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第一部:恋の終わりは
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「心配しないわけ、ないわ。元婚約者だ
もの」
「だとしても、妬けるね。こんな風に、
紫月の心を乱すことは、今の僕には出来ない。
まあ、気休めかも知れないけど、彼は明哲保身
の術に長けていそうだし、そう心配すること
はないと思うよ。この程度で潰れるような
男には見えない。君が好きになった男だ。
きっと、上手いこと乗り越えるさ」
ぽんぽん、と、紫月の肩を叩き、そうして
電光掲示板を見やる。
まもなく電車が参ります、の文字が点滅
している。
「電車が来る」
そう言って、そのまま肩を抱いた彼はもう、
何もなかったように笑みを浮かべていた。
「ええ」
紫月は彼に促されるままホームに滑り込ん
できた電車に乗ると、また脳裏に浮かんでこ
ようとする一久の顔を、掻き消したのだった。
「ディナーって、ここ???」
レイに連れられるまま、だだっ広い夜の
上野恩賜公園を歩き回った紫月は、「着いた
よ」というそのひと言に、声をひっくり返した。
広大過ぎる敷地に、いくつもの美術館や博
物館、動物園などが点在する東京の都市公園。
その広い敷地内を、まるで熟知しているか
のように歩き回り、彼が連れてきた店は、大き
な池が目の前に見える、古びた“おでん屋台”
だった。昔ながらの木製のリアカーに、青い
暖簾、赤提灯の向こうには、白いタオルを
頭に巻いたおじさんの姿が見える。
紫月は少し離れた場所からその光景を見や
り、文字通りポカンと口を開けてしまった。
「そんなにビックリした?ここ、僕の行き
つけの店なんだ。あのオッちゃんがじっくり
煮込んだおでんが旨くてさ。紫月は街中から
昔ながらのこういう屋台が姿を消しつつある
の、知ってる?」
唐突に、そんな質問を投げかけられて、
紫月は無言で首を振る。その紫月に目を細め
ると、レイは屋台を眺めながら言った。
「おでん屋台に限らず、今は屋台という
業態そのものの営業が難しくなってるんだ。
法律上の食品管理が厳しくなったり、近隣
からのクレームがあったりで、どんどん屋台
が姿を消していってる。だから、おでん屋台
でディナーなんてのは、すごくレアなんだよ。
きっと、紫月はこういう店で食べたことが
ないだろうから、喜ぶかな?と思ってね」
おでんだの、オッちゃんだの、彼の容姿に
はおよそ似つかわしくない言葉を連発しなが
ら笑んでいる彼に、紫月は屋台を見たままで
頷く。ほんのりと、食欲をそそる出汁の香り
がここまで漂ってくる。彼の言う通り、紫月
はこの屋台でこれから美味しいおでんが食べ
られると思うと、とても嬉しかった。
もの」
「だとしても、妬けるね。こんな風に、
紫月の心を乱すことは、今の僕には出来ない。
まあ、気休めかも知れないけど、彼は明哲保身
の術に長けていそうだし、そう心配すること
はないと思うよ。この程度で潰れるような
男には見えない。君が好きになった男だ。
きっと、上手いこと乗り越えるさ」
ぽんぽん、と、紫月の肩を叩き、そうして
電光掲示板を見やる。
まもなく電車が参ります、の文字が点滅
している。
「電車が来る」
そう言って、そのまま肩を抱いた彼はもう、
何もなかったように笑みを浮かべていた。
「ええ」
紫月は彼に促されるままホームに滑り込ん
できた電車に乗ると、また脳裏に浮かんでこ
ようとする一久の顔を、掻き消したのだった。
「ディナーって、ここ???」
レイに連れられるまま、だだっ広い夜の
上野恩賜公園を歩き回った紫月は、「着いた
よ」というそのひと言に、声をひっくり返した。
広大過ぎる敷地に、いくつもの美術館や博
物館、動物園などが点在する東京の都市公園。
その広い敷地内を、まるで熟知しているか
のように歩き回り、彼が連れてきた店は、大き
な池が目の前に見える、古びた“おでん屋台”
だった。昔ながらの木製のリアカーに、青い
暖簾、赤提灯の向こうには、白いタオルを
頭に巻いたおじさんの姿が見える。
紫月は少し離れた場所からその光景を見や
り、文字通りポカンと口を開けてしまった。
「そんなにビックリした?ここ、僕の行き
つけの店なんだ。あのオッちゃんがじっくり
煮込んだおでんが旨くてさ。紫月は街中から
昔ながらのこういう屋台が姿を消しつつある
の、知ってる?」
唐突に、そんな質問を投げかけられて、
紫月は無言で首を振る。その紫月に目を細め
ると、レイは屋台を眺めながら言った。
「おでん屋台に限らず、今は屋台という
業態そのものの営業が難しくなってるんだ。
法律上の食品管理が厳しくなったり、近隣
からのクレームがあったりで、どんどん屋台
が姿を消していってる。だから、おでん屋台
でディナーなんてのは、すごくレアなんだよ。
きっと、紫月はこういう店で食べたことが
ないだろうから、喜ぶかな?と思ってね」
おでんだの、オッちゃんだの、彼の容姿に
はおよそ似つかわしくない言葉を連発しなが
ら笑んでいる彼に、紫月は屋台を見たままで
頷く。ほんのりと、食欲をそそる出汁の香り
がここまで漂ってくる。彼の言う通り、紫月
はこの屋台でこれから美味しいおでんが食べ
られると思うと、とても嬉しかった。
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