父が作り上げた『まもりびと』
というシナリオに乗っかっていることに変わり
はない。
精神科医をしていると、「死にたい」と患者
から相談されることがしばしばある。
その患者にどんな言葉を掛けるべきか?
どうしたら自殺を思いとどまってくれる
のか?
腐心した挙句に父が思いついた方法が、
この「ショック療法」だった。
「患者の命を守るためとはいえ、医師で
ある自分が嘘をつくのは、どうにも良心が
咎めます。実際に、嘘を口にするのは私な
んですから」
そう不平を漏らすと、父は惚けた顔をし
て、ふむ、と鼻を鳴らす。
「死にたい人間にとって、死んだ人間の
言葉ほど胸に響くものはないだろうよ。
なあに、いまは嘘かも知れないが、もうじ
き本物の『まもりびと』になってあの崖に
立ってやるさ」
そう言って、ふぁっはっはっ、と笑った
父を、私は複雑な想いで見つめた。
父が死んだというのは真っ赤な嘘だが、
多発性骨髄腫を患っているというのは事実
なのだ。しかも、見つかった時には手遅れ
で、父は延命にあたる治療を断り、医療麻
薬を用いて痛みをコントロールしている。
けれど、喜寿を迎えたばかりの父に悲壮
感は微塵もなく、むしろ目の前のやるべき
ことに心を向ける姿は誰よりも生き生きと
していた。こうして骨の痛みに足を引きず
りながらも、虚ろな顔で断崖に向かう人を
見つけては駆け付け、『死んではダメだ』と
この世に引き留めている。もしかしたら、
医療というものが発達していなかった時代
は、誰もが父のように自らが望む余生を
過ごしていたのかも知れない。
そんなことを思いながら部屋を出て行こ
うとした私は振り返り、父の背中に言った。
「父さんが幽霊になってあの崖に立つ
なんて、私には想像も出来ませんがね」
私が放った言葉に、父はひらりと手だけ
を振って見せる。私は父に聞こえるように
溜息を吐くと、部屋を出たのだった。
――けれど数か月後、父が亡くなってのち、
私は父の言葉が嘘ではなかったことを知る
こととなる。
=完=
*最後までお読みいただき、ありがとう
ございました。ご縁をいただけましたこと、
心より感謝致します。 橘 弥久莉
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