4 / 54
第一部:恋の終わりは
3
しおりを挟む
父はやはり難色を示したが、目に入れても
痛くないほどの愛娘がどうしてもとせがめば、
首を縦に振らないわけがない。
紫月の望み通り縁談の話は進み、晴れて
婚約者として彼との再会を果たした紫月は、
天にも昇る思いで目の前に座る榊一久、
その人を見つめた。
けれど間もなく、その瞳に自分が映っては
いないことを悟ってしまう。
-----彼の心は、他の誰かに奪われている。
そう感じるのは、ふとした瞬間に遠くを
見やる、彼の眼差しだった。
隙のない彼が時折見せる、遣る瀬無い表情。
その表情を見るにつけ、自分に向けられる
笑みが、偽りの仮面であるのだと知らされて
しまう。そうして、そんな彼と過ごす時間は
あまりに苦しく、好きだと思えば思うほど、
自分がみじめになってしまう。
だから紫月は、半ば縋るような思いでホテル
の部屋をキープし、彼に決断を迫ったのだった。
「好きなんです。創立記念パーティーで
あなたを見たときからずっと、わたしはあなた
が好きでした。だから、この結婚を政略結婚だ
と思っているのはあなただけ。どちらにも、
愛がないと思っているのは、あなただけなん
です」
意を決して曝け出した、自分の想い。
その想いに対して、差し出されたカードキー
を見つめる一久の表情は、追い詰められた鼠の
それで……
さらに、追い打ちをかけるように「会社を
守る覚悟があるか?」と問い詰めると、彼は
苦し気に目を細めながら金箔でロゴが印字され
たそれに、手を伸ばしたのだった。
-----だから、紫月はその手を止めた。
これ以上彼を縛り付けることも、
これ以上自分が傷つくことも、耐えられなか
った。
結婚しても、彼の心は手に入らないのだ。
そう悟ることができれば、彼に伝える言葉
は、ひとつだった。
「お気持ちは、わかりました」
そう口にした瞬間、彼と生きる未来は
消えた。
最後まで心を許してもらえなかった彼の
幸せを願って、紫月は今までで一番やさしい
頬笑を浮かべた。
-----それが、ほんの数時間前のことだ。
紫月は広い部屋のガラス窓に映る自分を
見つめながら、緩く結い上げていた髪を解き、
小さく首を振った。
長い髪が少しくねった跡を残して背中の
中ほどで揺れる。
もしかしたら、この部屋で彼と一夜を過ご
すことになるかも知れない。そう思って予約
したデザイナーズスイートは予想以上にラグ
ジュアリーで、そんな可能性など万に一つも
ないと心の片隅で思いながらも、夜景に映え
る淡色のワンピースまで新調した自分が、
ぽつりと立っている。
痛くないほどの愛娘がどうしてもとせがめば、
首を縦に振らないわけがない。
紫月の望み通り縁談の話は進み、晴れて
婚約者として彼との再会を果たした紫月は、
天にも昇る思いで目の前に座る榊一久、
その人を見つめた。
けれど間もなく、その瞳に自分が映っては
いないことを悟ってしまう。
-----彼の心は、他の誰かに奪われている。
そう感じるのは、ふとした瞬間に遠くを
見やる、彼の眼差しだった。
隙のない彼が時折見せる、遣る瀬無い表情。
その表情を見るにつけ、自分に向けられる
笑みが、偽りの仮面であるのだと知らされて
しまう。そうして、そんな彼と過ごす時間は
あまりに苦しく、好きだと思えば思うほど、
自分がみじめになってしまう。
だから紫月は、半ば縋るような思いでホテル
の部屋をキープし、彼に決断を迫ったのだった。
「好きなんです。創立記念パーティーで
あなたを見たときからずっと、わたしはあなた
が好きでした。だから、この結婚を政略結婚だ
と思っているのはあなただけ。どちらにも、
愛がないと思っているのは、あなただけなん
です」
意を決して曝け出した、自分の想い。
その想いに対して、差し出されたカードキー
を見つめる一久の表情は、追い詰められた鼠の
それで……
さらに、追い打ちをかけるように「会社を
守る覚悟があるか?」と問い詰めると、彼は
苦し気に目を細めながら金箔でロゴが印字され
たそれに、手を伸ばしたのだった。
-----だから、紫月はその手を止めた。
これ以上彼を縛り付けることも、
これ以上自分が傷つくことも、耐えられなか
った。
結婚しても、彼の心は手に入らないのだ。
そう悟ることができれば、彼に伝える言葉
は、ひとつだった。
「お気持ちは、わかりました」
そう口にした瞬間、彼と生きる未来は
消えた。
最後まで心を許してもらえなかった彼の
幸せを願って、紫月は今までで一番やさしい
頬笑を浮かべた。
-----それが、ほんの数時間前のことだ。
紫月は広い部屋のガラス窓に映る自分を
見つめながら、緩く結い上げていた髪を解き、
小さく首を振った。
長い髪が少しくねった跡を残して背中の
中ほどで揺れる。
もしかしたら、この部屋で彼と一夜を過ご
すことになるかも知れない。そう思って予約
したデザイナーズスイートは予想以上にラグ
ジュアリーで、そんな可能性など万に一つも
ないと心の片隅で思いながらも、夜景に映え
る淡色のワンピースまで新調した自分が、
ぽつりと立っている。
0
あなたにおすすめの小説
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない
朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる