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第七章:絡みつく孤独
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「いまは葉山に住んでるんですね。私った
ら、社宅を出たことも知らなくて」
『実は、芳子さんの病状が悪くなり始めた
のと同じ時期に、うちの人が脳梗塞で倒れて
しまってね。仕事を辞めて主人の実家がある
葉山に移り住んだのだけど。ちょっと後遺症
が残ってしまったものだから、芳子さんのお
見舞いに行きたいと思っていても中々行けな
かったのよ。本当にごめんなさいね』
「そんなっ、私こそおじさんが倒れたこと
すら知らなくて。おじさん、大丈夫ですか?」
次々に驚くべき事実を聞かされて、満留は
頭がパンクしてしまいそうになる。
『言語障害と身体の麻痺が残ってしまった
けれど、いまはリハビリでずいぶん歩けるよ
うになったの。満留ちゃんはお母さんのこと
だけで胸がいっぱいだろうから、黙っていて
ねと私が芳子さんに口止めしたのよ。だから、
何も気にしないでね』
ふふ、と電話の向こうで笑んだのがわかっ
て、満留は胸が苦しくなる。自分が知らぬ間
に、母からもおばさんからも守られていたの
だと思えば、やはり、何も役に立てないのが
情けなかった。満留は情けないついでに、と、
ずっと胸に溜めていたことを口にした。
「……あのね、おばさん」
『なあに?』
「実は私……ずっとずっと思っていたこと
が、あるの」
思い詰めた声でそう言うと、おばさんは先
を促すように口を噤む。満留は一度唇を噛む
と、思い切ってその言葉を口から押し出した。
「もしかしたらお母さんは……私のせいで
病気になったんじゃないか、って。私が大学
に行きたいなんて言わなければ、お母さんが
無理をすることもなくて、苦労をすることも
なくて、あの社宅を出ることもなくて……。
もしかしたらずっとあのまま、みんなで笑っ
て暮らせていたんじゃないか、って」
――それは長い間胸の奥にしまい込んでいた、
臍を噛む思い。
自分が大学に行きたいなどと言わなければ
……心の奥ではそう思いながらも、それを口
にしてしまえば何かが足元から崩れてしまう
ような気がして、怖くて言えなかった。
けれどいまになって、いまだからこそ吐き
出してしまいたくなる。このまま、この思い
を一人で抱えて生きるには、人生は長すぎた。
『……馬鹿ねぇ』
嘆息と共に、そんな言葉が聴こえて満留は
俯いていた顔を上げる。続けて、おばさんの
慈しむような、やわらかな声が耳に届いた。
『どうしてそんな風に思うのかしら?芳子
さんはね、満留ちゃんのことをいつも自慢し
ていたのよ。『あの子は努力で自分の道を切り
拓く子なんだ。塾にも通わず一人でコツコツ
と勉強して、本当に偉い子なんだ』って、そ
れはもう誇らしげに。でも、本人の前では言
わなかったのね。恥ずかしかったのかしら?』
くすくす、と、電話の向こうでおばさんが
笑う。その笑い声が、やさしい声が、悩む必
要など何もないのだと教えてくれる。
ら、社宅を出たことも知らなくて」
『実は、芳子さんの病状が悪くなり始めた
のと同じ時期に、うちの人が脳梗塞で倒れて
しまってね。仕事を辞めて主人の実家がある
葉山に移り住んだのだけど。ちょっと後遺症
が残ってしまったものだから、芳子さんのお
見舞いに行きたいと思っていても中々行けな
かったのよ。本当にごめんなさいね』
「そんなっ、私こそおじさんが倒れたこと
すら知らなくて。おじさん、大丈夫ですか?」
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ねと私が芳子さんに口止めしたのよ。だから、
何も気にしないでね』
ふふ、と電話の向こうで笑んだのがわかっ
て、満留は胸が苦しくなる。自分が知らぬ間
に、母からもおばさんからも守られていたの
だと思えば、やはり、何も役に立てないのが
情けなかった。満留は情けないついでに、と、
ずっと胸に溜めていたことを口にした。
「……あのね、おばさん」
『なあに?』
「実は私……ずっとずっと思っていたこと
が、あるの」
思い詰めた声でそう言うと、おばさんは先
を促すように口を噤む。満留は一度唇を噛む
と、思い切ってその言葉を口から押し出した。
「もしかしたらお母さんは……私のせいで
病気になったんじゃないか、って。私が大学
に行きたいなんて言わなければ、お母さんが
無理をすることもなくて、苦労をすることも
なくて、あの社宅を出ることもなくて……。
もしかしたらずっとあのまま、みんなで笑っ
て暮らせていたんじゃないか、って」
――それは長い間胸の奥にしまい込んでいた、
臍を噛む思い。
自分が大学に行きたいなどと言わなければ
……心の奥ではそう思いながらも、それを口
にしてしまえば何かが足元から崩れてしまう
ような気がして、怖くて言えなかった。
けれどいまになって、いまだからこそ吐き
出してしまいたくなる。このまま、この思い
を一人で抱えて生きるには、人生は長すぎた。
『……馬鹿ねぇ』
嘆息と共に、そんな言葉が聴こえて満留は
俯いていた顔を上げる。続けて、おばさんの
慈しむような、やわらかな声が耳に届いた。
『どうしてそんな風に思うのかしら?芳子
さんはね、満留ちゃんのことをいつも自慢し
ていたのよ。『あの子は努力で自分の道を切り
拓く子なんだ。塾にも通わず一人でコツコツ
と勉強して、本当に偉い子なんだ』って、そ
れはもう誇らしげに。でも、本人の前では言
わなかったのね。恥ずかしかったのかしら?』
くすくす、と、電話の向こうでおばさんが
笑う。その笑い声が、やさしい声が、悩む必
要など何もないのだと教えてくれる。
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